第11話 ダブルトリガー
経過は様々にあったが、八雲は八坂蓮を伴って、綿のような雪の降る繁華街を歩いていた。
ここへ赴いた理由のまずひとつは、もちろん学院長の挑発……ではなく、裏に潜む市長先生、土御門春の父親。
極限種が街に迫っているというなら、それを突き止めて迎撃しなければ、この街の微妙な均衡が崩れ、禍いが起きかねないという。
これは街を巡る〈気〉のバランスのことを言っており、せめぎ合うことで均衡を保つ、陽陰の太極図をイメージすると解りやすい。
これのバランスが崩れるとなれば、それを
何が起きるかを端的に言うなら、不幸な事故が起きやすくなる。
これを日常の範囲で例えれば、交通事故や豪雪などの天候、火災、落雷、爆発、鉄道、航空、医療等の人命に関わる事故……そうした不幸が今より飛躍的に発生するようになる、呪いのようなものと考えて間違いない。
加えて人々のネガティブな面も表出、諍いも絶えなくなるだろう。
では、インレと巫剣機関が何故、八坂城という目立つ場所でわざわざリスクを冒してまで留まったのか。
その理由は街を巡る気の経路、
しかも、ここには調査により霊脈の集合地点、つまりは最大級の規模を誇る〈
降霊儀式〈神降ろし〉は、非常に高密度な霊力と質の良い霊脈を前提としたもの。
そういった意味で、この街の中心、すなわち大地に血管のごとく張り巡らされた霊脈が集う場所〈龍穴〉を確保することは市長先生の企みを阻止することに繋がる。
学院長と、市長先生の対立。
ありていに言えば、今の伊吹市ではこの二大派閥がその権利を巡って水面下で争っている、ということになる。
つまり、八雲は学院長の誘いにまんまと乗ってしまったのだ。
それについては若さ故の過ちというか、感情に左右されやすい若者の性というべきか。後になってミシェールたちにしっかり反省させられたようだ。
そして、ふたつめ。
「もう始まったのか? もしや、活性化した龍穴の影響を受けている?」
今、八雲は欠席した委員長の姿を探して、夜の帳が下りた街を歩いている。
街灯が照らすアスファルトから、冬の冷たさが伝わってくるような夜の気配。
事態はどうやら、昨夜に委員長の両親がなんらかの要因で病院に運ばれたとのこと。
事故か、病気か。どちらにしろ、これがきっかけに過ぎない出来事なら、もう猶予がない。
先日に見た霊疾病の気配は、成長すると宿主に災いを呼び寄せる厄介な代物のようだった。効果を発揮するまで、本来なら一週間ほどは潜伏期間があるのだが、もしかすると霊脈によって成長を促され、目覚めかけているのかも知れない。
それが落とし物よりも優先される事柄かと言われるとNOであろうが、八雲はどうしても捨て置けないようで、頭の片隅にずっと引っかかったままなのだ。
第三秘剣の行使。
すなわち、それは他者の人生に干渉することを意味する。八雲が危惧しているのは、自分たちによってこの日本の中にある別国、伊吹市に住む人間の人生が左右されるのを恐れているのだ。
縁もゆかりもない土地、ただ行きがかり上の手助けをする。そんな安い同情で人の人生をゆがめてしまう可能性があるとあっては、助けられるほうはありがた迷惑でしかあるまい。
しかれども、八雲の後ろにつく八坂蓮がそれを否定する。
「そうでしょうか。単なる偶然では? それに、助けるか助けないかを迷うなら、助けてから考えたらいいじゃないですか」
「そうはいかん。下手をすれば片腕の自由が一生きかなくなるんだ。軽々しく助ける、などと言うこと自体が間違いだ。本人の意思を確認してからでないと、」
腰の引けた考えだと、八雲本人も解っている。
だがそれでも、迷うということはなんとかしてやりたいと考えているからだろう。
「……なら、必要ないと言われたらそれでいいのですか」
「それは、」
冷えた空気が頬を撫でる。黒いコートの首元から冷気が入り込む感触。
見上げた先には煌びやかな光で彩られた八坂城、冬の陣。もうほど近くまで迫ったそのタイムリミットを、肌に感じて。
「俺は、どうしたいんだ」
せめて見知らぬ誰かであったなら、放っておけたのか。
八雲は考える。力の意味と、それを持つ者の責任を。
* * *
探索候補のひとつ、地下鉄道の線路に降り立つ。
