第13話 紅い花・3(完)



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 青年の意識へ、花は根を張っていく。

 身体は既に自由に動かせない。

 眼球だけがぎろぎろと、床に倒れている少女の屍体を見詰める。

 何処か安堵したような死に顔を浮かべる少女の屍体を。

 紅い花は徐々に位置を変えていった。

 目的地は耳。そして、根が目差す場所は、脳。

 それを理解しても、青年はどうも出来ない。

 耳たぶに根が触れた。

 探るように、耳穴を根が触れる。

 悲鳴は出なかった。

 青年は許される範囲で瞳を見開く。

 既に身体の自由は無い。

 自分は、もう助からない。

 青年がそう覚悟した瞬間。

 背後のドアが叩かれた。

 ノックが終わるが早いか。ドアが開かれた。

 室内にほんの僅かだが、光が満ちる。

 だが、その光は部屋のすべてを照らす訳ではない。床に横たわる少女の屍体をはっきりと照らし出しただけだ。

「……おや」

 真後ろからの声に振り返る事は出来ない。

 だが、後ろに立つ人物が、自分と殆ど年齢の変わらない男である事は予想出来た。

 助けてくれ、と声にならない声で必死に祈る。

「取り込み中だったかな?」

 背後の男が、苦笑するように言った。

 ……笑い声。

 その笑い声が、自分の口から漏れたものだと知って、青年は自分の気が狂ったのかと思った。

「――いや」

 答えた声に聞覚えがあった。

 自分の声に、間違いは無い。

 笑みを含んだ声で、自分が言った。

「もうすぐ終わる」

 自分が振り替えった。

 背後の男に、笑いかける。

「待っていてくれ、『葬儀屋』」

 背後に立っていたのは、やはり若い男。

 ぼさぼさの黒髪に、特に目立つ特徴の無い作りの顔立ち。

 しかし、右目の上を貫くような傷跡だけが、酷く印象的だ。

 下手をすると、顔の傷だけを覚えてしまいそうな……そんな雰囲気の男。

 この男が、『葬儀屋』らしい。

 『葬儀屋』は背中に背負っていた袋を乱暴に床に落とすと、薄く笑って壁に寄りかかった。

「すぐに済むなら待たせてもらうさ」

 『葬儀屋』が答えた。

 それから、胸ポケットから煙草を取り出すと咥え、火を付ける。

 緩やかに紫煙が漂った。

 紫煙が漂う合間にも、根は青年の身体に侵入を始める。

「――なぁ」

 と、『葬儀屋』が言った。「聞こえるか?」

 視線はいまだ『葬儀屋』に合っている。皮肉げな笑顔を浮かべる顔が見えた。

 すっと瞳を細めて笑い、『葬儀屋』は言った。

「花に取り憑かれた気分はどうだ?」

 答える声は無かった。

 相手も答えは期待していないらしい。煙草を咥えながら、軽い口調で話を続ける。

「この街じゃ、花を育てるような暇人は少なくてね。結論、花が頑張る事になったって訳だ」

 頬が動いた。

 自分の顔が笑ったのだ。『葬儀屋』の言葉に反応して。

 『葬儀屋』はこちらの笑みに答えるように微笑し、言葉を続ける。

「あんたのように、花に興味を持った人間を世話役に選んで仲間を育てる」

「……こっちも苦労しているだけどな」

 自分の声が笑った。

 自分の意志と関係なく、手が動く。

 とん、と胸が叩かれた。

「仲間を犠牲にして、夢を見せるサービスまでして…それでも、こいつみたいに此処まで追ってきてくれる物好きは、何十人に一人だ」

 夢?

 頭の中で紅い花が咲いた。

「お前に渡した花」

 自分の声が囁いた。「覚えていないか? あの花が茎から根を伸ばして、お前の脳に触れた瞬間を」

 確かに、花を買った日、横になってすぐに痛みを感じた。

 あれが、花が脳に触れた感触?

