第7話 黒い兎
低い唸りを立てて進んでいた車が、やがて停車する。
先に車内で行われた説明により、八坂蓮も同じ黒いコートを纏い、ポジションと役割の確認を済ませている。
問題は、八坂城のどこに目標が置かれているのかだ。
しかしこれにはアテがあるらしく、八坂蓮には解らない何かがあるらしい。
それにしても普段は出歩くことのない夜間に、こうして街に繰り出すというのは優等生で通している八坂蓮にとっては〈悪いこと〉をしている気分になって、どこか後ろめたさと開放感の入り混じった不思議な心持ちになるのだった。
降りる際に視界を彩った、八坂城の夜景に一瞬、眼を奪われた。
夜の闇にスポットライトで浮かび上がる、いっそ幻想的な古城。
かつては室町の時代に建てられた後、江戸時代を迎えるまでは合戦に巻き込まれることも多かったという。
そして、戦乱時代に先陣きって戦を治めたのが、当時の巫女だった。
その巫女が不可思議な力を用いる奇妙な存在であったことが、土地の古い文献にも残されている。
戦巫女の発祥は、それからになっているようだ。
その不可思議な力が常人には宿らぬ超自然的な、すなわち異能であり、それを絶やさぬために大刀自はその血を受け継ぐ伊吹の女性を神聖視しているのかもしれない。
八雲を異物として排除しようとしているのは、そのためなのだろう。
「……もうすぐ冬の陣、ですね。私は毎年、天守閣で
「そうなのか。なら、こんなことをしている場合じゃないな」
「ええまったく。余計なことに首を突っ込んでしまったようです。しかし怪異が絡んでいる以上は見て見ぬ振りも出来ませんし」
溜め息をひとつ。しかし、面差しに暗いものはなく。
「早めに終わらせて帰りましょう。明日の予習がありますので」
これには八雲が辟易とした反応。
「マジメか」
降車した四人が周囲を確認する。
道路端、すぐ傍らは深い堀が通っており、街のあちこちから照らされる光を水面がちらほらと反射している。
その向こうに石垣が聳え、生い茂る樹木が頭を覗かせ、その上に白い塀と瓦の屋根並び。
そして見上げるほどの高さに天守閣を頂く本城。
「では、打ち合わせ通りに」
作戦の目的は侵入、そして目標の発見と回収、最後に脱出となる。
「渚とミシェールは後衛、八坂は俺の後ろだ」
これに黒髪の少女が異を唱えた。
「い、いきなり八坂さんに前衛をやらせるの? いつもは私なのに」
「こいつの直感は並じゃない。問題ないはずだ」
「大丈夫ですよ、ミシェールさん。荒事にはそれなりに慣れています」
「それなら、いいけど……」
不服そうな少女はさておき、しばらく堀沿いに歩くと橋が見えてきた。
八坂城まで続く長い橋だ。
冬の陣を間近に備え、ライトアップされた城を撮影しようとそれなりに人の姿が見られる。
黒ずくめの八雲たちを珍しいもののように見ている。
確かに、少し悪目立ちするかもしれない。
「人が多いな。まったく、厄介な……ミシェール」
「はいはい、了解」
黒水晶を思わせる少女が、右手を軽く払う。
手に纏った紫の燐光が尾を引く。
同時、奇妙な空間の歪みが周囲を漂い、すぐに消えていく。
「伊吹では珍しいでしょう。〈魔術〉というものです」
「初めて見ました。ですが、どうして今それを?」
「探知されにくいようにね。まあ、特に私のは特殊なものだから説明が難しいんだけれど」
はにかむように微笑を浮かべ、静かな光を湛える碧眼はどこか楽しげだ。
「日本には、
「はい、木火土金水のことですね」
「西洋では、それを
「似たような文化があるというのは伺っています」
ここで八雲がくちばしを挟む。
「ミシェールのはそのどれにも当てはまらないんだ」
「あっ! ちょっと、私が説明してるのに!」
「もっと簡単に短く話せ。お前はいつも話が長い」
「八雲くんはちょっと黙っててください」
口をつぐむしかなくなり、押し黙ることにする。
「もうっ……まあ、八雲の言った通りよ。本来ならどんな魔術師でも、いずれかの属性を扱う適正を持ってるの。むしろ、それがなければ魔術師にはなれない。
でも、私にはそれがなかった。それ以外の才能を持ってしまった人間、って言えばいいのかしらね」
