第2話 帰り花

 戦巫女とは何か、という点について、ルークは道中で資料に眼を走らせた。

 本来、巫女というのは神に仕え、神意を伺い、神おろしなどをする役職とのこと。

 古来より神楽かぐらを舞う時もあれば、祈祷をしたり、神託を伝えることもあったという。

 口寄せなどをする役割もあったらしいが、やがて現代に近付くと神職を補佐する役割へと変化していったようだ。

 それが従来の意味合いでの、巫女。

 しかし、ここ――〈伊吹市〉では意味合いが少々変わってくる。

 代々の戦巫女を筆頭とし、それを補佐する従巫女が存在するのだ。

 その役割は、凶祓まがばらい。

 怪異を下し、市井の人々を守護し、神々の加護により土地を守る。

 必然、戦いの技術も備えることとなった、特異な進化を遂げたシャーマンの体系であろう。

「しかも、それを教育という形に変化させた」

 ルークはそんな資料の一文に眉を顰める。

 戦巫女は選抜式。

 学院特区の中からたったひとりが選ばれ、お役目を仰せつかる。

 戦技、教養、振る舞い……様々な点で競い合い、学院の生徒たちは切磋琢磨しているようだが。

「でも、近頃はそんなに活気はないみたいよ。怪異と大きな争いなんてのもないし、単に面倒なお役目、みたいな認識のようね。箔はつくみたいだけど。ああ、私は明後日から別の学院に転入ってことになってるから。隣の小さな町だから少し遠いけど」

