第5話 秋雪
一日の授業の終わりに、担任から呼び出しがあった。
帯刀令に関しての概要と、資格試験について。
それが必要な理由――昨今頻発している〈怪異〉への対処に関する説明だ。
いわく、怪異は街中のどこにでも現れ、誰にでも危害を加える。
そのために実戦に耐え得る実力を持った巫女は、あまねく怪異を打ち祓う人々の
まずは筆記試験。これはすぐに終わった。
八雲とて特務機関の人間、学力に不安要素はない。
次に異能の測定。どれくらいのことが、どの程度の規模でできるのかを調べられた。
この時、八雲は五割ほどの力で難なくクリア。
さらに実技試験。教官が相手になり、生徒の実力を測るというものらしい。
八雲からしてみれば、これが難題だった。本気を出すわけにはいかないし、かと言って手を抜いたことを悟られてはいけない。
加え、学生ならば人に向けて異能を使うということの意味を考えさせられる。
時に犯罪者の捕縛、鎮圧も担うことのある巫女たちからすれば、考えるべき問題なのだろう。
実技場と呼ばれる校庭の片隅、一回り小さいような体育館へと移動。
するとどこで聞きつけたか、八雲を一目見たいがためか、同じ年頃の男子に興味があるのか、
「……目立つな、というのはもう無理なんだな」
努力ではなんともならない自らの不遇を悟りつつ、場内に入る。
そこで待っていた相手には、流石に驚きを隠せない。
「土御門、先輩?」
穏やかに微笑みを返す、白百合を思わせる麗影がそこにあった。
「うふふ。春先輩、でいいですよ。八雲くん?」
「教官はどちらでしょう」
視線を巡らせる。
建物内の広さはそれなりだが、高さがあった。二階の四方には見物用の席が設けられている。
単なる実技場ではない。これは、もっと重要な催しに用いられる建物だ。
そう、例えば、決闘用などの――
「そのお役目は譲っていただきました。私から八雲くんにお話がありましたので」
聞けば、ギャラリーの飛ばす声援のほとんどがこの先輩を応援するもの。
つまり、この人だかりは相手の評判によるものということか。
「お話ですか。楽しいものではなさそうですね」
「ええ、残念ながら。私もお父様には逆らえなくて」
「どういう意味でしょう?」
ぴん、と人差し指を立てて、先輩は子供を叱るように話し出す。
「つまり。女性しかいない神聖な領域に殿方が土足で足を踏み入れるなどまかりならん! とのことです!」
「ほう」
「私が勝ったら、あなたには退学していただきます!」
ここで一際声援が勢いを増す。どうも、不満を感じていた生徒たちが主だってここに集まったらしい。
だからか、と納得して。
「これは勝ち負けのある試験なのですか」
「本来はそういうものではありませんが、今回にあたっては特例です。そも、分校ならまだしも本校は男子禁制が古来よりの規則でした。それを破ってしまった学院長も責任を問われかねない。あなたがここで何かしらの問題を起こせば、議会問題にさえ発展します」
「それはそれは。新聞の一面を飾りそうな話ですね」
「ええ。だからこそ今、不安要素は取り除かれるべきだと判断しました。ここにいる皆さんも同意見です。女性上位の社会において、その神聖さは損なわれてはいけません」
「ですが、その割には〈勝敗〉という実力の要素を持ち込む。つまり、こちらにチャンスを与えているのは、何故ですか?」
「頭ごなしに退学させることもできますが、そこは私からお父様にお願いさせていただきました。実際に話してみたところ、あなたの人格に問題はなさそうでしたし、きちんと目上に礼儀も尽くす。クラスメイトからの評判にも悪いものはない」
ただ、と続けて。
春先輩は八雲に近付き、その耳に小さく、こう続ける。
「――タイミングが良すぎるとは思いませんか。奇妙な〈箱〉が落ちてきた翌日に、あなたという転校生。関係があると思ってしまっても、不思議はないかと?」
「――ッ!」
この女、〈箱〉を知っている!?
