第12話


「はい、みなさん。ティータイムの時間ですわよ」



 じゃーんと豪快にレティが腕を広げた先には、食物が山盛りに乗せられた皿達が、テーブルに所狭しと置かれていた。

 真ん中には、控えめに正座をしたアップルパイ。

 十を超える数の椅子の前には、香り豊かなアップルティー。

 そして、空いたスペースというスペースを使って、盛りに盛られた、たいやき屋主人特製のザ・たいやき。

 王族育ちのアーシェとしては、まずたいやきの盛り付け方が無造作過ぎて仰天した。それだけでは飽き足らず、山以上に積まれた量も、自分のテーブルマナーの基準を遥かに上回っていて眩暈めまいを起こす。これがカルチャーショックかと、妙に冷静な自分が分析していた。

 だが。


「きゃー! いっぱーい!」

「すっげえ! よーし、食べるぞー!」

「いっただっきまーす!」


 アーシェの常識など何のその。

 子供達は黄色い歓声を上げ、嬉々として飛び付いた。

 たいやきを取り合う様は、さながら戦場の騎士達が死闘を繰り広げる様な鬼気迫ったもので、アーシェはスタートダッシュから出遅れる形となってしまった。


 ――彼らは、騎士に欲しい素早さの基準を軽く上回っておる。


 真剣に感心し、将来騎士になってくれないだろうかとアーシェがこっそりみなっていると。


「はいはい、みんな行儀よく食べて下さいね。さあ、アーシェルさんも。どうぞ」

「お、おお。ありがとう」


 院長がにこやかに右手を差し出し、お菓子をうながしてくる。彼女の手をかざした場所だけが、喧騒を遠ざけて穏やかになっているのが不思議だが、彼女らしいとも思ってしまった。

 用意された自分の席の前には、既にアップルパイとたいやきがり分けられていた。子供達の餌食になる前にと先手を打ってくれたらしい。細やかな気配りに、アーシェはもう一度感謝を告げた。