春先輩の情報では外郭放水路という話だったが、まずはここ、落着地点の下を通る地下鉄を調べることになった。
チームを二つにわけ、二人一組。八雲は八坂蓮と組み、もう片方は部隊のふたり。
この班分けには意味がある。
八坂蓮は〈危険を避ける〉などの簡単な異能を持っているわけではない。
八雲の見立てでは、もっと〈ヤバい〉異能だと直感したのだ。
曰く〈正解だけを辿る異能〉とも言えるそれは、単なる予知能力や危険察知能力には当てはまらない。
それが本当に〈知らないことですら正解に至る〉というのなら、八雲だけが知る〈箱の秘密〉ですら自らの直感のみで辿り着くかもしれないからだ。
それを、試してみたいと思う。
どちらにせよ〈システム・ノスフェラトゥ〉という永遠に続くプログラムを破壊出来る可能性を持つのは、自分のような異能と怪異に浸かった人間ではないはずなのだ。
子供だって知っている。童話に何度も語られる、それは人の世の習わしに似た鉄則。
怪異を討ち果たすのは、いつだって人間であるからだ。
線路に降り立ち、歩く。終電の時間も過ぎ、回送の車輌が時折通るが、そうした場合は線路脇の窪みに身を潜ませてやり過ごした。
暗闇をペンライトで照らしつつ、地下鉄の線路図を開いて、道を確認。
電車が通るごとに轟音と通り過ぎる風が髪を騒がせるが、そのたびに八雲はともかく八坂蓮は少女らしく身を縮こまらせた。
「電車が通ってくる、ということは線路の行き交いに問題はないようですけど」
本当に調べる必要があるのか、と言外に問う八坂蓮。
「正論だな。しかしまあ、常識だけで測れないのが怪異の怖いところだ」
そして、やがてそこに辿り着く。
地下鉄道の車輌とて、整備や車両編成の組み換えは必須。
そうした場として、伊吹市の地下には車輌基地があったのだ。
本来なら屋外に備える施設。しかしここは、クレーンなどの設備すらも地下に置かれて、完全に独立した基地だ。
「ここか」
トンネルから抜け出した先、足元の線路は八雲の足先で何本もの行き先に分かれ、それぞれに眠る車輌たちのもとへと走っている。
灯りはそれなりにあるが、全容を見渡せるほどではない。暗がりの中に浮かぶ、見慣れた電車の顔がそれぞれ。
声が拡がることを考えれば、広大な地下空間であろう。
「ここに、何が……?」
「ッ!」
即座、八雲は腰の日本刀に手をかけながら背後を振り返る。
「そこにいるのは誰だ!」
険しい声音。その誰何に応じるのは、正反対のように落ち着いたもの。
「お前と同じだよ。同業者っていうべきか」
やがて照明の下、斜めに陰る闇より浮かぶ影、その姿は銀髪を逆立てた少年。
「よう、
相変わらず忌々しい眼だ、と続けて、口辺を憎らしげにつり上げる。
白いジャケット、黒いズボン。腰には二挺の白銀拳銃。
八雲は、その出で立ちをよく知っている。
かつて幾度も銃火を交え、剣を交わし、互いを殺すべき相手と定めた存在。
「ダブルトリガー。探偵風情のお前が首を突っ込むには、ここは少しばかり場違いな街だ」
険のある表情で、八雲の佇まいが研ぎ澄まされていく。
明確に敵対する人間と相対した時のそれだ。
ダブルトリガーと呼ばれた少年は、さも愉快げに腰の二挺拳銃に手をかけた。
特務機関〈大和〉にも手が及ばない案件がある。
神隠しや物探し、あるいは追跡などのどうしても人手が要る件には、現地の私立探偵などに協力を依頼する場合も少なからずある。
あるのだが、互いに裏の世界を住処にする以上、そこにはどうしても大なり少なり軋轢が生じたりもする。
仕事の取り合い、縄張り争い、そうした類いの諍いだ。
大人なら、仕事として割り切った対応もするのだろうが。
この二人の場合、それは致命的な相性の悪さとして現れる。
何故現れたか。ここに何の目的があるのか。
そんなもの、聞くまでもない。
住処が同じなら、求めるものも同じなのは自明の理。
「そうでもないぜ。毎度毎度、仕事の邪魔しかしねえ奴らを邪魔しかえす、いい機会だ」
憎悪。そうとしか言えない感情が覗く、狂気的な表情。
「手柄が欲しいなら職種を変えたらどうだ。少なくとも、俺がいる限りお前に手柄がいくことはない」
銀髪の少年は天井を仰ぐ。
