コスズ視点1

今日の記事はノリにノッた。私は何もなければ毎日ブログを投稿する。


お散歩の時間だと思い込んでいたタロウは、元気良く普段の道を、私が早歩きになるぐらいに先導していたのに、いつもと反対の道に行くなり、まるでブレーキをかけたかのように重くなり、来た道を戻ろうとした。少し強めにリードを引っ張ってやると、少し不満げな表情をしながら着いてきた。

どんどん進んでいくと私の顔を見上げる回数が増えていく。その時の不安な表情たるや。そして動物病院に向かっていると気付いた瞬間に、その場に座り込んでしまった。私は心を鬼にしてリードを引っ張ったのだけれど、必死に動くまいと対抗するから、気付けばタロウの顔は首輪に引っ張られて、つぶれたクリームパンみたいになっていた。

かわいい。速攻で【スマホ】で写真を撮り、今日のブログの記事にした次第である。


パーセプションが普及された世の中、ブログやSNSのつぶやきというものは、本人の体験そのものを配信し、配信されたものを受け取り、疑似体験する―

まぁ難しいことはよく分からないけれど、そんな感じのものがほとんどである。

けれど私のブログは、そのような受け取った人の誰しもが体験できるようなものでなく、【文章】を投稿している。要するに、昔ながら、である。

その昔ながらの手法で、ブログの記事やSNSを楽しむ人間も少なからず居るようで、ノリにノッた記事は1時間もしない内に閲覧数が5000を超えた。果たして、その数が多いのか少ないのか。パーセプションで調べれば分かるのだろうけれど、私はパーセプションを装着していない。正しくは、装着できない。

何年か前にパーセプションを買えない人間にも無償で与えてくれるという国からの粋な計らい(?)があり、例に漏れず私も型落ち品が送られてきた。嬉々として装着し、さっそく思考したのだけれど、その直後にめまいを起こし、吐き気まで催した。

通常なら思考した事の検索結果などが出るらしいけれど、私に見えたものは、ノイズ交じりの文字化けしたものだけだった。その日は体調が悪かったのだと、自分に言い聞かせパーセプションを外して過ごした。けれど別の日に試してみても結局のところ、結果は同じだった。どうにか出来ないかと思い、友人に頼み、友人のパーセプションを借りてもダメだった。

お医者さんに相談してみようとしたところで、何科に行けばいいか分からず、私はパーセプションをつけることを断念した。


そしてそのパーセプションは、うちの柴犬、タロウの首輪代わりとなっていたりするのであった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る