第9話 四天の幻刃

 その後、八坂蓮を住まいまで送ってから学生寮に戻る途中で、夕食を食べ損ねていたことを思い出す。

 とうに日付けも変わった時刻。開いている店は少ない。

「さすがに居酒屋に入るのはな……」

 年齢のわりに大人びて見られる八雲だが、まだそういった踏ん切りはつかない。

 アルコールや煙草も、体に悪影響を与えるという理由で手を出さない。

 こういった仕事上、ストレスを解消する手段を持ち合わせるのも処世術のひとつではあるが。

 八雲の場合、それは食欲だった。

 ちょうどよく、二四時間営業のハンバーガーショップを見つける。

 休憩がてら、少しだけ立ち寄っていくことにした。


 さて、と腕組みをしてレジ上のメニューを眺める。

 すると、意外なところから声がかかった。

「……国津くん?」

「ん?」

 視線はレジ打ちのスタッフから。

 よくよく見れば、見覚えのある顔だ。

「ええと、確か……」

「あ、えっと、ごめん。私、同じクラスの、委員長の伏見です」

 途端に顔を赤くして目元を伏せる眼鏡のショートカット美女。

 やや俯きかげんで小柄な少女だ。

「いや、俺こそすまない。まだ顔を覚えきれてなくてな。俺の前の席だったよな」

 すると、ぱっと瞳を輝かせた。

「う、うん! そう! びっくり、もう覚えたんだね」

 クラス内でも授業の号令を口にしていたのを思い出す。

 一見した印象は内気、人見知り、内向的。

「前の席だろ、そのくらいはな。君はバイトか。こんな時間まで続けると、明日に響くぞ」

「あ、うん。そのあたりは大丈夫。うち、この近くだから。国津君はどうしたの?」

「俺はちょっと、野暮用の帰りでな。腹が減ったから立ち寄ったんだ」

 腰に佩いた日本刀を一瞥。

 他では問題だが、この街ではそう珍しい話ではない。

 自警団紛いの点数稼ぎ。そう揶揄されることもある、夜間の怪異討伐程度では驚くに値しないのだ。

「そうなんだ。あ、このへんが期間限定メニューなんだけど、どうかな?」

 言って、はにかみながら見上げてくる。

 地味めな印象をかもしてこそいるが、顔の造形は見事なほどに整っている。

 化粧のひとつでもすれば道行く人も振り返る原石に違いあるまい。

「じゃあ、そのあたりを。そうだな、単品で三〇個ほど」

「さんっ……!?」

「なんだ、変な声を出して」

「ち、ちなみにテイクアウトで……?」

「イートインに決まってるだろう」

 そのぐらいなんでもない、というふうに言い放つ八雲である。

 成長期の食欲は確かに凄まじいものがあるが、それにしてもこれは行き過ぎだ。

「お、男の子ってそういうものなのかな……」

 レジを打ちながら伏見がそう零す。

「さてな。ただ、仲間内で回る寿司を食いにいった時なんかは酷かった。俺が食い過ぎるせいで会計が毎回全部俺持ちになる。何度か意見したが聞き入れられたことはない。あと、焼肉に行くといつもミシェールが甘いものを頼み過ぎてな。まったく軟弱な。肉を食えというんだ、肉を。サイドメニューばかり頼んでいてはせっかく焼肉に来た甲斐がない。やはり人間は肉を食ってこそだ。そう思わないか?」

