第2話 記憶の女・2
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最上階は天国へ通じ、最下層は地獄に通じると言う。
――なら、此処は何処なのだろう?
天国か、地獄か?
男は虚ろな意識の中で考える。
右手と一体化したような銃の重みは、もうとっくの昔に感じなくなっていた。
スマートリンクで直結された銃と脳。こうなってしまえば、銃も身体の一部か。
武器とひとつになった己の身体を思い、男は、少しだけ歩調を緩めた。
ならば、と思った。
私も、武器か。
銃が私になったのではなく、私が銃――武器になったのだ。
この街唯一の法的機関の武器に、なったのだろう。
男の仕事は、犯罪者を狩る事だった。
脳に埋め込まれた端末が、本部から犯罪者情報を男に与えてくれる。
男はその指示に従い、目標を狩り、罪を裁いていく。
ただ。
この街では、湯水のように人の生命が消費されていく。
下の階層ともなれば、僅かな金銭目的で人が殺される。
裁くべき罪は多く、男――そして、その仲間たち――は圧倒的に数が少ない。
男は眠らず、罪を狩る。
……いつから?
と、男は思考する。
足は勝手に歩み続けていた。
本部からの情報に従い、犯罪者の追跡を行う。
……いつから、私は罪を追い続けているのだろう?
記憶が曖昧だ。
男は僅かに視線を下げた。
自分の身体が視界に入る。
軍服にも似た、そしてそれ以上に装飾された黒いコートの下にあるのは、半ば機械化された自分の身体だ。
自分は人であるから、過去のある時点で半機械化の手術を行われたに違いない。
だが、その『ある時点』が思い出せなかった。
男はサングラスの下の瞳を歪める。
過去を思うたびに、微かに蘇って来るものがあった。
白い肌の女。そして、ゆっくりと動く微かに色付いた唇。
男は、その女に与える固有名詞を持たない。
しかし、それがとても哀れに思えた。
故に。
男は、白い肌の女を『記憶の女』と名付けていた。
女はあくまでも白く、優しかった。
この街とはまるで正反対だ、と男は思う。
もしも、この汚れた街に天国があると言うのなら。
白い彼女は、自分にとっての楽園だと、男は、そう信じている。
視界にノイズが混じる。
男は軽くこうべを振り、灰色の横線を視界から追い払った。
そして、視線を目標へと移す。
距離は約200。それだけの距離を置いた向こうに、走り去る若い男の後ろ姿が見えた。
目標の、姿だ。
自分が狩るべき罪。
男は目標との距離を再確認。
距離は広がっている。300……いや、400と言う所か。
男は自分の身体を確認する。
全力疾走は可能か?
答えは、『YES』。
なら、と男は地を蹴った。
加速。
目標との間に、数名の一般人を発見。
障害になる前に『消去』を行う。
右手の銃を二度、左手で振り払う事一度。逃げ遅れた小さな身体を踏み潰す事、一度。
耳に音は届かない。
男の耳には言葉は届かない。
悲鳴らしき言葉を放ったまま硬直する女の顔が、またノイズが混じり始めた視界に入った。
だが、それをどうとも思わない。
目標との距離は、100を切っている。
目標はどうやら生身だったらしい。
息を切らし、己の足に絡まるように転んだ。
アスファルトに尻をついたまま、目標はこちらを振り返った。
咄嗟に銃を抜いたらしい。震える手が銃口をこちらに向けている。
まだ若い。
男は、目標の顔を確認する。
恐怖に強張っているが、本部から転送されたデータの顔と一致する。
男は軽く息を吐いた。
吐息に似た行動。
だが、それは僅かに残った生身の部分が、呼吸したからに過ぎない。
自分には、感情など殆ど残されていない。
目標が何か叫んだようだ。
音による情報は不要。
目標との距離を詰め、手を伸ばす。
頭部を左手で捕らえた。
力を込める。
手の中で肉が、骨が軋む音がする。
目標が暴れていた。
至近距離から銃弾が放たれる。
だが、コートに穴を開けはするものの、金属製の身体に銃弾は何の効力も持たない。
