第22話 ノーフェイス・5
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新しく手に入れた男の顔は三日で駄目になった。
何でもいい、の気持ちで手に入れたのは、綺麗な女の顔。
その顔も数日で駄目になった。
防腐処置をする事も考えたが、彼にはそんな技量も設備も無い。
新しい顔を奪う事しか出来ないのだ。
女。
男。
老人。
子供。
綺麗な顔。
醜い顔。
笑みのままに奪った顔もあった。
恐怖に泣き叫ぶ表情のまま、凍った顔もあった。
奪った顔の数が十を超えた頃。
どうやら、街に住む人々が、彼に名前を与えてくれたようだ。
“顔無し”。ノーフェイス。
初めて与えられたその名を、彼は喜びと共に受け取った。
名前を与えてくれた街を、人々を、心から愛しく思った。
だが、顔を奪う行為は、愛しさとは別。
否。
むしろ、愛しいものの顔が欲しいとさえ思い始めていた。
その欲求が深まるにつれ、何故か、ひとつの名が思い出される。
『葬儀屋』。
最初の記憶。
自分を殺そうとする男が囁いた名。
助けてくれる、と。
……助けてくれると、あの男が囁いた名だ。
しかし、この街は広い。
どうやってたった一人の人間を探せと言うのだろうか。
声による問い掛けは出来ない。声が無いのだから。
文字による問い掛けは出来ない。この街の識字率は恐ろしく低い。
それに、もし助けを求めたとしても、だ。
何から助けて欲しいと言うのだ?
自分は今、何に苦しんでいる。
彼――“顔無し”は考え込む。
腐り始めた新しい顔を撫でながら、ぼんやりと、闇が淀む空間に蹲りながら。
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“顔無し”探しの日々が始まった。
店の入り口に、『休業中』の紙を張り付ける。
珍しい事もあるもんだ、と道行く人が話し掛けるのを、曖昧な言葉で誤魔化した。
“顔無し”探しとは言いたくなかった。
知り合いの情報屋に連絡を取る。
サボテンと言う通称のダイバー――ネットの世界に精神体で侵入できる特殊なハッカーをこう呼ぶ――は、“顔無し”の情報がネット上にあれば伝えると約束してくれた。
その他の情報屋とも連絡を取った。
「珍しい事もあるねェ」
と、ハヤテと言う名の情報屋が言った。
男だって言うのに、女よりも鮮やかに化粧を施した顔が、悪趣味にはならないのが酷く不思議だ。
「まァ、何かあったらすぐに伝えるわね」
彼――それとも彼女か?――は流し目と共にそう囁いてくれた。
頼む、とだけ言い残し、『葬儀屋』は街を歩き出す。
この街の事は詳しいつもりだ。
“顔無し”の情報は頭に入っている。ならば、そこから“顔無し”の行動を考え、動くのが一番だ。
街は何も変わっていない。
いや、住んでいる人間、そこに在る建物は変わっているのだろうが、全体的なモノな何も変わっていないのだ。
雑多で騒々しく、五月蝿いほど派手で、どこか腐敗したこの街。
それでいて、この街に住む人間で、この街を嫌っている者は居ない。
この街は、外で失われつつある、自由があった。
生きる自由。死ぬ自由。
その自由さえも、外では失われつつあった。
「…………………」
生きる自由、死ぬ自由。
俺自身はどうなのだろう、と、ふと、思った。
「――“葬儀屋”?」
背後から、そう声を掛けられたのは、思考の迷宮に嵌り込む寸前。
ゆっくりと振り返った“葬儀屋”の視線の先で、何処か夢見るような瞳の男が微笑んでいた。
安っぽいロングコートに、細いフレームの眼鏡。知的な雰囲気の男だ。
誰だ、と迷っている間に、口が動く。
ああ、と、声が落ちた。
「あんたか」
「久しぶりだ」
穏やかな、夢見る口調。
軽く首を傾げるように、男は片手を上げた。
