第16話


〝貴方の名前のアーシェルとは、ひいおばあさまである勇者様の名前なのです〟



 じいから聞いた時は驚いた。

 天地が引っ繰り返るとはまさにこの時のことを指すのだろう。信じていた世界に音を立てて亀裂が入り、砕け散るほどの衝撃だった。

 ランスとレティが息を呑んだ音は、顔を見なくても聞こえた。この二人はやはり知っていた様だ。勇者は民間人なのだから、同じ民間人である彼らが知らぬわけがない。

 知らなかったのは、アーシェだけ。



 閉鎖された空間で、蝶よ花よと育てられた無知で愚かな魔王こうけいしゃだけだ。



「おばあさまは、勇者である母をとても愛していて。自分に娘が生まれたら、母の名前を付けたいと願っていたそうだ」


 けれど、父もその弟も男。

 孫であるエルミスも、最後に生まれたアーシェも男。

 娘は生まれなかった。


「落胆したおばあさまを見かねて、父は己の名前の一文字を取って、我に『アーシェル』と名付けたそうだ」

「……」

「おばあさまはそれで悔いが無いと言う様に、我が生まれてすぐ勇者に討たれた。……よく食べ物のことで熱心に議論を交わしていた、友人だった勇者に」


 城下で勇者の話を聞いた時は、アーシェが想像していた人物像とかけ離れ過ぎていたので驚いたが、冷静に考えれば合点がいく。

 魔王に猛烈な求婚を仕掛けていた勇者は、三代前の魔王と夫婦となり。

 早食い競争を挑み、食のナンバーワンになると豪語していた勇者は、二代前の魔王とグルメ仲間となり。

 そして。



「先代の勇者であるフォルクも、よく城に遊びに来ていたそうだな」

「……君」

「父によく戦いを挑んで、返り討ちにされて。でも、互角の戦いを繰り広げるから玉座の間が荒れに荒れて。じいは後始末に嘆いていたけど、父も楽しそうだったから好きにさせていたと」



 天敵と書いて、「親友とも」と呼ぶ。そんな間柄だったらしい。城下の者達も呆れながら、それは楽しそうに見守っていたとじいが教えてくれた。

 そう。魔王と勇者は、代々仲良くやってきていたのだ。いつの頃からかは定かではないが、両者は歩み寄りを見せていた。

 それなのに。



「……みんな、死んだ」



 歴史は無情にも繰り返される。

 魔王は勇者に討たれ、勇者も間を置かずに亡くなる。まるで後追いする様に。

 皆は言う。魔王は道を踏み外したと。過ちを犯さなければ、あんな悲劇は起こらなかったのにと。

 揃えられた物的証拠。覆らぬ因縁。

 だが。


「我は、納得がいかない。ランスと会って、その気持ちは強くなった」

「……」

「何故、父様は死ななければならなかった。何故、父様は孤児院を放火した」


 何故。何故。何故。

 あれだけ仲が良かった勇者に連なる者達を、どうして残酷にも焼き払ったのか。

 記憶にある父は、決してそんな残虐な手口を使う人ではなかった。裏の一面があったと説得されても、到底引き下がれない。

 魔王と勇者の関係を聞いて、それからむさぼる様に調べて、疑念は湯水の如く湧き溢れた。


「我は歴史をこの手で変えたい。ランス、お前とも仲良くしていきたい」

「……アーシェ様」

「覆す鍵は、今までの歴史が握っている気がするのだ。だって不自然だろう。魔王は皆、例外なく殺されてきた。父だって、勇者より強かったはずなのに殺された。しかも、勇者も代々ほぼ同じタイミングで亡くなっている」


 どちらかが長生きしたって良いはずなのに、歴史が語る二人の末路はすべからく同時期に死を迎えている。図った様なその結末は、両者の関係を調べ直していたアーシェを恐怖と悪寒で取り巻くのに充分だった。

