第24話 ノーフェイス・7


-11-




 ハヤテと別れて、『葬儀屋』は自分の寝床へと帰った。

 “顔無し”を探して一週間弱。微妙に何かがずれているのか。いまだ、会えない。

 男爵からの催促は無いが、それでも、内心、焦っていた。

 ぐるぐると、様々な人々から言われた単語が、頭の中で回っている。

 “Mother”。聖母の子供たち。

 ……『葬儀屋』は苦笑した。

 もう忘れてしまっている言葉だったのに。

 ……いまだ、忘れていなかったらしい。

 やがて、彼は自分の店に辿り付く。

 悪趣味なネオンサイン。片目が溶け落ちたゾンビが招く自分の店。

 ふと、思った。

 自分は何をしているのだろう、と。

 屍体を切り刻み、屍者を増やし、死ぬべきかもしれない生命を助けている。

 なぁ、『葬儀屋』。

 お前は、そんな事がしたくてこの街に来て、こんな仕事を選んだのか?

 違うのだろう? と、誰かが囁く。

 でも。

 これ以外、何も無かった。

 これ以外、何も出来なかったのだ。

「…………………」

 沈黙のまま、室内へ続くドアを目指して、狭く暗い階段を降りる。

 最後の段を踏み、ドアに手を掛けた時。

「…………?」

 鍵が掛かってない事に気付く。

 …確か、出掛けに鍵を掛けていた筈だが…。

 ドアをゆっくりと開いた。

 切れ掛けた電球の生み出す灯りの下。

 ぽつん……と、その姿があった。

 『葬儀屋』は笑う。

「ようやく会えたな?」

 自分より背丈のある青年の身体。

 その上に、腐肉を纏わりつかせた頭部が乗っていた。

「“顔無し”だろう?」

 ゆっくりと、頭部が縦に振られる。

 動いた拍子に、ぐずぐずになった腐肉がばらまかれた。

 それを気にせず、『葬儀屋』は“顔無し”に近付く。

「初めまして、と挨拶しておこうか」

 自分の胸に手を当てる。「俺が、“葬儀屋”だ」

 ぐぃっと。

 胸に当てた手が掴まれた。

 意外な程の腕力。

 だが、“顔無し”の指は、ぶるぶると震えていた。

 興奮状態なのだろうか? 腐肉に包まれた顔からは、何も判断出来ない。

 掴まれた手が、掌を上に無理やり開かされる。

 同じぐらい震える指先が、開いた掌に触れた。

「………?」

 掌の上で指先が動く。

 同じ動きを、何度も……何度も。

 言葉だ、と気付く。

 『葬儀屋』は掌に意識を集中させる。

 