男は、紅いルビーが印象的な指輪を嵌めた手と手を握り合っている。
そう、手首から先と手を繋ぎ、街を歩いていたのだ。
「妹も君に会いたがっていた」
「それは光栄だな」
男が握る手首に向かって、一礼。
男がゆったりと笑った。
「妹が喜んでいる」
『葬儀屋』は何も言わず、微笑した。
男が言う妹の声は、彼以外の誰にも聞こえない。
少なくとも、今は。
「ええと…」
男の名を思い出そうとして、沈黙する。
以前、この街で会った際、男はまだ自分の名を得てなかった。
……昔々…『葬儀屋』がこの街にやって来たばかりの頃のように。
男は『葬儀屋』の迷いを理解してくれたようだ。
ゆっくりと、笑う。
手を重ね合わせた妹の手に微笑み掛けるように。
「先生、と呼ばれるようになったよ」
「…先生?」
「妹と二人で、薬屋を営んでる。妹が、薬剤師なんだ」
妹が何でも教えてくれる、と、男はやはり穏やかに笑う。
どうやら、男はこの街で自分の生きる世界を見つけ出したようだ。
妹と、二人で。
「ところで“葬儀屋”、何を探しているのだろうか」
「…人探しをね」
「それは大変だ」
さほど大変とは思っていないような声と顔で、先生はそう言った。
顔に張り付いたような穏やかな笑み。
薬屋を営んでいると言った。
自分まで、何らかの楽品の影響下に置いているのだろうか。
そういう事は、よくある話だ。
「見つかるといいな」
「ああ」
『葬儀屋』は曖昧に笑う。「妹さんと二人で、見つかるように祈っておいてくれ」
先生は水に沈んでいるような速度で、ゆっくりと頷いた。
頷き終えてから、彼は、ああ、と声を出す。
「妹が教えてくれたのだけど」
「…………?」
「聖母の子供たち…を知っているかい?」
「……………………」
絶句。
まさかこの男の口からその名が出るとは思わなかった。
いや…しかし。
この男も街の外の出身だ。
耳にする機会は……おそらくある。
「意味はよく知らないよ、私は」
「…妹が教えてくれた、から?」
「そう」
先生は優しく笑う。「妹は、本当に物知りなんだ」
…………『葬儀屋』は、酷く不器用ではあったが、先生に笑い掛ける。
強張った笑みだ。
「その、子供たちがどうしたって?」
「“葬儀屋”に深く関係すると妹が言っていた」
あくまでも優しげな微笑。
先生は、何も知らない善意の第三者の立場で語る。
「意味を教えて欲しいと妹に頼んだのだけど、“葬儀屋”に聞いた方がいいと言われたので」
「…俺も何も知らないさ」
「それは残念だ」
思い出したら教えて欲しい、と、先生は言い残し、軽く片手を上げる。
別れの挨拶だ。
「そろそろ授業の時間だ。呼び止めたのはこちらだって言うが…お先に失礼するよ」
「授業?」
「この街でも物語を作ろうと思っているのだけど、文字が読めない人があまりにも多いから、この街は。だから、少し言葉を」
「…文字を教えているのか?」
先生は静かに頷いた。
酷く満足そうに、ゆっくりと。
「子供たちを中心に、簡単な言葉を教えている。…やがて、彼らに私の書いた物語を読んでもらえる日が来ると信じているよ」
「…いい話だな」
『葬儀屋』は皮肉げな笑みを浮かべる。
この街で、文字がどれだけ役に立つか……。それは、まだ誰も分からない。
先生のする行動の結果は…まだ分からないのだ。
先生は『葬儀屋』の笑みに、やはり穏やかな笑みで答えた。
それから、左右に揺れるようなゆったりとした動きで歩き出す。
時々、手を繋いだ妹に語る事を忘れない。
優しい兄の表情だ。
「………………」
『葬儀屋』は兄妹の後ろ姿を見送った。
仲の良い兄弟。
……“自分たち”はどうだったろうか?
「…………どうでもいいか」
既に、すべてが昔の事だ。
『葬儀屋』は歩き出した。
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