 アーシェは、真実を知りたい。

 だから。



「頼む、二人とも。我と共に、魔王と勇者に関する調査に協力してくれないか?」

「――」



 彼らからすれば、青天の霹靂な申し出だったのだろう。二人が揃って目を丸くしたことに怯みそうになりながらも、あごを引いて真っ直ぐ見据える。


「我は真実が知りたい。二人なら信頼出来る。数日しか共に過ごしてはいないが、そう確信した」


 城下に来たかった目的は、勇者と会うことだった。


 本当に歴史がつづる通り、敵対する様な存在なのか。それとも先代達が仲良くしてきた通り、それだけの人間ではないのか。どうしても確かめたかった。

 けれど、今はそれだけではない。



 これからも、と共に在りたい。



 一緒に肩を並べて歩いて行きたい。魔王や勇者という肩書など関係なく、友人として仲良くしていきたい。

 そのためには、やはり道は己の手で切り開くしかないのだ。今動かなければ、一生後悔する。


「じいは、自分から勇者の話をしたくせに、この前は勇者に関わるなと目くじらを立てているのだ。エルにも相談したかったが、……何となく話しにくい雰囲気でな」


 エルミスも恐らく勇者に良い心象を抱いていない。たまに見せる仕草は、おどけていながらも警戒している。前に勇者と友人になりたいと話した時、複雑そうにしていたからだ。


「我一人では限界がある。故に、協力して欲しい」

「……」

「駄目、だろうか」


 許容しにくい問題なのは承知している。魔王と勇者の歴史は、64回も悲惨な最期を遂げていると告げているし、おいそれと手を付けたい領域ではないだろう。

 触らぬ神に祟りなし。

 これほど、この言葉が似合う状況は無い。

 故に、断られても仕方がないと考えている。そうなったら、一人ででも遂行しようと覚悟を決めて答えを待ち望んでいると。


「アーシェ様」


 力強くレティに呼ばれる。

 恐る恐る顔を上げると、彼女はふわりとつぼみが花開く様な微笑を咲かせていた。

 ランスは依然として横を向いて無表情だから答えが読めなかったが、レティはアーシェの手を取って真っ直ぐに頷いてくれる。

 アーシェの視界が、開けていく。


「分かりまし――」


 微かに繋がった希望が、レティの口から紡がれるのと。






「ここに、アーシェル・ラング・フェルシアーノはいるか!」

「――――――――」






 希望を裂かれるのは同時だった。



 突如フルネームで呼ばれ、孤児院全体が奇妙な静寂に包まれる。

 物々しい気配を感じ取り、アーシェは玄関を振り向いた。視線の先に、甲冑に身を包んだ騎士が数名いるのを目にして驚愕する。

 そして。


「……、え」


 騎士達の背後から覗いた顔に、声を失った。

 そこには、りんとした空気をまとい、騎士以外の二人が佇んでいる。

 一人は、生まれた時からアーシェの面倒を見てくれていた保護者。

 そして、もう一人は。



「……、じい。……エルまで……」



 兄の様に傍にいてくれた、絶対の信頼を寄せる人物。

 そんな彼らが、どうしてここに。

 疑問はしかし、ほとんど音にならずに弱々しく霧散する。困惑と恐怖が一気に駆け巡った。

 お忍びが露見したことよりも、二人が騎士を引き連れて孤児院にいることよりも、何よりも。