「それ以外? つまり、さっきのは」
「ええ。
「空属性の、魔術」
それが一体どのような意味をもつのかは、この時の八坂蓮にはまだ解らない。
ただ、それは圧倒的に少数派であるのは確実だろう。ともすれば、この少女が実験体にされかねないほどに希少なものである可能性が高い。
普遍的な要素であるはずの属性に、どのような変化をもたらすのか。
魔術界隈において、その学術的価値は計り知れない。
「もうひとつあるわよ。こっちは〈幻〉」
何気なく言って、ミシェールは次に左手を払う。
光の粒子が鮮やかに散り、やがて雪のように消えていく。
「これで、視覚と聴覚に作用する魔術を使ったわ。周囲の人たちからは今の私たちを見つけることが出来ない。風景に同化し、私たちのたてる物音も全てが誤認されるようになる。名づけて〈ステルス〉ってところかしら?」
ウインク交じりにそう嘯く、魔術師の少女。
本当にそうなのか、と周囲に眼をやれば、確かに先ほどのように注目が集まってくるということはないようだが。
この少女が言っていることのどこからどこまでが真実なのか。八坂蓮がそういう疑念を抱くのも無理はあるまい。
しかし、絶対の信頼を覗かせる国津八雲の佇まいがある種の説得力を放っている。
「疑わなくても、効果のほどは保証する。ミシェール、痕跡は残すなよ」
「はいはい、いつも通りね」
これで潜入しやすくなった、と八雲は足を早める。
途中、ミシェールは八坂蓮に耳打ちした。
「学院じゃ色々迷惑かけてるみたいね。あいつのこと、お願いね」
「……解りました。お任せください」
昔から、勘の良さには自信があった八坂蓮だが。
この女性はあの転校生が好きなのだ、と解ってしまったのは、きっとそれだけが理由ではないかもしれない。
「……これだけ解りやすく好かれているなら、普通気付くと思うんですけど」
「なにか言ったか?」
「なんでもないです、鬼畜眼鏡のトウヘンボク」
「何でだよ今は眼鏡関係なかっただろ」
無論、眼鏡は一応の変装なので学校でのみ着用しており、今は外しているのだが、八坂蓮の中ではすでにそういうイメージで固まっているらしい。
「はあ……いきなり女性の服を脱がす変態、のがお好みですか」
「あれは事故だ、人聞きが悪い」
どうでしょうね、と呆れ顔の八坂蓮だが、八雲としては事故以外の何ものでもないのでそう言い張るしかない。
「まあそのあたりはどうでもいいとして。あなたの異能は見せてもらいました。
あれは斬撃を飛ばす、というもののようですね。学院でも珍しくはないタイプです」
現に、異能者のみを集めた学院であるからにはそうした異能の持ち主がいてもおかしくはないだろう。
しかし、国津八雲は首を振る。
「ん? ああいや、そういうのではないな。どちらかと言えば、刀に剣型の結界を張って、それを振り回すというのが近い」
「結界?」
「俺の起源は〈斬る〉ことでな。まあいわゆる〈
これには眉を顰める。
いかに八坂蓮が大刀自女学院の優等生であっても、異能のカラクリを知り尽くした特務部隊の知識が相手では止むをえまい。
「どうも私とあなたでは、異能に対する見解の相違があるようです」
「だろうな。起源は学生が踏み込める領域じゃない。
そこで理解に苦しんでいる八坂蓮を見かねた渚がくちばしを挟む。
「おそらく、学院ではまだ習わない概念でしょう。異能の発現は、そもそもが言語化不可能なもので、クオリアル・コード、つまり感覚器と似て非なるものによって生み出される事象変移能力です」
性質上、先天性のものが大半だが、稀に後天的に持ち得るケースも少数ながら確認されている。
「あなたたちは、大刀自学院よりもさらに踏み込んだ異能の知識を持っているのですか」
「当然です。私たちは専門家ですから。特にこれに限っては八雲の右に出る実力者はいませんよ」
「キングとクイーンには敵わないがな。まあ、そのへんにしておけ」
適当なところで切り上げようとしたが、なおも八坂蓮は食い下がる。
「待ってください。あなたは一体、何者なんですか?」
「まったく、面倒な……」
