第4話 凩

 一躍注目を集めた八雲は、二度とこんなことがないよう心に決め、それからは人畜無害な学生を注意深く装った。

 おかげで疑問と好奇心が爆発した女子生徒たちに囲まれたりはしたが、やんわりとやり過ごせばそれ以上は追及されない。

 なにせ、ここは〈異能〉を身に宿した者たちの学び舎。

 こんな程度は何ほどのこともない、ということなのだろう。

 命拾いした心持ちで四限目を過ごし、昼休み。

「では、学食に案内しましょう」

「ああ、よろし、」

 最後まで言い終わらないうちに、参加者が増えていく。

「八雲くん、一緒に食べよう!」

「私たちともお話ししようよ!」

 一度、壁が壊れればこんなものか、と妙な感心を抱く。

 女性の好奇心、恐るべし。

「いや、その……」

 視線を送ると、当代の戦巫女は腕組みをしてこちらを観察していた。

 つまらなさそうな半眼。助ける気はないらしい。

「これは、」

 多勢に無勢。戦略的撤退が望ましい。

「すまん、八坂! また今度!」

 逃げ出す八雲。お達者で、とひらひら手を振る八坂連は、窓の外に視線を投げて溜め息を吐いた。


 普通に考えれば、このまま学食に向かったとしても似たような事態になる可能性は非常に高い。

 屋上の手すりに体を預け、ずるずると腰を落とす。

「……やりづらいなぁ」

 愚痴を拾うようなタイミングで、マイクロフォンからの声。

『苦労しているようですね、八雲』

「なんだ、聞いてたのか」

『繋いだらちょうど聞こえて。大丈夫ですか?』

「いや、そっちのほうが大変だろう。すまない、気にしないでくれ」

『そうでもないですよ。聞き込みと、ミッチのほうは霊子放射光の残留物で過去数十分の間になにがあったか映像に投影して解りますし』

「バレないようにな。それで、今度は何だ?」

『いえ、特に用事というわけでは……すみません』

「気を使ってくれてるのか? 相変わらず心配性だな」

『そんなことはないですよ。そうそう、面白いニュースがひとつ』

「何だ?」

『公園で会った戦巫女の八坂さん、でしたか。あの子、なにやら毎日街のあちこちを歩いて回ってるみたいですよ』

「ほう? それはまた何故」

『独り身のお年寄りや、困っている人の相談に乗ったり、迷子になった子供と一緒に親を探したりしているようです』

「……そうそう人に構っている余裕があるのか?」

『もちろん、それは一日の間でわずかな時間だそうですけど、それを毎日繰り返しているってことです』

「いいところがあるってことか」

『つっけんどんなだけじゃない、ね。どうです、少しは見方も変わるでしょう?』

「そうだな。確かに、面白いニュースだった」

 少しだけ気が晴れたことに、内心感謝する。

 初冬にしては暖かい気温。雲がゆるゆると流れていく晩秋の気配に、ひとつの季節の終わりを感じさせた。

 踵を返して校内に戻ろうとすると、扉ががちゃり、と音を立てる。

「あら? 鍵が……」

 やばい、と思った時にはもう遅かった。徐々に開かれた先から現れたのは、女子生徒。

 制服には一目でわかる三年生の意匠。

 だがなにより眼を奪われたのは、その髪の色だった。

 雪を被ったような白。

 腰より長く垂らしたそれは自然に生まれ持ったものか。

 加えて虹色の瞳孔と、碧の瞳。

 間違いない。

虹彩異色症オッドアイ……」

「確か、国津くんでしたか。噂は聞いていますよ。本校唯一の男子生徒くん」

「はい、先輩。恐縮です」

 たおやかに微笑む姿は、一輪の華のごとく。

 やわらかい雰囲気に滲む、芯の強さと眼差しの光。

 そこで、名も知らぬ先輩は子供を叱るように眦をきつくした。

「でも、いけませんね。屋上は立ち入り禁止のはずですよ。生徒会でもおいそれと入れないはずなのに、勝手に鍵を開けて入ってしまうなんて」

「いえ、それは……申し訳ありません」

「まあ、いいとしましょう。罰として、私のお昼ご飯の話し相手、お願いできますか?」

 そう言うと表情を緩め、悪戯っぽく笑う。腰の後ろから出したかわいらしい包みは、ちょうどおにぎりふたつぶんほど。

「お任せ下さい」

 つい、ざっと音を立てて姿勢を正し、そう返事をする八雲。

 目上に対する対応では、軍隊紛いに厳しく鍛えられた過去が、反射的に体を動かしてしまうのだ。

「あら、うふふ。軍人さんみたい」


 この先輩は、土御門春つちみかど・はると名乗った。

「私ね、時々ここでご飯を食べてるんですよ。誰とも話したくない時とか、考えごとをしたい時とか」 

 言って、手すりの前に座り込み、背を預ける。

