第4話 シングァン

「し、シングァン!?あの、帝国最強の”四獣しじゅう”の……」

 どうやら青年の名は黒衣たちにとっては重要な意味をもつらしく、彼らの間に動揺が走ったのがわかった。心なしか、それまで強気に出ていた黒衣たちが恐怖に後退を始めている気がする。

 シングァンと名乗った青年は、いまだ黒衣の首と繋がっている鎖を引いた。すると、鎖は黒衣の首をさらに絞めつけた。そこに巻き込まれていた指は鎖の間に挟まり、切れて血を流した。

「ぐっ……うう…………放せ……!」

 呻き、膝を地面についた黒衣を、シングァンは冷たく見下ろした。

「いいけど、さっさと消えてよ。俺はお前らが攫おうとしていた子に用があるんでね」

 お前らはいつでも殺せるし。そう言って、彼は意外にあっさりと鎖を解いた。解放された黒衣はその場に倒れ込み、苦しげに咳き込んだ。


「怖かっただろ。もう大丈夫だから安心しな」

 もがく黒衣に背を向け、シングァンはロミオに笑顔を見せた。ロミオは、黒衣の一人の首を容赦なく締め上げ、その上に殺すなどと物騒なことを言った彼の笑顔に素直に安心できなかった。故に、一歩シングァンが近付くと、ロミオはその分後退するのだった。

 ロミオの明らかに警戒している顔を見て、シングァンは困ったように眉を八の字にし、軽く両手を振った。

「大丈夫だって。俺は今のやつらとは違う。この鎖だって、君には使わないよ」

 ロミオはそこで、シングァンの背後、彼がのした黒衣が起き上がり大地に手をつけているのを見た。またさっきの蛇を生み出すつもりだ。

 シングァンはそれに気付いていないのか、のんきに鎖をもてあそんでいる。ロミオが背後の存在をシングァンに知らせようと口を開いた瞬間に、土の大蛇は彼の背中目がけて襲いかかった。

「大事な話をしようとしてるのに、水差すんじゃないよ」

 一瞬、白い輝きがロミオの眼前を横切ったかと思うと、ため息を吐くシングァンの背後で黒衣が鎖に再び首を捕らえられていた。

「俺の邪魔をしないでくれるかい」

 感情の一切こもらない声でそう呟いたシングァンは、鎖を先程よりも強く引いた。

 ボキン、と骨の砕ける鈍い音を立て、黒衣はその場に崩れ落ちた。今度はもがき苦しむ気配がない。その黒衣は、首の骨を折られて死んだのだ。その一部始終を見ていたロミオの背筋が、再び恐怖に凍り付く。

 恐怖に駆られたのは黒衣の群れも同じだったようで、ぞろぞろと闇に溶け込むように逃げ去っていった。


 黒衣たちの姿が見えなくなると、ロミオはシングァンをねめつけた。

「どうして、殺したりなんか……。いくら悪い人でも、殺すのはよくないことです」

 ロミオの精一杯の睨みは、人ひとりの命を軽く奪ってみせたシングァンには、そこまで効果はなかった。むしろ、軽蔑するように鼻で嗤われた。

「悪い人の範疇で済まない奴らなんだよ、あいつらは。生かしておけば、真っ先に狙われるのは君自身なんだぜ。……さ、行こうかね」

 我らの皇帝がお待ちだ。そう言って伸ばされた手を、ロミオは拒むことができなかった。

 もしもここで彼の手を振り払いでもしたら、私はあの星のように輝く鎖の餌食になるだろう。死にたくない。その一心で、ロミオはシングァンの手を取った。


 シングァンが指笛を吹くと、どこからともなく葦毛の馬が走ってくる。どうやらそれはシングァンの馬だったようで、彼は自分が先に跨ると、ロミオを馬上へ引っ張り上げた。

「しっかり掴まっててね。そんなに速くは走らないけど」

 シングァンは、軽く舌鼓ぜっこを打つと、足で馬の腹を圧迫した。彼の指示を正しく受け取った馬は、主人の握る手綱が導く方角――エンディル帝国の帝都クルヴィデアへと駈けていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る