第17話


「……んじゃ、お邪魔しましたー」


 院長にもよろしくー。


 そう軽く告げて去っていくエルミスに、ランスは苛立ちを混ぜて殺気を叩き付けた。不快感も、もちろん隠しはしない。

 すると、予想通りエルミスは薄く笑いながら振り返ってきた。

 彼は、以前自称魔王を迎えに来た時からこちらを警戒していた。殺気さえ乗せたら、無視は出来ないだろうと踏んだのだが正解だった様だ。


「……何? 早速、魔王の俺と殺り合うわけ?」

「あのさ、いくつか質問と文句があるんだけど。付き合ってよ」


 へらりと挑発してみせれば、エルミスもにっこり笑って壁に寄りかかった。腕を組みながらも、いつでも応戦出来る様に身構える姿は抜かりが無い。

 魔王とは決定的に異なる対応に、ランスは彼こそ己が想定していた魔王っぽいと感慨を抱いた。



「まず、一つ目。あの自称魔王様、本当に七光りなわけ?」



 少し前なら、わざわざ引き止めて聞くようなことでも無かった。

 だが、何となく――本当に何となくだが、気に入らなかったのだ。

 信頼していた家族にコテンパンに打ちのめされた彼を見てしまったからだろうか。らしくないと内心舌打ちしながら、顔色を僅かに変えた彼の笑顔を真正面から打ち抜く。


「魔法云々に関しては、僕は素人だからよく知らないけど。少なくとも、政務に関しては超優秀だよね。バーチェル商会の件だって、二ヶ月で解決したじゃない? しかも、一度も現場を見ずにだよ。これって、多分滅多に出来ないことだよね?」


 軽薄を装って揺さぶってみれば、今度はあからさまに彼の空気が変化した。依然として不敵な笑顔は保ったままだが、逆鱗ではあったらしい。

 明らかな殺意が足元から這い登ってきた。レティをさりげなく後ろに庇う。


「七年前の富豪締め上げに関してもそう。民はみんな言ってるよ。歴代切っての名君だって」


 これは、事実だ。

 現に、商会の件についても、街の者達はこぞって彼を褒めそやしている。――その後に、微妙な空気になる場面にも出くわしたことがあった。


「あの自称様、僕の微かな殺気にも敏感に反応するし、多分戦闘面も優れてはいるよね。ここぞという時は結構凛々しいし。誰が見ても、別に親の七光りだなんて言わないと思うけど。……君達が思いこませたいだけなんじゃない?」


