第6話 垂り雪

 ちょっと待って欲しい。

 意図的に脱がしたわけではない。

 あれは事故とか不可抗力とか、そういうものである。

 教室までの戻り際、そんな言い訳が頭を巡る。

「でも、これって俺の勝ちでいいんだよな……!?」

 明らかに向こうは続行が難しい状態になっていた。

 結果としてはオーライである。

 なぜか勝者が逃げ去るというよくわからない状況になってはいるが、これで春先輩に情報を吐かせる段取りは組めた。

「しかし、父親がどうこうって言ってたな。有力な議員かなにかなのか」

 そこで後ろから呼び声がかかる。八坂蓮だ。

「ちょっと、逃げたら余計まずいって解らないんですか!」

「いや、だってあの場にいたのでは」

「確かに気まずいですけど! まあ、フォローはしてきましたから大丈夫でしょう」

 さすが戦巫女である。有能と言わざるを得ない。

「それは助かる。すまないな」

 八坂が髪を後ろに払う。面倒だった、と言わんばかりのつんとした表情だが、これが様になるのは顔のパーツが整っている美人だからこそか。

「別に、いいですけど。それより、先輩から伝言です」

「ああ。それ、気になっていたんだ」

 勝敗は決したわけだから、なにかしらこちらに情報を提供してくれることだろう。

 そこで八坂蓮は、瞳をうるうるとさせていたらしい春先輩の物真似を見せた。

「負けたわけじゃ、ないですからね! ……だそうです」

「いや待てそれはおかしい」

 どう考えてもあの状態で口に出す言葉ではない。文脈が繋がらない。

「もう完全に諦めの境地だっただろあの先輩。どういうことだ!」

「さあ? 私に言われても困ります。で、どうするんです?」

「くっ……またあそこに戻るのか」

「やめておいたほうがいいですよ、変態扱いされるから」

「えっ、お前は俺のフォローしてくれてたんじゃないのか」

「逐一全員になんてしてませんから。よかったですね、明日から女性の服を脱がせた変質者ですよ。パーフェクトに痴漢です」

「やばい……学校来れない……」

 くず折れ、床に手をつく八雲。

「いいじゃないですか。鬼畜眼鏡キャラで。先輩だろうが同級生だろうが脱がしまくる剣豪キャラとか目指したらどうですか」

「お前か!? 教室で自己紹介した時に鬼畜っぽいとか言ってたのは!」

「覚えてたんですね。割と粘着質」

「口が悪いな、戦巫女のくせに!」

 八雲が詰め寄ると、途端に怯えたような演技で後ずさる。

「いや、近寄らないで……! 私に乱暴する気でしょう!?」

「人聞き悪いうえに狙ってやってるなこいつ……!」

「では聞きますが、先輩のあられもない姿を見てなにも感じなかったわけではないですよね?」

「それは、まあ……男として正常な反応だと思うが」

「それが、ここでは異質なんですよ。今まで男がいなかったから、転校初日だというのもあって皆が変化に対応しきれていないんです」

 なるほど、と頷く。確かに、小中高と異性がいなければ、ある意味では別世界じみた環境なのだろう。

 加えて学生寮に住む習わしがある。

 外界と完全に隔離された、乙女の園ということか。

「よって、女性同士で恋愛なんてのも日常茶飯事です」

「あー……」

「お姉さま! とか言っちゃったり」

 キラキラ瞳の下級生キャラを演じてみせる八坂蓮。

「うーん……そういうものか」

「あなたなんかがお姉さまに近付く資格なんてなくてよ! ヲホホ、這いつくばって靴を舐めなさい!」

 高飛車なライバルキャラ。これは後に友情を結ぶフラグ搭載済みか。

「その物真似のほうが気になってしょうがない……」

「まあ、そういう世界なんです」

「よくわかった。それで、話を戻すが。春先輩はほかに何も言ってなかったのか?」

「ああ、そういえば。悔しいから半分だけ教えるって言ってましたね」

 この際、負け惜しみだなんだと考えることすら億劫である。

「八坂城を調べてみてください、と。でもあそこ、観光地なだけで何もありませんよ?」

 片眉を下げて訝る八坂蓮。

 しかし、八雲からすれば行かざるを得ない情報だ。

「そこに、在ると言ったのか?」

「明言はしていませんでしたが、八坂城の地下には怪異を呼ぶ何かがあるとか……察するに、例の探しものですか」

「怪異を、呼ぶ?」

「はい。戦巫女の私も知らないものが隠されていると」

 そこで八雲は数瞬、考える。

 はっと顔をあげると、急ぎ足で教室へ。帰り支度、その後は急いで仲間と合流しなければならない。

 マイクロフォンに指を当てて。八坂蓮も追従する。

