Chapter3 魔王(になる予定)、初めて友に打ち明ける

第13話


「わりい、な」


 それは、誰の言葉だったのか。

 幼いアーシェが懸命に目を凝らす。

 だが、視界はぼんやりと薄暗いままでよく見えない。まるで朝霧に包まれてしまったかの様に、世界全てが不透明だ。

 そして、その泣き笑いの様な顔に。



「……、構わん」



 微かに笑って答えたのは、誰だったのか。



 記憶さえ霧の向こう側に溶け込む様に。

 もう、何も思い出せなかった。











「んー、ここはこうして……」


 月が徐々に丸くなり始め、夜も更けた時刻。

 自室で一冊の本を開きながら、アーシェは術式を複数展開していた。

 目が覚めるほど鮮やかな蒼い線が、鮮烈な紅の円と交わる。そして、それら全体を黄金色に輝く光の束が優しく包み込み、紫の霧が花びらの様に散らばっていく。

 実に多種多様な色彩を織り交ぜながら、アーシェは丁寧に、しかし素早く陣を宙に描いていった。


 そろそろと陣と陣を慎重に重ね合わせ、紙の表面に下ろしていく。


 一つ、また一つと下ろしていくごとに、何故か次第に視界がかすみがかっていった。疲れたのだろうか。何だか胸も苦しい気がする。

 だが、今は一番大事なところだ。精神統一と念じながら、アーシェはひたすらに陣を丁寧に、かつ繊細に統合していった。

 そうして無理矢理作業を進めたが、視界は戻るどころか更にまっさらになっていく。しかも真っ白ではなく徐々に真っ黒に染まっていき、眩暈めまいまで覚え始めた。

 こんな大事な時にと焦りを覚えながら、アーシェが尚も必死に目を凝らしていると。



「アーシェー。一回息しろー。出来上がる前に死ぬぞー」

「――はっ!?」



 唐突に背後から声をぶつけられた。あまりの驚愕に、アーシェは思い切り飛び上がる。

 体を急に動かしたからだろうか。同時に、ひゅっと自分の喉で音が鳴った。体が求めるままに、ふはっと息を吐き出せば、だんだんと視界が鮮明に開けていく。

 どくどくと大きく心臓が主張するのを手の平で感じ取り、アーシェは熱が全身に戻ってくるのを自覚した。眩暈も収まり、目にも異常はない。

 世界に色が戻ったことに安堵して、アーシェはようやく声の主を振り仰いだ。


「え、エル。いつからそこに」

「んー、お前が息止めて三分くらい経った頃じゃないか? わっかんないけど」

「息……ああ、どうりで」


 壁に寄りかかりながら適当な自己申告をする従兄あにに、アーシェは納得した。

 息を三分以上も止めていれば、それは異常を来たすだろう。集中し過ぎていたとはいえ、魔王にあるまじき失態だ。


「うむ、助かった。礼を言う」

「どういたしまーして。で? 何作ってんの? 絵本?」

「ああ、そうだ。今度孤児院に行く時の土産にと思ってな」


 ほら、と広げた本をエルミスに見せる。

 ページは上下二段に分け、下の段にはあらかじめ大きめの文字で文章を書いておいた。

 上の段には、アーシェが一生懸命重ねた幾重もの陣が描かれている。上手く成功すれば、そこがイラストになるのだ。

 エルミスが本を見下ろし、へえ、と面白そうにあごに手をかけた。かつてこういう仕組みの絵本を作ってプレゼントしてくれたから、すぐに合点がいった様だ。


「懐かしいなー。俺も昔、お前に作ってやったことがあったっけ」

「そうだ。あの孤児院に菓子折りを持って行っても、あそこ以上の食べ物があるとも思えぬ」

「あー。まあ、美味いよな。素材の味がしっかりしてるから、シェフも喜んでるし」

「そうだろう! この前アップルパイを食べたのだがな! それがもう美味くて美味くて……!」


 思い出して、じゅるっと口の中につばが広がる。

 さくさくした食感に、舌いっぱいに広がる甘酸っぱい汁と芳醇な香り。エルミスが作ってくれたのと同じくらい美味で、三切れしか食べられなかったのが悔やまれる。

 そんな風に陶酔していると、ぶっはと噴き出す声が聞こえた。

 我に返れば、横でエルミスが朝焼けの髪を揺らし、腹を抱えて笑っている。また彼に笑う材料を与えてしまったと、ごほんと咳払いをして誤魔化した。