「顔つきが変わりましたね。やはり、そういうことですか」
「どこにあるっ!?」
場所を知っているのか。
食ってかかる八雲に、怯えて身を引く先輩。
これが演技のように見えて、八雲をいらつかせた。
「やだ、怖いわ。そんなに怒らないで」
「――くっ……!」
女狐め、と内心吐き捨てる。
条件を飲むしかない。
負ければ退学。それは任務の失敗を意味する。
だが、勝てば。
「解りました……ですが自分が勝った場合は、洗いざらい吐いてもらいますよ」
「うふふ。もちろんです。スリーサイズでもなんでも」
頬に手をあて、照れ混じりにそうのたまうと、またも黄色い声がギャラリーから飛んだ。
「では、これを。お互い真剣勝負ということで」
言って、春先輩は持っていた日本刀を手渡す。
抜いてみると、刃を潰してある。非殺傷用の模擬刀だ。
「言っておきますけれど。私はあなたが嫌いではありませんよ。八雲くん」
これには答えず、開始位置につく。
何であろうと八雲には関係がない。
ただ、眼の前の女は障害となる。それだけのこと。
だが、新たに出てきた人影には再び舌を巻いた。
「――八坂!?」
通用門から現れたその亜麻色の髪は、よく見知っている。
「審判が必要でしょうから。先生の許可はもらっています」
「うふふ。戦巫女にお見届けいただけるとは、光栄ですわ」
「私も先輩には聞きたいことがありますので――〈
ここで春先輩の表情が、初めて硬くなった。
なるほど、何か掴んでいるということか。
やはり、地元の人間は味方につけてしかるべきだ。
いや、あるいは最初から掴んでいたか。
そのために街を歩き回って情報を集めていたなら、筋が通るというもの。
勝敗条件が審判より明示される。
それにより、これがもう単なる実技試験の場ではないことを、皆が承知した。
「互いの全力を尽くした、比類なき剣舞が
どちらかが武器を取り落とすか、勝負を続けるに支障が出ると判断した場合、それまでの趨勢より勝敗を判断される」
全員が固唾を飲む。
戦巫女の高らかな宣告を、ただ静かに聞き入れて。
「また、勝敗が決した場合は互いに示した条件を必ず遂行することを誓う。
この場の全員が立会人である。双方、異存はないか」
答える声は同時。
「異存ありません」
「……構え!」
刃鳴りは片方のみ。春先輩が抜き身を正眼に置き、まっすぐに八雲を見る。
対する八雲、小指から順に柄を握りこみ、腰を深く落とし、相手を見据えた。
鞘を後方に置き、背中を見せるほどに捻った体から、まるで戦闘機のカタパルトを連想させる。
全身のバネを利用した一撃、居合いか。
そう悟る土御門春だったが。
――この熱量はどうしたことか。あの佇まいから湧き上がる、熱した鋼のごとく揺るぎない存在感は。
言うならば、歴戦の侍を前にして感じる、死線の気配。
一介の高校生に出せる剣気とは思えない。試験とは場違いな空気。
そう、これは殺意。
――なにか。自分はとんでもない思い違いをしているのでは。
覗き込んではいけない深淵を眼にしている気さえ、してくるのは何故なのか。
「――始め!」
合図を受けても八雲は動かず。ただ、気を練っていることだけは解る。
春は八雲が湛える琥珀色の左眼が鈍く輝いているのを見て取り、踏み込むのを躊躇う。
押し返されるような威圧感。
そして、春の虹色の瞳が〈それ〉を見た。
「なるほど。それがあなたの異能ですか」
剣の届かぬ遠間でありながら、まるで意に介さぬ居合いの訳。
「仰る通り。さすが春先輩。よい〈眼〉をしている」
春が感じた気迫。死線。そして熱量。その正体。
全てが刀に凝縮され、まさに放たれんとしている銃弾に等しい殺意の塊。
居ながらにして合わせる。
その名の通り、彼は最初からこちらを間合いの内に捉えていたのだ。
国津八雲の間合い、これ剣にして剣にあらず。
「御覧いただこう。我が〈
ゆらりと尾をひく、琥珀の眼光。
抜き放つのは既に人理のそれではない。
そこに込められた〈概念〉が発射され、春の眼前を風のように通り過ぎる。
延伸された不可視の剣。形容するならば
しかしてその刃、この世ならざる摂理によりて生まれし、実体なき虚。
込められた〈意味〉をこそ断ち、あるいは斬らず、生殺与奪を制する隔絶した剣技。
刀を抜くという動作。それこそが、奥義足り得る
これなるは特務機関第三位〈
名を
* * *
振りぬいた刀に、鞘が追い付く。
八雲がその場でぐるりと一回りするのと同じくして、左手に握っていた鞘に刀身がぱちんと納まったのだ。
それが、二撃目の装填を終えた合図となる。
正面に向き直った時には、すでに居合いの構えが取れている。
これにより、空断は連撃が可能となる。
竜巻の威名をとるには、それなりの理由があるということ。
見れば、春先輩の持っていた模擬刀は半ばからすっぱりと切断されている。
しかし先輩の体には傷ひとつつかず。
雪の髪を騒がせて、少女は諦めがついたような、あるいは最初から解っていたような溜め息を吐く。
「お見事でした。よもや勝負にもならないとは。少々、自信をなくしてしまいましたよ」
「その割には、すっきりしていらっしゃるようにお見受けします」
「ええ。底知れないものを感じたので。今ので〈何割〉ですか?」
見抜かれている。
なるほど、この先輩は〈視る〉ことに関してずば抜けたものを持っているらしい。
「とんでもありません」
「嘘、ですね。ご存じですか? 殿方の嘘って、解りやすいんですよ」
言って、春先輩は腰に手を当て、胸を張る。
そこで異変は起きる。
「――あっ、」
わずかな手違い。
原因はただそれだけだが、絶技たる秘剣をしてその細かなミスは、大きな被害を及ぼすこととなった。
「えっ?」
びり、と小さな裂け目が制服に刻まれる。
やがてそれは数を増し、一気に大きくなり、春先輩の下着ごと衣類をはぎ取ることとなった。
露わになった素肌に眼を奪われるが、咄嗟の間に八雲の両目を塞いだ八坂連には感謝すべきか。
「な、なんでっ……!」
違うんだ。
普段使っている得物とは違う、模擬刀が全て悪い、と内心で言い逃れをするが、周囲はそう見なさない。
先輩の悲鳴と、ギャラリーからのブーイングで、八雲は実技場から逃げるように姿を消すのだった。
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