 何故、ひどく冷徹に、無機質にアーシェを見つめてくるのか。



 今まで見たこともないほどに凍えきった瞳は、嘲笑の色さえ含まれている。その事実に心の底から戦慄した。


「あー、悪いな、院長。ちょっと物騒な話になるからさ、子供達別の部屋にやってくれないか」

「は、はい」


 ひらひらと軽く手を振って指示するエルミスに、院長は戸惑いながらも従った。アーシェと騎士達を交互に心配そうに見つめながら、子供達も大人しく部屋の中へと入っていく。

 だが、ランスとレティはこの場に残った。アーシェとしては意表を突かれたのだが、心強かったので疑問は口にしない。


「おー、勇者様とお嬢さんは残るのか。良かったなー、アーシェ。こんな短期間で良いオトモダチに巡り会えて」

「エル……」

「ちゃんとお別れの言葉言えるじゃん。……お兄様としては嬉しい限りだよ」


 はっと不愉快そうに息を吐くエルミスに、アーシェの心臓が冷えていく。血液すらも凍えていく様な感覚に、冬でもないのにやけに寒々しく感じられた。

 ランスとレティも気を張り詰め、信じられない様にエルミスを見やっている。



「坊ちゃま。貴方は、ラズウェル様の遺言を破りましたね」



 かつっと、大袈裟に靴音を鳴らし、じいが一歩前に進み出た。「遺言」の単語に、アーシェの肝が冷えていく。


「ラズウェル様は、亡くなる時に仰いました。坊ちゃまは成人するまで魔王にならないこと。そして、魔王になるまで、決して民の前に姿を現してはならないと」

「――」


 こくりと、アーシェの喉が鳴る。

 ランスとレティの気配が微かに揺れたのを感じ取ったが、疑問に思う暇もない。来たるべき最悪の予感がよぎり、金縛りに遭った様に声も体もすくんだ。


「わしは言いましたな。未だラズウェル様の足元にも及ばない、七光りさえ有効に活用出来ぬ貴方が城下に出るなどまだ早いと。……坊ちゃまはすぐ感情的になります。政治に私情は無用。特に民に姿を見せる時は、個を殺して冷徹に見渡せる力を養う必要があります」

「……、じい」

「しかし、坊ちゃまは再三申し上げたわしの忠告を無視しました。三流であるくせに思い上がり、その上遺言を破った。先代魔王の遺言は、我ら魔王に連なる者や仕える者にとっては絶対。――遺言を踏みにじった貴方に、魔王になる資格はありません」

「……、そんなっ、急に」

「言い訳は無用」


 ぴしゃりと拒絶の壁で跳ねのけられる。アーシェの表情が凍り付いていくのも構わず、じいは冷酷とも取れる熱だけを言葉に宿した。



「アーシェル・ラング・フェルシアーノ。貴方から魔王後継者としての資格を剥奪します。そして今夜の継承儀式にて、このエルミス・ウィル・フェルシアーノを魔王とします」

「――――――――」



 突き付けられた宣告は、アーシェにとっても、この場にいる者にとっても耳を疑いたくなる内容だった。

 何度も何度も反芻はんすうし、その度にアーシェの頭の中はまっさらになっていく。嘘だろうと笑い飛ばしたかった。

 だが、それは叶わない。目の前にいるじいもエルミスも、騎士さえも無感動な表情を保ったままだ。自分を刺す眼差しは、どこまでも冷たかった。


「いやあ、悪いなアーシェ。お前に城下行かせろって脅されたら、俺も断りようなかったし? どうしようかなあってちょっと相談したら、こんな風に話がまとまっちゃってさあ」