「あー、それでな! あの絵本だったら、子供たちも驚くんじゃないかと思ってな」

「……ふっ、ははっ! ……あー、いいんじゃね? ……って、もしかして主人公ってこのクマか? ずいぶんファンシーな」


 出来上がっている別のページを覗き込み、エルミスがクマのデザインに目を丸くする。その反応で、選択に失敗しただろうかと不安が過ぎった。


「だ、駄目か? あそこは女の子の方が心持ち多かったし、年齢も低い子ばかりだから、可愛らしいものの方が良いかと思ったのだが」

「んー。女はともかく、男はカッコ良いものの方が喜びそうだけど?」

「え。うー……」

「けど、まあいいんじゃないか? お前が考えている感じの仕組みなら、大人でも面白がるかもな。俺も見てて楽しいし」

「お、おお、そうか」


 頼もしい兄に太鼓判を押され、アーシェはほっと胸を撫で下ろした。

 とはいえ、よくよく考えれば、この絵本の元になったのはエルミスの絵本だ。自画自賛しているのかという考えが一瞬過ぎったが、気付かないフリをしておく。


「さて! まだまだ先は長い。やるぞ」

「おー。ま、頑張れ」


 間延びした声援を受けながら、再びアーシェは本に集中することにした。何度も何度も試行錯誤を重ねながら、新たな術式を空中につづっていく。

 時間にして、十数分。

 短いながらも極度の集中力を注いでいれば、意識は容易いキッカケで途切れやすくなる。

 だからこそ。



 ちりっと指先に走った熱に、アーシェの意識が乱れた。



「ん? ……わわわっ」



 ぼんっ。



 鋭い爆発音が書面で弾けた。描かれていた陣は灰になって降り積もり、空気に溶け込む様に消えていく。

 瞬く間に真っ白に戻ってしまった紙を目にし、アーシェは盛大に肩を落とした。


「はあ。また失敗した……」

「またって、お前これで何度目なんだ?」

「そろそろ二桁に突入しそうだ」

「……お前、ほんとに破壊と修復以外の魔法苦手だよなあ」


 しみじみと呆れ気味に呟かれ、アーシェは牙を剥く気力も無い。そろそろ集中力も限界に達してきているし、気ばかりが焦って上手くいかなくなっていた。

 これでは、完成するのはいつのことやら。

 暗雲が立ち込める先行きに、アーシェは机の上に両腕を放り投げて項垂うなだれた。


「途中までは上手くいくのだが」

「なら、休み休みやればいいじゃん。苦手なくせに、一気に仕上げようとするから失敗するんだよ。俺だって絵本一冊作るんだったら休憩ははさむ」

「うう、そうか。じゃあ、少し休んでからもう一度やってみる」


 腕の良い兄も休んでいたという事実に勇気付けられ、アーシェの心が持ち直す。

 そんな分かりやすい自分に噴き出しながら、エルミスは本を覗き込んだ。


「手伝うか?」

「……、いや、良い。自力で頑張る」

「アドバイスもいらないか?」

「……アドバイスは、欲しい」


 早々に妥協するアーシェに、からからとおかしそうに彼は椅子の背を叩いた。相も変わらず自分をからかうことが好きな兄は、今宵も絶好調の様だ。気が重い。

 ふて腐れていると、エルミスはまだ笑いを噛み殺しながら、作成途中の本をでた。どこか愛おしむ様な仕草が印象的で、思わず振り返ってしまう。


「エル? どうかしたか」

「いや、……」


 感慨深そうに言葉を切り、彼は楽しそうに笑いながら手近な椅子に座った。そのまま、絵本になる予定の本を軽く持ち上げる。


「昔は俺が作ってたのになー。今度はお前が子供たちに作る番か。それは、お前も大きく、かつ重くなるわけだ」

「……孤児院で軽々と我を持ち上げた奴の台詞とは思えんな」

「魔法の力って、偉大なんだよなー」


 すっとぼけて視線を天井に逸らすエルミスに、アーシェは呆れて物も言えない。

 だが、彼の魔法の腕が本当に素晴らしいのも事実だ。

 魔法の鍛練のために、王族は日常の至る所で魔力を行使するが、彼ほど呼吸をする様に自然な使い方をする人間をアーシェは他に知らない。国がおこって以来の天才児だと、皆が称賛する所以ゆえんだ。



