第16話 ANGEL・3



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 少年は下へ下へと降りていきます。

 悪魔は地下に住むものだと聞いていましたから。

 出会った人たちに悪魔を知りませんかと尋ねながら、少年は階層都市の中を彷徨います。

 ある時、少年はとある人からその人物の存在を知ります。

 悪魔かどうかは知らないが、と前置きをして語ってくれたのは、ここより幾分下の階層に住む男の話。

 少年は、その男の話を目を輝かせて聞きました。

 だって、屍者を嘲るように切り刻み、その上売り捌くなんて。

 悪魔の所業に違いありません。

 少年は礼を述べ、悪魔が住む階層に向かいました。

 



 401階層。

 悪魔が住む場所まで意外なほど簡単に行き着けました。

 地下へ続く階段を降りて、悪魔が住む部屋のドアをノックします。

 しばしの間を置いて開いたドアの向こうから、一人の青年が顔を出しました。

 悪魔は誰が見ても恐ろしく、残酷な顔をしているに違いない、と少年は信じていました。

 ですが、今、少年が目の前にしているのは、何処にでもありそうな平凡な顔立ちの青年です。

 右目の上から頬に掛けて泣くように紅い傷跡が伸びているのだけが特徴の顔立ちなのです。

 男は、少年をまじまじと眺め、不思議そうに尋ねました。

 何の用だ、と。

 少年は悪魔に願いました。

 少女を助けて下さい、お願いします。ぼくが捧げられるものならすべて捧げて構いません。

 だから、少女を助けて下さい。

 悪魔は困ったように瞳を歪めました。

 ですが、身体を僅かに引いて、少年に室内に入るように合図します。

 話を聞いてやる、と悪魔は言いました。

 少年は喜びに顔を輝かせ、悪魔の部屋に入り込みました。




 悪魔の部屋には無数の屍体が置かれ、ぷん…と死臭が漂っています。

 促されて据わったソファも血を吸って重くなったような感じがするのです。

 少年は改めて恐怖を感じました。

 だけど、もう逃げられません。

 正面に座った悪魔の瞳を真っ直ぐに見詰め、少年は少女の身に起こった事、そして、自分が望む事を語ったのです。




 少年の話を聞き終え、悪魔は考え込みました。

 俺は、と悪魔は言います。

 単なる屍体仲買業者だ、と。

 少年は屍体仲買業者の意味を知りません。

 悪魔の顔を真っ直ぐに見詰めます。

 ……悪魔が、諦めたように笑いました。

 やるだけはやってやるさ、と悪魔が言ったのです。

 据わっていたソファから立ち上がり、何度も何度も礼を述べる少年に、悪魔が笑うような、それでいてまったく感情の無い声で言ったのです。

 死んでも後悔するなよ、と。

 少年は大きく深く頷きました。

 少女が幸せになるのなら、自分の生命など惜しくはなかったのです。





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 その日の夜。

 少女が閉じ込められている白い建物に向かいました。

 401階層と大きく違う1000階層だと言うのに、悪魔は迷う事無く進みます。

 建物に取り付けられた警備システムたちは沈黙を守っていました。

 少年はそれを不思議に思いましたが、悪魔は何も言いません。

 きっと悪魔の力なのでしょう。

 少女の病室へと行き着きました。

 少女は白い部屋の中、ベッドに入って眠っていました。

 眠っている少女に駆け寄ると、少年はそっと少女の名を呼びます。

 少女がゆっくりと目を覚まし、少年の姿を認め、その名を呟きました。

 まだぼんやりとしているのでしょう。少女は少年を追い出そうとしません。

 少年は少女に言いました。

 助けてあげるから、と。

 また歌わせてあげる、と少女に誓ったのです。

 少女はぼんやりとした瞳の色のまま、少年の背後に立つ悪魔を見ました。

 誰? と少女は問います。

 少年は言い淀みました。

 悪魔が笑います。

 さて、と悪魔が言いました。

 俺は誰なんだろうな、と悪魔が嘲るように笑いました。

 悪魔が少女に近付くと、包帯が巻かれた細く、折れそうな片腕を掴みあげます。

 抵抗しない少女の腕を指で辿ると、悪魔は少女の腕に簡易注射器で何か注入しました。

 鼓動ふたつぐらいの時間の後、少女の身体はかくんと折れました。

 慌てる少年に悪魔が笑います。

 死んじゃいない、と笑ったのです。

 悪魔が少女を抱き上げました。

 そして少年に一声掛けると、さっさと歩き出したのです。

 少年は慌てて悪魔の後を追いました。




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 悪魔の部屋に戻りました。

 少年が最初通された応接間ではなく、奥にあった手術室に似た部屋に通されます。

 少女の身体が金属製のベッドに寝かされました。

 折り畳み式のベッドを新たにその横に組み立てながら、悪魔が言いました。

 死んでも後悔しないな、と。

 その言葉に、少年は、しっかりと大きく頷きました。

 少年の幸福は少女の幸福であり、少女さえ幸せになるのなら、自分はどうなっても構わないのです。

 悪魔は横目で少年の力強い肯定の動きを見ました。

 そして、笑ったのです。

 いえ、それが笑いと言えたのでしょうか?

 少年が今まで生きてきて、そんな複雑なくせに何も感じさせない空っぽな笑みを浮かべた存在を知りません。

 悪魔の笑みなのでしょうか。

 その笑みは一瞬で消えうせ、悪魔は少年に組み立てたばかりのベッドに横になるように言いました。

 ベッドに横になりながら、少年は尋ねます。

 ぼくはどうなるのですか、と。

 悪魔は簡単に答えました。

 この女の子を治す為の部品に使う、と。

 じゃあ、と少年は嬉しそうに言いました。

 ぼくは彼女と一緒に居れるのですね、と。

 彼女の血となり肉となり。ほんのかけらでも、彼女の傍に居れるのです。

 プラスに考えるのは悪い事じゃない、と悪魔が答えます。

 瞳を細めた、少しだけ優しい笑みです。

 麻酔の用意をしながら、悪魔が言いました。

 遺言は、と。

 少年は少し迷い、答えます。

 彼女に伝えてください。

 歌って、と。

 悪魔は頷いてくれました。

 麻酔の薬――いえ、それは永遠の眠りの……――が首筋に打たれました。

 急激に霞んでいく意識の中で、少年は悪魔に繰り返します。

 歌って、と伝えてください。彼女に、彼女に。

 悪魔は再び頷きました。

 俺もこの子を歌を聞いてみたい、と悪魔が言いました。

 少年はほっと息を吐き、安堵と共に意識を深い深い闇へと落下させました。

 そして。


 少年は死にました。



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