第14話
「なあなあ、エル」
それは、まだ五歳を迎えたばかりの頃。
いつも
「じょうかまち、ってどんなところなのだ?」
保護者のじいには難しい顔をされ、スルーされてしまった。
だが、彼なら答えてくれるかもしれない。
そんな期待と共に見上げれば、彼は自分の心を見透かしたのか笑っていた。
「そうだなー……」
適当な場所で腰を下ろし、自分のことも座らせた。それを見届けてから、楽しそうに空を仰いで語ってくれる。
「時々面倒なこともあるけど、楽しいぞ」
「おお!」
「食べ物はうまいし、店なんかも色々珍しい物が置いてあったりして面白いし」
「おおっ!」
「街の奴らと話すのも良いが、何より自由だからなー」
「おおおおおっ!」
「それに、じいさんの雷も落ちない」
「それは良いな!」
最後には大きく頷いてしまい、彼の笑いを誘ってしまった。ばしんばしんと地面を叩き、突っ伏している。
だが、アーシェにとっては些細なことだ。
食べ物。珍しい物。面白い。楽しい。自由。雷が落ちない。
それは、アーシェにとっては非常に魅力的な誘惑だ。きらきらした瞳を更に輝かせてしまった。
「われも、じょうかまちに行きたい! まちの人たちに会いたいぞ!」
「あー……それはちょっと無理だなー。お前は、魔王になるまで城から出ちゃ行けないから」
困った様に眉尻を下げる従兄の顔に、これはわがままなのだと悟る。
しょぼんと肩を落としてしまったが、困らせるのも嫌だった。不満の声を一生懸命飲み込む。
「まおうか」
「そ。遺言のこともあるけど……あんまり、街の奴らにもお前の情報は流したくないし」
視線を城下の方に向けて従兄は語る。
何となくその横顔から笑顔が抜けている気がして、こてんと首を傾げてしまった。
「どーしてだ?」
「ああ、……」
見上げれば、兄代わりのその人は、苦笑しながら頭を撫でて。
「それはな――」
あの日、投げかけた質問の答えを。
自分は、未だに思い出すことが出来ない。
「アーシェル様、こんにちは!」
城下に飛び込んだ瞬間、アーシェを見つけた街の一人が挨拶をしてくる。
それにぶんぶんと手を振って、アーシェは思わず嬉しさを前面に押し出した。
「おお、こんにちは! 今日も元気だな」
「あはは、アーシェル様ほどではありませんよ」
「こんにちはー! まおうもどき!」
「もどきではない! むう、いつか認めさせてやるからな!」
街の人達と挨拶を交わしながら、アーシェは本を片手に抱えて広場を横切った。
たたた、と駆ける向こうに見慣れた出店を発見し、ぱあっと顔を輝かせる。ほとんどスキップする勢いで突撃した。
「たいやき屋!」
「おお、坊主! 何だ、今日もレティ嬢ちゃんやラン坊に会いに来たのかい?」
「うむ。この辺りを一通り見て回ってから、孤児院に行こうと思っている。二人もいるだろうか?」
屋台の主人は、城下に住んでいるからこそ街のことに詳しい。
だから聞いてみたのだが、本当に打てば響く様に返ってきた。
「ああ。レティ嬢ちゃんが向かうのは見かけたし、さっきたっくさん女性が孤児院に向かって行ったからな。ラン坊も普通にいると思うぜ」
「たっくさん……」
両手を広げて数を示す主人に、アーシェは自然と尻込みした。
つまり、現在孤児院はあの黄色い声で充満しているということだろう。それは同時に、あのランスナンパ節も絶賛発動中ということになる。
急激に目減りしていく意欲に、しかしアーシェはふるふると頭を振った。
自分は勇者と交友を深めるのだ。この程度で
「そうか。うむ。……頑張るぞ」
「おお。ま、ほどほどにな。……ところで、見て回ってって言ってたが、どうしてだい? やっぱり城下の雰囲気が気に入ったか」
腰に手を当てて誇らしげにする主人に、アーシェの顔が
こうして、自分達が住む場所を誇りに思ってもらえることは何と幸せなことか。今まで顔を見せて来られなかったからこそ、こういう表情が何よりも嬉しい。
「うむ。それもあるが、以前バーチェル商会の騒ぎがあっただろう。もう大丈夫だとは思うが、念のため自分の目でも安全を確かめておきたいのでな」
「……」
騎士達の報告では不審な動きは見当たらないということだったが、一応自らの目でも確認しておきたかった。せっかく城下に来ているのだし、これくらいの義務は次期魔王としても果たしておきたい。
しかし。
「たいやき屋?」
自分の中では当然の成り行きだったのだが、主人は違ったらしい。
どこか複雑そうに顔を歪め、物言いたげにこちらを窺っている。その表情が常日頃と違って真剣味を帯びていたので、アーシェも思わず真顔になった。
