第20話 ノーフェイス・3
-3-
最初は女だった。
ゴミ捨て場にゴミを持ってきた女だった。
押さえ込んで、暗がりに引き込み、その柔らかい、ぐずぐず太った身体に乗りあがった。
ふくよかな女の肉体。
身体の下で暴れるそれを、鬱陶しいなどと考える余裕も無かった。
顔。
女の顔。
薄暗がりでは明確に見えない。
故に、女を身体で押さえ込みつつ、片手で女の顔をまさぐる。
額。瞼。鼻。唇。
すべてが揃った顔。
羨ましい。
その顔を。
…その顔を、下さい。
願った声は、ただの呻き声。
薄暗がりに、何の偶然か。僅かな光が差し込んだ。
女の恐怖に強張った顔が一瞬浮かび、その顔が、ますます強張る瞬間を、こちらの脳裏に映し出すと同時に、光が消え去る。
ぐたり、と、女の身体から力が抜けた。
気絶、したらしい。
それもそうだ。
自分の顔は、自分自身が見ても気絶しそうなぐらい気持ち悪いのだから。
女の抵抗がなくなったのを確認し、女の顔に手を当てた。
この顔を奪う方法を考える。
皮膚は満遍なく頭部に張り付き、どうやっても剥がれそうにない。
ふと目に付いたのは、多分、女が暴れた際に転がり出たのであろうナイフ。
おそらく護身用であるそれが、彼の目に入った。
片手で引き寄せ、鞘から刃を取り出す。
切れ味は良さそうだ。
彼は、迷う事無く、女のこめかみ辺りにナイフの刃を潜らせた。
顔を剥ぎ終えた頃。
どうやっても拭いきれないほどの絶叫が、彼の耳に残っていた。
人の声帯からあれほどの声が絞り出せるとは知らなかった。
そんな事を、女の顔の皮を手に考える。
なかなか巧く剥げた。
そっと、己が顔に当ててみる。
ぴりぴりとした鋭痛と、じーんとした鈍痛。同時にふたつの痛みに襲われたが、それを気にしている心の余裕は無かった。
顔が欲しい。
顔が欲しいのだ。
血と肉を接着剤代わりに。
ふくよかな女の顔が、彼の顔にぺたりと張り付いた。
ますます塞がれた視界で辺りを見回す。
顔が気持ち悪い。
しかし、それでも満足だった。
彼は上機嫌で歩き出す。
ああ、忘れちゃいけない。
彼のこの作業をずっと手伝ってくれたナイフを、地面に転がって呻き続ける女の服で拭い、鞘に戻した。
それをズボンのベルトに差し込む。
これで準備完了。
彼は、再び上機嫌で歩き出した。
背後から、女の呻き声が聞こえてくる。
しかし、徐々に弱くなるそれには、もう興味はない。
あの女には、もう顔が無いのだから。
-4-
店の片付けを行った。
『葬儀屋』は疲れ果てた顔で、椅子の背もたれに寄り掛かる。
昔から掃除は大嫌いだった。
どうせすぐに血やら腐肉で汚れる室内。
そう思えば、掃除嫌いの彼は、部屋の掃除など適当でいいと判断する。
煙草を胸ポケットから取り出し、咥えた。
好きな銘柄は、『コルプション』。
腐った味がすると評判の煙草だが、なんせ、この街なら何処でも手に入る銘柄だ。
それだけで、好んで吸う理由になる。
煙草に火を付けた。
何処か淀んだ空気に踊る煙を眺めていると、不意に、その音に気付いた。
低く……『葬儀屋』を呼ぶ音。
電話、だ。
彼は、特に焦った様子も無く、辺りを見回す。
片付けを行う際、色々と物を移動させた。どうやら、電話は移動させた物の下敷きになっているようだ。
ようやく電話を引っ張り出した頃、既に数分が経過していた。
それでも、電話は鳴り続ける。
『葬儀屋』は、電話を取った。
「はい?」
耳に最初に入ってきた音は、笑い声。
毎日聞いている訳ではないが、聞き慣れた声だった。
「……男爵?」
『葬儀屋』は、ゆっくりと相手の名を口にした。
この階層都市にも、当たり前のように支配階級は存在する。
400階層――『葬儀屋』の住む階層だ――を支配しているのは、男爵と名乗る三十代半ばぐらいの男だった。
そして。
男爵は、『葬儀屋』の上客であった。
葬儀屋、と、男爵が名を呼び返してくる。
『お久しぶりだね、“葬儀屋”』
「ああ、本当にな。どうしたんだ、変態男爵」
親しい相手となると、生来の口の悪さが出てくる。
少しばかり口許を緩めて、『葬儀屋』は電話を楽しむ為、黒皮のソファに腰を下ろした。
『ひとつ…頼みたい事があってね』
苦笑交じりの声。
男爵は、450階層にある自分の屋敷から出る事は、まず、無い。
足が不自由な事もあるが、それ以上に、彼は極度の人間嫌いだった。
その男爵が、『頼み』を持ちかける相手は、階層都市広しと言えど、限られている。
「…頼み?」
『ああ』
男爵が頷いた。
勿体ぶるように沈黙し、やがて、男爵は言った。
『“顔無し”を知っているかい?』
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