第2話 残された遺恨
出土の現場は大古里地区から北側に外れた低地だった。大宮との境目近くである。到着すると、そこに知った顔が立っていた。土木建築業者の柴崎健だ。
柴崎は埼玉県内で大規模な土木建設会社を営む社長で、浦野の飲み友達でもある。 彼の会社も住居も浦和にあるという正統な浦和民だ。浦野と大谷は、浦和にある居酒屋「力(りき)」で柴崎と知り合ったらしい。「力」は浦和レッズファンのメッカであり、柴崎と浦野は浦和レッズの熱狂的ファンという事ですぐに打ち解けたのであった。
「よー、浦ちゃん。遅せーよ」
柴崎が咥え煙草を落として地下足袋で踏み、火を消した。感心なのは、それを自分で拾って携帯灰皿に放り込んだ事だった。浦野によると小さな娘と息子がいるらしい。
「これなんだけどさあ。見てよ」
柴崎が指さす方を見て、二人は息を呑んだ。
「いや、これは凄いですね。確かに丸木舟じゃないです」
何枚かの木を組み合わせて作ったらしき舟だ。海の底に沈んだまま土砂が堆積したのか、少し覗いている木肌は状態が良さそうだった。
「困るんだよなあ」
柴崎はねじり鉢巻きを避けるようにして頭をがりがり掻いた。
「これさあ、調査に何日掛かるわけ?」
この出土物は周辺も含めて丁寧に発掘したいところだが予算はない。大谷は言葉尻を捉えられないよう慎重になった。
「いやあ、間が悪いですね。今ちょうどオリンピックに向けて予算と人員を傾けておりまして……これだけ立派なものでしたら、すぐにでも本格的な調査に乗り出したいところなんですが……」
「それじゃマジ困るんだよねえ。俺たちだってさあ、機材はリースだし、作業員にも日当を出さないわけにいかないし。慈善事業やってるわけじゃないからなあ」
出土物調査費用は、決まりでは地権者が出す事になっている。この土地の場合は柴崎建設株式会社だ。だがこのような決まりは近年ではうやむやになっている。みんなとにかく余分なカネが無い。無い袖は振れないのだ。
「俺らの都合も斟酌してくださいよね。俺ら、工事も何も出来ないと困るから」
ほとんど原野状態のこの土地を安く買い、整地をし、来月あたりに県が「ここに選手村を建てる」と言い出して買ってくれるまでの話がついている……そんな官民癒着な事を清々しく言ってのける事に大谷は驚いた。公開入札制度なんて有ってないようなものだ。
帰りの車の中で浦野に確認する。
「あの若いのは、『埼玉変えよう会』の代表なんだっけ」
「埼玉変えよう会」というのは、その昔埼玉県にあった土建業談合団体「埼玉土曜会」をもじって作られた新たな談合団体だった。無論、公開入札制度を円滑かつ有益にズルするための談合団体である。
昔はそんな団体がマスコミの俎上に上がったら、後は叩き潰されるのみだった。だが近年は、まず政府が不正の温床ときている。その下部組織ともいえる地方自治団体は推して知るべしな状況であるのだ。
日本は本当に滅亡するかもしれない……大谷は近年その思いを強くしている。政府が出鱈目な国は残らない。歴史が証明しているではないか。
「若いですけど、彼は埼玉県の土建業業団体の元締めをやっているんですよ」
浦野はちらっと大谷の方を見た。
「だからこそ僕は、彼と付き合ってるんですよ。おかげさまで、何かが見つかったらすぐ連絡をくれるようになりました」
「大宮の出土物も連絡くれてるのかなあ」
最近ちょっと少ないのだ。宅地開発やら大規模商業施設やら、大宮でもあちこちで地面を掘り起こしている。だが柴崎からは何も連絡が無い。
「疑るわけじゃないけど、ホラ、総元締めの柴崎さんは浦和民だろう」
「それ、十分疑ってますから」
浦野に言われて、大谷は黙り込んだ。
市役所に戻って書類を広げ、自由に使える予算を再確認する。やっぱり少ない。
突然出土したモノに対して臨機応変に対応するために、ある程度のカネは銀行にプールしてある。このカネは年度末までに使い切らないと翌年の予算が削られてしまう。だからと言ってまだ四月の今に使い込んでしまったら、今度は足りなくなるかもしれない。その辺の匙加減は、彼ら役人の最重要任務だった。
だが、どのみち口座にあるカネでは本格調査の費用には足りない。せいぜい周辺数メートルを地下一メートル分掘るくらいしか出来ないだろう。
(予算かぁ……潤沢に予算があればなあ……)
好き放題発掘調査をしたい。せめて予測のつかない出費に対応出来る予算編成だったらいいのに。毎年のように三月まで様子見で節約をして、これ以上は出土しても翌年度回しだろうという段階になってから予算消化をするその繰り返しが嫌だ。
教育委員会の部屋ではいつもNHKがつけっぱなしになっていて、ちょうどさいたま支局からの中継放送になっていた。さいたま五輪を宣伝している。
テレビは浦和駅の乗降客に対して「夢! さいたま五輪!」の文字が入ったスポーツドリンクを配っている様子を映していた。一日の乗降客分九万本分のドリンクとさいたま五輪マークの入ったハンカチを用意したという。
「馬鹿か」
大谷は思わず大声を出してしまった。そんなものに使うカネがあったら、大宮の奥地にある古びた神社仏閣の説明書きを作り替えたらどうだ! 野ざらしで読めなくなったものが何十枚直せると思ってんだ! この間抜けどもが!
