第5話 妹が教えてくれた・2


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 私は、作家と呼ばれる職業の人間だ。

 親はどうやら家業――医者だ――を私に継がせたかったようだが、私は反対を押し切り、作家と言う職業を選んだ。

 ベストセラーと呼ばれるような作品は、無い。

 だいぶバイオレンスよりのミステリを、読者に忘れられない程度に書いているのが、私だ。

 根無し草のような私に比べて、妹は親の期待通りに育った娘だった。

 医者にはならなかったものの、薬剤師の資格を取り、その能力を生かす仕事についていた。

 親は、妹に医者の婿を取り、実家の病院を継がせるつもりだったようだ。

 私は、既に親に見捨てられていた。

 妹だけは、ちょくちょく私の元へ来て、何かと世話を焼いてくれた。

 兄さんは傍に居てやらないと駄目になるから、が妹の口癖だった。

 困ったように、だけど嬉しそうに、私の世話をしながら、よく言っていた。

 その妹が、ある夜、酷く真剣な顔をして私の元へやってきた。

 相談がある、と彼女は切り出した。

 相談内容は、恋愛の事だった。


 好きな人が居る。

 そして、その人は法に触れるような事をしでかした。

 彼は逃げるつもりだ。

 この世の法が決して届かぬ場所へと。

 わたしは、彼と一緒に行きたいと考えている。


 私は、妹の言いたい事が理解出来た。

 妹は、あの街へ行くつもりなのだ。

 いつからあるのか分からない建造物。

 人が作った物なのか、それさえも判断出来ない高い…そして深い、塔だ。

 最上階は天国に通じ、最下層は地獄に通じると言う。

 そんな、馬鹿げた話が伝わる街だ。

 だが。ただひとつだけ言える事。

 国――世界中、どの国も――は、あの階層都市に決して手を出そうとしない。

 あの不可思議な世界では、この世とは違う法が行き渡っているのだ。

 外の罪は、あの中で裁かれる事は無い。

 ……驚く私に、妹は真剣な瞳で言った。

 恋する者独特の、盲目的に真剣な瞳で。


 兄さん、止めないでしょうね。

 わたしは、誰に止められたって行くつもりですから。

 

 なら、と私は妹に問うた。

 何故私に行く事を話す、と。

 もしかすると、私が両親に告げるかもしれない。

 あの両親なら、唯一の跡取である妹を、決して手放そうとしないだろう。

 私の疑問に答えたのは、まず、妹の笑みだった。


 だって、知っていて欲しかった。

 わたしがあの街に行った事を、誰かに。

 それは、兄さんこそが相応しい。

 

 妹は、親の反対を振り切って作家になった私と、やはり血の繋がりがあったのだ。

 恐ろしいほどまでの頑固者。

 妹の意志は決して曲げられない。

 私は、そう悟った。

 だから、私は妹を送り出した。

 幸せになりなさい、とは言えなかった。

 犯罪者と共に無法地帯へ行こうとする妹が、幸せになれると思えなかった。

 何も言わず、私は妹を送り出したのだ。

 妹は、私の部屋を去る寸前、ただ透明としか形容が出来ない笑みで笑った。


 さようなら、兄さん。

 また逢いましょうね。


 それが、生きている妹との最後の会話だった。

 



 数ヵ月後、妹は手首とビデオになって、私の元へ帰ってきた。




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 妹の手首とビデオを届けてくれたのは、若い男だった。

 真夜中。唐突に玄関のチャイムが鳴らされた。

 私は夜行性の方なので、特に違和感も無く、こんな時間に尋ねてくるのは友人の誰かだと思い、ドアを開いた。

 しかし、予想に反して、ドアの向こうに立っていたのは、見た事も無い男だった。

 薄手の白いコートを身に纏い、片手に大きめの袋を持っている。

 私は、男が知り合いかと思い、その顔を真正面から見つめ、思い出そうとした。

 平凡な顔立ちだ。

 ただ目立つのは、右目の上を貫くように走る紅い傷跡だ。

 刃で切られたように…見えた。

 男は俺を見て、軽くこうべを垂れた。

「夜分遅く、失礼」

 何処か面白がる口調で、男は言った。「これを届けに来ました」

 男は、手に持っていた袋を軽く上げた。

 私は、宅配業者に見えない男を、不信そうに見つめるだけだ。

 小さく、男が笑った。

「俺の店にこれが入荷されまして」

 でも、と男は笑う。「俺よりも、貴方に持っていてもらったほうが、これも喜ぶかと思ったので」

 ……これ?

 男が差し出した袋を、私は受け取る。

 ずっしりとした重さが、手に伝わった。

「見てやって下さい」

 開けていいのかと問う前に、男はそう言った。

 殆ど笑うと変わらない調子の声で、言葉を続ける。

「ずっと、貴方に逢いたがっていた」

「…………?」

 私は意味が分からないまま、袋を開いた。

 ずた袋と同じ形状であるその袋の中を覗き込み、私は絶句する。

 中にあったのは、硝子ケース。そして、その中に収まった手首。

 白いレースで切断面を飾られた、ほっそりとした女の手首だ。

 外灯の灯りを受け、薬指にはまったルビーの指輪が、きらりと輝く。

 瞬間。

 私は理解した。

 これが、妹の身体の一部であると。

「……妹…の…」

 男は喉の奥で低く笑った。

 妹の死を哀しむ様子は見えない。

 だが、私はそれを何とも思わなかった。

 妹はあの街へ行ったのだ。

 その妹の手首を届けてくれた人間も、あの街の人間に違いない。

 …人の死さえも日常になっていると言うあの街なら、妹の死など、何の哀しみにもならないのだろう。

 それじゃあ、と男は言った。

「確かに、届けました」

「………妹は」

 私は無意味だと分かりながらも男に問い掛ける。

「…妹は、どうして死んだのですか」

「さぁ」

 男はあっさりと答えた。

 失礼、と私に断ってから、見た事も無い銘柄の煙草を胸元から取り出す。

 煙草に火を付けてから、男は軽く首を傾げて言った。

「俺は屍体の仲買業者でして。屍体は仕入れても、屍体に付属する物語は仕入れない事にしてるんです」

 死んだ理由になど興味は無いと言うのか。

 私は落ち込んだのかもしれない。

 ……男が、私を見て、もう一度、笑った。

「その屍体と一緒に仕入れたものなら、袋に入れてます」

「……え?」

「俺は興味が無いので見ませんでしたが」

 男は笑うだけでそれ以上は何も言わなかった。

 私は、硝子ケースの陰になって見えなかった何かを引っ張り出す。

 ビデオテープだった。

 随分と古い形だ。

「――あ」

 ふと、顔を上げる。

 男の姿は既に無かった。

 ただ、空間に男が吸っていた煙草の煙が、ゆらりと揺らいだ。

「……………」

 私は夢でも見た気がした。

 だが、これが真実である事の証明に、私の手にはビデオテープと硝子ケース――妹の手首――が残されている。

 軽く手を握るような姿で、透明な箱に収まっているほっそりとした指。

 私は、その手首を見つめる。

 

 ただいま、兄さん。


 突然、そんな声が聞こえた気がした。

 くすくすと笑うような、妹の声。

 私は慌てて辺りを見回した。

 が、広がるは無人の闇。私以外の誰も世界に存在しないような、そんな闇だけだ。

「………………」

 再び手首へ視線を戻す。

 手首は、ただ硝子の箱の中に居た。

 私の視線に答える事無く。

 

 

 私は、妹の手首を抱えたまま、テレビの前に向かった。



 そして、妹が殺害される様を、目にしたのだ。


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