トウヤ視点2

 「大丈夫?」

 目の前の少女は再びそんな言葉を紡ぐ。

 頭の上でリボンを揺らしながら、小鳥や小動物を思わせる仕草で疑問符を浮かべる相手に対し、問夜は彼女のそれとよく似た感情を浮かべる。

 「いや、大丈夫っていうか……何が?」

 こんなだだっ広い空間の何処に隠れていたのかは定かでは無いが、どこからとも無く姿を現した相手が、『初めまして』や『こんにちは』などのテンプレート出は無く、唐突に疑問符を投げかけるのだからこちらの方が戸惑って当然と言えるだろう。

 「何がって……さっきからずっと話しかけてるのにおじさんずっとそっぽを向いたままぶつぶつ独り言ばかりなんだもん、大丈夫なの? 頭とか」

 「君は心底失礼なちびっ子だな……そもそもまだおじさんって年齢じゃ――いやそんな事は良いとして、君どこから来た? 親は?」

 色々と突っ込みを入れたい箇所が沢山あるのだが、正直面倒事は避けたかった問夜は辺りを一瞥し、手っ取り早くこの失礼極まり無い子供を製造元へ送り返そうと行動を起こすが、少女が返した答えは少々予定外な物だった。

 「居るよ! でも何処にいるか判らないの、えっへん!」

 「そこ自慢するところじゃねえし……つかな――」

 所属不明の自身を振りかざす彼女に白い目線を投げながら話を聞くと、どうやらこの子供は観光の為船に乗ってこの付近までやって来たものの、一人親からはぐれてしまったらしい。

 傍迷惑な話とは言えこの子が乗ってきた船が見当たらないとなれば、親元に連れて行かないのも大人として少々良識に欠けるだろうと考えた問夜は、とりあえずそんな提案を投げかけ、少女も二つ返事で了承をする。

 「とりあえずお前はぐれるなよ、良いな?」

 「えー……」

 「えーじゃなくて、俺の後ろしっかりついて来いよ、いいな? 何があっても絶対だぞ」

 「……わかった、私頭のおかしいおじさんのストーカーなる……」

 「その言い方は癪に障るな」

 「変人さん! 後ろは任せてよ!」

 「そう言う意味じゃねえ!!」

 とまぁ馬鹿っぽいやり取りをひとしきり行った彼は、とりあえず船の場所を探す事にした、この子が乗っていた船がどんな船かは定かじゃ無いが、話を聞く分には近くに港があるという証拠だろう。

 だったら、いつもの端末を使って最寄りの港を探れば話は済むはずだ。

 そう思った彼は、チョーカーを首にかけると視界の隅で地図情報の検索をかける。

 「とりあえず最寄りの港は――え……?」

 視界に映り込んだ映像を見て思わず声が出てしまう。

 それもその筈だ、得られた情報によると最寄りの港はここから120キロ以上離れた場所にあったのだ。

 「お前本当はどこから来――!?」

 そう言って振り返った刹那、新たに打ち込まれた衝撃に彼は言葉を無くす。

 「何処に……?」

 そう呟く言葉は誰の鼓膜も揺らすこと無く、自分一人になった草原の上で拡散し、付近に見える波しぶきの様にちりぢりになって解けて行くのだった。






 あれから暫くあの場所を探して回ったが、結局少女の姿は見つけられなかった。

 一体どんな事があったのかは定かでは無いが、結果には何かしらの理由が伴う物で、何らかの理由で彼女はあの場所を後にし自分が見ていない間に何の言葉も無く走り去って行った、そんな物だろうと結論づける事にした。

 遊びたい盛りの子供が大人をからかった、結局はそんな程度の問題だと思った彼は、一人揺れ一つ無いまま加速する車内で、四角く切り取られた窓越しに外の景色を伺う。

 辺りの景色は海辺の物から書き換えられ、今は人の営みに最適化された其れへと変化していた。

 そんな町の中、散歩途中の柴犬の姿が目に映る。

 無理矢理首輪を引こうとする飼い主と、その紐の張力に顔面が歪むまで抵抗をしているその一人と一匹の死闘を散歩と呼んで良いのかは定かでは無いが、問夜の目にはそれとは違う別の情報が一際目立っていた。