「あ、あはは。けっこう大変そうだね」

「ん、少し待った。ひとつだけセットで。ポテトLのコーラ」

「はーい、オーダーはいりまーす」

 手慣れた様子で準備を始める。

 一度手を止めて、八雲を見た。おずおずと口ごもりながら。

「国津君、この後時間ある、かな? 私も、ご飯まだだから、一緒に食べても……いい?」

 やはりというか、本校唯一の男子生徒は少なからず気になるらしい。

「別に構わないが、食べる順番は肉、肉、野菜、の順だと思う。焼肉というからには野菜を食べる頻度は下げて、出来るかぎり腹の容量を肉で満たすべきだ。君はどう思う?」

「や、焼肉に対するこだわりがすごいね……」

 ハンバーガー食べに来たんじゃないの、という内心の呟きは、その勢いに押し殺された。


 ややあって、トレイいっぱいのバーガーを手に八雲は席につく。

 店内のモニターをぼんやりと眺めつつ頬張り、それでもひとつ一分もかからずに平らげていく。

 やはりエネルギー補給に片手間で、しかも時間がかからず済ますことのできるジャンクフードは軍用糧食に勝るとも劣らない価値がある。

 もしも今日、戦闘中にハンバーガーを食べろと言われてもまったく支障はなかっただろう。

 国津八雲にとって、ジャンクフードはそれだけの価値がある。

 ところでこのニュース、さっきから聖天子陛下が云々というものしか流れない。〈外〉のことが解るのはいいが、偏り過ぎではないか。

 まあしかし聖天子というと、鴇之宮夜ときのみや よる陛下だったはずだ。

 まだ齢一七で諸外国巡りに祭祀やまつりごとも担われている、国家の象徴。

 何度かお会いしたことがあったはずだ。あれは確か、子供の頃――

『やっくん』

「国津くん」

 はっとする。

 目の前にいたのはクラスメイトの伏見委員長。

 どうして陛下とダブって見えたのだろう。ぼんやりしすぎていたか。

 制服に着替えて、帰り支度を済ませてきたようだ。

「ああ、お疲れ様」

 どうぞ、と席を促す。手に持っているのはサイドメニューのアップルパイだ。

「ふう。今日はちょっと忙しかったから、足がぱんぱんだよ」

「帰ったらよくマッサージするといい。湯舟につかりながらだと、疲れがよく取れる」

「あ、うん。そうします。なんだかおじいちゃんみたいな事言うね。ところで国津くん」

「八雲でいいぞ、委員長」

「えっと、じゃあ、八雲くん、も、点数稼ぎとかするんだね」

「点数稼ぎ?」

「巡回のことだよ。けっこうやってる人多いから。内申書とか有利になるみたい」

「そうなのか。知らなかった」

「し、知らないでどうしてたの? 申告制だよ? 先生に明日、刀を見せないと点数もらえないんだから」

「刀を見せるだけでいいのか」

「うん。穢れを祓ったかどうかが、刀身の曇りで解るんだって。で、それを清める禊の儀式っていうのもしなきゃいけないけど」

「ああ、お祓いみたいなものか。まあ巫女の学校だしな。そういうこともあるんだろう」

「私もチャレンジしてみたことあるんだけど、チームの足を引っ張っちゃってね。それに異能も戦闘向きじゃないし、運動も苦手だし」

 言って、腰の小振りな小刀を示す。

「儀礼用だな。実用には向かない造りだ」

「え、わ、解るの?」

「何のことはない。そういうのに関しては専門家でな。ところで、さっきから気になっていたんだが」

 きょとん、とする伏見の、その左腕を見る。

 琥珀の左眼が、ほんの少し輝きを増す。

「左手の肘に何かあるな。心当たりはあるか?」

「え? 別に、なんともないけど……」

 今はまだ、というだけだ。

 やがて、それは成長すると宿主を呪い殺すものとなる。

 これもまた、怪異のひとつ。

 死に至る病。

 特務機関大和における分類名は、霊疾病。

 いわゆる、肉体でなく霊体における疾患だ。一般には霊障の括りに含まれるのも多いが、根本的に異なるタイプもある。

 特に、霊体に根差したタイプ。これをどうにかするというのは無理難題。

 現代医学で治せるものではない。よって、治療する手段は皆無。

「……何でもない。気のせいだ」

「そう。あ、私そろそろ行くね。親が厳しくて」

「了解した。仲が悪いのか?」

 伏見委員長が苦笑を返した。

「ううん。それどころか過保護過ぎて困ってるの。兄妹もいないから、あれこれ束縛してきて大変」

 そう言うわりには、あまり嫌そうな表情ではない。

 きっと仲はいいのだろう。ただ、今はまだそのありがたみを知らないだけで。

「……気を付けて帰るんだぞ」

 かわいそうに。

「うん。今日はありがとう、また明日、学校でね」

 その儚い命も、あと数日。

 これからあの少女は、耐えがたい不幸と苦痛とに晒され、家族を喪い、人を呪って死んでいくのだ。

 八雲はまだ、それに手を出すつもりはない。

 任務外。絶対的不干渉。そもそもが例外だらけのこの街で、独断行動は仲間と自分を危険にさらす。

 どうするべきか。優先すべきは何か。

 答えは決まっている。国津八雲は、非情なまでに徹頭徹尾、任務を優先するべきなのだ。

 だというのに、その答えに迷っている。

 一晩考えてもまだ、見捨てていいのかと自問している。


    *    *    *


 秘剣の話をしよう。

 国津八雲による秘剣とは、弛まぬ鍛錬の先に紡いだ唯一無二の切り札である。

 異能と剣術を組み合わせ、独創と例外によって編まれた法則外の我流剣技。

 これらは全てで四つ。

 そのいずれもが、視えざるものを断つという目的のもとに行使される。

 トランプで言えば、スペードのエースだ。

 そのなかには当然、霊疾病や霊障の類いを斬ることを目的としたものもある。

 第三秘剣、無心夢想むしんむそう

 加えて、この刀。

 八坂蓮にはまだ銘を明かしていなかったが、世に名だたる四天の幻刃トリストラム・フォーのうちの一振りである。

 桜吹雪春光四言四枷さくらふぶきはるみつ しごんしかせ。これならまず間違いなくあの病を断つことも可能だ。

 刃を通さざるべきは斬らず。斬り伏せるべきを断つ。

 だが、迷うのだ。

 八雲は人としてこそ、迷う。

 霊体に根差す病。それを斬ること自体は問題ない。

 だがその後だ。病で変質した霊体の一部は、もう元には戻らない。

 下手をすれば、あの少女の左腕は一生涯使い物にならなくなる。

 肉体には何の問題もなくても、腕という個所を動かす霊体の部位が欠損しかねないが故。

 第三秘剣にはそうした危険が伴う。安易に斬るべきでないものにまで刃を届かせてしまうために。

 だから、安請け合いも善意の押し付けも出来ない。

 ただ、少女がこのまま苦難の道を歩むしかないのを、見届けるべきか否か。

 それは間違っているのではないか。リスクを考慮した上で正しさというものを考えろ。

 国津八雲。果たしてお前は、このままでいいのか――?

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る