筈、だった。
脇腹に、唐突な鋭痛。
目標の頭部を掴んだまま、ノイズが騒ぐ視界を脇腹へ。
血が、流れていた。
脇腹。
ああ、と男は納得した。
頭部が、破損したのだ。
遠距離からの銃による狙撃を行えば良かった。まさか、目標の銃が防弾性の下着まで貫通するとは予測してなかった。
それとも、もう防弾の効力を失っていたのだろうか。
どちらでも構わない。
男は左手に力を込めた。
目標が抗う力は徐々に失われていく。既に弾も尽きたようだ。
男は目標の胸部に銃口を押し当てる。
そのまま、至近距離から射撃。
最期の瞬間、目標の身体が大きく跳ねた。
男は視線を目標に注いだまま。
生命の残り火が、その身体から完全に消える様を確認する。
確認、終了。
男は目標の身体を地面に落とした。
目標の死を確認し、戦闘態勢を解く。
約7割が戦闘用に割り振られていた脳が、通常の状態へ戻った。
世界に音が戻ってくる。
男の耳に、音が届いた。
背後から。しかも、近い。
男は振り返った。
知らない顔が立っていた。
-3-
こちらも若い男だ。
ぼさぼさの黒髪に、青白い顔。
右目の上を貫くように、紅い傷跡がある。それだけが、この男の特徴だ。
男は咥え煙草で薄く笑い、手を何度も打ち合わせている。
拍手だ。
……この男は誰だ?
記憶の底から、男の名前を漁る。
一度でも会った事があるなら、覚えている筈だ。
「『葬儀屋』」
脳が『不明』の答えを出す一瞬先に、拍手の手を止めて、男が言った。
それが、この拍手男の固有名詞だと判断。
記憶する。
「その」
『葬儀屋』が目標の屍体を指差した。「屍体、どうするんだ?」
屍体をどうする?
『葬儀屋』の言葉に、男は戸惑う。
罪を裁く事は行っても、それ以降は男の範囲外だ。
屍体は此処に置き去り。それが、決まりだった。
「なら、売ってくれ」
心中の言葉を悟ったように、『葬儀屋』は笑った。「若い男の身体が必要になってるんだ」
「……好きに、すればいい」
男はそう答え、『葬儀屋』は満足げに唇の端を歪めた。
『葬儀屋』は何処か楽しげに屍体の状態チェックを始める。
自分はもう要らないだろう、と男は判断する。
別れの言葉も不要だと判断してから、その場を去ろうと踵を返した。
「あんた」
『葬儀屋』が呼び止めた。
振り返れば、屍体を何処から取り出したのか、群青色の屍体袋に入れる作業を行いつつ、『葬儀屋』が男を見ていた。
「屍体の代金をまだ払っていない」
「……………」
不要と答えず、沈黙のみを返す。
『葬儀屋』は、不器用そうに右目を閉じた。
「代金が要らないなら、修理でどうだ?」
青白い指が、男の脇腹を示す。
いまだ出血を続ける男の脇腹。
「有り合わせの生体パーツで良ければ、修理してやる」
「…………」
思考する。
本部に戻り、修理を要請したとしても、ロクな修理は行ってくれないだろう。
「…………」
男は『葬儀屋』に一歩近付いた。
『葬儀屋』は笑った。
「俺の店は、すぐ近くなんだ」
男は、黙って頷いた。
そして、『葬儀屋』が差し出す屍体袋を黙って受け取ったのだ。
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階層を移動した。
地上401階。
『葬儀屋』は余計な言葉を一切発さず、男の前を歩いた。
目的地は、悪趣味なネオンサインが目印の階段。
そこの階段を降りれば、『葬儀屋』の店だった。
防弾も何もしていない金属製のドアがひとつ。そのドアだけが、外との境目である『葬儀屋』の店。
薄暗い室内だ。
古ぼけた応接セット。壁際には事務机と医療用ベッド。そして、薬品棚らしい金属製の棚。
ジジ……と、天井の蛍光灯が泣いた。
「奥だ」
『葬儀屋』は顎で部屋の隅を示す。
見れば、金属製のドアが壁に混じるように存在していた。
「奥であんたの修理をする」
屍体袋はソファにでも置いといてくれ、と言われた。
男は指示に従う。
