第15話 冷たさと虚無の間で

 朝食を終えた後は、片付けとなった。

 食事を作るのはレアティカとフェイデル、そしてその他の三人は片付けと、役割が決まっているようだ。

「じゃ、後は頼むな。ディノス、何か不安なことがあったらすぐ言うんだぞ」

 レアティカがまるで父が我が子に言い聞かせるようにして言ったのに対し、ディノスは無言で頷きを一つ返した。

 フェイデルは憂いの影が落ちる目をそっと伏せた。

「いつも申し訳ないわ。私も手伝……」

 食卓に積み重なった皿を機械的な動きで片付けているディノスのもとへ行こうとしたフェイデルだったが、レアティカがその腕を掴んで止めた。

「いいんだよ、フェイデルはもう十分働いたんだから。エルフ、サボるんじゃないぞ」

 へいへい、と気のない返事をよこしたエルフをひと睨みしたレアティカは、フェイデルを連れて台所から出ていった。


 一番とっつきやすかったレアティカがいなくなったことで心細くなったロミオは、所在なさげに立ち尽くしていた。しかし数秒と経たぬうちに、周りが片付けをしているのだから手伝うのが当然だろうと思い直し、自分も片付けに加わろうとした。

「私も手伝うよ」

 皿の山を抱えてふらついているトアンクのもとへ速足で歩み寄り、その山のうち半分を持った。急に腕の重みが半減したことに気付いたトアンクは、不思議そうに目をぱちくりとした後、ロミオの方を向いて「ありがとう」と笑った。

「でも、ロミオも休んでていいよ?ここに来たばかりだし」

 心配の声を上げるトアンクに、ロミオは明るく笑ってみせた。

「いいの。教会にいた頃も毎日手伝ってたから。逆に何かやらないと落ち着かなくて」

 ロミオの返答に、トアンクはぱあっと花が咲いたような笑顔になった。それは同性のロミオでも無意識にどきりとしたくらい、非常に可愛らしい笑顔だった。

 二人は笑みを交わすと、再び片付けに取りかかった。彼女らを、特にロミオを、面白くなさそうな目で見つめているエルフには気付かなかった。


 皿を全て流し台へ放り込み、汚れも拭き取ったことで、食卓の上は料理が載る前のように綺麗になった。

「洗い物は私一人でやるよ。……あ、その前にどこにどの食器をしまえばいいか教えてもらってもいい?」

 ロミオはまだ神樹孤児院に来て半日も経っていない。しかし彼女の性格上、例え慣れない場所でも自分がやれそうなことを他人任せにはできなかった。

 そんな新米院長の発言は、トアンクを困ったような笑顔にしただけだった。

「一人でやるなんて……大丈夫だよ、私と一緒にやろう?」

 ロミオの両手を取り、胸の前まで持ち上げてにこりと笑うトアンク。これは街にいたらモテること間違いなしだな、とロミオは少々ずれたことを考えていた。

「トアンク、ありが……」

「ちょーっと待った。皿洗いなら俺とディノスがやるぜ」

 トアンクとロミオの繋いでいる手を強引に引き剥がしつつ、二人の間に割って入ったのはエルフである。

 エルフはロミオの持っていた食器をひったくり、流しへ放り込んだ。がちゃん、と陶器がぶつかる嫌な音がした。

 ちょっと、とトアンクが咎める声を上げるがそれも聞こえないのか、エルフは食卓を布巾で拭いていたディノスの腕を引っ張ってきて流し台の前に立たせる。

 ディノスは急に連れてこられて状況が理解できていないのか、やはり表情がないまま硬直してしまった。が、エルフに「皿を洗うんだよ」と促されると、無言のまま皿を取り、洗い始めた。

「トアンクは休んでな」

「ちょ、ちょっと!なんでいつもサボってるエルフが急に……」

 エルフはトアンクの後ろに回るとその背中を押し、台所の外へ押しやろうとした。それに抵抗したトアンクは足を踏ん張って留まろうとするが、それをエルフの優しい微笑が遮る。それは、今までロミオが見てきた彼の笑顔の中にはない、慈愛に満ちた表情だった。

 トアンクはしばらくエルフを見つめていたが、ややあって諦めたようにため息を吐くと、ディノスにばっかりやらせないでね、と言って台所を出ていった。


 トアンクが姿を消すと、エルフはロミオの方に向き直る。そこにはトアンクに向けた微笑みはなく、不自然なほどにこやかな顔があるだけだった。

「院長さんよ、皇帝サマから何か命じられてるならやっとけば?俺らのことは全然、ぜーんぜん気にしなくていいからさ。あんたは自分の好きなことだけやってりゃあ」

「……め、命令?皇帝から命令なんてされてないし、私はまだわからないことだらけで……」

 冷たい。実際の温度の話ではなく、エルフの視線が、だ。口は弧を描いているものの、その目は一切笑っていない。距離を取られているとはっきり感じた瞬間だった。

「じゃ、その辺散歩してなよ。レアティカ辺りなら相手してくれるだろ。逃げたきゃ逃げてもいいぜ」

 ほら、ここは俺とディノスに任せてさ。そう言って、エルフは台所の出口を顎で示した。出ていけ、と言っている。

「……わかった。行くね」

 踵を返す瞬間に見えたエルフは、嘲笑を隠そうともしない。ロミオは、彼のその表情が自分に向けられているのか、それとも別の何かに対して向けられているのかわからなかった。ただその視線は紛れもなくロミオ自身を貫いていて、自分が無関係だとは思えなかった。


 その時。


 ガシャン、と硝子が砕け散る音が台所を支配した。エルフの顔が、舌打ちと共にわかりやすく苛立ちに変わる。

 流し台の前にたたずむディノスは、持っていた硝子の皿を落とした姿勢のまま固まっていた。

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