第8話 夜の障害

 昼間は賑やかであろう夜の城下町を抜け、ただ細く伸びる石畳の街道に沿ってしばらく歩いた後、その脇の草原へと進路が変わる。草原といっても草の背はロミオの腰ほどまであり、草むらと言った方が正しい気がする。それをかき分けて進んで行く自分たちは、はたから見れば獣に見えるだろう。

 草は葉脈が縦に伸びていて、葉全体の形も刀身のように鋭利だ。勿論、草原の中に道はない。そこを突っ切って進んで行くわけだから、中腹まで行かないうちに、ロミオの纏った黒い修道女の服、そして露出した裸の足首には細かな傷がいくつもついていた。

「っ…………」

 チリチリと走る痛みに耐えながら歩いていくロミオの足首の傷を、再び葉が切りつけた。思わず「痛い」と声を上げそうになるが、マーナに一言も発するなと言われた手前、黙らなければならない。ロミオは転がり出そうになった言葉を、唇を噛むことで抑えた。

 ロミオは、自分の手を引いてひた歩くマーナの背中に目をやった。黒い外套に覆われているそれは静かで、ふと気を逸らせばそのまま夜の闇に溶け込んでしまいそうなほどに存在感が薄い。いや、わざと薄めているのか。

 皇帝が自分に何をさせたいのかはわからないが、このマーナの武骨だが力強い言葉は信じてもいいと思った。

 不意にマーナが立ち止まる。そして、ゆっくりとロミオの方を振り返った。

「声を上げるなよ」

 はい、と反射的に返事をしそうになり思いとどまったロミオを、マーナは俵担ぎに担ぎ上げた。これに驚いたロミオは、声を上げるなと言われていても悲鳴を上げてしまった。

「すみません……」

「いい、もうしゃべるな」

 マーナの方はこの草原の中で傷つかないのか心配だったが、これ以上口を開くと今度は気絶させられそうな気がしたため、大人しくマーナに身体を預けた。


 マーナは人を担いで歩くのに慣れているのか、担がれているロミオは揺れをほとんど感じなかった。すらりとした長身のマーナは、その外見に反して並みの男よりも筋肉がついているのではないか。ほっそらとしているのに怪力という点では、教会にいたあの子に似ている……。でも、無口なところはあの子……。

 担がれて移動するうちに、ロミオの頭は意思に反して関係ないことを考え始めた。そうして、そのうちに眠りに落ちてしまった。

 すうすうと小さな寝息を立てていることで、マーナは自身の肩の上の少女が眠っていることに気付いた。

 マーナは微かに笑った。それも、マーナ自身のみだけが気付くことのできる表情の変化だが。

 このやけに背の高い草が茂っている草原も、もうすぐ終わりだ。その後はひたすら平坦な道を歩き、森の前にロミオを置いて帰る。マーナは任務を終えて皇帝のもとへ戻るためだけに、ひたすら足を動かした。


 草原の出口に差し掛かった頃、マーナは周囲に人の気配があることに気付く。その気配は、こちらに気付かれまいとしているのか、極力足音を殺して近付いてきている。もっとも、帝国最高位の戦士・四獣の一人であるマーナは既に戦闘準備を整えているため、相手の努力は無駄に終わっているが。

 しかし、このまま背の高い草の中で戦うのは、相手の姿が見えないため不利だ。こちらに害をなすような輩ならば、草原を出た先の平地で動く方がいいだろう。

 そうと決まれば、マーナの行動は稲妻のような素早さだった。

 ロミオを抱え直すと膝を曲げ、天上の月目がけて跳躍した。

 月を背景に、逆光で黒くなったマーナの外套が靡いた。

 宙に留まっているわずかな間に、マーナは地上を見下ろして気配の数を確認する。

「この程度の数……賊か」

 上空から草原の外へ飛ぶマーナを追って五人の男が草の間から出てきた。夜目の利くマーナには、男たちのみすぼらしい服装、バラバラな得物によって、彼らが兵士のように統制の取れていない賊だということがわかった。

 獲物の着地する場所に先回りして、賊共は円を作って待っている。

 マーナは、下卑た笑みを浮かべて待つ賊の円の真ん中に音を立てずに着地した。

「へへ……お姉ちゃんよぉ。ちょっと俺たち、困ってるんだ。なあに、簡単な仕事をしてもらいたいだけさ。その身体をちょっとばかし使ってもらってね……」

 一人が鈍く光る斧をちらつかせながらそう言うと、周りも何がおかしいのか、下品な笑い声を立て始めた。

 マーナは懐から小刀を取り出すと、光速で投げた。常人の目には小さな閃光程度にしか捉えきれぬそれは、一人の賊の喉笛に深々と突き立った。

 突然仲間の笑い声が変なふうに途絶え、残った四人は訝しがった。マーナはさらにもう一本、小刀を今度は賊の額目がけて飛ばした。

「な、何だこのアマ!?」

 断末魔すら上げることなく絶命した仲間を見たことで、ようやく自分たちの狙った獲物が手に負えるものではないとわかったようだ。賊三人は後退しつつも各々の武器を構えた。

 それらを冷ややかに見たマーナは、指の間に小刀を三本挟んだ。

「夜虎の身体を欲しがるとは、随分と強欲な奴らよ。……相応の覚悟はできていような」

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