「試験小隊各員へ。こちらに合流しろ。一九〇〇を持って、伊吹市八坂城に突入する」

 返答は迅速。疑問を差し挟む声もない。

『こちらビショップ。了解』

『ウィッチりょうかーい』

 不審げに双眸を細める八坂蓮だが、こちらを止めるような気配はない。

 察しが良いのは助かる。

 様々な疑問を抱いていても、すぐにそれを口に出さず、今聞くべき内容のみをよく吟味し、取るべき行動を状況から推測する。結論を出すのはそれからでも遅くない。

 今ベストな選択は、八雲についていくこと。

 その行動から、この転校生が本当は何者なのか確認しようとしているのか。

 なるほど、行動に無駄がない。聡明で、立ち位置を間違えない人間だ。

 こういうタイプはなかなかいない。

 八雲が自然と好感を持ってしまうのも致し方あるまい。

「一応、これだけ聞いておきます」

「なんだ」

「あなたの探し物って、ひとつではないんですか」

「探し物はひとつだよ。ただ、本分も同時に果たさないといけないってだけだ」

 元々、特務機関〈大和〉が設立された目的も、大刀自の巫女たちとそう変わらない。

 人々を怪異から守る。そこにはおそらく、なんの違いもあるまい。

 しかし、今回に限っては大刀自側に疑問が浮かぶ。

 怪異を呼ぶ元凶が隠匿されているのなら、何故今まで対処されていないのか。

「〈箱〉と同じぐらいヤバいのが隠されているかも知れない。

 この街は怪異の発生件数が驚くほど多い。その原因になるものが、自然発生でなく何らかの要因によるものだとしたら、一介の生徒や軍隊の手に負えない可能性が高い」

「えっ、えっ? そんな非常識なもの、八坂城にあるはずが」

「あるかどうかは調べてみなければわからん。ただ、俺の想像通りなら……素人には手が出せないトンデモな代物だ」

 異能や魔術が現実に引き起こす効果を事象変移と呼ぶが、それに類似した効果を道具を用いて達成する、という目論見も古くから試みられてきている。

 今回、この街の中心に隠されたものは、その驚異的な効能を秘め持つが故、怪異を街全域に呼び込んでしまっていたのだ。

 つまり、怪異の正体は圧倒的な事象変移を引き起こす、言わば魔具とも呼べるもの。

 なかでも街全体を覆うとなると、とりわけ突出した魔具であろう。

「〈境界霊器アーネンエルベ〉……まだ、遺っていたのか」

 それは怪異のなかの怪異、〈極限種アルティミット〉と呼ばれる特殊個体の一部。

 かつて旧西暦時代の終わりに絶滅したという、最大最強の怪物たちの心臓である。


    *    *    *


 八雲が学院の敷地から出ると同時、すぐそばの道路に一輌の車が停まる。

 パッと見、大型でずんぐりとした白い車だ。

 八坂蓮はその時は解らなかったが、この車輌はランドクルーザーと呼ばれるSUVである。

 ハイトルクのディーゼルエンジンにより、重苦しい排気音からくる図太いタイヤのトラクションでその巨体を走らせる様は、いっそ重機の印象に近かろう。

 運転席の中性的な人物とアイコンタクトを交わし、八雲は後部座席に乗り込む。

 流石に知らない車に乗り込むのは二の足を踏むのか、八坂蓮は躊躇を隠せない。

「――来い」

 その時、伸ばされた手をどう見たのか。

 八坂蓮には、予感があった。

 おそらく、この車の行き先は後戻りがきかない、深い闇の底に違いあるまい。

 もう戻れないところへと、なんの迷いもなく誘うこの少年は。

 そういった場所へと、なんら感慨も抱かず踏み込んでいく。

「どうした。来ないのか? 実績、立てたいんじゃないのか」

 これを挑発と受け取り、八坂蓮はむっとした表情で乗り込んだ。

 もうどうにでもなれ。

 そんなやけっぱちでも、きっとこの時、動くことを選べた価値はあったのだろう。


 車内はゆったりとした空間がラグジュアリーな雰囲気を醸しており、単なる移動手段としての車ではない印象を与えてくる。

 ……というのは、後ろを見るまでの間に抱いた、気のせいかも知れない。

「……ん? んんん?」

 トランクからは、ごちゃ、という音が今にも聞こえてきそうな、乱雑に積まれたなにか。

 何だろうとも思ったが、それを断ち切ったのはよく通る、女性とも男性とも思えるような声。

「初めまして、八坂さん。渚と申します。まあ、お見掛けするのは二度目ですが」

 運転席で、バックミラー越しに話しかけた渚だ。

「あ、初めまして……どこかでお会いしましたっけ?」

「ええ、先日の公園で。もっとも、私はルーク、そこの八雲と連絡を取り合って、あそこを見下ろせる場所にいたんですよ」

「ああ、あの時に……ルーク?」