「いずれ大和はぶっ潰す。だがその前に、お前とあの女だ!」
向けられた狂相。抜き放つのは同時。
銃火の瞬きに数瞬、照らされた車輌基地、そして弾丸を切り裂くという離れ業を当たり前のように成し遂げる、八雲の日本刀。
その白刃の輝線が閃いた後、鈍い鉄のはずの刃は銀色に光り輝き、闇に尾を引き、周囲を眩く照らし出す。
式刀・桜吹雪春光四言四枷。
これがその戦闘形態。
構え直せば、銀光が桜の花弁のように舞い散り、一種異様なこの空間を場違いな華やかさで染め上げる。
「忘れたのか。お前じゃ、俺には勝てない」
これに激した銀髪の少年、牙を剥いて。
およそ三十。この二人が相対し、その度に矛を交えた回数。
その全てを無敗として、八雲はこの少年の前に立ちはだかる。
「ああ――だが、今回は退けねえ!」
車輌基地で起きたその邂逅は、八坂蓮の知る武道や戦闘技術といったものの枠を遥かに超えた、計り知れない〈なにか〉だった。
殺すために撃つ。殺すために斬る。
相手は怪異ではない。なのに、二人は相手の〈人間〉を明確な殺意でもって標的に定めている。
これは戦いではない。戦闘とは、もう言えない。
これは〈殺し合い〉なのだ――
幾度もの銃火をものともせず、打ち払い、斬り、あるいは避けて。
八雲の接近を阻めず、銀髪の少年は何度目かになるか解らない臍を噛む。
「チッ……!」
あの左眼だ。
あれがある限り、こちらの予備動作、視線の気配、あるいは骨の軋みから全て、動きを読まれる。
あれこそは神の眼。この世とあの世を繋ぎ、垣間見ることの出来る一つの怪異〈ネクロ〉。
「全くもって忌々しい眼だ、竜巻!」
二挺拳銃を交差させて、八雲の一刀を防ぐ。
競り合う間にも火花が散る。刃と拳銃、あるいは視線で。
「お前も、相変わらず小癪な技術だ」
三十戦。その間、互いに何も進歩がなかったわけではない。
先の射撃をとっても、八雲の機先を封じて、牽制、及び移動先へのピンポイントな予測射撃が含まれていた。命中すれば足が死に、機動力を封じられていただろう。
これひとつでも、油断のならない相手だと解る。
単なる激情家でも、狂気に呑まれた子供でもない。
その背後に守るべきものがあればこそ、この銀髪の少年は何度でも挑んでくるのだ。
互いに得物を弾き合うと、銀髪は後退しながらの射撃。そして。
「拘束しろ!」
詠唱無しの魔術行使。八雲の足元から、大地に属する魔術によって伸びやかな緑の蔦が生えてくる。
これが絡みつき、行動を阻害されての八雲。
「またこれか。馬鹿のひとつ覚えだな」
そこに眉間を狙った一射。首を傾げるだけで回避。
次弾、心臓狙い。これを、左の指先だけでつまむように、止めた。
「……化け物め。お前のような奴は、もう人間じゃねえよ」
さにあらん。その佇まい、まさに怪物。
闇のなか、左の琥珀眼を爛々と輝かせて、銃弾をものともしない。
加えて人を超えた膂力と来れば、そう呼ばれても過言はない。
つまり、国津八雲の鍛え抜かれた身体能力をさらに琥珀に輝く〈左眼〉で後押しする。
人の常識を超え、その膂力は通常時の五倍。これをブーステッド・アーツと呼ぶ。
並大抵の対策ではもはや抗しきれない怪物となるのも頷ける話。
「そうか? まあ、そんなのは正直どうでもいい。どうでもいいついでに聞いてやるが、お前の今回の目的はなんだ?」
「愚問だな。お前たちの探しているものと同じだ」
「あれがどういうものか、解っているのか」
「解らいでか。あれがある限り、この街に怪異は現れ続ける。迅速な対応が求められるってのに、お前たち大和の人間はいつまで時間をかけている。だから、協会から依頼を受けて俺が来たんだよ」
「そういうことか。まあ、どうでもいい話だったな」
端から聞くまでもない話だったと、八雲は吐き捨てる。
とはいえ、この銀髪が探し求めるのは、大和の落とし物か。それとも境界霊器か。
「で? お前はどっちにつく」
「もちろん、お前のつかないほう」
これに互い、同様に獰猛な笑みを浮かべて。
殺し合いは再開され、殺意の応酬は先ほどよりも更に危険な速度へと加速していく。
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