そうこうしているうちに城門へと続く石垣の間道を通り抜け、石の階段を昇り、瓦の敷かれた一際大きな門をくぐって城内広場へと足を踏み入れる。
砂の砂利が靴の形に柔らかく沈む。
薄暗がりに城内への入り口が見える。
「ここまで来れば、もう人はいないか」
観光客はもう外から眺めるのみで、内部に立ち入るものはいない。
ステルスの効果により警備の眼は関係ない八雲たちはどこ吹く風で、すぐ傍らを警備員がすれ違っても気づかれない。監視カメラも同様だ。
いかに文化遺産といえど、こうした防衛機能は最低限度必要なのだろう。
「さて、そろそろか」
空気の感触が変化した感覚に、八雲が小さくつぶやく。
隣りを歩く八坂蓮も、これに同意。
「怪異が現れる前兆です。月が雲に隠れ、気温が低いわけでもないのに肌寒く、あちこちの暗がりから視線を感じる。かなり、数が多いですね」
「怪異の本拠地みたいなものだからな。それにしても意外だよ。こんな場所を観光名所にしているなんてな」
「……かつての戦乱では、ここを守るために多くの人間が命を落としたと聞いています」
「おいやめろ、心霊スポットかよ」
張り詰めた声を出したのは、渚だ。
「静かに! 誰かいます。北西方向、こちらに歩いてくる」
がしゃ、と異様な金属音。
妙に巨大な影が、松の樹の影から姿を現した。
「誰だ」
八雲の誰何。答えたのはよく通る女性の声。
「ごきげんよう。お噂はかねがね伺っておりますわ。第三魔導試験小隊の皆さま」
「……メイド?」
雲の影から差し込んだ月明かりに照らされて、白金の髪が幻想的に煌く。
腰まであるそれも印象的だが、なにより眼をさらうのはそのエプロンドレス。
美しさも派手さもない、地味ながら機能的な衣装。
とはいえ完全に見栄えを捨てたわけでもない、いっそ慎ましやかな愛らしささえ感じるゴシックなカチューシャをはじめとした佇まい。
細身で、背も高くはない。女性としてみるなら相当な美人だが。
「確かに、メイドだな」
それだけなら、まだいい。
だがその佇まいを異様たらしめているひとつの要素。
これには銃火器の扱いに長けた第三小隊のビショップとして、渚が言及する。
見覚えがあった。だが、そんなものを片手で担いで歩く人間がどこにいるというのか。
「ちょっと、待ってください。それはなんですか。私の記憶が確かなら、」
言葉を被せるように、そのメイドが答えた。
「はい。結構有名ですものね。では僭越ながらご紹介させていただきます」
言って、メイドが持つにはあるまじき巨大な銃口に、仄暗い殺意を込めて。
「こちらはブローニング重機関銃を、持ち運び出来るように改造したものです。部隊でも私にしか扱えないんですの。結構重くて、大変なのですよ」
これに青ざめたのは八坂蓮以外の三人だ。
それこそは第二次世界大戦で活躍した、世界に名だたる傑作兵器。
戦車や装甲車、またはトラックやジープなどの車載用銃架に装備される等の<固定された状態>からでなければ反動でマトモに扱えない、五〇口径の弾丸を毎分五〇〇発を超えるスピードで雨のように浴びせる破壊の権化。
その威力はと言えば、一メートル超の分厚いコンクリート壁だろうが数秒で跡形もなく粉砕するほど。
もはや銃弾でなく砲弾の域に達するそれを、片手で撃てるように改造したなどと。
しかもそれを、いかにもたおやかな女性が扱うなど。
「非現実的も甚だしいですが。どうやら、そういう相手……ということのようですね」
あれが火を噴けば人間などたちどころに細切れだ。
あんなものに防御もクソもない。向こうは単に引き金を弾く。それだけでこちらは全滅する。
かつては対戦車ライフルにも使われたという一二・七ミリの弾丸、いやさ砲弾をぶちまけられては、こんな何もない広場で避けるもなにもないのだ。
これは、そういう理不尽に遭遇した、という事態である。
「ああ。別にそう驚くことでもなかったな。やることは決まっている」
八坂蓮が気色ばむ。
「ちょっと! 何を考えているんですか!?」
「……決まってるだろう」
ミシェールと四人で顔を合わせる。なにかの意図をアイコンタクトで交わしたようだ。
「決まってるわね」
「―――逃げるぞ!」
「逃がしませんよ。第三小隊の皆さま?」