さほど乱暴にならないように、屍体袋をソファに置いた。
「……屍体を」
自然と、言葉が零れた。
ん? と『葬儀屋』が男を見る。
「……屍体を、背負って運んだのは初めてだ」
自分の手を見た。いまだノイズが視界に混じる。
小さく、呼吸した。
「随分と、重い」
「屍体は重いもんさ」
『葬儀屋』が笑った。
笑いながら、奥のドアを開く。
『葬儀屋』の笑い声に合わせたように、ドアが軋んだ。
「屍体は、死んでいるんだからな」
「死ねば、重くなるのか」
『葬儀屋』はもう一度笑った。
ドアを完全に開き、その闇の中に半身を沈めながら、男を振り返り、笑ったのだ。
「モノになれば、重くなると決まってる」
魂の分だけ軽くなるなんて嘘っぱちだ、と『葬儀屋』は続けた。
天井の蛍光灯が泣き続けている。
それより、と『葬儀屋』が言った。
「さっさと修理を始めよう」
-5-
隣の部屋は、先ほどの部屋より幾分広く、明るかった。
そして、手術室に似ていた。
いや。手術室と言うよりも、解剖室か。
こちらの部屋にもある薬品棚から薬瓶を取り出しながら、『葬儀屋』は、男に部屋中央にある金属ベッドに横になるように促した。
コートと、その下の下着を脱ぎ、上半身を露にする。
金属で半ば覆われた自分の身体。
『葬儀屋』はこちらを気にした様子も見せない。別の棚から器具を取り出している。
男はベッドに横たわった。
『葬儀屋』が近付いてくる。青白い右手に、幾分大きめの注射器を握っていた。
「麻酔が必要なら」
男は言った。「意識を、閉じるが」
「いや、麻酔でいかせてもらう」
『葬儀屋』が、注射器の具合を見ながら答えた。
注射器の中。ねっとりとした液体がほんの少量、入っていた。
人用の麻酔とは異なる、と、男の脳が判断する。
それどころか、一般的な麻酔ではない、と答えが出た。
「その薬物――」
「大丈夫だ」
『葬儀屋』は必要以上に語らない。
男の左腕を押さえ込み、注射針を皮膚に近付ける。
「少しばかり深い眠りに落ちるだけだ」
効くまでに少し時間がかかるが、と付け加える。
皮膚に針が突き刺さる感触。
体内に投与された薬品が、害のあるものではないと、身体が判断する。
僅かに緊張した身体から力を抜き、こちらの身体に視線を落とす『葬儀屋』を見た。
「これは、何だ?」
『葬儀屋』が脇腹を撫でた。
男の脇腹。
先ほど出血した個所には、屍体の色を浮かべた中年男の顔が、べったりと張り付いている。
金属で覆われた個所が殆どだが、その脇腹だけは顔を貼り付ける為か。生身のままだ。
「もうひとつの、頭部だ」
男は答える。
『葬儀屋』は脇腹の顔をまじまじと眺めていた。
「メインの脳では処理しきれない、体幹を動かす為の補助脳だ」
「警察もまた、面白いものを考え出すな」
『葬儀屋』はひとつの身体にふたつの脳、と言う男の身体が気に入ったようだ。
補助脳の顔を引っ張りながら、小さく笑っている。
「でも、残念ながら」
補助脳の糸で縫い取られた口の隙間に人差し指を突っ込んだようだ。「こっちは死んだな」
「そうか」
少し麻酔が効いてきたようだ。
『葬儀屋』の声が、何重にも重なって聞こえる。
世界が唸っている。
「こっちも、治せるようだったらやってみよう」
「出来るのか」
「ああ」
『葬儀屋』の顔が、さかさまに視界に入った。「丁度、新しい頭が手に入ったんだ」
ふっと、『葬儀屋』が笑う。
不思議な表情だ。
笑みにも、泣き顔にも、卑下の表情にも見える。
そして、どの表情にも見えない、不思議な、その顔。
……その顔が、ぐにゃりと歪んだ。
麻酔が効いてきた。
「言い忘れていた」
『葬儀屋』の声は既に遠い。
不明瞭な、声。
「その麻酔を使うと、夢を見るそうだ。脳味噌まで半機械化されたあんたが見る夢ってのはどんなのかな……と、もう聞いて――
『葬儀屋』の声は、尻切れのまま闇に溶けていった。
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