第3話 居酒屋にて

 大宮の居酒屋なのに、浦和民の柴崎がいた。

 柴崎は大谷の姿を見つけると派手に手招きをした。

「ちょっと大谷さん! 通り抜けて行かないでよ」

(やな奴に会ったなあ……)

 なぜ浦和民が我がもの顔でいるのか。ここは大宮だぞ。それでも大谷は手招きされるまま柴崎の隣に腰かけた。

「どうも柴崎さん。だいぶ出来上がってますね」

「俺たちは朝が早いから夜も早いの。それより例の大古里の発掘調査」

「ああ、あれね。何とかなると思いますよ。今までだって、見てみぬふりして埋めちゃったケースがあったみたいですし、そのまま上をコンクリで固めちゃってくれれば」

 ちょっとした沈黙のあと、柴崎が言った。

「黙って埋めちゃえって、酷くないすか。だって俺たちの、浦和の文化財じゃん」

「でも、柴崎さん達としては、出来れば見なかった事にしたいですよね?」

 予算が潤沢にあった時なら、発掘調査に掛かるカネは市や県が全部出した。だが今は、よほど貴重な文化財でない限り、おおむね地権者の負担という事に条例上はなっている。

 今回の場合は地権者である柴崎組が負担するのだ。だがこの辺は案外阿吽の呼吸だった。場合によっては市が全額負担するケースもある。予算があればだが。

「俺としては、調査をちゃんとやって欲しい。埼玉大学の教授とか呼んで。手早く。そして費用はソッチ持ちで」

「でも予算が……」

「あのさあ、大宮出身の市長になってから、浦和って虐げられてるよね。大宮にばっかり予算付けて浦和は後回しじゃん」

「なんですと」

 大谷の頭の奥でスイッチが入った。

「浦和民は何で我慢出来ないんですか。我ら大宮は合併直後からずっと予算的に虐げられてきていたわけで、やっと大宮出身の市長が何代か続いてくれて、長く続いた不公平を解消してくれたばかりなんですよ」

 大谷はいつもより雄弁になった。身勝手な浦和に対する鬱憤は溜まりに溜まっている。大宮にだって合併後からずっと虐げられていた恨みがあるんだ。

 はじめにやついていた柴崎が次第に真顔になる。(あ、怒ったかな)と思ったが大谷は自分を止められなかった。

「浦和の歴史なんて」

 今だ。思っていた事を言ってしまえ。

「大宮の歴史に比べたら鼻くそみたいなもんです」

「なんだと」

 柴崎が派手な音を立ててグラスを置いた。

「こっちは北の鎌倉だぞ。文教都市なんだぞ」

 それを聞いた途端に大谷は失笑してしまった。

「それ、鎌倉の人に面と向かって言えますか? 誰がそう認めたんでしょう。ただ単に、自分たちで言ってるだけでしょう。それに比べて私たちは武蔵一之宮の氷川神社という現物があるんです。それに竜神伝説があります。大宮は太古の昔から自然神の住みかだったんですよ」

「だから何だよ。見沼のゆるきゃら・竜神ヌウってか? あほらしい」

「依り代って知ってますか? 浦和に古来からの依り代あるんですか? 我々の方は、氷川神社に神聖な湧き水があるんです。大宮民はみな氷川さんを拝む事で神聖な湧き水を拝んでいるんです。我々には古代からの血と伝統が脈々と続いてるんです」

 氷川神社は出雲からの移住で氷川は出雲の斐川の事だという通説があったが、最近は否定されている。氷川神社の境内から縄文時代の祭祀の跡と思われる馬蹄形の遺跡が見つかった。氷川神社には大きな神池があるが、その池に水を灌ぐ湧き水がある。今ではそれこそが氷川神社の原点だと言われている。

「つまり我々大宮民の祖先は太古の昔からここに住んでいる縄文人なんですよ」

 大谷の携帯が突然鳴った。柴崎を睨みつけながら二つ折り携帯を開き、耳に当てる。残業中の浦野からだった。

「もしもし、大谷さんが喜びそうな話がたった今埼玉大から入ってきたんですけど」

「何だ、言ってみろよ」

「だいぶ前に、巻いたまま腐った古文書をコンピュータで解析してもらう依頼をしたじゃないですか」

「ああ、あれか」

 浦和の調(つき)神社の倉庫の奥から出てきた腐った木箱の中に巻物が入っていた。

 一昔前なら、開いたら崩れ落ちるような巻物を分析することは不可能に近かった。しかし、最近の技術革新で、開かずとも中の文字をスキャン・解析し、PC内でデータを組み立てて本物そっくりの巻紙を作り出し、それを開いて中を読めるようにしたのだった。

 埼玉大学は一昨年に考古学教室持ちでその解析器を買っていた。今回の巻紙解析は、さいたま市埋蔵文化財保護課として正式に解読を依頼したものである。

「で、何だって?」

「古文書の中に、つきのみやの事が書いてあったそうなんですが……」

 つきのみやというのは調神社の俗称である。月の宮とも書くから神社のシンボルがウサギになっているとも。だが調神社は古代の税である祖・傭・調のうちの調を集める屯倉(みやけ)が元々の姿だったという意見が勝っていた。