 ――本来なら、エルミスが魔王となるべき逸材なのだよな。



 彼の横顔を見つめながら、アーシェは少しだけ目を伏せる。

 今は鳴りを潜めているが、父が亡くなった頃はエルミスを推す声が大きかった。内乱のほとんどは、彼を推す一派との衝突だった。

 アーシェが魔王の後継者として認められているのは、単に先代の子供だからだ。代々魔王は、先代の長子が受け継ぐ習わしとなっている。


 今、アーシェが魔王後継者でいられるのは、決して己の実力ではない。


「……エル」


 本を眺めながら、アーシェはなるべくいつも通りに呼びかける。「んー?」と軽い口調で応じてくる彼に安堵を覚えながら、目線を本に落とした。



「いつも、すまない。感謝している」



 本を通して遠くを見ながら、アーシェは語る。

 当然、不自然な会話の流れにエルミスがいぶかしげに眉を跳ね上げた。かたん、と座っていた椅子を移動させて、ぴん、と額を軽く弾いてくる。


「何だよ、急に」

「ああ、いやな。何となく」

「ふーん」

「エルには、昔から守ってもらったり、教えてもらったり、支えてもらったり、……色々してもらってばっかりだなあと。思っただけだ」


 エルミスを魔王にと推薦する人物の中には、その時に存命していた彼の父親もいた。彼はエルミスがアーシェと城で暮らしていることにも、最後まで反対していた。



 エルミスは、自分をかばって実の父親と決別した。



 息子を道具の様に扱うんだよ、と彼は軽蔑した様に父を語っていたが、だからと言って親子が敵対するのを誰が望むだろうか。

 今でもアーシェにとっては、苦い想い出の一つとして胸の底でうずいている。


「我は今まで、エルやじい、それから色んな者にたくさん世話になった。色んなものをもらって、ここまで育ててもらった」

「……」

「だからこそ、……我は一日も早く、立派な魔王になりたい」


 ずっと、強く願っていた。

 魔王になって独り立ちして、二人に心配をかけないくらい強くなって、一人前の魔王として認めてもらいたい。

 そして。



 今度は自分が、彼らを助けるのだ。



 歴史の闇になど負けはしない。勇者に討伐される様な愚は犯さず、ここで負の連鎖を断ち切る。

 それがきっと、守られてばかりだった自分に出来る最大の恩返しだ。

 そこまで考えて、とろとろとまぶたが下りていく。

 本作りに集中し過ぎた様だ。夜も更けているし、とっくに限界が来ていたらしい。

 だが、まだ伝え足りない。だから、口は心のままに勝手に紡いでいく。


「いつか、エルにも。『強くなったなー』って、言わせてみせ、……るぞ」


 流石さすが魔王だと、きちんと認めてもらって。

 民の者達にも、堂々と素顔をさらして。

 そして。



〝……、構わん〟



 二度と。

 あんな、悲しいことを言わせはしない。

 何故か、そんな風に思った。


「じいも、……エル、も。もう、我のことで、苦労、を、……………………」


 だんだんと意識が遠くなっていく。

 もう眠りに落ちると悟ったが、閉塞していく視界の中で抗う術も無かった。ここのところ城下に下りていた時間の分、仕事で徹夜続きになっていたから無理もないだろう。

 そうして、心地良い夢の中へ飛び込む寸前。


 ばーか、と苦笑交じりの兄の声が耳元に落ちた気がした。











「……って、こんな所で寝るなよな。無防備過ぎだろ」


 一大決心を語りながら、あっけなくアーシェはエルミスの前で夢の中へと飛んで行った。大口を叩いたそばから早速自分の世話になる従弟おとうとには、もはや呆れ果てるしかない。