 「……犬にも付けてやんの」

 一瞬だけ犬の首元で見えた其れは、パーセプションと呼ばれる道具であり、今現在彼が首から提げている端末と全く同じ物だ。

 人の意識をデジタル信号化して読み取り、同時にデジタル情報を人の意識に投影する、俗に思考検索などと呼ばれる機能を主とした情報端末、これのおかげで人の生活は昔では考えられない程豊かになり、同時に便利になった。

 脳裏に思い描くだけ、そんな至極単純な操作性故に誰でも扱え、理論上は犬猫程度の頭脳さえ有れば操作は可能であると耳にしたことはあるが、実際に犬が其れを使っているのを見たのは今回が初めてだ。

 「安かねえし、そもそも使えてる確信もねえのに良くやるな……」

 そんな彼の脳裏には通販サイトの情報が表示され、箇条書きで最新式のパーセプションのスペックと値段が列挙されて行く。

 学生の間じゃチャンバラごっこなどをしても使われる端末ではあるが、それでも気軽に買える道具では無いのだが、其れを犬に付けるとなるとよっぽどの変わり者か犬好きかのどちらなのだろう、少なくとも先程の光景から鑑みるにこの場合は後者であるのは明白だが、それでも一概に『そうだよね』とはなれない理由があった。

 それは、例えパーセプションを使いこなせていたとしても、相手が人間の言葉を扱えない存在で無い以上その効果を飼い主が実感出来ないからだ。

 受け取れる情報量が膨大になったとしても、それを声や筆談でアウトプットする術が無い以上、飼い主との会話は成立せず、成り立つのは飼い主とペットの主従関係の延長だ。

 とはいえ。

 「緩衝材としては使えるのか……?」

 同じ言語を介したやり取りが出来なくとも、それぞれ違う存在の間に共通の存在を挟む事は、ある種のクッションとしての機能は発揮する。

 例えるならば、今現在彼が乗る車両の電子サスペンションだ。

 路面の凹凸とタイヤの真円はどうしても反発する、だがその衝撃が車体に伝わる前に予め地面の凹凸に合わせて車体を上下させれば、その衝撃は消すことが出来る。

 それと同じく、飼い主と飼い犬の間で同じ時間という概念を持たせるだけで、首輪を持った飼い主の姿を見るよりも早く飼い犬は散歩のタイミングを計れる筈だ。

 勿論それは、飼い犬が時間という概念を認識できればという前提条件もとの話ではあるが――

 「認識……」

 地面の凹凸はサスペンションで消せるが、その存在は本当の意味では消すことが出来ない、消すことが出来るのは人の心の中の話だけだ。

 そして、こうして車に乗っている以上は、己は地面の凹凸を認識する事が出来ないと言うこと、つまりそれは――

 「なに哲学的な事考えてんだか」

 ふつふつと膨らみ始めた考えに斜線を引くと、問夜は最寄りのバス停で下りるために席を立つのだった。






 少女の事は未だに気になったが、今更考えてもしょうが無い事である。

 彼は帰宅するや否や汗でべたつく体を洗うため、上着を脱いでパーセプションを取り外す。

 そしてシャワー室に向かいながら思考検索が解除された世界で、一人肌着を脱ぎ、ズボンのベルトを外し、浴室側の扉に向き直ってからズボンを脱ごうとして硬直する。

 「……え?」

 一瞬何が起きてるのか判らなかった、いいや、何が起きているのかは判る。

 問題は何故今の現象が起きたのかその経緯が分らないのだ。

 「……っと……ええ!?」

 何故なら――

 「おじさん大丈夫? それ……セクハラって言うんだよ?」

 どこから表れたのか、今まさに全裸になろうとしていた彼の目の前には、昼間海辺で会った少女が目を丸くして立っていたからだ。

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