浦和vs.大宮
持明院冴子
第1話 さいたま五輪
1
さいたま市役所は悲願だったオリンピックの開催決定に沸き立っていた。
喧噪からぽつんと取り残されていた部署である埋蔵文化財保護課も、一本の電話にいきなり沸き立った。
「市内で凄いのが出たそうです! 超ド級の出土物!」
受話器を置いて、ただでさえ声の大きな浦野二郎が、興奮を抑えられない様子だった。前かがみに身を乗り出した白いワイシャツの首からレジメンタルタイがたらんと垂れている。何度言ってもネクタイピンをしてこないのだ。
デスクで新聞を広げていた大谷太郎はごみを落とすみたいに縦に振りながら新聞を畳み、老眼鏡を外してメガネ拭きでこすった。
「落ち着きなさいよ。まず現地に行ってみないと分からないよ」
「でも、大型の船らしいんですよ」
「ほう」
大谷は改めて浦野を見た。
「丸木舟か?」
「いや、明らかに違うようです。木をくりぬいて作った感じじゃないと、向こうも言ってます」
大谷太郎と浦野二郎。二人とも教育委員会埋蔵文化財保護課のヒラ職員である。浦野は浦和生まれの浦和育ち。人員不足で戸籍課からこの春異動してきた二十代でいわゆる浦和民(うらわみん)である。
一方の大谷は旧大宮市の生まれで、旧大宮市の中学の社会科教師から教頭、校長を経て定年退職後に教育委員会に入ってきた七十超えの大宮民(おおみやみん)なのであった。
「出た場所はどこだ」
大谷も浦野も歴史が好きで、双方とも個人的に郷土史研究会に入っている。もちろん、大宮民の大谷は大宮郷土史研究会、浦和民の浦野は浦和郷土史研究会だ。
「北浦和の大古里(おぶさと)地区です」
大谷は急に渋い顔になった。
「あー。あそこか。どうせ新しい時代の遺跡だろ」
彼らの言う「新しい」は縄文時代後期以降である。それ以前、出来れば旧石器時代というのが二人の欲しい出土物だった。より古い方がより偉い。浦和民も大宮民も、自分の街の優越性のためには「相手より古いやつ」が欲しいのである。もしくは「こんなモノ見た事無い」というようなダントツに素晴らしいものか。
「大谷さん、たった今俺に対して、見なきゃわからないって言ったじゃないですか」
「いやぁ、あの辺りは、あらかた発掘しつくしただろう。浦和だしなぁ……」
浦野はパソコンの電源を落としながら立ち上がった。
「そんなに遠くないですし、これから現地を見に行ってみましょう」
「見るのはいいが、これ以上の予算はつかないよ」
「分かってますよ」
普段の浦野と大谷は年齢の違いを超えて仲良く仕事をしている。だがそれはせいぜい書類の整理までだ。いざ遺跡の発掘となると毎回予算と優先順位、人員配分の事で言い争いをしてしまうのだった。
今年は特に予算の点で厳しかった。オリンピックのせいである。国威発揚行事のためにさいたま市の文化事業予算が全部吸い取られてしまいそうだ。
遺跡発掘のように大事な分野が割を食うのは納得が行かないが、予算増減の決定権は教育委員会埋蔵文化保護課には無い。
大幅に減額された予算を巡り、浦野は浦和地区の発掘に予算を注いで欲しいと思っているし、大谷は大宮こそと考えていた。予算が潤沢にあればこんな喧嘩をしないで済むのだが、無い袖は振れないから工夫して調整するしか方法がない。
二人は「さいたま市」の字が入った白い電気自動車に乗った。いつも通り浦野の運転で、大谷は助手席で腕を組んで渋面を作った。
早速浦野の貧乏ゆすりが始まる。運転中の彼は案外荒いのだ。
浦和の県道は信号がやたら多い。大宮の三倍はありそうだ。無駄な信号にかかる予算こそ大宮の史跡の整備に使ってくれたらいいのに、といつも思う。
「なあ浦野君。大古里地区は昨年も発掘調査しただろうよ。それよりも、十年来後回しになっている東大宮のあそこの発掘調査が先と思うよ俺は」
「あんな処、何も出てこないんじゃないですか? 比べてこっちは土建屋さんが現物をもうすでに掘り当てているんですよ」
「いや、何も出てこないというのは大宮を良く知らない奴の偏見だよ。大宮ってのはなあ、旧石器時代から大いに栄えてたはずなんだ。特に見沼地区な。ああいう高台かつ水際ってのは……」
「いやいや、浦和だって良いモノが色々出てますよ。それに浦和皇山地区だって、いつまで経っても本格的な発掘が出来ないでいますよね」
そこに何かがあるはずだというのが浦和民である浦野の意見だった。だが大宮民である大谷は一笑に付している。
「またあそこの話か。大したもんは出てないだろ」
皇山町地区は今までに二回ほど発掘調査をしていたが、弥生時代前期、縄文時代後期の土器の破片などが出ている。指定文化財にならない程度の出土物だった。浦野の不満は、非常に狭い範囲で慌ただしい発掘だった事なのである。丁寧に深く掘ればまだ何か出てくるというのが彼の主張だった。
皇山町の辺りは十分な発掘調査を経ずに宅地開発してしまい、浦野がこの仕事に就いた時にはとっくに家が建っていた。今出来るのは、皇山町地区で家の建て替えをする時に施主の了解を得て、一日~数日間の発掘調査をさせていただくという、それだけなのである。
「だって大谷さん。皇山なんていう地名、怪しいでしょう。妙な地形と言い、あそこには何かありますって。知られざる古代王国の王の何かが……」
「埼玉市地名の由来辞典には、皇山町は昭和五十七年の住居表示施行でできた町名である、と書いてあっただろ」
「いや違いますよ。それ以前から皇山(おうやま)という地名があったんです。それに結局、なぜ皇の字が地名にわざわざ使われていたのかは謎のままじゃないですか」
「どうせ明治維新の時にでも適当につけたんだろうよ。それか当て字のどちらかだ」
適当に使うわけがない、というのが浦野の意見だった。明治期の日本人が、「天皇」の「皇」の字を好き勝手に使うわけがない。そこには必ず理由があるはずだ。
浦野は「浦和には何かある」と信じている。古代史をひっくり返すような何かが。
大谷は大谷で「浦和なんかには何もなくて大宮には何かある」と信じている。
大宮と言っても駅周辺ではない。あの辺は電車が通った事により新しく栄えた場所だ。電車が来てからの街の姿は古代とはまるで関係ない。本当の大宮は、氷川神社と古岩槻道の間にある。そう、見沼の竜神伝説の残っているあたりだ。
「……でも、どうして浦和と大宮って親和性がないんでしょうね。昔からずっとそうですよね」
信号待ちになって、浦野が思いを吐き出した。
「街のカラーが違い過ぎるからですかね」
大谷が腕組みを解いた。
「街のカラーって何だよ。結局お前も漠然と、大宮は労働者の街で浦和は文教の街とか思ってるクチなのか」
「いや、なんていうか、そんな浅い分断じゃない気がするんです」
浦和だって大宮だって、よそから人が越してきて膨れ上がって、昔からの人より新しく来た人の方が多くなっているはずだ。それなのにどうしてこうも、決して気持ちが一つにならないのだろう。
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