「何だ? どうかしたか」
「……坊主。お前さん」
言葉選びに迷っているのか、彼にしては珍しく言い
だが、数秒ほど置いた後、すぐに「いや」と首を振った。
「何でもないさ。……坊主は、その歳にしてはずいぶん責任感
「そうか? 別に普通だと思うが」
「いーや。そんな頑張り屋な坊主には、おっちゃんからサービスだ! たいやき一つ、持って行きな」
ぽん、とごく自然な流れで渡され、アーシェは思わず受け取ってしまった。
見れば、手が汚れない様に小さな紙袋に包まれている。ほかほかと温かな湯気が袋越しに伝わってきて、アーシェの心もじんわり温まっていった。主人の優しさが
「おお、ありがとう。今、お金を」
「いいっていいって。子供は大人からの厚意は素直に受け取るもんだぜ」
「しかし」
「パトロールをする坊主に、エールをってこった。……頑張んな」
目を細めて後押しされ、アーシェは素直に受け取ることにした。断るのは、かえって悪い気がしたからだ。
城にいる間も、使用人達とは良好な関係を築いてきたと思っているが、改めてこうして親切にされるとくすぐったい。限られた人間としか関わってこなかったアーシェにとって、民とのやり取りは新鮮であると同時にこそばゆかった。
だが。
――こういうのも、悪くないな。
思って、アーシェは花開く様に破顔した。
「うむ。恩に着る、たいやき屋!」
「おお。気ぃつけてな!」
「ありがとう! たいやき屋もな!」
嬉しい掛け声を背中に乗せ、主人の自慢のたいやきを頬張りながら、アーシェは街を駆けて行った。
そして。
瞬く間に街の角の向こうに消えていったアーシェを見送り、たい焼き屋の主人は手を振りながら笑顔を崩す。じゅーっと焼けるたいやきの音が虚しく辺りに響き渡った。
消えてからどれほどの時間が経っただろうか。
どうしても視線が外せないまま見つめ、主人はぽつりと涙の様に零す。
「……十二年前とは、逆だなあ」
「……ええ、本当に」
独白だったのに、返る言葉があった。
ベンチに腰かけていた老夫婦が、懐かしむ様に――
「十二年前は、勇者の方が魔王様の城に毎日押しかけていたもんさ」
「そうでしたねえ。……挑みに行く時の彼の顔は、とても楽しそうでした」
ぽつり、ぽつり。
心が零れる様に彼らは
だが、悲しみに包まれているのは彼らだけではない。
昔の頃を思い起こし、目を閉じながら、主人は無理矢理笑った。
「……坊主を初めて見た時は、正直驚いたもんさあ」
似すぎだもんなあ。
零れ落ちたのは、決して彼には――魔王後継者には聞かせられない言葉だった。
否。
決して、聞かせてはいけない真実だ。
「髪の色も、瞳の色も。顔立ちまでそっくりさ。一目で分かっちまった」
「そうですねえ」
「元気で、明るくて、親しみやすいですよね! ちょっと童顔だし、雰囲気は先代の魔王様と全然違うっていうか」
「ええ。性格は、完全に母親似かもしれませんねえ」
「ああ、ばあさんの言う通りだ。お妃様は、とてもお
青年の言葉に、老夫婦もにこやかに同意する。
その語りに嫌悪は無い。ただただ昔を懐かしんで――惜しむ。
在りし日を遠くに見つめながら、誰もが前を向きながら、言葉を涙の様に濡らしていた。
「でも、覇気は父親譲りだとオレは思うんだよなあ。見たかい! 商会倒した時のあの背中!」
「もちろん! カッコ良かったですよね!」
「つまり、アーシェル様はご両親を足して二で割ったお人なのかもしれませんねえ」
「おお、それはピッタリだ。愛されて育ったという証拠だのう」
穏やかに笑い声が上がる。
ひとしきり互いに過去や現在を語り合い。
ふっと、会話が途切れた。一緒に、楽しかった昔日も落ちていく。
先が紡げない。今し方彼が駆け抜けていった方向を主人だけではなく、誰もが追いかけてしまう。
先代の時は、勇者が魔王を追いかけていた。
なかなか城下に下りてこない魔王を引っ張り出そうと、不敵で
だが、今は逆だ。
なかなか会おうとしない勇者を、魔王になる彼が追いかけている。
何度も手を差し延べ、近付き、笑っている。
勇者と仲良くなりたいと願っている彼。
それは先代の時も、きっと同じだった。
それなのに。
〝どうか――〟
あの、晴れた空の下。
全ては終わったのだと、皆が知ってしまった。
「……どうして、あんなことになっちまったんだろうなあ」
眉尻を下げながら、唇を噛み締めて主人が問う。
だが、答える者はここに誰一人として存在しなかった。
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