ソラ視点4
“1万時間の法則”という言葉がある。
何事においてもプロレベルまで習熟するのは1万時間かかるという非常にざっくりしたものの例えだ。なぜ1万時間かといえば、習熟するためには何事も3年を要し、一日に費やせる時間を8時間とした時に毎日行ったとして大体1万時間になるからだそうだ。
この言説がなんとなく説得力をもっていたのは今となっては過去の話だが、それでもその時代の考え方を理解する上では分かりやすい。
過去にはなにかを習熟するためには1万時間かかると言われていた。
コトハはその話を聞いた時に「まじかー。昔の人、効率悪かったんだね」と言った。
私も概ね同じ感想をもった。
パーセプションを手に入れた人類の以前と以後をあえて比較するなら、この“効率”という基準において歴然とした差が見られる。
それはインターネットが発達する前と後の人類を比較することと相似的だ。
パーセプションはインターネットを文字通り“身近”にした技術だ。
それは生活そのものを変えるほど革新的なものであったのは確かだ。
「まあ、無いと死ぬって程ではないけどさ、改めて話題に上げるのが今更に思える程度には当たり前だよね」というのがコトハの言だ。
そう、今や“当たり前”となってしまったパーセプション、その普及率は国内だけで9割を超える。
日常的なデバイスとして考えると例として過去にはスマートフォンやPHSと呼ばれる携帯端末機器があった。
これの普及率は2010年代初頭の時点で100%を超えたが、単純に比較するには注釈が必要だ。
なぜならパーセプションは端末の構造上――首に装着するという性質上、基本的には一個人につき一つだからだ。二台持ちや三台持ちなど複数所有がざらであった携帯端末機器とは統計方法が異なる。もちろん現在その他補助機能をもつウェアラブル端末もあるが、それはパーセプションの普及とはまた別軸の話である。
なにが言いたいかと言えば、パーセプションの普及率が9割超えているというデータは大まかにいえば1人1人個々人への普及率と考えてよいということである。
逆を言えばパーセプションがあって当然の環境で生まれた私にとって“どれだけの人がパーセプションを使っているか”という統計は“パーセプションを使用していない人がどれだけいるか”という数字上でしか知ることのない事実である。
環境が変われば常識も変わり、法律も変わる。
人権を考える上で重要な“最低限度の生活”の中にパーセプションを使用することが含まれることもそう時間はかからなかった。
社会はパーセプションを前提にデザインされつつあり、それを欠くことは社会に新たなる障害を作り出すことである。
風潮としてそのような論が強まり、実害が生じはじめたことで政府は重い腰を上げて施策を取った。
つまり、自費で買えない、もしくは維持出来ない人々には無償でパーセプションが貸与された。性能は型落ちの型落ちもいいところだけど、ないよりはマシと言える。
話を戻すと、“パーセプションを使っていない人間を数値のみに置いて知ることができる”という話は、それだけパーセプションが生活基盤となっていることの裏返しだ。
私と同世代くらいだとパーセプションがない生活がピンと来ない人が多いと思う。――それは自身がよく使うからということももちろんあるけど、 “パーセプションをもっていない人を見たことがない”という点に尽きる。
例えばそれは多くの人が、右手がない生活、片目がない生活、腎臓がない生活など何らかの欠損に対して、その不便さを列挙することは出来ても、それを実体験ベースで実感することができないのと似ている。
それは細かいディティールの問題で、自身がそうでないからであり、身近にそのような人がいないからである。
さて、それだけパーセプションが発達した現実において、割を食らった層も一定数いる。何事もよいことだらけではない。技術が革新されたことによって、どんな業界も従来のやり方から変化を強いられた。産業は言うまでもなく、ビジネスや福祉だってそう。仕事のやり方から内容から変わるのであれば、そこに従事する人も強制的に向き合い方を変えられるのだ。
もちろん、教育だって例に漏れない。
この長々とした文章が大体どのような結論になるかお察しがついたと思うけれど、これは現役高校生の愚痴なのだ。
パーセプションが発達し、普及した結果、教育において単なる知識の定着はあまり意味をなさないようになった。“思考検索”があるためである。前提とした知識がなければトリガーとして検索が出来ないので暗記自体が否定された訳では無いけれど、置かれる比重は確実に変化した。
例えば国語であれば漢字の書取などは減り、その分論述が増えた。
数学は公式を当てはめるだけで解決できる問題は減り、ひと捻り加えたクイズやパズル要素が強い問題が増えた。
そのようにして勉強というものがある種煩雑化したのである。
つまるところ――
「宿題めんどさ……」
そこに尽きる。
仮想ディスプレイには「縄文時代に発達した土偶は地域によって異なる特徴をもつ。なぜそのような違いがあるのか、“分布”“表現の獲得”“共同体”という単語を用いて3000字以上で説明せよ」という悪い冗談のような文字列が並んでいた。
知るかボケと叫びたくなるのをぐっと我慢して、親の敵のように睨んで考える。
うんうん唸っているうちに眠気に苛まれ始める。夜だからね、仕方ないね。
いやはや、どんなに技術が発達しても使う人間が駄目なら用をなさないのだなあなどと思いながら、うつらうつらする。
そんなほぼ毎日繰り返している不毛なルーティンに我ながらうんざりするけど、出来ないのだから仕方がない。
今日は机に座って考えているだけましだと言えると思います。
宿題を提出しないと例のごとく倍になって返ってきたりするので、今やったほうがいいことが確かなのは分かっている。
分かってはいるけど……ねむ……。
ちなみに毎度これを繰り返してるだけあって、課せられる宿題の量は常人の倍にも上るので成績はあまり悪くない。
けど覚えた端から忘れていくので、ほぼその場しのぎではある。
それにしたって眠い。
いや、眠くない、全然眠くない。
今だって寝てないですし。
寝てない、ねてない、ぜんぜんねてな……。
…………。
「お姉ー?うわっ、白目剥いてる……!」
「ぎゃー」
部屋に入ってきた妹にあらぬところを見られてしまった。
「いや私は別に家族だからいいんだけどさ……。お姉、控えめに言って、さっきの顔、乙女として死んでたよ」
「やめて、言及しないで」
心の方も死んでしまいます。
ソラはちょっと引いている表情から、「まあいつものことか」と呟いて私のベッドに腰掛ける。
え、私いつも白目剥いてるの?やばくない?
怖いので触れずにおく。
「それでコトハ、どうかした?」
部屋に来ること自体は全く珍しくないが、こういう時は用事がある時なのだ。
コトハはにやりと笑って、2本指を立てる。
「良いニュースと良いニュースがあります 」
「……そういうのはどっちかが悪いニュースなのでは」
「1つ目なんだけど、ごめん、お姉が冷蔵庫に入れてたプリン食べちゃった」
「やっぱり悪いニュースだった!」
「いやあ、ごめんごめん。あまりに美味しそうだったから」
「少しは悪びれて」
「かくなる上は切腹を」
「しなくていいから現物で返して」
嘆息する私にえへへと頬をかくソラ。
可愛いじゃないの、許しちゃう。
「それで、もう1つの良いニュースは?」
「聞きたい?聞きたい?」
「やたら食い気味だから聴きたくない」
私がそう言うも、コトハはいたずらっぽい顔でこう尋ねてくるのだった。
「ねえ、お姉、幽霊って興味ある?」
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