 語尾を質問系にしながらも断定してやる。

 エルミスの顔からは、いつの間にか笑顔が消えていた。


「それに、遺言。何あれ。僕達が先代魔王様から直接聞いたのって、あの自称様が成人するまで魔王にならないっていう条件だけなんだけど」


 そうだ。

 気に食わないのは、きっと、彼らが自称魔王を追い詰める時に発した発言が決定打だ。

 彼らは、嘘を吐いた。

 先代魔王の遺言は、「息子を、成人するまで魔王にしないこと」だけ。



「城から出さないっていうのは、君達が数日後に勝手にお触れを出したことじゃない」



 守りたいから。

 魔王としての教育を施すため。

 他にも色々理由は付けていたが、もっともらしいことを言って。

 成人するまで城から出さない、というその一文は、じいとか言う人間やエルミスが、後から付け加えた文言だった。


 あの日。


 先代魔王は倒れる直前だったのだろう。勇者に討たれた彼は、最期の力を振り絞って、魔法の術式を青空いっぱいに展開して民衆に言葉を届けてきた。

 自分は勇者に討たれたこと。

 孤児院を一つ潰したこと。

 そして。



〝どうか――息子であるアーシェには。成人になるその日まで、魔王ではなく、一人の人間として過ごさせて欲しい〟



 初めて彼が、人々に発したわがままだった。

 打ち明けられた内容はランス達を殴り飛ばす様な衝撃があったが、歴史を顧みたなら諦観もあった。

 ならばせめて、今まで人々のために心を砕いてくれた魔王の願いを叶えよう。

 街の者達はあの日、そう決めた。

 もう、両者の争いを目にすることに疲れていたのもあった。青空を見上げながら、大人達は強く決意していた。



 だから、実際にあの自称魔王に出会っても、魔王扱いは絶対にしなかった。



 遺言があった数日後に、城から例のお触れが発表されたこともあり、その誓いが強固なものとなったためだ。

 だが、どうやら先代魔王の遺言は利用されていたらしい。他ならぬ、目の前にいる縁者によって。

 一番魔王に寄り添わねばならない者達が、最大の不義理を犯したのだ。


「例えあの自称様がまかり間違って城下に来ても、魔王後継者とは認めないフリをしろ。あのお触れは、そういうことだったんだ。つまり、最初から君達、彼を魔王にするつもりはなかったんだね」


 国家転覆でも企んでいたのか。


 暗にそう告げてやれば、エルミスは少しだけきょとんとした。

 そして。



「――はっ」



 すぐに見下す様な笑みを見せつけてくる。

 普段城下で振る舞っている、明るく能天気な笑顔からは程遠い。元々二面性は強そうだとはランスも思っていたが、予想は大当たりだった様だ。――己と同じ匂いがして、吐き気がしてくる。


「勇者と魔王の関係も黙っていてくれって言ってたくせに。そっちの『じい』とかいうのは、彼に色々教えてたみたいじゃない。正直王位簒奪はどうでも良いけど、こっちを振り回すのはやめてくれない? 今までみんなが黙っていたのに、意味ないじゃない」


 自称魔王の登場に驚きながらも、気付かないフリをしていた人々は立派だった。感慨深げに彼を見つめている者だっていた。

 それなのに、全てを押し隠し、知らないフリを貫いた。それはどれほど苦しいものだっただろう。

 それなのに、当の本人は全て知っていた。

 人々が騙していることには気付かなかったようだが、台無しだ。全てが水の泡である。

 それ故の八つ当たりも含まれていた。魔王を打ちのめすし、遺言は利用するし、ランス達まで巻き込んで、結果がこれだ。自分勝手過ぎて一発ぶん殴ってやりたい。

 だが。



「……、じい? じいさんが、何だって?」



 腕を組んで無言を貫いていたエルミスが、初めて口を開く。

 何かが引っかかったのだろうか。少々胸がすく思いをしながら、先程の魔王の言葉を思い起こした。


「じいという人が、彼に言ったんだって。彼の名前は、亡きひいおばあさまである勇者の名前だって」

「――――――――」

「まったくさ。街の人達聞いたら脱力するよ。今までの自分達の苦労はーってさ」


 やんなっちゃうよ、とこれ見よがしに溜息を吐いてやる。レティがおろおろと背後で立ち往生していたが、前には出させない。万が一人質に取られたら厄介だ。彼が魔王よりも強いのは、対峙するだけで十二分に把握出来る。

