第17話 痛み

「なんなの、この状況は……!?」

 台所の異変を感じ取り、フェイデルとトアンクが駆けつけた。そして、手が血みどろのディノスと彼女の足下に散らばる食器の破片、涙に濡れた顔のロミオ、床に仰向けに倒れているエルフの上で意識をなくしたレアティカを見た。二人とも何が起きたのか理解しきれていないらしく、なに、なんなの、と言いつつその場の片付けに取りかかった。

「地雷踏んじまったなぁ」

 エルフは冷ややかに笑い、意識のないレアティカを肩に担ぎ上げた。細身の彼が割と力持ちなことに、ロミオは驚いた。

 地雷、という言葉にすかさず反応を寄越したのはトアンクだった。彼女はエルフの発言で全てを察したようで、大きく足を踏み鳴らして彼に歩み寄ると、「馬鹿エルフ!」と罵った。

 それまで冷ややかに笑い、余裕の態度を崩さなかったエルフだったが、どうやらトアンクには弱いらしい。フェイデルの罵声を聞くか聞かないかのうちに眉を下げ、ばつが悪そうな顔になる。

「…………悪かったと思ってるよ」

「ならちゃんとレアティカが起きるまで付き添ってあげて。それから謝ること、いいわね?」

「へぇい」

 居心地の悪さを紛らわすようにレアティカを担ぎ直し、エルフは台所から去っていった。

 エルフの姿が見えなくなると、トアンクはロミオらの方へ振り返り、困ったように笑った。

「ごめんね、エルフっていつもああなの。でも、皆が嫌がることをわざと言うのも……それは決して本心からじゃないから。素直になれるまでは許してあげて?」

「……度が過ぎるわ」

 フェイデルは、今まで聞いたことのないような不機嫌な声をトアンクに返した。皆から一歩引いた立場で穏やかな微笑みを送ると思っていたフェイデルが、うっすらとではあるが怒っている。そのせいか、先程の発言も吐き捨てるように言ったようにとれた。

「エルフには私から言っておくから。ディノスにもちゃんと謝らせる。……ディノス、ごめんね。あの馬鹿にはちゃんと言って聞かせるから」

 ディノスは頷いた。ただ頷いただけで、何も言わなかった。

 棒のように立ち尽くすディノスの前に、ロミオはしゃがみ込んだ。そしてディノスの、乾いた血がこびりついた両手を握る。

「手当て、しよっか」

「痛くないから」

 ロミオの言葉にやや被せる形で、ディノスは人の言葉を真似するオウムのように淡々と、抑揚のない声を発した。その表情は変わることがない。

 ねえ、とロミオは優しく語りかける。止まりかけていた涙がまた溢れてくる。

「痛みを知ることも、大事だよ。痛みを知らないと、人の悲しみもわからない。貴方がどんなふうに生きてきたのかは知らないけど……ただ戦い続けて、壊れて、忘れ去られる。そんな存在になってほしくはないの」


 この子の痛みを教えたい。普通の子供のように泣いて笑って怒って……思うままに生きてほしい。ロミオは心の底からそう思った。

 今の自分は、この目の前にいる少年少女たちのことどころか、今の自分が置かれている立場すら理解できていない。ただ、エルフをはじめとして、皆が皆自分に心を開いてくれているわけではないので、何かを教える、与える立場にないことは確かだった。

 せめて私も、ディノスと同じ痛みを背負いたい。感じたい。

 突発的で、しかし激しい衝動に駆られたロミオは、ためらうことなく床に残っていた硝子を強く鷲掴みにした。

 当然ながら、鋭利な硝子の破片に切り裂かれた手は血を流し始める。

 右手を針で貫かれるような痛みに晒されながらも、ロミオは二度、三度と強く掴む。

「ちょっとロミオ!?いきなり……」

「いいの。ディノスが痛みを感じない代わりに、私がそれを引き受ける。……何故か、そうしなきゃって思ったの」

 トアンクが止めに入るが、ロミオは首を横に振ってそれを拒んだ。

「いっ……」

 突然、ディノスが怪我をした両手を胸に抱え込むようにして蹲った。驚いて彼女の顔を見てみれば、眉をわずかに寄せ、何かに耐えるように目を閉じている。

 硝子を掴む手を止め、ロミオはディノスを見た。

「……痛いの?」

「…………多分。チクチクして、手が、バラバラになる」

 いたい。もう一度、確かめるように口にしたディノス。その声は微かに震えていた。

「それが痛いってことだよ、ディノス」

 ロミオは、ディノスの両手を優しく握った。握られたディノスの手に、僅かに力がこもったような気がした。

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