 たいやきは魔法で保温してある。だからまずは、出来立てのアップルパイから頂くべきだろう。

 そう判断し、アーシェは胸を躍らせながら腕を伸ばし。



 中途半端な場所で、手が止まった。



 あるだろう場所に、あるべき道具が無い。その事実に気付き、無意味に手をぷらぷらさせてしまう。

 パイを乗せた皿の横には、上品な香りを立ち上らせるアップルティーが美味しそうに置かれている。

 そして、周囲にはこれでもかと言わんばかりにたいやきが踊っていた。


 そう。それだけ。


 周りにはそれ以上何も存在しない。まるで、他は「邪魔だ」と言わんばかりに、何も無かった。

 つまり。これは。



「……まさか。たいやきだけではなく、アップルパイも手で食べるのか?」



 呆然としながら呟くと、横に座っていたレティと院長はきょとんと大きく目を瞬かせた。一人ランスだけが、「ああ」と合点がいった様に相槌を打つ。


「君、自称はともかく、本当に王族なんだね。食べ物を手で鷲掴わしづかみにするのに抵抗あるんだ?」

「う、……」


 指摘されて、何となく縮こまる。別に悪いことをしたわけではないのだが、周囲に目を丸くされ、価値観の差に気付かされた。


「まあ。そうなんですのね。ちなみに、お城ではどんな食べ方を?」

「ええ、っと。ナイフとフォークを使って食べるが」

「……僕もフォークは使うけど、ナイフはここいらだとあんまり聞かないよね。王族らしくないのに、変なところで王族育ちを発揮するわけだ」


 へえ、と興味なさ気に自らはフォークで煌びやかに切り分けながら食べるランスに、アーシェはむうっと押し黙った。

 自分の中では常識でも、城下ではたちまち珍妙なものに様変わりしてしまう様だ。つくづく自分は、城の中の蛙であることを思い知らされる。


「あらあらまあまあ、すみません。今、用意を……」

「あ、いや。待ってくれ」


 腰を上げかけた院長を制し、アーシェは戦場に赴く気持ちで目の前のアップルパイに対峙した。


「郷に入れば郷に従え。ここでは、パイは基本的に、ええと確か、『がぶーっ』と食するものなのだろう。ならば、我も手で食べようと思う」

「まあ! たいやき屋さん直伝の食べ方ですわね!」

「おお、にいちゃん頑張れ!」

「がんばれー!」


 傍からすればかなりどうでも良いことも、アーシェにとっては大事だ。

 小さな子供達が右手を突き上げて応援するという実に奇妙な光景の中、アーシェは「うむ」と力強く頷いて、パイを手に取った。

 べたりと、蜜が手の平いっぱいに広がる感触が妙な気分だったが、香り立つ甘酸っぱい匂いが背中を後押ししてくれる。


「――うむ。いただきますっ」


 決心して大きく息を吸い込み、勢い良く一口頬張った。


 途端、さくりと香ばしい音と、じゅわりと滴り落ちる果実の甘みが舌全体に広がっていく。

 さくさくとした食感も、何とも芳醇な甘みも、実に美味の一言だった。


「……美味い! これは本当に美味いな!」

「……おおー! やったー!」

「せんせい、おいしいって!」


 子供達が何故かハイタッチを交わす中、院長も心の底から感激した様に笑顔を見せた。

 不思議ではあったが、それよりも次から次へと食べる手が止まらない。

 パイを飲み込んだ余韻も濃厚であるのに、あっさりしていて食べやすい。実に上品な仕上がりだ。

 瞬く間に一個を食べ切り、更にもう一個に手を伸ばしながら、アーシェは瞳を満天の星空の様に輝かせた。


「本当に美味いな。これは、エルが作ったのと同じくらい美味いぞ」

「え、……まさか君の言うエルって、エルミス様のこと? あの人、菓子作りなんかするんだ。超意外」


 黙々と優雅に食べていたランスが、ぽろっとフォークから華麗に一切れを取り落とす。

 何故、彼は取り落とす仕草一つ取っても、美を追求するのだろうか。今もふさっと、前髪を掻き上げる仕草付きで、アーシェの目が遠くなる。


「あ、ああ。エルは魔法や剣の腕も一流だが、お菓子作りも一流だぞ。昔から、我が落ち込んだりしていた時は、よく作ってくれた」

「まあ。素敵なお兄様ですわね!」

「うむ! ……しかし、この味。城で出てくる食事のものとよく似ているな」


 素朴な味付けは、城の食事とは比べる土俵が違うから置いておくとしても、土台となる味は共通の匂いがした。

 アーシェが軽く疑念を巡らせていると、ハイタッチをして飛び跳ねていた子供達は、得意気に椅子の上に乗って仁王立ちした。



「そのリンゴ、おれたちがつくったんだぞ!」

「――」



 何と、衝撃という名の釣鐘が笑顔で落っこちてきた。



 えっへんと胸を反らして自慢する男の子に、アーシェは目を点にする。なに? と間の抜けた声を出したことを、誰が責められるだろうか。



「私たち、裏の畑でお野菜や果物を作っているの!」

「おしろの人もな、『おとくいさま』なんだぞ!」

「――――――――」



 城が、『お得意様』。



 その一言で、アーシェの頭の中で糸が一本につながる。影に隠れていた事実が一瞬にして真実を主張した。

 アーシェは今まで、衣食住に困ることのない生活をしてきた。

 その内の『食』は、ある孤児院から納められている食物が多大な貢献を担っているのを知っている。


 ――まさか。


 思い至り、アーシェは確認のためにレティの方へと向き直った。


「……レティ」

「あ、はい。何でしょう?」

「ここの孤児院。もしかして、ルーヴェルという名前か」

「はい、そうですわ。そういえば、お教えしていませんでしたわね。嫌ですわ、わたくしったら」


 己の失念を恥じて右手を頬に当てるレティだったが、アーシェの羞恥心は右手を頬に当てたくらいでは収まらない。ごっと、肌を突き破りそうなほどの勢いで血の気が真っ逆さまに流れていく。


「……そうだっ。ラファス地区の孤児院といえば、ルーヴェルではないか。我としたことが、何たる失態っ」

「え? あの、アーシェ様?」


 急に頭を抱えて唸り出したアーシェに、レティはおろおろと両手を可愛く揺らしている。ランスは我関せずでパイをのんびり頬張り、院長はきょとりと首を傾げていた。

 そんな、非常に彼ららしい反応の中で、アーシェは表情を改めて院長に向き直り――頭を下げた。



「挨拶が遅れてしまって申し訳ない。改めて、我はアーシェル・ラング・フェルシアーノ。城から来た」

「――、え」



 きっちり礼儀正しく、適切な角度で頭を下げる。

 突然のことに院長は言葉を失くしてしまった。戸惑っている様だが、感謝は正しく伝えなければならない。


「お前達ルーヴェル孤児院には、いつも素晴らしい食材を納めてもらって感謝している。城を代表して、深く御礼を申し上げたい」


 告げて、アーシェは顔を上げた。

 見れば、院長だけではなく、子供達もぽかーんと目と口を大きく丸くしている。それもそうかと微苦笑を零し、アーシェは恥ずかしくなって頬を掻いた。


「我はこの十七の歳まで城を出たことがなくてな。直接お礼を言うことも出来なかった。だから、こうして機会を与えられたのも巡り合わせなのだろう」

「……、まあ」

「いつも、ここの食べ物は美味しく頂いているぞ。おかげで、好き嫌いも減った」


 現在、城では孤児院から食物を一部納めてもらうことになっている。

 初めは「孤児院で栽培しているものなど」と難癖を付けていた連中も、一口味見をして一斉に沈黙した。あの時の爽快感は忘れられない。

 茶目っ気も含めて感謝を送れば、院長は恐縮してしまったらしい。「あらあら」と直立不動で頭を下げてきた。


「とんでもございません。こちらこそ、納税を金銭から作物に変更して頂いて、感謝しております。その上、納税のはずが売買という扱いになって。破格の利益まで頂きまして、こちらが申し訳ないくらいで」