「……失礼ですが。それでは先輩は屋上への無断侵入は常習犯ということに」

「あーあー、きこえませーん」

 自分はいいらしい。

「……土御門というと、このあたりでは有名だと伺っています」

「ええ。土地ばかり多く持ってて。大地主って言うんでしょうね。でも、転校してきたばかりなのによくご存じで」

「事前調査は欠かしておりませんので。では、先輩はこのあたりのことに関してお詳しいでしょう」

「まあ、それなりには」

 頭の上にクエスチョンが見える。この二年生は何を聞きたいのか、という顔だ。

「すみません、単なる好奇心です。大地主というと、どのくらいの所有地があるものなんでしょうか?」

 まだ〈箱〉について聞くべき時ではない。

「あそこから、あそこまで」

 ぐるっと一八〇度ほど、この先輩は指で指し示した。

 驚くような話でもない。

 ここは治外法権。日本のなかにあって日本ではない。似たような仕組みで括られた別世界。

 トップが白と言えば、白になる。血筋が古い家系ほど有利になる、昭和以前の旧体制。

「なるほど。およそ市の半分ですか。しかも見る限り、旧市街が大部分。昔からの家柄とお見受けできます」

「そうなんですよ。おかげで誰も住んでいない建物も多くて。困ります」

 でも、と両手を胸の前で合わせて。

「今度お祭りがあるんです。ほら、あそこにお城があるでしょう?」

「はい。ちょうど市街地の中心になりますか」

「八坂城っていうんです。あそこを中心に、冬至祭が開かれるの。楽しみにしていてください、花火とかすごいんですよ!」

 そう、古くは伝わる八坂城・冬の陣。

 八雲を含めた第三魔導試験小隊の、それがタイムリミットだった。


    *    *    *


 教室に戻ると、予鈴が鳴った。

「お昼はどちらまで?」

 頬杖をついて窓の外に顔を向けつつ、そんな問いを発してくるのは八坂連。

「ちょっと、そこまで……ん? 八坂?」

「どうせお昼食べてないんで……何です?」

「お前、八坂城と何か関係があったり?」

「大名がご先祖ですけど、なにか」

「……マジで」

 これで納得がいった。当代の戦巫女はその血筋に裏付けがあったのだ。

「あれ、でも今は神社に住んでるって言ってなかったか」

「お城はもうとっくに観光名所ですからね。今は神社の隣で慎ましく生きてますよーだ」

 いじけたような口調だが、八雲の顔面に向かってなにかを投げつけてくる。

「お昼。それで我慢しなさい」

 カレーパンひとつ。

 だが今はなによりの助け。腹の虫が鳴る。

「ありがたい」

 思わず笑みが浮かぶ。

 それをガラス窓に映る反射像から見て取った八坂連は、満足そうに瞼を閉じるのだった。


 そういえば、と八雲がカレーパンを食べつつ尋ねる。

「土御門という先輩に会った。あの人は、」

 途端、険のある声が返ってくる。

「ああ、あの人ですか。戦巫女に選ばれたのが私で、相当不満なんでしょう」

「……不満? そんな感じはしなかったが」

 八坂連、つまらなそうに。

「どうだか。能力的にはあの人のほうが私より上なんです。だから、周囲もなんで八坂がって言ってるんですよ」

「実力主義なのか? 戦巫女は」

「ありていに言えば、学院長たちの評価です。だけど、実力に左右される立場なのは間違いありません」

 そこで言葉を切り、憂鬱そうに溜め息を吐く。

「私が……歴代で一番、弱いから……みんな私を認めてくれないんだ」

「そうなのか」

 カレーパンを食べ終わった八雲が、机に教科書を出しつつ。

「なら証明すればいい。多少の疑惑なぞ、圧倒的な実績の前ではどうとでもなる」

 要は説得力の問題だ。

 立場や身分だけでなく、実力でも自分は相応しい。その証明を打ち立てて示して見せなければ、言ってくる人間はいつまでもまとわりつく。

「実績なんて。どうやって立てろと? 精々が早起きして、街で困ってる人がいないか見て回るくらいです」

 ここで、八雲はぴんと閃く。

 危険は伴う。

 しかし、この凛冽な空気を放つ美貌の少女がこのまま煮え切らない立場で腐っていくのを見るのは忍びない。

 自ら早起きして、街の巡回などという健気な奉仕までして、自分は劣っているなどと自己否定したままなど。

 まず誰よりも、自分で自分を認めてやらなくてどうするというのか。

 この少女を鍛え上げる。それが、カレーパンひとつぶんの恩返し。

「――〈落とし物探し〉手伝ってくれないか?」

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