 まさか。そんな非現実な。

 自分の声が笑う。

「非現実? 今実際、花に脳を侵されているお前が、何か言える立場か?」

 そして、今実際、お前の身体への侵入が終わろうとしているのに。

 青年は、既に痛みを感じていない。

 恐怖も何処か遠かった。

 不意に。

 『葬儀屋』が笑った。

 どこかこちらを哀れむような……皮肉げな笑み。

 しかし、『葬儀屋』はすぐにその笑みを消し、再び、ただ皮肉そうなだけの笑みに帰る。

「終わったか?」

「ああ。待たせた」

 自分の声が答えるのを、遠い意識で感じる。

 青年――青年の身体――は、全身で『葬儀屋』に向き直った。

 『葬儀屋』は床に落とした袋を顎で示す。

「約束のモノだ」

「確認させてもらう」

「どうぞ」

 煙草を咥えたままの子答え。

 青年の身体が屈み込み、落とした袋の口を開く。

 中に入っていたのは、屍体だった。

 まだ若い、女性の屍体。恐ろしいほどに綺麗な、状態のいい屍体だった。

「…いい母体だな」

 青年の声には喜びが溢れている。「これなら、紅い花が咲く」

「そうだろう?」

 『葬儀屋』は得意げに答えた。「苦労したからな」

 ああ、と青年の声が頷く。

 屍体袋から身体を離し、『葬儀屋』が寄りかかる壁に手を伸ばす。

 目的は、壁にひっそりと設けられた電灯のスイッチ。

 部屋に、完全な灯りが満ちた。

 青年は。

 自分が今度こそ狂ったのだと思った。

 部屋の中には、等身大サイズの硝子ケースが幾つも並べられ、その中に各ひとつずつ、屍体が収まっていた。

 直立不動の姿勢で硝子の柩に横たわる屍体の身体には、まるで装身具のように緑色の蔦が絡まっている。

 そして、蔦の所々には、花が咲いていた。

 青。緑。桃色。紫。黄。黒に藍。

 蔦に絡まれた屍体は、半ばミイラ化しているものも多かった。

 花に養分を奪われて。

 青年の身体は、『葬儀屋』から受け取った屍体を袋ごと引きずり、奥へ進む。

 そこには、空っぽの硝子ケース。

 ただ硝子ケースの前面に文字が書かれたシールが張ってあった。

 『RED』。

 紅。

 青年の身体は、慣れた手で硝子ケースを開くと袋から取り出した屍体を収める。

「やっぱり楽だな」

 満足げに囁く。「…子供の身体は力仕事には不向きだったから」

 硝子ケースの横にあった道具箱からナイフを持ち出す。

 青年の身体は鼻歌混じりに、硝子ケースに収められた女性の屍体のあちこちに傷を付ける。

 どろりとした……やはり屍体の色をした血が僅かに流れる。

 まだ死んだばかりなのだ、この屍体は。

 青年の身体は、同じ道具箱から今度は少し大きめの瓶を取り出す。

 瓶の中には、黒い小さな球状のものが詰まっていた。

 種子。

 誰かに教えられたように、青年の脳はその言葉を理解する。

 身体はひとつ笑い、種子を傷つけた女性の屍体に埋め込んでいった。

 作業は終わりに近付く。

 青年は、自分が発狂出来ないのが不思議だった。

「――『葬儀屋』」

 青年の声が言った。「報酬は? いくら払えばいい?」

「普段通り」

 『葬儀屋』が答える。「ただ、気持ちがあるのなら、最初の約束のものを早くして欲しい」

 青年が苦笑した。

 『葬儀屋』を肩越しに振り返り、苦笑交じりに言った。

「白い花、だったっけ? お前の希望は」

「そうだ」

「悪いな。白い花はなかなか咲かない」

「咲いたらでいい。すぐに届けてくれよ」

 『葬儀屋』との会話はそれで終了した。

 彼は軽く手を上げて、その場を立ち去ってしまったのだ。

 残されたのは、青年。そして、幾つもの屍体……と、花。

 青年の声が笑った。

「白い花なんて……本当に綺麗な花なんて、この街で咲くと思うか?」

 青年は答える言葉を持たない。

 青年の身体も、答えを期待していなかったようだ。

 笑いながら、部屋の中央へと移動する。

 青年の身体が、花と屍体が収められた硝子ケースを見た。

 ある意味、その風景は――

「どうだ? 綺麗だろう?」

 青年の考えを読み取ったように、声が笑った。

 自信に溢れた声が続ける。

「生きている時は虫けらにも等しい無価値なヤツらが、結果、こんな綺麗なものを作り出せるんだ」

 花が咲いている。

 大好きな紅い花こそ無いが、美しい自然の色彩が青年の目に写る。

 花。

「お前は幸福なんだよ」

 青年の声が言った。「こんな綺麗な花を育て、増やす事が出来る」

 青年は。

 ………ああ、と頷いた。

 花は美しい。

 自分が心奪われたその時のままだ。

 身体の自由と引き換えに手に入れたとしても、決して後悔しないその美しさ。

 瞳を閉じずとも、花が咲いている。

 青年はもう一度、ああ、と頷いた。




 -6-




 400階層前後に、花売りの青年が出没する。

 色とりどりの花を籠に詰め、道行く人に声を掛けた。

 多くの人は花になど興味を持たない。

 だが、僅かな人々は足を止め、花を購入する事すらある。

 青年は嬉しそうに笑って、買い手の好きな花を渡してくれる。

 その笑顔の裏に、どこか獲物を狙うような光が潜んでいる事に気付く者は、殆ど居ない。

 

 

 街に花の姿を見る事は、まだ少ない。

 だが、僅かずつではあるが、確実に、花の数は増えている。

 青。緑。桃色。紫。黄。黒に藍。

 そして、紅い花が、増えていく。



      

“紅い花”

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