「良い食材に対価を払うのは当然だ。それに、こちらの都合ではあるが、それによって国からこの孤児院への資金援助に代えさせてもらっている。税は取るべき場所から取っているから、あまり気後れしないでもらいたい」


 真実をありのままに話せば、院長はそれで緊張が解れたのか、目元を和らげて頭を下げた。

 アーシェにとって長らくつっかえていた気がかりだったが、今の言葉で少しでも彼女の荷を下ろせたのなら良かったと思う。


「しかし、そうか。あの食べ物は、ここの子供達が作っていたのか」


 それなら、美味いはずだな。


 屈託なく笑って、再びパイを頬張る。じゅわりと滲み出る甘酸っぱい豊かな香りが一層美味しく感じられるのは、味の秘訣を知ったからだろう。

 もぐもぐと、あっという間に三切れ平らげてしまったアーシェの皿を見つめながら、子供達が「おー!」と歓声を上げる。


「アーシェルさん」

「うむ?」


 呼びかけられて振り向けば、院長はどこか滲ませた瞳を揺らし、椅子に座り直した。

 そして。



「……私達ルーヴェル孤児院は、現在の魔王後継者の方に深く感謝しております」

「――」



 濡れた手拭きで手を拭き、一息入れると感謝を捧げられた。

 唐突に何だろうと思いながらも、アーシェは余計な言葉は挟まず、黙って続きに耳を傾ける。


「七年前のことです。この孤児院は悪質な取引に引っ掛かり、立ち退きを要求されるという危機がありました」


 七年前。


 沈黙を保ちながら、アーシェは素早く脳内の引き出しをあさる。

 七年前と言えば、あらゆる地区の孤児院や没落した貴族などを狙って、土地の巻き上げが横行していた頃だ。

 確かにそのターゲットの中の一つに、ルーヴェル孤児院の名が連なっていた。


「子供達にとって、この院は最後の家であり砦。詐欺にあったと訴えて立ち向かいましたが、嫌がらせはエスカレートするばかり。いよいよ夜逃げするしかないとなった時に、国がこの土地を買い上げて下さいました」


 そのことを、アーシェ自身もよく覚えている。

 当時、手を替え品を替えて懲罰の対象から外れ、役人達が手を焼いていた諸悪の根源の富豪と傘下を、国は間者と特殊部隊を駆使して締め上げた。

 買い上げた土地は、別の良心的な貴族に分配したり、国がそのまま所有したりと様々な対処法を取り、事態は鎮圧された。その際、国から補助金も提供し、打開策となる政策も打ち出し、なるべく多くの者を救おうと奔走したのだ。

 しかし、それを今、他者から語られるとは。何となく気恥ずかしくて、落ち着いて座っていられなくなる。


「きっと、誰もが半ば諦めていたと思います。例え彼らを裁けたとしても、被害に遭った者達全員を救うことは厳しいだろうと、みんな分かっていました」

「……」

「だからこそ、全員を様々な形で救い上げてくれた城の皆様に、私達は感謝しました。何かお礼をと、申し出る者も決して少なくなかった」


 そういえば、とアーシェは記憶の糸を手繰たぐり寄せて思い出す。

 城としては当たり前のことをしただけだ。それなのに、思った以上に感謝状が届けられて、困惑したくらいだ。

 何故だろうと長年疑問だったが、院長の話でようやく腑に落ちた。彼らにとっては、それだけの価値があったのだ。


「エルミス様を通じて後継者の方が伝えてくれた言葉は、今でも覚えております」

「……っ、え?」

「わたくしもですわ。忘れるはずがありません!」


 いきなり過去の自分の話を院長に暴露され、アーシェの体が文字通り飛び上がる。しかも、両手を合わせてレティまで乗り出してきて、一も二も無く後ずさった。



 ――我が、彼らに何かを言った?