 後部座席の隣で、女生徒の制服に着替えたウィッチがのたまう。

 どうもルークのものとは意匠が違う。他校の生徒、という線で通すようだ。

 確かに、別角度から見た情報の視点というのも捜査には必要不可欠。

 情報源がルークだけでは偏るという考えだろう。

 配置をずらし、時期をずらし、視点もずらす。

 よほど慎重にいかなければならないようだ。

 時計を見る。〈箱〉の落下予想地点まで、もうほど近い。

「そうだな。しかも、」

 窓から視線を投げると、朝焼けが見える。ちらついていた雪は止んだようだ。

「時代錯誤も甚だしいが、帯刀令なんてのがある。確かに、この環境は俺向きだ」

 そう、古来より伝統ある技術として剣術が神聖視され、街を歩く女生徒は全員が日本刀をいているらしい。

 日本のなかにあって、陸の孤島に近い古式ゆかしい文化と風習。

 政治から切り離された治外法権。

 別の国に来たか、あるいはタイムスリップでもした感覚。

 瓦屋根の古びた建物と、最新の高層建造物が入り混じる、ここだけが置き去りにされた旧西暦の時代。

 ウィッチが窓の向こうを見るルークを盗み見て、言う。

「……楽しそうね?」

「少しな」

「やっぱり、女性ばっかりの環境がいいのね! ウキウキするのね!」

「なんでそうなる?」

 今度は不服そうに頬をふくらませた。感情が豊かで、見ていて飽きないのだが、怒らせると怖い。

 不機嫌そうに差し出したのは、生徒手帳か。

「はい、これ! あなたの身分証明になるから!」

「ありがとう、ミシェール」

 唐突に本名で呼ばれ、ウィッチと呼ばれた少女は年頃の乙女らしく頬を染めた。


    *    *    *


 地点についたルーク……否、学生証に記された名前〈国津八雲くにつ・やくも〉は指定された場所まで歩きつつ、手を使わずに通話できるマイクロフォンを耳に装着。

 高台のある公園。噴水も見えるが、今は機能していない。冬の寒さに息が白く煙る。

「こちらルーク。聞こえるか? ビショップ」

『感度良好。あと、私もビショップではなくなぎさでお願いします』

「お前も本名か。もうこっちの正体隠す気ないんじゃないか? 本部は」

『逆にそうでもしないと勘づかれるくらいなんですよ。配置につきましたか?』

 確かに、嘘には真実を一割混ぜるのが効果的だとは言う。

 しかも、特務機関〈大和〉に匹敵する情報網も持ち合わせているようだ。

「問題ない。やはり報告にあった通り、なんの痕跡もなし、か」

〈箱〉が落下した場所ならば、ある程度の質量があったのでどこかしらに衝突痕や破壊の跡が残されていておかしくない。

『衛星カメラで見た映像も同じです。風に流されたのでしょうか』

「お前はどこから見ている?」

『そこからまっすぐ。もっと上です。そう、ビルの屋上ですよ』

 黎明の日差しにきらりと双眼鏡の照り返しが映る。

『なかなか制服が似合ってるじゃないですか。ルーク……じゃなかった、今は八雲ですか』

「まあ、普通なら学生やってる年齢だしな。そこから何か見えるか? ナギサちゃん」

 ビショップから渚へと呼び名が変わったせいで、女性的になってしまったことにはなにも言わず。

『ネガティヴ。おかしいですね……』

「覚醒していた場合、ここまで平和にはしてられない。なにせ……」

『最強の怪異ネクロ吸血鬼ヴァンパイアですからね』

 そこで、八雲は驚愕に眼を少しだけ見開いた。

「……知ってたのか。〈箱〉の正体」

『ええ、私は情報部にツテがありますから。でもね、このことは彼女には言わないでくださいよ』

「わかってるよ」

 彼女とはウィッチ、すなわちミシェール・ベルクリスト。

 そう、今回の〈箱〉は黒水晶を思わせる少女に深く関わるものだった。

 だからこそこのふたりは運搬途中に内密に箱の正体を探り、あれが一体どういうものなのかを調査しようとした。

 ――おそらくあの時。調べられては困る誰かが、ヘリに懸架されていた〈箱〉のワイヤーを切って落としたのだろう。

 八雲はそう見ている。

 つまり警戒してしかるべき、必然的に起きた事件なのだ。

「何者かが、箱を奪うために仕組んだのか……?」

『――九時の方向。接近する数、一』

「了解、通話を切る」

 階段が続く先の高台から、妙な人影が現れた。

 足音が無かったので八雲も気づけなかったが、それもそのはず。

 上半身だけ奇妙に歪んだカタチの、影。

 景色にぽっかりと空いた空洞。輪郭もどこか曖昧。

 現実に存在しない、非常識な非日常の陰。それが、つまり。

「〈怪異ネクロ〉か。もう夜明けだというのに」

 一般的に怪異とは夜の間だけ活発になるが、稀に昼間も活動する個体が確認されている。

 声ならぬ声に込められた、攻撃的な気配。

 あいにく、武器は仲間に預けてきてしまった。帯刀令がある以上、武器を持ち歩くには資格がいるらしいのだ。

 今、目立つようなことは避けたい。

「と、なると」

 ここは逃げの一手。だが、この怪異が何故ここに現れたかは知りたい。

 単純に人の命だけを奪う怪異なのか。確かに怪異の生態系にはそうしたものもいるが、公園に現れるなど――

 その時だった。

 女性の張り詰めた声。だが持ち合わせた涼やかさは失わず、聞く者の耳にすっと入ってくるような声音だった。

「伏せなさい!」 

 言われたとおりに動く。頭上を滑る飛翔体。あれは。

「……折り鶴?」

 八雲の左眼は妙な力を捉えた。何らかの加護を帯びた折り鶴のようだ。

 誰が、と振り返ると。

