第7話 妹が教えてくれた・4(完)
-8-
その夜から、私たちは二人で夜を彷徨うようになった。
妹と一緒なら、すべてが愉快だった。
ネオンサインが輝く紅い街を彷徨いながら、私は、物語を作る。
怖くて綺麗で残酷で楽しい物語を。
妹が望んだ、彼女の為だけの物語を。
物語の主役は私であり、妹だった。
名も無き登場人物たちは無造作に沸いてくる。
街は物語に溢れていた。
机に向かわなくとも、キーボードを叩かなくとも、物語を書く事は出来るのだ。
知らなかったの、兄さん?
私がそう言うと妹は笑った。
そう言うものなのよ、物語って。
妹は得意げに続ける。
あの街で、教えてもらったわ。
あの街?
ああ。
妹が死んだ街か。
最上階は天国へ通じると言う。最下層は地獄へ通じると言う。
だが、それが真実かは誰も知らない、この世の異界。
ねぇ、兄さん。
妹が媚びた声で言った。
わたし、あの街に行きたい。
いいえ。
あの街に帰りたいわ。
帰る、の言葉に私は何故か納得した。
妹は、あの街に行った以前の妹と何かが違った。
姿かたちではない。
その心自体が既に違っていた。
街は生きていると、誰かが物語の中で言っていた。
そして、人も街の一部だと、同じ誰かが言っていた。
ならば。
妹は、既にあの街の一部なのだろう。
――私は、妹に視線を向けた。
笑いかける。
「行こうか」
妹はよほど嬉しかったようだ。
弾んだ声で話し掛けてくる。
あの街なら、いくらでも物語を作れるわ。
たくさんお話してね、兄さん。
怖くて綺麗で残酷で楽しいお話。
紅いあかい物語、たくさん、聞かせて。
楽しみだわ、と笑った妹に、私も笑った。
私も楽しみだ。
どれだけの物語がえがけるか、楽しみだった。
-9-
私は妹と手を繋いだまま、あの街へとやってきた。
かなり色々と苦労はしたが、一度街に来た事がある妹の案内があった。
思ったより、梃子摺らなかった、と思える。
初めて見る街を妹の案内頼りに歩いていると、突然、呼び止められた。
若い男だった。右目の上に赤い傷跡が走っている。
見覚えがある。
だが、誰だ?
私が相手の顔をじっと見ていると、妹がこっそりと囁いてくれる。
『葬儀屋』よ。
『葬儀屋』?
男は軽く笑った。
「お久しぶりだな」
その声に、私は思い出す。
妹を私の元へ連れてきてくれた男だ。
「『葬儀屋』…か」
私は相手の名前を呟いた。
男は、少しだけ驚いたような表情を作る。
「自己紹介、していたか?」
男の驚いた顔は意外だった。
私は笑いながら、妹の手を握った右手を、『葬儀屋』に見えるように上げてやった。
「妹が、教えてくれた」
「――ああ」
ふっ……と、『葬儀屋』が笑った。
いや。
この表情は笑みと言っていいのか。
酷く不思議な、嘆いているようにも見えるその表情。
――その表情は一瞬。
『葬儀屋』は肩を竦め、私から視線を逸らすように伏せた。
そして、すぐに顔を上げる。
先程の表情は、既に無い。
「で。この街には観光か?」
「まさか」
私は首を左右に振った。「…妹と此処で暮らすつもりだ」
そうか、と『葬儀屋』は――今度は本当に――笑った。
「この街でする事は見つけたか?」
「いや…まだ、はっきりとは」
私は心のまま答える。
この街では、己の言葉に何の嘘も混ぜなくて良い。
心のままで生きればいいのだ。
『葬儀屋』は私に片手を差し出した。
「改めて自己紹介だ。俺は『葬儀屋』。屍体の仲介業者をしている」
「私は――」
差し出された手を握り、自己紹介をしようとして、やめた。
外の名前を名乗るつもりはなかった。
『葬儀屋』は何も言わなかった。
私の手を一度だけ強く握り、そのまま立ち去ってしまう。
『葬儀屋』を見送り、さてこれからどうしようか、と考える。
妹に尋ねたら、彼女は幼女のように笑った。
兄さんは何がしたい?
心のままに行きましょうよ。
「教えてくれ」
私は願った。
妹の望みは私の望み。
「お前が、教えてくれ」
妹は笑い声を零す。
天使の羽音にも似ているだろう、その優しい声。
ゆっくり考えましょう。
時間だけはたっぷりあるわ。
妹の手に僅かに力が入る。
ぎゅっと、優しく握り締められた。
安心してね、兄さん。
ずっと私が一緒に居てあげるわ。
私は満足げに頷き、妹の笑い声に合わせて、少しだけ、笑った。
私の笑いを気にする者は、誰も居なかった。
“妹が教えてくれた”
close……
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