第6話 氷帝アリシス

 玉座のアリシス皇帝は、青みがかった銀髪をもつ、美しい女性だった。ただ、そこに浮かぶ表情はなく、氷のように冷たい瞳が無機質な視線をロミオに向けていた。女神のような生ける美しさというよりは、彫像のような、完全に息の根の止まった機械的な美しさを女帝は持っていた。

「ロミオ。たった今より、そなたの身柄は私が預かることになった。もうフレール教会に戻ることはない」

 皇帝が言い放った言葉は、雷となってそのままロミオの脳天に大きな衝撃をもたらした。

「えっ……!?それは、どういうことですか」

 思わず立ち上がりかけたが、隣に跪いているシングァンの腕によって引き戻される。

 そんなロミオの態度に、皇帝は気分を害したふうでもなく、ただ淡々と言った。

「そなたは私が長年探し求めていた存在。そなたには、やってもらわねばならぬことがあるのよ」

「私に何ができるというんです、私はただの孤児で、貴族でもなんでもない……」

「口を慎みな」

 皇帝に畳みかけるように発言するロミオを見て、流石にシングァンが口を挟んだ。彼の硬い響きをはらむ言葉に、ロミオは口を閉じた。

 しかし、今度はロミオを咎めたシングァンを、皇帝が手で制した。

「よい。シングァン、そなたはもう下がれ。私はロミオと二人で話がしたい」

「はっ。失礼します」

 シングァンは速やかに退室していった。自分と二人でいた時は、鎖を振り回していたことは別にして気さくな雰囲気を醸し出していた彼が、皇帝を前にした途端に冷え切った眼の兵士になってしまった。皇帝のしもべたちは皆彼のように冷たくなってしまうのだろうか。ロミオは、この場から逃げ去りたい気持ちでいっぱいだった。


「ロミオ・アイヴィ。そなたには、これから神樹しんじゅの森に行ってもらう。勿論護衛はつける。安心するがよい」

 言外に、お前に拒否権はないと告げられたようだ。従うのが当然と考えているのか、頷く気配のないロミオをほったらかして皇帝は話を進めていく。

「神樹の、森……?」

「そうだ。そこには、ある特別な血の一族でなければ扱えないものがある。……マーナ、いるか」

 ふいに、皇帝が天井に向かって声をかけた。すると、驚くことに「ここに」と返事が返ってくる。その声の主は天井裏にずっと控えていたようだ。

 天井の一部分が音もなく開き、そこから飛び降り、猫のように軽やかにロミオの後ろに着地したのは一人の女性。年齢は二十代半ばといったところか。

「”夜虎やこ”のマーナ、参上しました」

 マーナと名乗ったのは、黒い装束を纏った髪の短い女性だった。皇帝は、一瞬彼女に目をやってから、ロミオに視線を戻した。

「ロミオ、お前の護衛につけるのは我が四獣の一人、夜虎のマーナだ。マーナは四獣の中でも特に夜目が効く。出発は夜になるから、それまで休むがよい」

 皇帝は、マーナにロミオを連れて退室するように指示をした。マーナは立ち上がり、いまだに皇帝を凝視しているロミオの腕に手をかけた。

 何か言いたげなロミオの視線は、部屋の外へ通じる扉を閉じたことで、皇帝には届かなくなった。

 玉座の間に一人となった皇帝は、一人虚空を見上げ、口角を上げる。

「ようやく手に入る。あの兵器共が、全て我が物となるのだ……」


 マーナは、ロミオの手を引いて回廊を歩く。その背は静かで、歓迎の空気も拒絶の念も感じられなかった。

 先程の謁見では、皇帝が一方的に話を進めるのみで、理解が全く及ばなかった。こちらへの配慮は何一つない上に、選択すらも与えられない。ロミオはこれから自分がどんな状況下に置かれるのだろうかと不安でいっぱいだった。

 自分で知ろうとしなければ、ここの冷たい人たちは何も教えてはくれないだろう。そう思ったロミオは意を決し、口を開いた。

「あの、マーナさん。私は……これからどうなるんですか。全く状況がわからないのですが……」

「行けばわかる。ただし、受け入れられればの話だがな」

 マーナもまた、口数が多いわけではないらしい。どこに行けば何がわかるのか、何に受け入れられなければならないのか、彼女の言葉からは全く読み取ることができなかった。もっと詳しく説明してもらいたかったが、彼女にこれ以上期待をするのもはばかられて、ロミオはそれ以上詮索するのを止めた。

 しばらく歩き、ある扉の前でマーナは足を止める。そこは、皇帝のいた玉座の間よりも簡素だが、しっかりとした作りの扉だった。

 片手でロミオを捕まえ、もう片方の手で扉を押し開きながら、マーナは言う。

「ここで待て。必要ならば部屋の呼び鈴を鳴らせ」

 視線で入れと言うマーナに、ロミオは軽く頭を下げた。

「は、はい。ありがとうござ…………うあっ!?」

 部屋に一歩足を踏み入れたロミオの首を、突然鋭い痛みが襲った。針で深く差されたような痛みだ。うなじに何かを刺されたようだった。痛み自体はそこまで大きくないものの、身体を動かそうとしても手足が言うことを聞かない。故に、マーナの方を振り返ろうと首に力を込めるが、身体は動かず、そのまま前のめりに倒れてしまう。

 意識を失ったロミオの身体が床につく寸前、その背後から伸びたマーナの腕が、それを抱きとめる。

 ぐったりとしたロミオの身体を抱いたマーナは、静かに扉の向こうへ消えた。

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