第11話 紅い花・1
RE-ANIMATOR
ACT.3【紅い花】
-1-
最上階は天国へ通じ、最下層は地獄へ通じると言う。
そんな伝説がまことしやかに囁かれるその街では、塔と言う構成上、どうしても陽光が入り難い。
必然的に、自然の植物は上層部――1000階以上だ――に住む人々にのみ限られた贅沢品となる。
食べ物を人工的に作る人は居た。
だが、食べられもしない花を作る人間など、居もしなかった。
しかし。
彼は花と出会った。
地下211層。
治安の悪いその場所で、彼は、紅い花と出会ったのだ。
-1-
「――お花、要りませんか?」
少し舌足らずの幼い声が、彼の耳に届いた。
見れば、まだ十歳になるかどうかの幼い少女が、恥ずかしそうに微笑みながら彼を見上げている。
彼は瞳を瞬かせ、その少女を見た。
此処は、地下211層。
塔は、上層部に行けば行くほど治安が良くなり、下層部に行けば行くほど治安が悪くなる。
まぁ、外と比べれば、上層部でも治安は無いに等しいが。
とにかく。
地下階層の治安の悪さは、かなりのものだ。
そこに、こんな幼い少女が居るとは思えなかった。
しかも、中々に愛らしい顔立ち。放っておけば、その辺りの誰かに売り飛ばされそうな可愛らしさなのだ。
彼は、半ば放心していた。
花売りの少女。
地下211層で見る夢としては、かなり少女趣味だ。
「…………………」
彼はごしごしと両目を擦り、それから、改めて少女を見る。
少女はいまだそこに居た。どうやら夢では無いようだ。
恥ずかしそうに微笑し、両手に持った籠いっぱいの花を、青年に差し出してくる。
「青も桃色も緑も黄色もありますよ。お兄さんの好きな花、おひとついかがです?」
少女の言葉と同時に、今まで嗅いだ事の無い匂いがした。
それは、花の――自然の匂いだ。
この街で生まれ育った彼は、花の匂いなど知らなかった。
だが、彼にとってその匂いは、心地良いものだった。
「………ひとつ、くれ」
青年はズボンのポケットを漁り、見つけ出したありったけの硬貨を少女に差し出しながら言った。
少女は、にこりと満足げに笑うと、青年の手から硬貨を一枚だけ、取り去る。
そして、改めて花かごを差し出した。
「どうぞ、お兄さん。お好きな花を」
「………………」
彼はおっかなびっくり指を伸ばす。
指先は散々迷い、やがて、一本の花を選び出した。
紅い……血のように紅い花だ。
「素敵な花を選ぶんですね」
少女が小首を傾げる。
長い髪が揺れ、隙間から小さな耳が見えた。
その耳には、大きさこそ違うが、青年が選んで購入した紅い花とそっくりな花が光っている。
ピアスか? それにしてはリアルな。
それまでもが少女趣味の夢のようだ。
少女が、笑い声を零す。
青年の買った花を愛しげに見詰めて。
「本当に素敵な紅い花」
「…………………」
彼は何と答えていいのか分からず、困り果てて頭を掻いた。
少女はくすくすと笑っている。
それから、一歩、後ろに下がると、青年に一礼。
「お買い上げ、有り難うございました。またのご利用をお待ちしております」
芝居がかかった仕種でそう言うと、少女はぱっと顔を上げる。
子供そのものの顔で青年に笑いかけ、少女は。
――くるり、と背を向け、駆け出して行ってしまった。
残されたのは、青年。そして、紅い花。
「………………」
細い貧弱な茎に、重そうな紅い花弁の花が付いている。
先ほど、少女の耳で見かけた花をずっと大きくしたような、紅い花。
青年は指先でくるくると花を回しながら、その紅い色を見詰め続けていた。
-2-
家に帰ってから、空き缶に水を入れて紅い花を活けた。
そういう風にするものだと、何かで聞いたような気がしたからだ。
ベッド横のテーブルに花を置いて、彼は横になった。
寝返りを打った瞬間、ちくりと何かが痛んだ気がした。
だが、それを気にする間もなく、彼は深い眠りに沈んでいく。
そして、夢を見た。
紅い花が一面に咲いていた。
茎や葉の緑も見えず、ただ一面の紅。
彼はその中に半ば呆然と佇んでいた。
辺りを見回す。
視界は全て紅で埋まっている。
夢の中の事だ。
異常な風景にも恐怖を感じず、彼は、その場に座り込む。
手を伸ばした。
指先が紅い花に触れる。
花が揺れた。
まるで、笑うように。
そこで、目が覚めた。
…彼はぼんやりと、ベッド横に置かれた花を見る。
窓から入り込む人工の灯りに照らされ、紅い花が僅かにきらめいた。
夢の中と同じように、笑うように揺れながら。
それから毎晩、青年は夢を見た。
紅い花畑に立ち尽くす自分。
一週間も過ぎる頃、青年は眠る時を待ち侘びるようになった。
この街で手に入らない自然の花。
その美しさの虜になった。
だが。
一週間も過ぎると、少女から買った紅い花は、醜い茶色の屍になった。
枯れてしまったのだ。
青年がそれを理解したのは、花の横で眠りについても、何の夢も齎されなかった事からだった。
青年は呆然と枯れてしまった花を見詰める。
思いついて、手を伸ばし、指先を花に触れさせた。
はらり、と。
……随分と軽くなってしまった花が、細かく砕け、床に落ちた。
-3-
青年は、少女を探し始めた。
もう一度、花を売ってもらうつもりだった。
もう一度、夢を見るつもりだった。
最初に少女に出会った場所から始まり、青年は地下211階層を彷徨う。
時には暴力を用いても、少女に関わる情報を求めたりした。
だが、彼は少女に関して、何の情報も手に入れられなかった。
やがて、彼は気付く。
ひょっとしたら、彼女はこの階層の人間では無かったのかもしれない。
もっと上の――あるいは、下の――階層の人間だったのでは?
………青年は、上を見上げた。
植物が育つには陽光が必要だと聞いた。故に、上の階層だと予測したのだ。
新たな希望を見つけ、青年は何処か顔を輝かせる。
そして、立ち上がった。
上の階層に移動する為に。
瞳を閉じれば、紅い花が見えた。
この街で育った青年が知らなかった、何よりも鮮やかな自然の美。
もう一度だけでいい。
あの夢の中に落ちたかった。
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