 八坂蓮が、もしやと思って横を見る。

「そういう暗号名でな。察しの通り、チェスの駒だ。まあ、キングとクイーンにはかなわないが」

 言いながら、何かが積み上げられた後部座席の後ろ、仕切りのないトランク部分へと手を伸ばす。

 がちゃがちゃ、と耳障りな音をたてながら。

「それは、刀ですか」

「ああ。もう実技試験も通ったことだしな」

 取り出したのは、赤い漆の塗られた鞘と、見事な作りの鍔と金色の柄を備えた一振り。

「それは、本当に刀……ですか?」

「お前、解るのか? よく気付いた。こいつは式刀というやつでな」

 言いさした八雲だが、これを遮ったのは助手席の人物。

「ちょっと。そろそろ私を紹介するタイミングなんじゃないの? そういうのより!」

 お怒りなご様子のお嬢様が、顔を覗かせる。

 闇のなかでもいっそう映える艶やかな黒髪と、その顔の整った造形は芸術品のようだ。

 対向車のライトが逆光となって、魔性すら感じられる美貌を浮かび上がらせる。

「そっちのはミシェール。一応〈災厄の魔女メイガス〉なんて呼ばれてる」

「一応って何よ! あなたね、私だって隣町からがんばって往復したりして! 調査したんだから!」

 とはいえ、こんなやりとりで頬を膨らませている以上、中身はそう変わらない年頃の少女らしい。

「引っ越しの準備があったんだったか。お疲れ様、助かったよ」

「うむ、よろしい! よきにはからえ」

 満足そうに頷いて顔を引っ込める。

 それが少しおかしくて、八坂蓮は口を開いた。

「面白い人たちですね。でも、その黒ずくめの恰好はどうしたんです?」

「そういや、まだ説明してなかったな」

「まあ、一から説明したら私たちが原因だってことになるからね……」

 車内で同じように着替えた八雲が、八坂蓮をまっすぐ見る。

「怪異などの超自然現象に対応する組織、とでも言えばいいのか。

 俺たちは特殊災害対策本部所属、第二実行部隊第三魔導試験小隊だ」

「……特務機関の?」

 これに驚いたのは、八雲のみならず全員だった。

「知ってるの?」

「噂に聞いただけです。この伊吹では、私たち巫女が怪異から街を守る。だけど他の街ではどうしているんだろうって。その時に伊吹の外から転勤してきた方々が、ちらっと話していたので」

「これは驚きましたね。存在はともかく、名前は知られていないと思っていましたが」

 八雲が頷く。怪異が人を襲う以上、完全に人の眼を避けて対応するというのは不可能だ。

 近年になってソーシャルネットワークサービスの発達は凄まじく、ひとつの事柄が一市民に漏れると、からあっという間に全世界へと広まってしまう。

 その情報伝達速度は恐ろしいほど。

 無論、特務機関大和が何の対策もしていないわけではないが。

 人の口に戸は建てられない、ということだろう。

「ところで、八坂。女学院を卒業した巫女は、その後どうなっているか知っているか?」

「え? ええ。殆どがこの街で仕事を見つけたりして過ごされているようですが。あとは、街を出ていったり」

「実は、とあるワケアリな従巫女は、」

「行方不明になっている――ですか?」

「……それも、知っているのか」

「その疑問は以前からありました。私が土御門先輩に尋ねたかったのは、その部分でしたので」

 つまり、ひとり暮らしの老人や街の人々から話を聞いて歩けば、全然帰って来ない娘のいる家庭が幾つか出てくる。

 そのうち、悩みの相談を受けるなどしていくと、徐々にそういった話はあるひとつの結論へと帰結するのだ。

 それが〈巫剣機関〉であると、八坂蓮は語る。

 話のなりゆきから考えるに、先だってミシェールが漏らしていた黒ずくめの集団に違いあるまい。

「……八雲。この子はいったい?」

 渚が戦慄を覚えるのも、無理はない。

 察しが、良すぎる。ぞっとするほどに。

 八雲たちならまだしも、単独でここまで順序立てて思考し、行動し、結果を見つけてくるなど。

 単なる女子高生では、もはや有り得ないことだ。

「お忘れですか? 戦巫女は人々を守る立場。この程度のことで驚かれては困ります」

「さすがは伊吹の神輿みこしってことね。伊達に崇められてはいないわ」

 信仰の対象となることもままあるという、戦巫女。

 思うに、直感や霊感が、ある程度以上推理の根拠になるのだろうが、ここまで〈正解のみを辿る〉というのは薄気味が悪くさえあるだろう。

 これで本当に歴代で一番劣っているのかと、八雲は背筋が寒くなった。

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