第21話 ノーフェイス・4
-5-
最初に手に入れた女の顔は、三日で腐り果てた。
鼻が無くとも臭いは感じるのだと、彼は納得した。
腐った皮となった女の顔を下水に投げ込んだ。
それから、考える。
新しい顔。
新しい顔を得なければ。
ズボンのベルトには、女から奪ったナイフが刺さっている。そして、もう一本、街をさまよう間に手に入れた幾分大きめのナイフも、専用ケースに入った姿で、ベルトにぶら下げられていた。
二本の凶器。
それが、彼の武器だ。
ゆっくりと街を歩き出す。
顔はいくらでもあった。
さて、どんな顔にするか。
最初の顔は女。結局、彼の顔にはならなかった女の顔だ。
女の顔を選んだのが間違いだったのだろうか。
それなら、次は男の顔にしよう。
彼は辺りを見回した。
どうしよう。
どの顔が、適当だ?
街を数時間さまよった後に、彼は、一人の男と出会う。
酒瓶を胸に抱き、壁に寄り掛かった姿で大鼾の男だ。
男はすっかり眠っている。
起きる気配はなかった。
こちらが目の前に立っても、まだ夢の世界。
そっと、指を伸ばした。
ごわついた皮膚を指の先に感じる。
額、眉、瞼、鼻、頬、唇、顎。
指先ですべてを感じ、それから、満足げに頷いた。
背中側に刺したナイフを抜き取る。
顔と身体の境目を探すが、やはり見つからない。
ナイフを、ゆっくり皮膚に潜り込ませる。
男はすぐに目を覚ました。
が、まだ意識ははっきりしていないらしい。
不明瞭な呻き声を上げると、こちらをぼんやりとした顔を見つめてくる。
ぼんやりとした瞳が、見開かれた。
こちらの顔を認識したらしい。
醜いでしょう? と、彼は問う。
漏れない言葉で、表せない表情で、必死に問うた。
醜い顔が嫌いなのです。
醜い顔が、嫌なのです。
だから。
――貴方の顔を下さい。
ナイフを持っていない手で、男の首に手を掛ける。
体重を掛けて押え込めば、何とかなった。
だが、じたばたと暴れる足に身体を蹴飛ばされる。
どうすればいい?
迷う。
迷って、彼は、暴れる男の腹部に、膝を叩き込んだ。
割れる音。
男の悲鳴が響いた。
どうやら、こちらの膝蹴りは男が胸に抱いた酒瓶を砕いたらしい。
そして、その酒瓶のかけらが、腹部に突き刺さったようだ。
痛い痛いと喚く男の声が、徐々に弱くなっていく。
抵抗も、徐々に。
それに満足し、顔を奪う行為に没頭した。
顔を奪う行為も二度目。
かなり上手に出来た。
男の顔を手に入れて、己が顔に張り付ける。
ぺたり、と。
新しい顔を、得た。
地面に転がる男が何か言っている。
少しばかり好奇心が刺激されて、何かを囁く肉塊――つい先ほどまで唇と呼ばれていた箇所だ――に、耳を近づけた。
痛い、と。
助けてくれ、と、男は繰り返していた。
だけど、助ける手段など分からない。
謝罪の言葉さえ浮かばず、彼は酷くナイフの血を拭うと、彼は上機嫌で歩き出した。
男の呻き声が、薄暗い路地に響いている。
-6-
「……“顔無し”?」
『葬儀屋』は、男爵が口にした名を鸚鵡返しに言った。
そう、と頷く声は、明瞭な笑みを含んでいた。
『実に面白いケースの殺人者だ』
いや、と、己が言葉を否定して。『殺人者と呼ぶべきではないのかな? 殺すよりも顔を剥ぐ行為にのみ没頭している』
「……ああ」
『葬儀屋』は短く頷いた。
ナイツが言っていた殺人者。
誰かが名前を付けたのだろう。
“顔無し”。
『目撃者が、犯人は顔が無い、と証言している。安物のホラー映画のような顔をしているらしい』
「…それ故に“顔無し”か」
誰が付けたか分からないが、そういう話を聞くと、恐ろしいほどぴったりだ。
“顔無し”。顔が無い故に顔を奪うモノ。
本当に、ぴったりだ。
「――で」
『葬儀屋』が笑った。「俺にどうしろと?」
『その“顔無し”を探して欲しい』
「お断りだ」
断言。
電話の向こうで、男爵の吐息。
「人探しなら、マンサーチャーなり本職に頼め。殺人者を捕らえたいなら、警察に頼めばいいだろう? 警察になら、一人知り合いがいるぞ。いつでも紹介する」
『“葬儀屋”』
「何度も言わせないで欲しいな」
手探りで、胸ポケットから煙草を取り出す。
口の端に咥えて、火を付けた。
腐った味?
どうだろう。確かに、血の匂いに似ている気がするが。
『どうしても、駄目かな』
「俺は単なる屍体仲買業者だ。殺人者と渡り合うような技量も体力も無い」
『……………そう』
何故か、男爵は笑っていた。
勿体ぶるように笑いながら、彼は、最後のカードを取り出す。
『“Mother”』
ぴくり、と、『葬儀屋』の顔が動いた。
怯えるように、その顔が引き攣ったのだ。
『“Mother”……聖母と関係があるとしても、君は、何も動かないつもりかい?』
ぽとり、と。
…『葬儀屋』が咥えていた煙草が落ちた。
黒皮のソファの上に落ちたそれが、新たな煙を上げる。
それを、『葬儀屋』は気付いた様子は無い。
「……男爵」
『なんだい?』
「この階層都市は、どんな国家権力からも自由だった筈だ」
『確かにね』
「なら――」
『個人単位の侵入、破壊行為には何も言えないよ』
それに。『どうやら、すべて思惑外の行動のようだし』
「…………………」
『君が言った通り、この街は自由だ。誰もがこの都市に操られる玩具に過ぎない』
低い笑い声。
『葬儀屋』はぼんやりと、男爵の姿を思い出す。
貴族と言うよりも、科学者染みた顔。
神経質そうな灰色の瞳を思い出す。
『“葬儀屋”、知っているだろう? 君自身も、この街の玩具に過ぎない。少しばかり、立派な玩具にしか過ぎないんだ』
「……分かってる…それぐらい」
『自分が玩具だと分かっているのなら、玩具らしく遊んだらどうだい? せっかく、外から新たな遊び道具がやってきてくれたんだ。遊んでやらないと』
ねぇ? と、男爵は低く…低く笑った。
『葬儀屋』は。
……大きく、息を吐いた。
平凡過ぎるその顔。
ただ目立つのは、右目を貫くように顔を走る傷跡だ。
その傷跡が、今は鮮やかに、紅い。
「……その“顔無し”とやらを見つけてどうすればいいんだ?」
『見付けるだけでいい』
男爵が満足げに笑った。
「見付けるだけでいい?」
『君になら反応するさ、“顔無し”も』
笑い声が電話から続く。
幸運を祈るよ。
そう囁いて、電話は切れた。
電話を床に放り投げる。
それから、ようやくくすぶる皮ソファと煙草に気付き、立ち上がると靴底で火を消し止めた。
「……畜生」
小さく呟いて、『葬儀屋』はソファを蹴った。
声にはあからさまな憎しみを滲ませ、それでも、その平凡な顔は、何の表情も浮かべず。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます