第10話 いずれ来る終わりのために

 怒涛の転校初日が明けた、翌日のことである。

 学生寮から登校した八雲は、校門で待ち構えている土御門春に捕まった。

 雪のような純白の髪に、虹と碧の瞳孔。

 精巧な人形のように、その艶姿は人の目を惹きつける異彩を放つ。

 神妙な顔つきの春先輩は、まず一言目に謝罪を口にした。

「ごめんなさい、国津くん。私の見通しが甘かったようです。昨夜はずいぶん危険な目にあわせてしまいました」

 素直に頭を下げるところを見るに、こちらを罠にかけた、というわけではないようだ。

「いいえ、こちらこそ。素肌を晒させるような真似をさせて、誠に申し訳ございませんでした」

 それで思い出したのか、薄く頬を染める春先輩。

 その視線が八雲の背後で止まる。

「ああ、こちらは私が雇うことになった女性で」

 後ろに控える、これもまた美貌の少女。インレは白金プラチナブロンドの長い髪を揺らして、静かに笑う。

「存じ上げています。長らくあの場所を守っていただいたようで、感謝いたします」

「いえいえ。もったいないお言葉です」

「ウサギ。春先輩はお前と直接の面識はなかったのか?」

「ええ。その方は巫剣機関とはあまり関係ありませんわ。土御門の父君の管轄ですから、それに逆らってなにかを企てている、というのが関の山かと」

「ご存じでしたか。侵攻要塞インレ」

「今は一介の女でしかありません。ドレスがなければ何の力も持たないですから」

「……そんなにあのドレスはとんでもない代物だったのか?」

「まあ、具体的には〈私が身にまとうエプロンドレス〉であれば効果が発揮されます。この体に帯びた異能が、そういうものなので」

 だからこそ、あの怪異じみた膂力を発揮できたのか。

 言わば礼装。

 魔法使いが杖で魔法を扱うごとく、それは異能使いの潜在能力を引き出すのだ。

「合点がいったぞ。そんな異能があるのか。珍しいな」

「うふふ、恐れ入ります」

 変わった異能には違いないが、性質が解明できたのは大きい。

 なおのこと、しばらくはエプロンドレスを買い与えるのは控えるしかないが。

 と、ここで春先輩が八雲に顔を寄せる

「それで、国津くん? 箱のありかは解ったのですか?」

「いえ、それがまだ。結局解らないままで」

 昨夜のうちにホテルまで戻って、インレから聴取した箱の情報。

 それは地表に落下したと同時、箱ごと地面に潜っていってしまった、ということだった。

 ぶつかるでも、落着したのでもなく。まるで溶けるように沈んでいったらしい。

 順当に考えれば、街の地下のどこかにはあるのだろうが。

 どこまで潜っていたかが解らないでは、探しようがない。

 ヘリから懸架していた際に、そのような特異現象が起きるなどとは想定されていなかった。

 これがもし、箱の中身が目覚めていたのだとしたら。

 いかんせん、調べる範囲すら絞れない。

「……街の地下、ですか。確か、落ちたのは中央公園でしたよね」

 春先輩が顎に手をあてて思案を巡らせる。

「地図では、その下にあるのは」

「地下五〇メートルのことまでを言うなら、外郭放水路がいかくほうすいろですね」

 豪雨の際、街に降り注いだ雨水を溜めて調圧水槽から放出する施設だ。

「全長は六キロを優に超えます。どこに落ちたか解らなければ、探し当てるのは時間がかかりますね」

 雨が降らなければ巨大な地下神殿といったところだが、当てもなく探すには広すぎる空間だ。

 ひとまず、箱のことは置いておくしかないだろう。

 むしろ、外郭放水路すら通り抜けていった可能性が低くないからだ。

 

 八雲は顎に手を当て、片足に体重を預ける。

「では、確認しますが。春先輩のお父上の目的とは、何なのですか?」

 境界霊器の放置と巫剣の配置。インレがいたことで戦闘バランスの均衡を保っていたというのは解るが、それが何のための均衡だったのかが判明していない。

 ひとつ頷いて、春先輩は静かに紡ぐ。

「……いいでしょう。では、今日のお昼に屋上で」

 予鈴が鳴る。周囲が慌ただしく駆け出したなか、八雲はゆっくりと学院長室へ足を進めた。


 インレを伴い、辿り着いたのは一際大きな造りの扉。ノックをしてから押し開ける。

 やけに重たい、黒ずんだ木製扉だ。凝った意匠なのはいいが、ここまで仰々しい構えにする意味が果たしてあるのか。

「誰か?」

 若い……否、幼い声だ。

 部屋の主は妙に大きな椅子に座って、窓の外を見ているらしい。

 姿は見えない。

「転校生の国津です。今日は学院長先生に折り入ってお話が」

「箱の件か。それとも境界霊器か? ともかく、昨夜はご苦労だった――〈竜巻トルネード〉」

 ゆっくりと椅子が回転。

 見えたのは、年端もいかぬ幼女。背も低く、小柄で無駄に尊大な口振りだが。

 それに見合う威厳を覗かせるあたり、只者ではなさそうだ。

「……学院長、先生?」

「肯定だ、竜巻。お前なら、この身に宿る異能が解るのだろう?」

 琥珀の眼に映ったのは、黄昏色に染まる渦。

 吸い込まれそうな空間の孔。

 あれは、一体なんだ?

「……異能、なのか。これは」

 満足げに頷く幼女。

「そうとも。お前と同じだよ。まあこれは、怪異を喰らうタイプの異能だがな」

 伏見委員長の口にしていた、禊の儀式。

 あれは学院長が直々に執り行うものらしいが、その実はおそらく。

「食べる、というのはまた難儀でな。色々と消化し切れない猛毒やら、呪いやらも関係なく口にしてしまうのだ。おかげでほら、こんな体でな。ずいぶんと昔から成長していない」

 加えて、普通の食事が出来なくて困っている、と。

 つまり、あの幼い体は外見のみで、様々な怪異を食べ続けたせいで、その体に毒が溜まり、成長しなくなってしまったのだ。

 それが彼女の代償。あるいは生態、もしくは、呪い。

「なるほど。それが学院長先生の、起源というわけですか」

「そういうことだ、竜巻。まさか、そのまま大人しく従順な振りをしている犬ではないよな?」

 そして、八雲を竜巻と呼ぶということは、もう素性が割れているということを意味する。

「――どうやら、学生の真似事はもう必要ないようだ」

 いつからバレていたのか。

 いや、あるいは最初からか。

 聞き分けの良い生徒の仮面も、ここでは必要ない。

 相対するのは伊吹という治外法権で最高位に近い、大刀自の頭目。

 頭を切り替えろ。一筋縄でいくようなぬるい相手ではない。

「まあな。厄介ごとは土御門の市長先生に丸投げするようにしているが、調べたところお前はずいぶんと興味深い。だから入学を許可したし、あの魔女がこの伊吹に滞在することも許している」

「俺の仲間がどうしたというんだ。妖怪」

 まるでケンカ腰だ。

 くく、と伏せがちな笑いをして、学院長はさも愉快げに応じる。

「魔術はこの地においては禁忌に触れる。理由の説明はいるか、童」

 ここで頷けば、自分の頭で考える能力のない子供、と見下される。

 あれは、そういう値踏みをしている眼だ。

 薄く細められた双眸がこう言っている。

 お前は今、どのレベルにいるのか?

「結構。そんなことでここに来たわけではない」

「ほう。ならば箱か」

「それは一度置いておく。問題は、土御門の頭領だ。何を目的とし、何のために動いている?」

「市長先生は昔から行動が一貫している。〈知恵の解〉を得たいがため、と言っていた」

「それは……なんだ? 何を意味している?」

「さてな。だが、それは通常の手段では得られない、超自然現象であると言うぞ」

 要領を得ない。はぐらかしているのか。

「まあ、お前では解らないのも無理はないぞ。なにせ、余も解らないからな」

 呵々、と笑う。バカにされているような気がして、八雲は苛立ちを募らせた。

 背後から右手を柔らかく握られる。

 インレが平静さを取り戻させた。内心で感謝し、続きを述べる。

「では、次だ。何のために俺たちを見逃している? その気になれば潰せるというのか」

「まあ、他の二人については問題あるまい。だが、余はお前の動きが気になってな」

 幼女が椅子から降りて、尊大な態度で見上げてくる。

「お前が秘める怪異。その正体がな。垣間見た限りでは、今まで見たこともない色をしておる。そうした珍しい怪異ならば、味もとびきり美味かもしれんな」

「俺を食うつもりか。妖怪め」

「言葉に気をつけよ。無暗やたらに噛み付くのは小物のすることだぞ」

「態度がデカいだけの怪物が説教か。笑える話だな」

「くく、まあ良い。次を申せ」

「……お前の目的はなんだ。インレを雇い、八坂城に置いていた理由は」

「戦力的均衡を保つためだ。そして、境界霊器に近付く障害に備えていた」

「障害、だと」

「うむ。極限種アルティミットについては理解しているか?」

「……ああ」

「怪異の王と呼ばれる、人類最大の敵。ことに件の吸血鬼もそれに名を連ねていたらしいが、どうやら代替わりして目覚めた女はその力を制御出来ず、」

「待て。それ以上は言うな。極秘事項だ」

「おっと、そうか、そうであったな。これはすまないことをした」

「いや、いい。それで、極限種が何なんだ」

「いやなに、もうじき冬至祭であろう? その日はちょうど満月でな。彼奴らが現れるに最適な条件が揃ってしまっている」

「それを防げ、とでも言うつもりか」

「うむ。引き受けろ。その代わり、面白いことを教えてやる」

 簡単に言うが、死ねと言われているようなものだ。

 圧倒的な戦闘力を持つ、桁違いの怪物相手に挑めなどと。

 子供にライオンを倒せとでも言うつもりか。

 まあいい。こちらには秘策がある。とりわけ、極限種に対してはジョーカーとなる切り札が。

「聞かせろ」

「この地の怪異についてだ。元々、日本における怪異はおよそ四〇〇年前にほとんどが絶滅させられた。極限種の一柱、唯一人間に味方した最強の怪異、イリーナ・ヴィングフェルトによってな」

 その話は知っている。

 極限種はそれら全員が人の姿をしており、イリーナは純白の極限種だと言われているのだ。

 怪異に携わる人間ならば知っていておかしくはない有名な話。

 だが、インレにとっては新鮮な話題であったようだ。

「怪異が、怪異を滅ぼしたと?」

「そうだ。しかし一〇年前の〈神降ダウンロードろし〉によって空間が歪み、現世と幽世が不安定に繋がってしまった。とはいえ、最初は怪異といえど数が少なかった。当時の巫女や巫剣たちの尽力によって被害を最小限に抑えられていた。が、近年その活動が活発になり、一般世間にも露呈してしまうほどの被害が頻発している」

「……」

 八雲は答えない。

 ダウンロードという言葉は、彼にとって忌々しい記憶である。

 かつて聖天子を依代とした大がかりな降霊儀式〈神降ろし〉

 秘密裏に行われたそれは失敗し、大災害を引き起こし、ひとつの街が地図から消えた。

 今やそこにはダムが建設され、故郷は深い水の底に〈無かったこと〉として沈められたのだ。

 ――止められなかった。

 だからこそ八雲は特務機関大和に保護された際、力を欲する自分にその資格があると言われた時、神に感謝した。

 全てはあの過去を清算するため。

 誰かに任せて終わらせることなど出来ない。自らの手で、あの時の失敗を取り戻すために。

 それまで、国津八雲は止まれないのだ。

「まあその流れで今の今まで怪異の跳梁跋扈は収まらん、というわけだ。理解したか?」

「面白くもなんともないな。それがどうした、という話だ」

「まあ続きを聞け。八坂城の境界霊器は、極限種の心臓であるというのはもう解っているな」

「……予測の範囲では、な」

 何を言おうとしているのか解らず、八雲は双眸を尖らせる。

「何が言いたい?」

 だが、それがまずかった。

 学院長が返してきたのは、どうしようもない、とでも言いたげな溜め息。

「――それが何を意味するのか、ここまで来てまだ解らぬとはな」

「どういうことだ!」

「なるほど。神降ろしを再び、この地で行おうとしているわけでしょうか」

「……っ!」

 インレの言葉にはっとして、八雲は学院長に刺すような視線を送る。

「バカな! あれをまた繰り返すのか!? 正気じゃない、どうかしている!」

 街ひとつを呆気なく吹き飛ばし、国ぐるみで隠ぺいしたことを、再び。

 現実的ではない。いやそもそも、何の利があってそんな考えに至ったのか。

「黒兎は察しがよい。さにあらん、ウサギは危機察知能力が高いというしな」

「結局何がしたいんだ、お前たちは!」

「一から一〇まで人に教えてもらわねば、行動出来ないか? 竜巻が聞いて呆れるな、小童」

「図に乗るな、狂人。言動に筋が通ってないんだよ。その程度も解らない言語能力でよく言えるな」

「そろそろ子供の相手にも飽いたな。行くがいい、あとは自分で考え、見つけてみろ」

「……なるほど、ようく解った。お前たちは、あの八坂城を要として何かをしようとしている。それだけは確実だな」

 なら、と。

 七面倒くさいことを考えるのはヤメだ。

 このいけすかない学院長の企みを潰す。八雲が行動するのに必要な理由は、もうそれだけでいい。

「ぶち壊してやる。お前たちがやろうとしていることは市民を危険にさらす、許されないことだ」

「許されない? 何をもってそう決める? お前が正義だとでも言うのか」

「お前と善悪について語る気はない。ただ、俺は許さないというだけだ」

 あの日、失った命のために。

 引き裂かれたあの子の心のために。

 そう、これは復讐に他ならない。

 血と業火と瓦礫と死骸に囲まれ、生きるもののないあの荒野を再び作らせるわけにはいかない。

 でなければ、なんのために幾つもの夜を超えてきたのだ。

「極限種の相手だったな。軽いものだ。その程度、たやすくこなしてやろう」

 部屋を出ようとする八雲の背に、再び学院長が言葉を投げる。

「よく吠えた。そうそう、あの八坂の娘についてだが。よく仕込んでおけよ」

「何の話だ?」

「予言してやる。あの娘は、いずれ必ずお前を殺すだろう」

 一瞬の逡巡。

 発言の意図が解らなかったが、八雲は気にしないことにする。

 八坂の血が持つ、破邪の血脈。

 なるほど、確かにそうだろう。国津八雲を殺すのに、これほどうってつけの人間はいない。

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