 それに、今、確実に彼の中で何かが揺れ動いているのも理解した。



「……それ、アーシェが言ってたのか」



 不可解そうに眉根を寄せ、地底を這う様な低さで尋ねてくる。

 先程と違い、どこか余裕が無い様にも見受けられ、ランスの中に違和感が生まれた。

 予定外だったのか。

 だが、一見すると特に彼らに不利益になりそうな要素は無い。


「そうだよ。ついさっきね。父親のことも、祖母のことも、知っていたよ」


 内心で首を傾げながらも肯定してやれば、エルミスは顎に手を当てて黙考し始めた。舌打ちが小さく聞こえてきて、一層違和感が膨らんでいく。

 何だ。彼は、何を焦っている。

 いくら考えても答えは見つからない。

 ランスの疑問が渦巻く合間にも結論は出たのか、エルミスは壁から背を離し、ばさりとコートを翻す。


「そうか。んじゃ、帰るわ」


 邪魔したな。


 言い捨てて去ろうとする背中に、今度はランスも引き止めない。彼に、魔王が何を頼んできたのかを報告する必要もない。

 だから、これで終わる。はずだった。

 しかし。



「……エルミス様!」



 ランスの背後から飛び出し、レティが必死に呼び止めた。

 かなり肝を冷やす行動だったが、エルミスは律儀に立ち止まってくれた。震えながらも前に進み出るレティに、ランスも何も言わずに見守る。


「……アーシェ様は。貴方のことを、とてもお慕いしておりました」

「……んなこと、言われなくても知ってるけど?」


 訴えるレティの声は悲痛に塗れている。

 だが、それを馬鹿にする様にエルミスは鼻で笑った。彼女だけではなく、魔王の心を踏みにじる罵倒に、ランスは一瞬衝動的に動きたくなるのを堪える。

 それに、レティの言葉には続きがあった。



「貴方もそうなのだと。わたくしは、思っておりました」



 はっきりと明言するレティの力強さに、エルミスは胡乱げに彼女を見やる。

 視線だけでも常人の精神力では耐えられなさそうに発せられる殺気を、しかしレティは毅然と受け止めて立ち続けた。逸らすことなく、真っ直ぐにエルミスを見返す。


「前に、アーシェ様を迎えにいらした時。貴方は、アーシェ様がランスに害を与えられていないか、確かめていたのではないですか」

「……」

「孤児院に入って来た時のあなたの表情は、わたくしの目には焦っておられる様に見えました」


 レティの訴えに、エルミスは無言。

 だが、ランスも同じ意見だっただけの回答が気になった。

 あの日、魔王は戸惑ってばかりだったが、エルミスが丹念に上から下まで彼を見つめていたのは、無事を確認したかったからではないのか。

 先代魔王が崩御した時、エルミスは確か八歳。もう死の概念をきちんと認識している年齢だったはずだ。

 勇者と魔王の関係に快く思っていないのなら、懸念しただろう。魔王が、ランスに傷を負わされていないかと。

 エルミスは、尚も無言。しばらく無感動にレティを眺めていたが。


「……やれやれ」


 やがて、微かに目元と口元を緩めた。

 馬鹿にする様な、しかし自嘲する様な、判別しがたい種類の笑みだった。


「お嬢さん」

「……はい」

「長生きしたいなら、口は閉じてた方が良い。せっかくさっき止めてもらったのに」


 アーシェが悲しむぞ。


 それだけを言い残し、エルミスは今度こそ振り返ることなく孤児院から去って行った。

 ばたん、と閉じられた音がやたらと耳に付く。もう全ては終わりを告げられたはずなのに、気分は全く晴れなかった。



「レティ」

「……はい」

「君、もう帰りなよ」

「でも」

「そんな暗い顔、子供達に見せてもらっちゃ困るし」



 魔王の件は、彼女に多大なショックを与えたに違いない。

 孤児院の立ち退きを救ってもらってから、彼女は魔王後継者に会える日をとても楽しみにしていた。ここ最近はいつも以上に明るかったし、本気で彼に惚れていたのかもしれない。

 何とかしてあげたかったが、勇者の立場としては非常に複雑だ。今のランスに出来ることは、ここから追い出して一人で泣かせてあげることだけだった。


「ま、あの自称様は頑固だったし? もしかしたら、そのうちひょっこり顔出してくるかもよ」

「……」

「だから、今日は休みなよ」


 肩を叩けば、レティは儚げに微笑み、「はい」と頷いて背を向ける。

 エルミスに続き、レティも見送ってランスは深く息を吐いた。ここ二週間の出来事を振り返り、どっかりと椅子に座り込む。

 我ながら美を顧みない姿勢には苦笑する。どうやら、ランスもよほど打ちのめされたらしい。深入りしない様に気を付けていたはずなのに、ショックを受けているらしいことに、またショックを受けた。



 ――魔王後継者と名乗る、アーシェルの登場。



 お触れのことや今までの歴史のこともあって、絶対に近付きたくないと願っていた。

 それなのに、彼はずかずかと無遠慮にランスの領域に入ってきた。

 説教はするし、孤児院に感謝はするし、挙句の果てには子供達のために不慣れな魔法を使って絵本なんか作ったりして。


 おまけに、勇者であるランスに協力を要請してくるなんて。計画は全て台無しだ。


 六歳の頃に勇者に選ばれた時から、もう諦めていた。どうせ人を殺す運命。その上すぐに死ぬというのならば、魔王を事務的に討ち取ろうと決めていた。

 決めていたのに――。



〝顔色が悪いぞ。少しじっとしているが良い〟



 このままでは、その日が来ても苦々しい気持ちになりそうだ。エルミスが相手なら、特に感慨も湧かなそうなのが救いだった。


「あーあ、やんなっちゃうね」


 どうしてるかな、彼。


 泣きそうになりながらも、気丈に笑顔を浮かべていた魔王を思い出し、右腕で両目を覆い隠す。

 魔王と勇者。――歴史を、変える。

 そんなことが、本当に可能なのだおるか。彼の語る夢物語はひどく滑稽であるはずなのに、どうしようもなく甘美な響きにも聞こえる。

 けれど。


〝エルミスなら、良き魔王となれる〟


 もう――。






『……ねえ』

「―――――――――――」






 強く、耳元を掠める声が刺してくる。

 途端、ずんっと重力の全てが落下してきたかの様な圧力が、頭の中にのしかかってきた。


「⁉ っ、うぐっ!」


 も遥かに音量を上げて落ちて来た声音に、ランスはひび割れる様な頭痛に襲われた。ぐうっ、と頭を押さえて椅子から転がり落ちる。



『ねえねえねえ。勇者勇者きひひ、勇者勇者勇者勇者あああああああああ』



 間断なく羅列される無機質な単語。呼びかけ。問い。

 それは確かな強制力を持って、ランスの脳髄を揺さぶり、引っ掻き回す様な声の嵐に引きずり込んでいく。

 がっ、と吐き気を催して床の上で蹲る。立ち上がることも出来ない。もし今、誰かに見られたら弁解は難しい。

 何故。どうして。

 今まで、『鏡の声』は、聞こえてきても弱々しいものだったはずだ。



 ――ずっと、気持ちの良いものでは無かった。



 勇者に選ばれてから不定期に響いて来る『声』は、けれど普段は無視出来る程度のものだった。魔王に魔法をかけてもらってからは、完全に鳴りを潜めていた。

 それなのに。


『ねえねえはやくはやく。きひひゃ、勇者あああ、見つけたああああああきひひひひゃひゃひゃ』


 繰り返される催促。意味を成さない文章。狂った笑い声。

 壊れた鐘の様に耳元に木霊し、脳内を乱反射し、体は支配された様に痺れて言うことを利かない。

 何だ、これは。


 何なんだ、これは。


『はやくはやくくくくくひひひひひいいいいいいいっ。ねえねえええええはやはやははやくねええええええええはやく勇者あああああしないとおおおおおお』

「あ、が……っ!」

『おおおおおそおそっそそそそそおそそいいいいよおおおおおおねねねねゆうしゃゆうしゃゆうしゃあああああああ』

「あ、ああああああああっ!」

『だからああああだからだかだだだからね、勇者勇者勇者ははははねねねね、はやくしないとおおおおお、ああおあおあおおあほらほら……ほらっ』


 だんだんと迫る様に大きくなっていく声に、ランスが絶対的な恐怖を覚えた直後。






『みんな、しんじゃうよ』






 どんっ、と。

 裏の畑から、火柱が怒れる様に噴き上がった。


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