第21話 ノーフェイス・4



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 最初に手に入れた女の顔は、三日で腐り果てた。

 鼻が無くとも臭いは感じるのだと、彼は納得した。

 腐った皮となった女の顔を下水に投げ込んだ。

 それから、考える。

 新しい顔。

 新しい顔を得なければ。

 ズボンのベルトには、女から奪ったナイフが刺さっている。そして、もう一本、街をさまよう間に手に入れた幾分大きめのナイフも、専用ケースに入った姿で、ベルトにぶら下げられていた。

 二本の凶器。

 それが、彼の武器だ。

 ゆっくりと街を歩き出す。

 顔はいくらでもあった。

 さて、どんな顔にするか。

 最初の顔は女。結局、彼の顔にはならなかった女の顔だ。

 女の顔を選んだのが間違いだったのだろうか。

 それなら、次は男の顔にしよう。

 彼は辺りを見回した。

 どうしよう。

 どの顔が、適当だ?

 街を数時間さまよった後に、彼は、一人の男と出会う。

 酒瓶を胸に抱き、壁に寄り掛かった姿で大鼾の男だ。

 男はすっかり眠っている。

 起きる気配はなかった。

 こちらが目の前に立っても、まだ夢の世界。

 そっと、指を伸ばした。

 ごわついた皮膚を指の先に感じる。

 額、眉、瞼、鼻、頬、唇、顎。

 指先ですべてを感じ、それから、満足げに頷いた。

 背中側に刺したナイフを抜き取る。

 顔と身体の境目を探すが、やはり見つからない。

 ナイフを、ゆっくり皮膚に潜り込ませる。

 男はすぐに目を覚ました。

 が、まだ意識ははっきりしていないらしい。

 不明瞭な呻き声を上げると、こちらをぼんやりとした顔を見つめてくる。

 ぼんやりとした瞳が、見開かれた。

 こちらの顔を認識したらしい。

 醜いでしょう? と、彼は問う。

 漏れない言葉で、表せない表情で、必死に問うた。

 醜い顔が嫌いなのです。

 醜い顔が、嫌なのです。

 だから。

 ――貴方の顔を下さい。

 ナイフを持っていない手で、男の首に手を掛ける。

 体重を掛けて押え込めば、何とかなった。

 だが、じたばたと暴れる足に身体を蹴飛ばされる。

 どうすればいい?

 迷う。

 迷って、彼は、暴れる男の腹部に、膝を叩き込んだ。

 割れる音。

 男の悲鳴が響いた。

 どうやら、こちらの膝蹴りは男が胸に抱いた酒瓶を砕いたらしい。

 そして、その酒瓶のかけらが、腹部に突き刺さったようだ。

 痛い痛いと喚く男の声が、徐々に弱くなっていく。

 抵抗も、徐々に。

 それに満足し、顔を奪う行為に没頭した。

 顔を奪う行為も二度目。

 かなり上手に出来た。

 男の顔を手に入れて、己が顔に張り付ける。

 ぺたり、と。

 新しい顔を、得た。

 地面に転がる男が何か言っている。

 少しばかり好奇心が刺激されて、何かを囁く肉塊――つい先ほどまで唇と呼ばれていた箇所だ――に、耳を近づけた。

 痛い、と。

 助けてくれ、と、男は繰り返していた。

 だけど、助ける手段など分からない。

 謝罪の言葉さえ浮かばず、彼は酷くナイフの血を拭うと、彼は上機嫌で歩き出した。

 男の呻き声が、薄暗い路地に響いている。




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「……“顔無し”?」

 『葬儀屋』は、男爵が口にした名を鸚鵡返しに言った。

 そう、と頷く声は、明瞭な笑みを含んでいた。

『実に面白いケースの殺人者だ』

 いや、と、己が言葉を否定して。『殺人者と呼ぶべきではないのかな? 殺すよりも顔を剥ぐ行為にのみ没頭している』

「……ああ」

 『葬儀屋』は短く頷いた。

 ナイツが言っていた殺人者。

 誰かが名前を付けたのだろう。

 “顔無し”。

『目撃者が、犯人は顔が無い、と証言している。安物のホラー映画のような顔をしているらしい』

「…それ故に“顔無し”か」

 誰が付けたか分からないが、そういう話を聞くと、恐ろしいほどぴったりだ。

 “顔無し”。顔が無い故に顔を奪うモノ。

 本当に、ぴったりだ。

「――で」

 『葬儀屋』が笑った。「俺にどうしろと?」

『その“顔無し”を探して欲しい』

「お断りだ」

 断言。

 電話の向こうで、男爵の吐息。

「人探しなら、マンサーチャーなり本職に頼め。殺人者を捕らえたいなら、警察に頼めばいいだろう? 警察になら、一人知り合いがいるぞ。いつでも紹介する」

『“葬儀屋”』

「何度も言わせないで欲しいな」

 手探りで、胸ポケットから煙草を取り出す。

 口の端に咥えて、火を付けた。

 腐った味?

 どうだろう。確かに、血の匂いに似ている気がするが。

『どうしても、駄目かな』

「俺は単なる屍体仲買業者だ。殺人者と渡り合うような技量も体力も無い」

『……………そう』

 何故か、男爵は笑っていた。

 勿体ぶるように笑いながら、彼は、最後のカードを取り出す。

『“Mother”』

 ぴくり、と、『葬儀屋』の顔が動いた。

 怯えるように、その顔が引き攣ったのだ。

『“Mother”……聖母と関係があるとしても、君は、何も動かないつもりかい?』

 ぽとり、と。

 …『葬儀屋』が咥えていた煙草が落ちた。

 黒皮のソファの上に落ちたそれが、新たな煙を上げる。

 それを、『葬儀屋』は気付いた様子は無い。

「……男爵」

『なんだい?』

「この階層都市は、どんな国家権力からも自由だった筈だ」

『確かにね』

「なら――」

『個人単位の侵入、破壊行為には何も言えないよ』

 それに。『どうやら、すべて思惑外の行動のようだし』

「…………………」

『君が言った通り、この街は自由だ。誰もがこの都市に操られる玩具に過ぎない』

 低い笑い声。

 『葬儀屋』はぼんやりと、男爵の姿を思い出す。

 貴族と言うよりも、科学者染みた顔。

 神経質そうな灰色の瞳を思い出す。

『“葬儀屋”、知っているだろう? 君自身も、この街の玩具に過ぎない。少しばかり、立派な玩具にしか過ぎないんだ』

「……分かってる…それぐらい」

『自分が玩具だと分かっているのなら、玩具らしく遊んだらどうだい? せっかく、外から新たな遊び道具がやってきてくれたんだ。遊んでやらないと』

 ねぇ? と、男爵は低く…低く笑った。

 『葬儀屋』は。

 ……大きく、息を吐いた。

 平凡過ぎるその顔。

 ただ目立つのは、右目を貫くように顔を走る傷跡だ。

 その傷跡が、今は鮮やかに、紅い。

「……その“顔無し”とやらを見つけてどうすればいいんだ?」

『見付けるだけでいい』

 男爵が満足げに笑った。

「見付けるだけでいい?」

『君になら反応するさ、“顔無し”も』

 笑い声が電話から続く。

 幸運を祈るよ。

 そう囁いて、電話は切れた。

 電話を床に放り投げる。

 それから、ようやくくすぶる皮ソファと煙草に気付き、立ち上がると靴底で火を消し止めた。

「……畜生」

 小さく呟いて、『葬儀屋』はソファを蹴った。

 声にはあからさまな憎しみを滲ませ、それでも、その平凡な顔は、何の表情も浮かべず。



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