第9話 GAME・2
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「『葬儀屋』、お久しぶり」
階段を降りきり、そこにあったドアを開くなり、彼女は室内に向けてそう歌うように言った。
ずかずかと中に入り込む彼女の後ろに、僕は内心びくつきながら付き従う。
薄暗い室内。
どうやらそこは事務所のようだった。応接セット…と言うにはだいぶ古ぼけていたがソファとテーブルが有り、部屋の隅には事務机。
ただ、何故か事務机の横には医療用のベッドがあり、反対側の壁には瓶が収められている棚があった。
奇妙な、部屋だ。
そして、この奇妙な部屋の主は、棚の前でなにやら作業をしていた。
彼は首だけでこちらを振り返った。
不思議なほど、何の特徴も無い男だった。
ぼさぼさの黒髪に、青白い顔。型に嵌めて創ったように特徴の無いその顔立ちの中、右目を貫くように走る赤い傷跡だけが、薄暗い室内で浮かび上がって見えた。
彼は彼女の姿を認め、唇の端を捻じ曲げるように上げる。
笑った、のだ。
「アマゾネス」
男は手に持っていた瓶を棚に戻す。「まだ生きていたのか」
「残念ながら」
彼女はくすくす笑いながら、応接ソファの上に背負っていた袋をどさりと放り投げた。
それから、僕の方を振り返り、目で合図する。
僕はソファに近付き、少し迷ってから何も無いテーブルの上に屍体袋を置いた。
「買い取ってくれない? 今日の午前中に死んだばかりなの」
「状態にもよるな」
『葬儀屋』、と呼ばれた男は、ぼさぼさの髪をますます乱すように髪を掻きながら、ソファに近付く。
どれ、と品物の出来を見るような具合で、彼はまずソファに転がった袋に手を掛けた。
寝袋と同じような仕組みになっているその袋。彼の一動で、屍体は半ば露になる。
彼女が背負っていた袋に入っていたのは、まだ若い男だった。彼女と同じぐらいの年齢の男。
額の真中に、黒い丸い穴が開いていた。
銃で殺されたのだ。
いや。僕は男の死因などには特に興味は無かった。
それよりも僕の目を引いたのは、男の頬から胸元に掛けて存在するもの。
刺青、だった。
抽象的にして不可解。動く筈の無いものなのに、じっと見ていると蠢きそうな、その刺青。
場所こそ違うが、彼女と同じ刺青だった。
「脳は死んでるな」
『葬儀屋』が何処からか取り出したのか、小さい箱から伸びるコードに付いた金属棒を屍体の耳に突っ込みながら、言った。
「最近、脳の買取価格が上がってるから、どうせなら別の殺し方をした方がいいんじゃないか?」
「そうなの?」
彼女は唇を尖らせた。「勿体無い事しちゃった」
ちらり、と彼女の視線がテーブル上の屍袋に動く。
「こっちも、脳を撃ってるの」
僕は彼女の顔をじっと見る。
彼女が、殺したのだろうか。
僕の思考が結論を出す前に、『葬儀屋』はテーブル上の屍体袋に手を伸ばす。
慣れた一動で、袋の口が開いた。
僕の予想通り、袋の中身は子供だった。
少し、怯えた顔で死んでいた。
剥き出しにされた右腕に、小さくだけど確かに……僕は刺青を発見する。
彼女と同じ刺青だ。
「……ふん」
『葬儀屋』は子供の屍体をチェックし、満足げに頷いた。「こっちは高く買えそうだ」
「嬉しいな」
彼女は作品の出来を誉められた生徒のように、笑った。
その後、彼女と『葬儀屋』は買い取り価格の話に移る。
男の屍体はあまりいい値にはならなかったようだが、子供の屍体はかなり高額になったようだ。
その話をぼんやりと聞きながら、僕は『葬儀屋』の仕事が何か理解していた。
屍体の仲買業者だ。
屍体を買い取り、生体パーツ等として売り出す。
正式なルートを流れているモノも確かにあるが、それよりも安価に、そして多く手に入れるのなら、モグリの屍体仲介業者を使うのが一番だと、聞いた事がある。
だから、そう言う商売があるのは知っていたけど、そう言う人種に会うのは初めてだった。
「…アマゾネス」
『葬儀屋』はようやく僕の存在に気付いたように、親指で僕を示した。
こいつは? と、『葬儀屋』が問うた。「“ゲーム”の参加者か?」
………“ゲーム”?
彼女は明るい笑顔で首を左右に振った。
「屍体袋担いで困っていたら、助けてくれた子」
『葬儀屋』は曖昧に頷き、僕を見た。
……ふっと、その表情が変わった気がした。
その時、『葬儀屋』が浮かべた表情を、僕はなんと呼べばいいのだろう?
憐れみ……哀しみ……? だけど、確かな笑みも嘲りの表情もあったと思う。
だけど、その表情は一瞬。
『葬儀屋』は軽く肩を竦めるように僕から視線を外すと、彼女との会話に戻ってしまった。
そして、僕は無視され続けた。
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彼女が金を受け取り、『葬儀屋』の店を立ち去ったのは、一時間も過ぎてからだったと思う。
ずっと僕を無視していた『葬儀屋』が、最後に、何故か僕を呼び止めた。
「買って欲しい屍体があったら、いつでも来いよ」
と、彼は皮肉そうな笑顔を浮かべ、僕を送り出した。
買って欲しい屍体?