と思うのだ。誰にも言わないけど。
旧浦和市内にある市役所内、アウェイ感一杯の大谷はおとなしい。反対に浦野が大宮地区に来るとやはりおとなしくなる。二人は冗談で「結界だ」と言い合うが、本当にそんなものがあるのかもしれない。
タイムカードを押した後、大谷はJR浦和駅に向かった。電車に乗って大宮で降り、東口に出た。
知らぬ間に大谷は鼻歌を歌っていた。東口の昭和の北関東っぽい雰囲気、猥雑な雰囲気が好きなのだ。
そうだ。大宮は猥雑を大らかに見過ごす街、浦和は猥雑に眉をひそめる街。そんなイメージがなぜかある。
大宮駅周辺ではあまり「さいたま五輪」の文字が目に入って来なかった。浦和では街灯に垂れ幕が下がっていたのに、同じさいたま市でも盛り上がり方が全然違う。
こうして観察しながら歩いてゆくと、大宮と浦和の違いがよく分かる。浦和の方が都会的でおしゃれで冷たくて、大宮の方が田舎臭くてあけっぴろげであったかい。そして大宮は入れ墨率が高い。それもシールのタトゥーではなく本物の入れ墨だ。だが浦和では入れ墨を見た事が無い。
(興味深い現象だよなあ……)
大宮には昔からヤクザとテキ屋が多いと言われてはいるが、最近のテキ屋は地方からやってくる者ばかりだとも聞く。だが彼らの入れ墨はヤクザとは関係ないようにも見える。そう、大宮は入れ墨が生活に溶け込んでいる街なのだった。
目の端に大衆酒場の看板が見えた。著名な店だ。いつもだったらノータイムでそこに吸い込まれて行くのだが、今日は大宮の「力」に行こうと決めている。駅前の横断歩道を渡って左に曲がった。
「力」という居酒屋は節操がない。浦和の「力」は浦和レッズを熱狂的に応援する。大宮の「力」はアルティ―ジャ大宮を熱烈に応援している。
これを知った時、浦和民の浦野はたいそう驚いていた。なぜなら「力」は公式応援店としてずっと浦和レッズと共にあったからだ。そもそも大宮に遊びに来ない浦野は、「力」が大宮にもあるという事すら知らなかった。
「二股かけられてた」と彼は憤慨したが、言いえて妙だと大谷は思った。大宮浦和のどちらにもいい顔をする、それは二股だ。決して許される事ではない。
さいたま市は政令指定都市として二〇〇一年にスタートした。二強の浦和・大宮と、おまけの与野・岩槻が合併して心を一つにしようとした。
ところが試みはスタート前から暗雲立ち込めていた。まず新庁舎をどこに建てるかで揉めた。浦和側は旧浦和市役所が良いと言った。「すぐ近くに県庁もあって利便性が良い」と言うのが理由だった。
だが大宮側は「それでは市の中心が浦和地区になってしまう」と警戒した。浦和側は約束した。
「分かった。もう日が無いから取りあえず仮庁舎という事にして、浦和市役所をさいたま市役所として登録しよう」
あくまで仮と言う話だったのだ。いわばなし崩しというわけだ。大宮としては到底納得が行かない。だが浦和はそんな事はすっかり忘れているのであった。
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