「エル……」

「というわけで。今夜の儀式終わったら、お前国外追放だから」


 あっさりと放たれた口調は、中身に反してひどく軽かった。普段の彼と何ら変わらない。

 そして、いつもアーシェをからかい、引っ張り、支えてくれた物言いそのままで彼は言うのだ。「お前はもういらない」と。



〝アーシェの面倒見てくれて、ありがとな〟



 つい最近。

 アーシェのことで孤児院の彼らに感謝をささげてくれた彼は、存在そのものを拒絶したのだ。

 エル、と名を紡ごうとするのを。



「――連れて行け」



 他ならぬ彼の、冷淡に騎士に下した命令で遮断された。



 途端、物凄い力で両脇を固められ、アーシェの顔が痛みで歪む。見上げた先の騎士達も無感動な顔のままで、視界が真っ暗に染まっていく。


「ま、待って下さいませ! アーシェ様は――」

「やめろ、レティ!」


 無謀にも割って入ろうとするレティを、アーシェは反射的に怒鳴った。

 ぴくりと肩を震わせる彼女に罪悪感を覚えながらも撤回はしない。この騎士達は、命令遂行のためなら手荒な真似も辞さないだろう。


「あーあ、健気。そんなに気に入ったんだ」


 面白そうに喉を鳴らしながら、エルミスはアーシェに歩み寄る。

 見下す様な眼差しだ。今の彼なら、視線だけで人を殺せるだろう。



 ――いっそ、その眼差しの様に一思いに貫いてくれれば良かったのに。



「……。ほんっと、どこまでも馬鹿だよな、お前」



 ぐいっと前髪を掴まれ、顔を無理矢理上げさせられる。乱暴な仕打ちをこの兄から受けるのは初めてで、頭よりも心が鈍くきしんだ。


「なあ、悔しいか?」

「え、る」

「俺に裏切られてさあ。まんまと術中にハマって。悔しいか? 憎いか? それとも、悲しいか? 大好きなお兄様に手酷いしっぺ返し食らって……絶望でもしちゃった?」


 くつくつと嘲笑を落とされる。頬に弾けた笑いは、アーシェを真っ黒に押し潰し、深く深く刃を刺し込み、えぐっていく。


 立派になりたいと願っていた。


 いつも、じいにも兄にも迷惑をかけっ放しだった。

 だから守られてきた分、今度は自分が恩返しをするのだと。己の無力さに落ち込みながらも、その度に叱咤して心を奮い立たせてきた。

 けれど。



〝お前国外追放だから〟



 ――エルは。最初から、我が邪魔だったのだな。



 ようやく辿り着いた真実に、アーシェは笑ってしまった。

 とんだ茶番だ。張り切って、空回って、結果がこのザマだ。今のアーシェは、誰の目から見ても滑稽に映るだろう。


 今だけではなく、昔から。彼らには、アーシェの姿はさぞかし無様に見えたはずだ。


 彼らは声無く告げてくる。アーシェなどいらないと。

 だけど。



〝昔は俺が作ってたのになー。今度はお前が子供たちに作る番か。それは、お前も大きく、かつ重くなるわけだ〟



 ――我は。



「……そ、だな」


 みっともなく声が掠れた。

 けれど、これ以上落ちることは無いから気にしない。



「悔しい、かな」



 髪を掴まれたまま、真っ直ぐにエルミスを見つめる。

 嫌悪さえ乗せている眼差しを、逃げずに受け止めた。



「我は、結局。じいにとっても、……お前にとっても。足手まといにしかならなかったのだな」



 父を亡くしてから、散々守られっぱなしだった。アーシェのために矢面に立ち、時には命の危険を冒してまで育ててくれた。

 そうして、最後に愛想を尽かされた。

 そういうことだろう。魔王としての資格は無いと判断されたのだ。


「エルなら、良き魔王となれる。……我などよりも、ずっとな」


 強いし、賢いし、優しい。

 きっと民も彼を益々慕うだろう。アーシェなどよりもよほど魔王らしい彼なら、文句も出ないはずだ。

 ずるっと騎士達に引きずられる寸前、エルミスはもう一度強く前髪を掴み上げてきた。


「俺は」


 さっきよりも更に上向かせられ、アーシェの息が詰まる。

 だが、エルミスは構わずに掴み上げたまま。



「お前のそういうところ、大っ嫌いだったよ」



 吐き捨てる様に突き放された。どん、と突き飛ばされる音が、心臓を直に叩き付ける様に響く。

 それで全ては済んだのか、じいが先導して騎士に命を下し、アーシェを引っ立てていく。

 エルミスは付いてこない。アーシェの顔を見るのも嫌になったのだろう。

 もし、本当にそうだとしたら。


〝いやあ、今日もお前の頭は掻き回し甲斐があるなあ、と。お兄様、嬉しくなっちゃって?〟


「……っ」



 ――悲しい、な。



 あまりに一気に色んなことが起こり過ぎて、感情が追い付いていかない。

 追い付かないのに、追い付けないまま。

 震えそうになる喉を、アーシェは必死で抑え込んだ。


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