夜明け前の復讐譚《ヴェンデッタ》

デン助

第1話 風花

 それは、雪の降る寒い夜に起きた。

 異常を告げる警告音が、ヘリコプターの揺れる機内に何度も響き渡る。

 駒のようにくるくると回る眼下には街の灯。

 こんなところで墜落など洒落にならない、という焦りが、機内の空気を尖らせる。

「ビショップ! 何が起きた!」

 場違いとも思えるような、その問いは少年の切迫した声。

 まだ高校生かそこらだろうが、眼差しは闇夜の中でもなお鋭く、意外なほど精悍な顔つきはこの場にいることに違和感を与えない、一端の空気を放っている。

 特徴的なのは、その左眼だけが琥珀の色を放つ虹彩異色症オッドアイという点であろう。

「コントロールが効きません! さっきの衝撃で、吊っていたはずの〈箱〉が落ちたようです!」

 答える声は操縦席から。

 こちらは少年か少女か、判然としない中性的な顔立ちで、体つきも華奢だ。

 しかし冷静さは失っておらず、すぐさま機体の制御を取り戻そうとパネルに眼を走らせ、操作に余念はない模様。

 そして驚きの声を放つ、三人目は少女。

「落ちた!? ちょっと、冗談じゃないわよ! ここ、街の真上じゃない!」

 その容姿は、見る者に黒水晶を思わせた。腰まで届くたおやかな黒髪がトレードマークの少女である。

 気の強そうな碧眼、理性と知性によって磨かれた面差し。

 芸術品のごとく端正な目鼻立ちと陶器のような白い肌。

 可憐さと気品が、その美貌をいっそう華やかに映えさせる。


 いち早く、隣の少年が側面のハッチをスライドさせて、夜空から街並みを見下ろす。

 強い風が少年の黒髪と、黒いコートを煽っていく。

「……冗談じゃない、みたいだな。ワイヤーが切られてる。まさか〈目覚めた〉のか……?」


 それは、ヘリの真下にワイヤーで懸架されていた、とある〈箱〉の運搬中に起きた事故だった。

 この三人は、そうした役目を任された特殊な立場の三人組である。

 表に出ない裏方の仕事、つまりそれは世にはびこる〈怪異ネクロ〉の驚異を未然に防ぎ、あるいは対処するという内容。

 その任務の為に幼少より訓練を重ね、今まで大きなミスをすることなく続けてきたチームなのだが。

 今回どうやら〈外れクジ〉を引いてしまったようである。

 ビショップの操縦によりヘリがバランスを取り戻すと、少年はハッチを閉じる。

 ややあってから、隣の少女が溜め息を漏らした。

「やれやれね、まったく。〈箱〉の噂が本当なら、明日には下の街が壊滅してるわ」

「ウィッチ。本当にそうなりそうだからやめてくれ。これ、始末書で済むか……?」

 少年のぼやきには、操縦席のビショップが答えた。無論、この呼び名は全て暗号名となっている。

「心配なら、今すぐそこから飛び降りて〈箱〉を壊すのが最適だと思うよ。ルーク」

「それは俺も死ぬだろ、普通に。仕方ない、街の一般市民の方々には犠牲になってもらおう」

 言いつつ、合掌。どうやら命懸けで助けにいく、というつもりはないようである。

 そこにウィッチと呼ばれる少女が口を挟んだ。

「――ところで〈箱〉の中身、ルークは正体を知ってるのよね?」


 特殊災害対策本部所属、特務機関〈大和やまと〉第二実行部隊第三魔導試験小隊。

 この年若い三人が置かれた立場は、そんな仰々しい肩書きの〈異常〉な場所であった。


 時にして共暦二〇五年。

 魔術と、異能と、怪異が存在するこの日本において。

〈学院特区〉と呼ばれる、古より〈戦巫女いくさみこ〉の守護する、相互不干渉を結んだ、とりわけ特殊な不可侵領域に。

「……ああ。落ちちゃったみたいだな。災害級指定の〈終わりを呼ぶ怪異エンド・オブ・アウトサイダー〉が」

 大陸をひとつ滅ぼせる、とんでもない爆弾を落として、三人は途方に暮れるのであった。


    *    *    *


 もちろん、このまま無罪放免というわけにはいかないのが組織というのもの。

 三人は帰投後すぐに呼び出され、次の任務を言い渡された。

 つまり、落とした〈箱〉を再び回収するため、大和と相互不干渉を結んでいる学院特区に身分を偽り潜入。

 学生として振る舞ってもおかしくない年齢のお前たちには適任だろう、とのこと。

 しかし、三人が同時に転校生として、という話は違和感がある。

 学院特区には特務機関の影響力が届かない。送りこめるのは、ひとり。

 宗教的な理由により〈異能タレント〉を特別視するシャーマニズムが根強い場所にウィッチのような魔術を主とする人間が潜り込んだ場合、もし素性がバレた時に言い逃れが出来ない。下手をすれば〈最初からいなかった〉として処理されるだろう。

 同じような理由で、銃火器を扱うビショップも難しい。

 従い、異能を持ち、単独で怪異と相対できる者となると、ルークしかいない。

 書類に眼を通しながら、今度は車での移動になるので準備を始めていく。

「……なるほどな。了解した。では俺に任せておけ――待ておい女学院って書いてあるぞどういうことだ」

「大丈夫よルーク! 元・女学院だから! 今は共学よ! 男はあなたひとりだけどね!」

 言い残し、嬉々とした様子で車に乗り込むウィッチ。

 呆然と視線を虚空に投げるルークの肩に、ビショップが手をおいた。

「……変わります? 君、たしか女性が苦手でしたよね」

「いや、いい。気を使わせて済まない。二週間の我慢だ……」

「その間、持てばいいですけど。注意してくださいね。リーダーの君がいなければ、ボク達は解散です」

「理解してるよ。お前も資材の運搬と手続きのほう、よろしくな」

 ビショップが横を通り過ぎる。端正な横顔だが、男にしては背が小さく、線が細すぎる。

 その頼りない手に、ルークは己の武器、日本刀を預けた。

「その〈眼〉もです。あまり過信すると、痛い目を見ますからね」

「探すだけなら問題ない。落下予想地点と、もし覚醒していた場合の対処は?」

「場所は道すがら。もし目覚めていた場合は〈討伐〉とのことです」

「……了解した」

 ルークは黒髪黒瞳。だがその左眼だけが琥珀の色を湛えた虹彩異色症オッドアイ

 曰く、それは異界と繋がる神の眼ーーこの世において、彼のみが〈怪異ネクロ〉と共存する人間である。

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