 たすけて



 助けて、と、“顔無し”の指先が綴っていた。

「…たすけて?」

 “顔無し”は何度も頷いた。

 腐肉が飛ぶ。

「何をどう助けて欲しいんだ? “顔無し”、どうなんだ?」

 “顔無し”は今度は首を左右に振った。

 指先は「たすけて」とだけ綴っている。

「分からないのか? 何からどう助けて欲しいのか分からないのか?」

 “顔無し”が頷いた。

 ――貴方なら、ぼくを助けてくれると聞きました。

 “顔無し”が言葉を変えた。

 ――助けて、『葬儀屋』。

 震える指先。

 酷く必死な。

 ――ぼくをたすけて、『葬儀屋』。とても苦しいのです。

「苦しい?」

 ――顔がすぐ失われてしまうのです。ぼくは、ぼくの顔が欲しいのです。

 失われない、ぼくだけの顔が欲しいのです。

 ……ゆっくりと。

 『葬儀屋』は大きく頷いた。

「分かった」

 “顔無し”の無い顔を真っ直ぐに見詰めて。

「分かった」

 繰り返す。「お前に顔を与えてやる」

 ……“顔無し”は、静かにこうべを垂れた。

 垂れた姿のまま、指先で言葉を綴った。

 ――お願いします。

 それに頷いてから、『葬儀屋』は“顔無し”から離れた。

 電話に手を伸ばす。

 とある直通番号に、彼は回線を繋いだ。




-12ー




 ほんの短い待ち時間で電話は繋がった。

『――はい?』

「男爵」

 相手の名を確認せぬまま呼んだ。

 直通番号だ、間違いは無い。

「すぐに用意してくれ」

 背後を振り返り、立ち尽くす“顔無し”を見た。

 …二十代半ば…程度だろうか。

「二十代半ばの……白人男性の屍体が欲しい。生きのいいヤツだ。外傷の無い屍体で、病死はパスだ。二時間以内に用意してくれ」

 …『葬儀屋』の要求を聞き終えて、男爵は大げさにため息を零した。

 芝居が掛かった仕種が目に浮かんだ。

『随分と無茶を言う』

 苦笑交じりの声。『あまりにも唐突だ』

「“顔無し”を見付けた」

 ぶつけるように言葉を吐く。「その報酬だと思ってくれ」

『それにしても…そんな屍体はすぐに…』

「殺せばいい」

『…………………』

「殺しても構わない生命は、たくさん存在するのだろう?」

 それが男爵の口癖だった。

 彼は、自分と自分の最愛の妻さえ存在していれば、他に何も要らないのだ。

 病的な我侭。

 それが男爵だ。

『…ひとつ、教えて欲しい』

「…何だ?」

『どうして、“顔無し”を助けようとするんだい?』

 …小さく、『葬儀屋』が笑った。

 彼独特の笑み。

 哀れむような…さげすむような…それでいて、酷く無表情。

 今なら分かる。

 その笑みが、他の誰でもなく、彼自身に向けられている事に。

 助けられた生命がある。

 それ以上に、助けられなかった生命があった。

 無力な自分自身を哀れむように……蔑むように。

 彼は、今まで何度も笑ってきた。

 そして、きっと…これからも。

『“葬儀屋”答えて欲しいな。何故、“顔無し”を助ける?』

「簡単だ」

 『葬儀屋』は無表情に笑う。

 そして、明確な声で、言った。

「こいつは、俺の肉親だ」

 小さく、吐息。「…俺と同じ、子供たちだ」

 一瞬の沈黙が訪れる。

 その後。

 男爵は、弾けるように爆笑した。

 思わず、電話口を耳から離す羽目になるほどの爆笑。

『そうか…そうなのか、“葬儀屋”。君も子供の一人かい』

「…ああ」

『ならば、助けてやらねばならないな。偶然にも出会えた兄弟だ。助け合わなければ』

「分かっているなら」

『ああ、至急用意しよう。君好みの屍体を、すぐに』

 男爵は爆笑したまま、電話を切った。

 電話を終えて、『葬儀屋』は深く吐息。

 疲れ果てた表情で、深く…深く息を吐いたのだ。

 手が再び掴まれた。

 見れば、“顔無し”の指が言葉を綴っている。

 大丈夫ですか、と問う指。

 頷きと微笑で答えを返すと、問い掛ける内容が変わった。

 ――兄弟とは? 子供たちとは、何なのですか?

