第10話 迎え人の拒絶

 夜の闇が完全に消え、大地から顔を出した。その時、マーナとロミオは、深い緑が生い茂る森の前まで来ていた。


 樹齢が相当な年数になるような大樹たちが長く太い枝を方々へ広げているその森は、来るものを拒むような拒絶、存在を霧に紛らせるような曖昧さの二つがあった。

 マーナは、ずっと繋いでいた手を放し、ロミオの背中を軽く押した。突然背を押されて、ロミオは軽くよろめく。

 振り返ったロミオに、マーナは淡々と告げた。

「中へ行け。迎えが来る」

「えっ、マーナさんは……」

 振り返りざまに「マーナさんは来ないんですか」と問おうとしたロミオは、マーナによって強引に前を向かされた。

「ここまでだ。先は一人で行け」

 それだけ言うと、マーナはあっという間に走り去ってしまった。彼女のその光速の動作は、鍛え抜かれた歴戦の兵士ですら目で追うことは難しい。故に、一般人であるロミオには、マーナが突然消えたかのように見えた。一つ瞬きをした直後には彼女の姿は遥か遠く。もう追いかけることも、呼び止めることもできない距離まで離れていた。

 仕方なく、ロミオは森の方へ身体を向けると、一歩を踏み出した。


 神樹の森。そこは、外から見ると鬱蒼と葉を茂らせた古木が林立する不気味な森に見えるが、中に入って進んでいくと、だんだんと木の葉は若々しい黄緑色になり、天からの光を遮らんとばかりに伸びていた枝も少なくなり、その隙間から気持ちのよい朝の木漏れ日が注いでくるほどにもなった。


 ただまっすぐに進んでいくロミオ。自分がどこを目指しているのかわからなかった。マーナの言う通り「迎え」が来るまで歩き続けるしかないのだ。

「わ、花だ。綺麗、見たことないや……」

 視線の先、とある若い木の根元に、大輪の花が咲いていた。夜明けの薄闇のような色合いの花弁は、ロミオがこれまで生きてきた中で見たことのないものだった。

 その花の前にしゃがみ込み、触れようとして手を伸ばした。

「おっと、その花には触らない方がいいぜ」

「え?」

 不意に、しゃがむロミオの頭上から声が降ってきた。驚いて顔を上に向けたロミオは、上からのぞき込んでいた少年と視線がかち合った。逆光で細かな表情はよく見えないが、口角が上がっていることから、笑みを浮かべているようだった。

「そいつにゃ毒がある。触れればその部分は麻痺し、使い物にならなくなるのさ。だから触らない方がいい」

「そ、そう……ありがとう」

 とりあえず礼を言ったロミオは、立ち上がって少年に向き直った。

 視線が真っ直ぐになったため、少年の顔があらわになった。

 綺麗な少年だった。睫毛が長く、マーナのようにすらりとした長身の彼は全体的に女性的だが、すっと通った鼻筋、節くれだった手、低い声といった男性らしさも併せ持っている。正直、彼が男なのか女なのか(多分男であるが)ロミオは一瞬判断に迷った。

「俺の顔に見惚れちまったか?やー、俺ってば罪な男」

 まじまじと顔を見られた少年は、ぞっとするほど美しい微笑を浮かべた。彼の微笑みを受けた者は、たとえ悪魔だろうが神だろうがあっさりと陥落してしまいそうだ。その笑みを向けられている当のロミオは、他人事のようにそう思った。

「い、いや、確かに綺麗だけどそうじゃなくて。貴方がマーナさんの言っていた迎えの人?」

 ロミオが問うと、少年は微笑みから一転、ぽかんと口を開けたたいそう間抜けな面になった。

「どうしたの?もしかして迎えの人じゃなかった?ただの通りすがり?」

 もしかして、彼は見知らぬ人間に話しかけられて困惑しているのだろうか。

 不安になったロミオが問えば、我に返ったらしい少年は慌てて口を閉じた。

「…………ああ、いや。そのマーナっていう奴は皇帝の息がかかっている奴だろ?」

「息がかかっているっていうか、部下……だと思う」

「なら、俺はその”迎えの人”になるわけかね」

「そっか!よかった……」

 ひとまず目的は果たせたようである。ロミオはほっと胸を撫でおろす。後は、この少年が事を進めてくれるのだろうか。

 しかし、彼の反応はロミオの予想していたものとは正反対のものだった。

「帰んな」

「え……?」

 少年の言葉は、口ぶりだけならば陽気かつ冗談ともとれるものだった。しかし、彼の表情を見たロミオは、その場に凍りついてしまった。

「俺たちは皇帝のおもちゃじゃねえんだ。帰んな」

 ロミオを、鋭く激しい拒絶の視線が貫いた。そこには、歓迎や幸せなどのようの感情などは一切ない。

 自分は意味も解らぬまま皇帝に身柄を預けられ、言われるままにここまで来た。それなのに、ここで憎悪にも近い冷たさで突き返されるとは。ロミオは混乱した。

「わ、私は何も知らないの。どうやって帰ればいいかもわからない。だから、」

「だから、何?」

 一瞬、強い衝撃がロミオの背面に走った。痛みに目を閉じていたロミオが再び瞼を開くと、少年の冷え切った眼に囚われる。上手く呼吸ができない。どうやら、首を絞められているようである。ついでに、背中に樹のごつごつとした感触も感じる。

「お前も皇帝に言われて来た”管理人”なんだろ?戦争が始まれば、また俺らをぶっ壊れるまで使う……。いつまでもここで大人しくしてると思うなよ」

 恨みのこもった声でそう吐き捨てた少年は、ロミオの首を絞める力を強めた。じわじわと大蛇に絞め殺されるような心地のロミオは、意識が遠のいていくのを止められなかった。

 意識が途切れる寸前に見たのは、少年の激しい怒りに燃えた金の双眸だった。

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