第23話 ノーフェイス・6



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 “顔無し”は地面に座り込んでいた。

 ナイフは彼の武器である。

 それの手入れだけは怠っていけないと、そう思っていた。

 ナイフを研ぐ事は半ば無意識に覚えたらしい。

 器用な手付きで刃を整える。

 思い出したように。

 “顔無し”は己が顔に手を当てた。

 少しだけ、腐り始めた今の顔。

 そろそろ新しい顔を用意する頃だろうか。

 さて、次はどんな顔にしよう。

 出来るのなら、今度は長持ちする顔にしたいものだ。

「――“顔無し”?」

 呼ばれた。

 “顔無し”が顔を上げると、彼が今居る路地を覗き込むように、若い男が立っていた。

「“顔無し”だろう? そうなら片手を上げて欲しい」

 “顔無し”は恐る恐る、左手を上げた。

 路地を覗き込む姿が満足そうに頷く。

「言った通りだったね」

 その姿が、自分の手元を見ながら囁き掛ける。

 誰かに語り掛ける口調だ。

 誰か……居るのだろうか。

 呆然とする“顔無し”に、その姿は近付いてくる。

 若い男だった。

 優しい顔をしている。

 そして、男の片手には、ほっそりとした女の手首が握られていた。

「初めまして、“顔無し”。妹に案内されて会いに来たよ」

 何か言おうと思ったが、やはり漏れるのは獣の声にも似た呻き声。

 男はそれに恐れをなした様子は見せない。

 穏やかに笑っている。

「“葬儀屋”を探しているのだろう?」

 びくり、と、“顔無し”が反応したのが分かったらしい。

 男は酷く優しい顔で、手を繋いだ手首――それが妹らしい――に囁き掛けている。

 やっぱりそうみたいだね、と、言ったのが聞こえた。

「怯えないでもいい。私は妹の言葉を伝えに来ただけだから」

 妹の言葉?

 “顔無し”は、震える手を伸ばした。

 男の空いた手を掴み、無理やり広げた掌に文字を刻んだ。

 ――妹の言葉とは?

 ああ、と男が笑った。細い眼鏡フレームの奥にある瞳が、穏やかに緩む。

「文字が分かるのだね」

 はい、と、その掌に刻む。

 男は優しい顔で頷いた。

「“葬儀屋”も君を探していると伝えてあげて、と、妹が言っている」

 ――ぼく、を?

「そう、貴方を」

 ――どうして?

「人に言われて…? いや、違う? “Mother”……聖母の子供たち?」

 “Mother”。

 そして、聖母の子供たち。

 ……ふと浮かんだ言葉は、自分の頭上から降り落ちる嘲りの声。

 顔ダケノ失敗作ダコイツハ。

 顔だけの? 自分は顔など無い。“顔無し”の名前通り。

 ソレナラ私ガモラウワ。顔ガソレダケイインダモノ。ぺっとトシテハ、丁度イイワヨ。

 女の声。

 ああ、最初の声だ。

 自分が殺され掛けている時に、何処から聞こえた女の声。

 あの時、自分を捨て去ろうとしていた女が、この声の記憶の際は、引き受けようとしている。

 ……ならば、これはもっと古い記憶。

「……“顔無し”?」

 男が不安そうにこちらの顔を覗き込んでくる。

 腐肉を纏わりつかせた顔に、恐怖など感じないらしい。

 大丈夫です、と、指先で言葉を綴った。

 男が安堵したように笑う。

「妹が言っている」

 ――何と?

「“葬儀屋”に会いなさい、と」

 ――ぼくも、『葬儀屋』に会いたい。

 自分を殺そうとした相手の言葉だが、助けてくれるのは『葬儀屋』だけなのだ。

「そうだね」

 男が子供に言い聞かせるような声で言った。「彼に会うといい」

 男はゆっくりとした口調で、ひとつの住所を口にした。

 “顔無し”は必死にそれを覚える。

 ――ここが『葬儀屋』の居場所なのですか?

「多分…一番居る場所の筈だ」

 それでは、と男が言った。「授業の時間だから」

 “顔無し”は慌てて男の手を引く。

 指先で、一生懸命に綴った言葉。

 ――有難う。

 続ける。

 ――妹さんにも有難う、伝えてください。

 男は優しく笑った。

「どう致しまして、と妹が言っている」

 妹は、面白い物語が見たいだけだから、と、男は続けた。

 幻だろうか。

 ……“顔無し”の耳に、幼い少女のように笑う声が、届いた。

 それでは、ともう一度口にすると、男はロングコートの裾を翻し、夢見るような歩調でその場を去っていった。

 “顔無し”は、己が身体を抱き締めるように蹲る。

 唇とは言えない唇を動かし、言葉を綴った。

 『葬儀屋』が居ると伝えられた場所を。

 何度も、何度も。

 脳裏から二度と外れないように、何度も。




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「犠牲者が居ない?」

 情報屋のハヤテが、そう、と妖艶に頷いた。

 『葬儀屋』が手に持つ紙に伸ばした指には、青に塗られた長い爪。

「今までだったら、三日置きぐらいに犠牲者が出てたのだけど…」

「今は?」

「一週間。ちょっと長いのよねェ」

「……サボテンからも同じ情報が来てるな」

 あら、と、ハヤテが流し目で睨み付けてきた。

「アイツにも頼んだの? アタシだけだと思ったのに」

「電脳上の方が、情報の伝達は早い」

「それならアタシは不要じゃない」

「お前の場合は、追加情報があるだろう?」

 サボテンは天才的なダイバーであるけれど、彼は、以前のネットダイブで重い脳障害を負っている。

 妖精さんが見えるようになったのはともかく、言われた事しか達成出来なくなった。

 本当の情報も、嘘の情報もまとめて報告されるのは……少し、厄介だ。

 情報を扱う者に必要な能力として、『情報取捨能力』が上げられる世の中なのだし。

 ぱし、と紙を指先で叩く。

 意味ありげに笑うハヤテに問うた。

「これだけじゃないだろ?」

「まァね」

 ふふん、と得意げな表情で笑った後、彼はもう一枚、紙を放り投げてきた。

 その紙を受け取り、広げる。

 『葬儀屋』は眉を寄せた。

「……地図?」

「“顔無し”もしくはそれだと推測される怪人物が目撃された場所の移動地図」

 階層都市用の地図は、この塔に似た都市を縦に両断したような姿で描かれる。

 日付と時間、そして目撃場所が記された地図を眺め…。

 『葬儀屋』はぽつりと呟いた。

「……移動幅が広くなったな」

「そうね。何処か目的地があるンじゃないの?」

 ハヤテの言葉を耳に、地図を指先で辿る。

「………最近、移動幅がまた狭まった…」

「目的地に着いたんでしょう?」

「…目的地?」

 それは。

 …………『葬儀屋』は地図を閉じた。

「…この、401階層か?」

 『葬儀屋』が住む、この階層が、“顔無し”の目的地か?

 ハヤテが瞳を細めて笑った。

「向こうも、アンタが目的なんじゃないのォ?」

「……………理由が分からない」

「アラ! アンタにも分からない事ってあるのねェ」

 けたけた笑って、ハヤテは『葬儀屋』に背中を向けた。

「じゃあ、アタシ、帰るからね。頑張ってねー、“葬儀屋”」

 バイバーイ、と手を振る表情は、それはもう、楽しそうだった。



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