 『葬儀屋』は微笑。

 曖昧に笑ったまま、“顔無し”の肩を軽く叩いた。

「そのうち、教えてやる」

 “顔無し”は何も言わなかったが、不満げな気配を伝わってきた。

 もう一度肩を叩き、笑い掛ける。

「少し休ませてくれ」

 屍体が届いたら、すぐに助けてやるから。

 そう囁いて、『葬儀屋』は黒皮のソファに腰を下ろす。

 背凭れにぐったり寄り掛かり、瞳を閉じると、すぐさま眠りが訪れた。

 明滅する、切れ掛けた電球など気にならないほど、深い……眠り。




-13-




 目の前のテーブルに、ふたつの物が置かれている。

 自分は金属製の椅子に座り、そのふたつの物体を眺めていた。

 ああ、夢だ、と納得する。

 自分が『葬儀屋』と名乗る以前の記憶。

 それを、今の自分は夢と見ている。

 ふたつの物体を視線に納めつつ、そう思った。

 ふたつの物体。

 ひとつは、銃。

 黒光りする凶器。何度も使われた形式のある銃身が鈍く光っている。

 もうひとつは、硝子瓶。

 中にはたっぷりと液体が入っている。そして、その液体を毒だと理解していた。

 名前が呼ばれた。

 今は捨てた名。

 『葬儀屋』と呼ばれる前、自分に与えられていた固有名詞。

 顔を上げず、自分の名を呼ぶ人の声だけを聞く。

 視線には、銃と毒薬。

 生命を奪う為の、ふたつの絶対的な力。

「――さぁ、どちらを選ぶ?」

 清潔な白手袋に包まれた手が、銃と毒薬の狭間に置かれた。

「他人によって彼らに与えられる、恐怖を伴う苦痛か」

 白い手袋が銃側に寄った。

 愛しげに銃身を指先がなぞる。

 それとも、と、今度は毒薬側。

「お前によって彼らに与えられる、苦痛無き死か」

 さぁ、どちらを選ぶ?

 あの時。

 どうして、死んでしまわなかったのだろう。

 何もかも捨て去り、あの場で伸ばした指が掴んだ銃なり毒薬で、何故、死んでしまわなかったのか。

 生きる自由。死ぬ自由。

 やはり、自分にも存在しなかったのだろうか?

 過去の記憶と同じように。

 ……伸ばした指が、毒薬の瓶を握った。

 視線だけを上げる。

 軍服にも似た服を着た男の顔を、見上げた。

「俺が、殺す」

 優しい隣人たち。愛しい人々。

 彼らを、他の誰にも傷付けさせない。

 苦しめる事など、許さない。

 ……軍服の男が、満足げに笑った。




 場面が変わる。

 優しい優しい隣人たちの腕に、毒薬を混ぜたブドウ糖を注入していく。

 予防接種だと偽った注射。

 彼らが与えてくれる優しい言葉が痛い。

 だが、気付かれてはいけない。

 自分が彼らを殺さなければ、彼らは奴等に殺される。

 恐怖と共にもたらされる処刑。

 なぁ、俺は泣いてないよな?

 誰にも気付かれてないよな?

 きっと、俺は変な顔で笑ってる。

 泣いているような、哀れんでいるような、蔑むような……そんな笑顔。

 



 場面が再び変わった。

 穴を掘っている。

 無数の穴を、掘っている。

 穴ひとつに屍体がひとつ。

 屍体をひとつ埋めるごとに、祈りを一度。

 祈る神は知らなかったが、祈る気持ちだけはあった。

 葬儀を繰り返す。

 優しい隣人たちの数だけ。

 幾度も、幾度も。

 彼は葬儀を繰り返した。

 笑いながら、あの笑みを唇の端に浮かべながら。

 涙が頬を伝っている。

 それさえも気付かず、笑っていた。




 葬儀が終わったその日に。

 ……自分は、この街へとやってきた。

 世のどんな法も権力も、影響を及ぼさないこの街へ。

 『葬儀屋』と名乗り、過去を捨て去る為に。

 目的は罪滅ぼし。

 助けられなかった生命を思う。

 自分が殺めた生命を思う。

 この街ならば助けられるだろうか。

 自分の手の届く範囲の生命なら、助けられるだろうか。

 自分が持っている知識は多くない。医療の知識はあるものの、それだけだ。

 その知識だけで、どれだけの事が出来るだろうか。

 屍者の言葉を聞き、その願いを聞き届けられるか?

 生者の願いを聞き、その思いを形に出来るか?

 


 救えなかった彼らの数だけ、屍者と生者の言葉を聞けるだろうか?



 何も分からない。

 だけど、何もせずにはいられなかった。

 『葬儀屋』は動き出す。

 まだ何も手に掴めぬまま。



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