「結論から言うと、調神社はやはり調(しらべ)氏、つまり渡来系氏族が祀る神社でした。新羅から王と民が浦和に移住してきて、屯倉を建てて蝦夷を平(たいら)げたと書いてありました。大谷さん、我々浦和民は、渡来人の末裔だったんですよ」

 大谷は音を立てて立ち上がった。こちらを見つめる柴崎を見つめ返しながら大きく息を吸った。

 縄文人だから優先権があるとか、渡来だから日本人じゃないとか、そういう話ではない。浦和と大宮が合わないのは人種が違うからで、それはたぶん古代からの事だったのだ。大宮は土着の縄文人のコミュニティー。つまりアイヌのように丸木舟を操り、遠くまで渡って交易してしまう交易と狩猟の民、海の民である。対して浦和民は大陸文化を持って少し後からやってきた、農業の民・陸地の民、つまり山の民というわけだ。

 電話を終えた大谷は、目の前の柴崎にたった今聞いた事をそのまま伝えた。愛国者な柴崎は酔いが一気に冷めた様子だった。

「まさか……適当な事言ってんじゃねえよ」

 声に力が無い。

「いや、これは適当な事ではないです。浦和に岸町ってありますよね。あの岸の語源が実は吉士(きし)という話は前々からあります。吉士というのは古代の朝鮮半島にあった氏姓の一つで、古代朝鮮語では王を意味するとも言われています」

 大谷の頭に「皇山町」の文字が浮かんだ。あそこも本当に熱心に掘るべきなのかもしれない。渡来の王が土中深くに眠っている可能性はないだろうか。そもそも皇の字や皇帝という概念は大陸からのものなのだ。

「岸町かよ……俺んちは昔から岸町に住んでるよ」

「ほらね。こうして考古学をやってみると面白いでしょう?」

「でも、渡来って言っても大昔の話なんだろう? 俺は正真正銘の日本人だよな?」

「いやあ、おそらく浦和は古くから渡来民の住む場所で、時代が移って色々な人が流れ着いても、根本のところはやっぱり渡来系なんだと思います。浦和が住みやすい、浦和に親和性がある、同じような大陸系の視野の民が集まってくるんですよね」

「大陸系かぁ……ショックだ」

 大宮民としては、浦和民が茹でた青菜のように凹む様子がなかなかに愉快だった。 大谷は笑いをこらえて必死で真面目な顔を作った。

「がっかりする事はありません。そもそも日本は、日本こそが、人種のるつぼなんですよ。ほとんどが渡来と思っていいのでは」

「えっ? どういう事だよ」

 大谷は持ち歩いているノートを広げ、日本列島の絵を描いた。そして大まかな海流を付け足してゆく。

「日本というのは昔から何種類もの海流が通って行く場所にあったんです。つまりいろんな処からいろんな物が流れ着く国だったわけで、船も同じです。日本人のルーツは、一番早くこの列島に到着した民族、という事ではないかとも一部で言われてます。日本人は単一民族なんて大嘘ですよ。日本はアメリカやEUなんかよりずっと巧く行っている移民の国、移民先進国なんです」

 二人の脳裏に大古里で出土した大きな船の姿が浮かんだ。あれを丁寧に掘ったら、また何かわかるかもしれない。斜め上を見つめながら柴崎の目がキラキラと輝いた。

「おもしれえなあ。おもしれえ……」

「そういや柴崎さん、前々から気になってたんですが、旧大宮市で建築作業中に何か掘り当ててないですか? 最近、とんと連絡が無いんですが……埼玉変えよう会の首領(ドン)としてどう思いますか」

「いや、俺は聞いてないし、基本的には大宮地区の仕事は大宮の土建屋がやってると思うけどなあ」

「……となると、獅子身中の虫か」

「何が」

「いや、私は大宮民に裏切られているかもしれないという事です。大宮の土建屋さんは、大宮で何か出土しても面倒くさいから埋めてしまってるんじゃないでしょうかね。だとしたら同じ大宮民としてそれは許せない」

「大宮支部の奴らに聞いてみる」

 少し心当たりがあるらしく、柴崎の顔色が曇る。

「何せ俺たち土建業は、考古学の天敵みたいなもんだからなあ。出土の連絡を役所にすると、色々面倒くさいんだよね。特に最近は予算が無いっていうんで、問答無用で全部こっち持ちな事が多いし」

 オリンピックのせいだ。エコ五輪だ、節約五輪だと言っても、シワ寄せは必ず民間に来る。それが行政の仕事なのか。

「気持ちは分からないでもないですけど、でも、発掘調査があるから我々はルーツを探る事が出来るんですよ。もっときちんと調査すれば、今回の結果がひっくり返るかもしれない。我々は太古の歴史を後世に伝えるために、ここで歯を食いしばって頑張らなければならないんです」

「いやあ、発掘調査の面白さは今晩マジで身に沁みたよ」

「明日もう一度、船を見に行きましょう」

「でも、あれを調べる予算は結局どうするんだろう」

「うーん……」

 柴崎がレシートをつかんで立ち上がった。

「いいよ。ここは俺が出す。そして俺にいい考えがある」

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