どうして、僕がそんな屍体を手に入れると言うのだろう。
店を出てすぐに、僕は彼女から報酬を受け取った。
そこで僕らは別れても良かった。
だけど、僕はもう少し彼女と一緒に居たかった。
彼女は気付いてくれたのだろうか。
小さく、零すように笑って、彼女は明るく言う。
「ごはん、奢ってあげようか?」
僕は素直に頷いた。
彼女の案内で、500階ちょっとの階層にあるレストランに行った。
何故か、彼女は顔を包帯で覆ってしまっている。
丁度、あの刺青が見られないようにだ。
奢ってもらったハンバーガーに手を付けるよりも、僕はその刺青や、彼女が今は刺青を隠す理由を知りたかった。
彼女はくすくす笑って、自分の顔を示す。
「これ、気になる?」
僕は頷いた。
彼女は声を出さずに笑い、包帯の隙間から覗く瞳を細めた。
「あたしね、とっても面白いゲームに参加しているの。この刺青はそれの参加の証。で、刺青を隠している時は、ゲームをお休み中、って訳」
「ゲーム」
『葬儀屋』も“ゲーム”の名を口にしていた。
僕も参加者なのかと、彼女に問い掛けていた。
彼女は何処か誇らしげに、自分の右手を伸ばして僕に見せる。
女性としては逞しい腕。そして、意外なほど細い手首に嵌ったごつい腕時計。
……違う。
彼女が手首に身につけているのは、腕時計では無かった。
形状は腕時計に似ている。だが、文字盤に当たる部分に表示されるのは、幾つかの数字。
時間では有り得ない。
「…なに、これ?」
きゅ、と唇の端を上げて、彼女は三日月のような口で笑った。
そして、胸を張るように言ったのだ。
「あたしの価値」
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価値? と、僕は問い掛けた。
彼女は腕時計に似た何かを撫で擦りつつ、愛しげに答える。
「ボクは、自分に価値があると思う?」
問い掛けに問い掛けで答えられた。
しかも、その時の僕には到底答えられない質問だ。
自分の価値?
死にたくない、とは思う。生き延びて、少しでもいい暮らしをしたいし、出来るならもっと上の階層にも行ってみたい。
この街では、上の階層に住む事は成功を意味する。
だから、僕はごく一般的な夢を持った普通の少年なのだ。
その僕に、価値?
「答えられない?」
僕は頷いた。
彼女は、そうでしょうね、と納得したように優しく笑う。
「あたしも、自分の価値なんて分からなかった」
彼女は笑みを混ぜた声で言う。「生きていても意味なんて無いんじゃないかと思ってた」
一瞬の沈黙。
彼女は悪魔のように笑う。
「そして、分かったの」
「………分かった…?」
「実際、生命に価値なんて無いって」
彼女は自分の両手を広げ、僕に差し出した。
すべてを曝け出すように。
彼女の身体は傷だらけだった。
「あたしは無価値だ。身体と言う肉には価値があるかもしれないけど、あたしの生命なんて何の価値も無い」
彼女は差し出した手をぐっと握った。
そして、吐息。
「…怖かった」
言葉が零れる。「…あたしの生命に価値が欲しかった」
彼女は腕を引っ込める。
そして、テーブルの上で頬杖を付いた。
表情は既に明るい。
彼女の表情だ。
「でも、同時に気付いた」
自分の生命に価値が無いと言うのなら、創ればいいと。
それだけの事だと気付いた。
だから、と彼女は続けた。
「あたしはゲームに参加したの」
「……ゲーム?」
彼女は自分の顔を示す。
そして、ゲーム、と頷いた。
「ゲームに参加するとね、まず、身体のどこかに刺青を彫られる。場所は何処でもいいの。好きな場所を指定出来る」
彼女はそれを顔に彫った。
「それから、この端末を貰うの」
彼女は腕時計に似た機械――端末を示した。
「ゲームのルールは簡単」
彼女はくすくすと笑う。
「刺青を彫っている人間はゲームの参加者」
腕の端末。その画面が、微かに光った。
笑っている、と僕は思う。
「だから、同じ刺青を彫っている人間を、殺すの」
「…………」
顔を上げ、彼女の顔を見つめる僕に、彼女はもう一度、唇を開いた。
殺すの、と彼女は繰り返す。
「好きなように、好きなだけ、殺せばいいの。勿論、相手もこっちを殺しに来るから、それなりの覚悟は必要だけど」
「…殺す事に意味はあるの?」
「あるの」
彼女は明るく頷いた。
指先が端末に触れる。
「殺せば殺すだけ、その生命は生き抜く力があるって証拠。だから、殺せば殺すだけ、生命に価値が付く」
ぞくり、とした。
彼女は、殺す事に何の戸惑いも無い。
自分の生命に価値を加える事だけに、興味を持っているのだ。
この街の中でも、彼女――そしてゲーム参加者たち――は異端の思考だと思う。
だけど。
だけど――
自分の生命に価値が欲しいと願うそのこころは、ある意味、とても純粋なのでは?
僕は彼女の名を呼んだ。
彼女は軽く小首を傾げる。
僕は端末を指差し、先ほど画面に表示されていた数字を思い出していた。
「それが、価値なの?」
僕が見た数値は、ぞっとする程低いものだった。
元々が無価値の生命を殺したところ、さほど価値が付加される事は無い。
だけど、無価値よりはずっとマシだ。
存在意義が認められないよりは、ずっと、マシだ。
彼女は僕の問いに笑顔で頷いた。
そして、やはり誇らしげに、「あたしの価値」と囁いたのだ。
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