「危ないですよ。それは人を害する幽世かくりよの影。早く逃げなさい」

 黎明を照り返す亜麻色の髪の一条縛り。

 それを風になびかせるのは芙蓉のかんばせに桜色の口元。

 どこか浮世離れした美しさと、華奢ながら隠し切れぬ気品を放つ。

 ともすれば、時代劇の姫君のようにも見える凛々しさをまとっている。

 とはいえども。ルークならぬ八雲からすれば。

「なんだ、ただの女子高生か」

「た、ただのとはなんですか! いいから逃げなさい、それは危険です!」

「今、まさにそうしようと考えていたんだが。逃げたとして、君はこれをどうするんだ?」

「無論、討伐します! それが巫女のお役目ですから!」

 そう気勢を吐くと、眦を決して。

 腰に提げた日本刀を左手で掴み、巫女服をアレンジしたような制服を躍らせて、駆ける。

 初冬の寒気に白く煙る吐息が尾をひいて。

 少女は、その奇妙な影を一刀両断に切り裂いた。

 残心を結んでから、無駄のない動作で刀を納める。

 戦うことに慣れている――それが第一印象。

 こうしたことは珍しくないらしい。

「すまないな。助かった」

「いえ。市民を守るのは巫女のお役目ですので。しかし本校の区分に男子生徒がいる事情に心当たりがありません」

 次いで、少女は八雲に刀を向けた。

「あなたは、誰ですか? 不穏な輩を本校に近づけるわけにはいきません」

「これが学生証。転校生なんだが、話を聞いてないか?」

「転校生? ……まさか、そんな。女学院ですよ? どうして?」

 亜麻色の髪をした少女が、驚きの表情のままに学生証をくまなくチェックする。

「確かに本校のものです。ですが男性が転校してくるなど……」

かんなぎを教育する場に男がいるのは確かに妙だろうが。巫覡ふげきという立場もあるし。なにより条件がよくてな」

 無論、八雲も事前のチェックは欠かしていない。

 巫女の男性版としての呼び名を巫覡という。

 特に八雲が注目したのは、充実した施設の利用料金と学費は免除、アルバイトも可という点。

 少なくとも金に苦しむということはなさそうである。

 もっとも慈善事業ではないので、どこかで元手は回収しているのだろうが。

「な、なるほど……では、あなたを本校に案内するのがよさそうですね」

「そうしてもらえば助かるが。ひとつ聞きたいことがある。昨夜、このあたりで落とし物を見なかったか?」

「落とし物? いいえ、私は住まいが神社なので。ここから少し離れているんです。通り道ではありますが」

「そうか。結構大きいものでな。見なかったのならいい。ところで、名前は?」

「……八坂蓮やさか・れんです。では、国津八雲くん」

「八雲でいい。同じ八か。奇遇だな」

「なんの話ですか?」

「なんでもない」


    *    *    *


 道中、マイクロフォンに連絡があった。

『渚です。工事現場のブルーシートで隠されたところまではさすがにチェックできていないので、念のため調査に向かいます』

「了解した。こちらは学生ひとりと接触、どうやら本校の生徒のようだ」

『うまくやってください。猫をかぶるのは苦手でしょうけど』

「化けの皮ぐらいは被ってやるさ。他には?」

『ミッチの機嫌が一段と悪い以外には』

「なんで機嫌悪くなったんだ?」

『八雲が悪いんじゃないですか? 私は知りませんからね。通信終わり』

 何も悪いことはしていないので、さて、と気を取り直す。

「八坂、少しいいか?」

 前を歩く亜麻色のポニーテールに声をかけると、少し戸惑いつつ。

「何でしょう。正直、あまり馴れ合いたくないのですが」

「はっきり言うタイプだな。まあいい、それより、噂によく聞く戦巫女ってのはどこにいるんだ? やっぱり結構な年寄りだったりするのか? 口うるさかったり」

 尋ねると、八坂連の眼差しに影が落ちた。落ち込んだらしい。

「……ここに」

「どこ?」

「眼の前にいますけど……当代の戦巫女……」

 開いた口が塞がらなかった。

「すみませんね、年寄りじゃなくて……」

「ああいや、俺のほうこそすまん。来たばかりでな」

「まあいいです。それで、何が知りたいんでしょうか」

 不満げに髪の一束をくるくると指に巻き付ける。そうしていると、年相応だ。

「戦巫女ってのは、いつも選ばれるのはひとりなのか?」

「はい。信仰の対象になるので。大刀自おおとじ機関の決まりです」

「大刀自ってのは、学院を運営している組織だよな」

「ええ。本校、第一分校、第二分校、そして第三分校が東西南北にあります。隣町には第四からがありますね」

「エスカレーター式と聞いたが」

「合ってます。小中高と一貫ですね。大学からも補助はされますが、就職しても大刀自女学院を出ていると、このあたりでは有利になるそうです」

「八坂は何年生なんだ?」

「高2です。あなたも同じようですね」

 先に学生証を見せておいたからだろう。話しているうちに警戒心は和らいできたようだ。

 そこで、本題へと移る。

「そうだな。で、さっきみたいなことは多くあるのか? 随分物騒だな」

「ええ。けっこう頻繁ですね。でも、その割には冷静だったのが私は気になりますよ。八雲くん」

 射貫くような視線。警戒心が和らいだなどと、とんでもない。

「慣れている――それが私の第一印象でした。あなた、戦う手段を持ってここへ来ましたね?」

 一筋も油断などしていない。この女、決して甘くはない相手だ。

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