 椅子に突っ伏したままの姿は、本気で無防備そのものだ。このままでは風邪も引くだろう。面倒だったが、仕方がないので風の力を借りてアーシェの体を抱き起こした。

 ブランケットをぎ取って、そのままベッドに横たえてやる。

 マットの弾力性もあって彼の体が少し跳ねたが、その程度では強固な睡眠欲を削ぐ力にもなりはしなかった。すやすやと、幸せそうにあどけない寝顔を晒している。


「……こいつ、アホだろ」


 気を許しすぎだ。


 魔王になる者は、例え家族が相手であっても決して心を許してはならない。時も場所も人も選ばずに命を狙われるのが、権力者の定めだからだ。

 しかし、口酸っぱく教えてきたじいさんの教えは、欠片かけらも生きてはいないらしい。じいさんが見たら嘆くだろうなと、見慣れた顔を思い浮かべ――ついっと視線を逸らした。



「……って、もう嘆いてるか」

「ええ。坊ちゃまの警戒心の無さは、本当に嘆かわしくて。じいはどれだけ坊ちゃまの耳にタコを作れば良いのやら」



 つい今しがた、気配なく部屋に忍び込んだ侵入者は、わざとらしくハンカチで目元をぬぐいながら泣き崩れていた。

 あまりの仰々しい振る舞いに、エルミスは乾いた笑みを貼り付かせる。いつもながら芝居がかった言動は、面白くはあるが鬱陶しくもあった。

 特にアーシェを抜いた時のやり取りは、正直反吐へどが出そうだ。



「……それで、エルミス」

「あ?」

「坊ちゃまは、また城下に行くおつもりで」

「ああ、……」



 本当に、反吐が出そうだ。



 じいさんの大袈裟な言動も。

 エルミスなんかを信じて、城下行きがバレていないと信じる従弟も。

 何もかも。

 全て、滅茶苦茶に引き裂いてやりたくなる。



「ま、そうみたいだなー。ご丁寧に絵本まで作ってるんだ。涙ぐましくて、こっちが泣きそうだ」



 やれやれと大きく肩を竦め、エルミスは冷めた眼差しでアーシェを見下ろす。

 彼はあどけなく仰向けに寝転がっていた。弱点の一つである喉元を晒すとは、さばいて下さいと自ら差し出している様なものだ。


 ――本当に。俺達がいなければ、彼はとっくに死んでいたかもしれない。


「……長かったのう」


 口調は淡々としていた。

 だが、そこに時の長さを憂う響きもあって、エルミスは煩わしくて耳のあたりを手で振り払う。


「本当はもっと早く実行しても良かったんだけど? ま、いいさ。城下行きは、報われない可愛い従弟への最後のご褒美ってことで」

「……バーチェル商会の件もかの」

「一つくらい、自分の手で民の役に立てたって思えば、惨めな心を慰められるだろー?」


 そのために、商会を検挙する日にちを彼の城下行きに合わせた。日付を調整するくらい、政治を担うエルミスには訳が無い。

 実際にその手で仕事の感触を掴めば、魔王への階段を確かに上っているという錯覚を強く抱かせられる。ついでに、民にもアーシェの印象をそれなりに植え付けられたはずだし、一石二鳥というわけだ。

 これで計画は滞りなく進むだろう。十年以上、待った甲斐があった。


「ふむ。坊ちゃまも可哀相に」

「はっ。よく言うぜ」



 一番、魔王から引きずり落としたがっていた奴が。



 声には出さず、エルミスは吐き捨てる様に彼を視界から締め出した。見納めの様に、ベッドをもう一度見下ろす。

 さらりと、流れ落ちるアーシェの髪に無造作に手を入れた。紫がかった漆黒の髪色は、窓から照らされる月明かりを反射して濡れた様な輝きを放っている。


 まるで、これからの行く先を暗示しているかの如く不穏な光だ。


 まさしく、この場に相応しい。


「お前は魔王になんて相応しくないぜ、アーシェ」


 きゅっと軽く彼の髪を握って、エルミスは優しく優しく笑みを落とす。

 見る者全てを魅了する様な、慈しみさえたたえる視線を彼に注いだ。


「そろそろ、叶わない夢に終わりを告げてやろう」


 さらっと指の隙間から髪を零す。

 優しく撫でる様に声を落としながら、エルミスはゆっくりと立ち上がった。

 そして、殺意を込めて彼を見下ろす。



 ――さあ、お別れの時間だ。



 せいぜい、己の無力さを憎むと良い。



「――魔王に相応しいのは、この俺だ」



 心臓を一突きで撃ち抜く様に、エルミスは不敵な視線でアーシェの顔を貫いた。


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