第10話 GAME・3(完)


-7-



 彼女と別れて、僕は寝床に帰った。

 薄汚れた毛布に包まり、思考する。

 彼女の笑顔。屍体袋。額の穴。男と子供。刺青。彼女の笑顔。端末。

 そして、自分の価値。

 僕の価値?

 僕は毛布の中で自分の手を見つめる。

 痩せた手だ。

 何も奪った事が無ければ、何も産み出した事も無い手。

 そして、きっとこれからも。

 無価値。

 僕は無価値か?

 彼女の笑顔。屍体袋。『葬儀屋』。額の穴。男と子供。

 屍体になれば価値はある?

 刺青。彼女の笑顔。端末。

 そして…自分の、価値。

 僕は眠れぬまま思考の中を迷い続ける。

 半覚醒の意識の中、彼女の笑顔だけが鮮やかで。

 僕は、あんなに明るく笑えない。



-8-



 その日その日の雑多な仕事を僕は繰り返す。

 自分の価値と彼女の笑顔。

 僕の頭の中では、そのふたつがぐるぐる回る。

 僕の仕事は、とある商店街の荷物運びだ。

 小さな箱を角の肉屋へ。この瓶をいつもの薬屋へ。

 この仕事は、僕じゃなくても出来る。

 僕が明日唐突に消えても、他の誰かがこの仕事をするのだ。

 僕の価値?

 僕は、まだ価値など無い。

 自分の価値。彼女の笑顔。



 数日後。



 僕は、人伝に聞いた情報屋の元を訪れていた。

 ふたつの情報を、買う為に。




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 帽子を目深に被り、僕は街を歩く。

 458階。

 初めて来る場所だ。

 ちょっと前の僕ならば、多分、この辺りに来なかった。

 新たな場所へ移動すると言う恐怖心から。

 僕は、喉の奥で笑った。

 新たな場所へ移動する恐怖を持ちながら、どうやって上層部へ登ろうとしていたんだ、僕は?

 今の僕は、恐怖など無かった。

 あるのは高揚感。そして、僅かな緊張。

 どちらも、不快ではない。

 むしろ、心地よかった。

 僕は両手をジャンバーのポケットに突っ込み、足早に目的地を目指す。

 一月前、僕が情報屋から買った情報。それがいまだ有効ならば。

 彼女は、この458階に居る筈だ。

 情報の回転が速いこの街で、一月前の情報はかなり古いもの。彼女とまた会えるなんて、ほんの僅かな確率だ。

 でも、僕は彼女と会いたかった。

 この一月の話をしたかった。

 そうだ。

 一月も掛かったんだ。

 僕が、今の僕になるまで。

 良く頑張ったな、と、この一月、僕を指導してくれた人も言っていた。

 同じ言葉を、彼女の笑顔と共に、僕は欲しかった。

 微熱で魘され続けた一月の間、何度も繰り返した彼女の住処への地図。

 僕は迷うこと無く複雑な通りを抜け、彼女が一月前に寝床にしていた場所へと行き着く。

 廃墟と何の変わらないビル。

 そこが彼女の住処だった。

 此処に来て、僕は初めて迷った。

 その場に立ち尽くし、それから、自分の服装を確認したのだ。

 僕だと分かってもらえるだろうか。ほんの数時間、一緒に過ごしただけの子供を、覚えていてくれているだろうか。

 僕が迷っている間に、ビルの出入り口に人の姿が見えた。

 男だった。僕より頭ふたつ分は大きい、若い男。

 男はビルの出入り口前に突っ立っている僕を見て、面倒そうに顔を歪めた。

 そして、顎でしゃくる。

 避けろ、と言うのだ。

 僕は素直に横に引いた。

 男は満足げに頷くと、僕の目の前を通り過ぎる。

 屍体袋。

 男の背に、深緑の屍体袋が背負われていた。

 寝袋と似たような形状の屍体袋。

 その口から、鮮やかな金色の髪が、入りきらずに溢れていた。

 僕は男の顔を見る。

 身体に沿って視線を下げたのなら、目に入ったのは屍体袋を担いだ腕に彫られた刺青。

 抽象的にして不可解。

 でも、今の僕にはとても魅力的に見える、その刺青だ。

「――おい」

 僕は帽子に手を掛けながら、男を呼び止めた。

 男が面倒そうに振り返る。それより一瞬先に、僕の帽子がアスファルトに落ちた。

 振り返った男の瞳が見開かれる。

 僕は、既に銃を構えていた。

 そして、僕の額には。

 男と同じ刺青が、あった。

 男が屍体袋を放り投げ、腰の銃を抜くより先に。

 一月の訓練がモノを言ったのだろう。

 僕が放った弾は、男の頭を完全に撃ち飛ばしていた。

 転がる新たな屍体を前に、僕は新たな弾を充填する。

 それから、軽く首を傾げた。

 頭を吹き飛ばしてしまった。

 少し、勿体無かったかもしれない。



-10-



 腕の端末に、僕の価値が刻まれる。

 それを見ながら、僕は電話を掛けた。

 彼女の部屋に、此処への電話番号が書いてあったのは、本当に幸運だ。

『――はい?』

 何処か皮肉げな男の声が、電話の向こうから聞こえた。

 僕は小さく笑ってから、いつかの彼女のように、言った。

「『葬儀屋』、お久しぶり」

 ああ、と電話の向こうで、『葬儀屋』が頷いた。

 多分、彼が浮かべている表情はあれだ。僕が彼と初めて出会った日に浮かべた表情。

 憐れみ? 哀しみ? 喜び? 嘲り?

 何でもいい。

 『葬儀屋』は、今の僕の大切な取引先だ。

「屍体を買い取って欲しいんだ」

『状態にもよるな』

 いつかと似たような会話。

 僕は電話を持ったまま、足元のふたつの屍体袋を軽く蹴った。

 屍体になれば価値がある。生きているときは別の意味の価値が。

 はは、と僕は笑った。

 

 多分、彼女と同じ明るい笑みで。

            

                      “GAME”

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