雷鳴のような発射の轟音。続けて二〇発ほど。
一二・七ミリの砲弾が断続的に八雲の足元を辿る。
「狙いは、俺か! ミシェール!」
咄嗟に逃げる方向を変え、三人と離れる八雲。
「ええ!」
竦んで動けない八坂蓮をかばい、すぐさま防御用の魔術を展開。
「渚。こっちは大丈夫、八雲を支援して!」
「了解しました。しかし、あの相手……どこかで見た覚えが」
片手で重機関銃を操るメイドなど、一目でも見たら忘れないようなものですが、と続けて。
腰に提げた二挺拳銃を取り出し、発砲しながら移動。
射線が八雲から逸れた隙に、渚は砂砂利の海に半ばほど沈んだ庭石に隠れる。
その際、こちらの撃った弾丸はすべてメイドに命中したはずだったが。
「あらあら。モデルガンか何かでしょうか?」
「障壁……ヘリクス・フィールドですか」
螺旋状の幾何学文様をいくつも重ねた防御用の力場。ある種の礼装によるものだろう。
八雲はと見れば、ちょうど弾丸の雨が止んで、巻き上がった土煙が晴れていく。
無事なようだ。
「いや、さすがにあれだけ狙われて無傷って、一体どういう身体能力ですかね……」
優に二〇秒以上、あのメイドに狙われていた八雲がどうやって弾雨を凌いだのか。
答えは、その琥珀に輝く左眼が静かに物語る。
「なるほど、了解した。お前という人間の傾向、とでもいうべきか。つまり、そういうものを内包した人間ってことだな」
「あら。なにか解りまして?」
「ああ。その振る舞いで思い出したよ、重機関銃を片手で操るメイドの話を。
お前、PMCウォーターシップダウンの〈インレ〉だな?」
死を告げる黒兎。
そうあだ名されて戦うメイドがいるという都市伝説を、こうして渚も思い出した。
「そうか!
「鉄壁の防御と圧倒的な火力で戦場を蹂躙するハタ迷惑なヤツの噂だ。まさか本物に会えるとはな。
だが納得だ。その薄ら笑いの下に、隠し切れない愉悦が見えるぜ」
「あら。そんな愉悦だなどと。メイドにあるまじき感情ですわ。はしたないですもの」
照れ混じりに口元を隠す。その仕草こそ淑やかで女性的な柔らかさを感じさせるが。
殺意と、蹂躙する快楽を覗かせた後ではどうにもちぐはぐに見える。
「ならどうしてそんなに楽しそうなんだ? 大方、ここに来た人間をずいぶんと殺して楽しんだんだろう。その度外れた破壊衝動があるからこそ、お前は一種の〈怪異〉になり果てたんだ」
人としての歪みが、人を逸脱したものに変えてしまう。
そうした矛盾を孕むのもまた、怪異の性質。
「怪異……あの人が……?」
八坂蓮は、ここにきてようやく自分がどのような状況に置かれているのかを理解した。
「あら。あらあら。凄いですのね、八雲様。まさかそのようなことまで見抜かれるとは。その左眼、よほどよくお見えになられるご様子」
「ああ。その機関銃の射線もすべてお見通しだったさ。おかげで良いダンスの練習になった」
「うふふ。私とのダンス、お楽しみになられまして? ですがこちらも色々と思うところがございまして」
「聞こう」
そこで、すうっと戦闘メイド――インレの双眸が薄く開かれた。金色の瞳孔。
「……あなた様からは、死の気配が致します。それは一体、何を起因としておりますの?」
「死の気配? さてな。気になるなら確かめてみるか?」
「そうですわね。ですが大変、近づかれたら私、無防備になってしまいます。実は腕力などからきしで、重いものはあんまり持てなくて。全てこのエプロンドレスのおかげですから」
「……エプロン、ドレス?」
「はい。防御用のヘリクスフィールドも、この機関銃を持てるのも、この服のおかげです。編んでいる糸が大変希少なものだそうで。仕事にも使えて一石二鳥なんですのよ」
「そうか、なるほど。ひらめいた!」
ぴん、と人差し指を立てて、我に一家言ありとばかりに声を張る。
「――脱がせばいいんだな!」
その、どうしようもない発想に。事態についていけず呆然とするだけだった八坂蓮をはっと気付かせた。
「……やっぱりあなたは、鬼畜です!」
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