 全く、覚えていない。

 思い返せば、エルミスが「何か言ってやれよ」と茶化しながら笑っていたから、真面目くさって伝えた気はする。

 だが、まさか本当に伝えていたとは思いもしなかった。

 しかも、七年前。アーシェはまだ十になったばかり。


「……っ、いや、あの」

「ふふふ。ああ、わたくし、あの時ほど嬉しく思ったことはありませんわ」

「えっ。ぐ、あ、お」


 頬を赤らめて目を伏せるレティに、アーシェの顔は対照的に青褪めていく。

 ただの子供が、一体何を口走ったのだろうか。えらっそうに臆面もなく傲慢なことを言い放っていたら、爆死してしまいたい。

 うわあ、うわあ、と心の中で盛大に頭を抱え、今すぐにでも穴を掘りまくって埋まりたくなった時。



「――『ならば、心から笑って暮らせ』」

「――――――――」



 滔々とうとうと紡がれた院長の一言に、アーシェは目を見開いた。どくりと鼓動が高鳴る感覚は、反対に昂ぶった気持ちを奇妙に鎮めていく。


「『民あっての国家。民あっての王。皆の顔は、王の顔と同じ。……どうか、心から笑って暮らして欲しい。それだけで、充分感謝となる』。……その時のお言葉は、今も忘れはしません」

「……っ」

「それは、ここの人間だけではなく、城下の者全てが心に刻んでいるはずです」


 感謝しています。


 真っ直ぐに告げられた言の葉が、ひらひらとアーシェの心に舞い降りてくる。ふわりと優しく溶け込んで、自分の熱に笑いながら寄り添ってくれた。



 感謝。



 代々災いを呼び起こしてきた魔王に連なる自分に、民はあの時のことを今でも感謝してくれていたのか。

 こんな。



「……今の今まで顔も見せず、直接民と話さぬ不誠実な者なのにか?」



 震えそうになる声を必死に制御し、淡々と問いかける。

 それでもぶれてしまった問いに、院長はにっこりと微笑んだ。


「もちろんです」

「――」

「顔を出せないのは、何か事情があるのでしょう。歴史の因縁は複雑ですが……来年、魔王様を拝見できる日を楽しみにしております」


 綺麗な笑顔を向けられた。

 まるで、心の清らかさがそのまま映し出されたかの様な笑みで、アーシェは胸を深く突かれる。


 父の遺言に従い、姿を現せず、ただ城で守られながら生活と執務をこなす日々。


 毎日、報告書からは読み取れない民の顔や声を想像しながら、思いをせていた。

 初めて下りた城下は、笑顔に溢れた素晴らしい場所だった。身を置いているこちらまでいつの間にか笑顔になってしまう様な、温かな雰囲気に包まれていた。

 大なり小なりの騒動はあれど、幸せに暮らしているのかもしれない。そう、思えた。



〝アーシェ様は、人々を笑顔にさせる天才ですわね〟



 ――少しでも、伝わっていたのだろうか。



 不誠実ながらも、少しは彼らに誠実に向き合えていたのだろうか。

 笑っている子供。温かく誘ってくれるレティ。感謝を告げてくれる院長に、呆れながらも少しだけ口元が優しいランス。

 何かが開けていく感覚に、アーシェはぎゅっと手を握り締めた。

 自分の未来に、希望の兆しを託された気がする。


「……、うむ」


 ありがとう。


 そう、告げようとすると。




「――邪魔するぞー」

「――」




 後方から、至って能天気な挨拶が飛んできた。

 その場の全員が、ばっと弾かれた様に振り返ると、そこには青年が佇んでいた。シンプルではあるが典雅な刺繍が施された紺色のコートをまとい、茶目っ気たっぷりに「いよーっ」と片手を上げてウィンクしてくる。

 それは、今はここにはいないはずの人物だった。仰天して、がたっとアーシェは椅子を蹴り倒す。


「え、エル!?」

「悪いなー。ノック何回かしたんだけど、返事無かったもんで。勝手に上がらせてもらった」

「あらあらまあまあ、すみません、エルミス様。つい、お話に熱中してしまいました」

「あー、いいのいいの。俺こそ邪魔して悪いな」

「エルミスさまー!」

「エルミスさまだ! あそんでー!」


 突然現れた兄は、エルミスさまー、エルミスさま、と慕ってくる子供達を「ごめんなー、ちょっと待っててくれ」と軽くなだめながら、アーシェの元に一直線に歩み寄ってきた。

 途中、ちらりとエルミスはランスを一瞥いちべつし、ランスの方も少しだけ眉を寄せる。


 ――しかし、子供達は随分とエルに懐いておるな。


 しかも、きらきらと尊敬の眼差しを最初から注いでいる。これは、街人からも同じだろう。もしかしたら、素で土下座されているかもしれない。

 敬われている兄と自分の待遇を比較し、遠い目をしながらアーシェは哀愁を背負ってしまった。

 とはいえ、兄が尊敬されているのは素直に嬉しい。城下での姿も目に出来て、得をした気分だ。

 しかし。


「ところで、アーシェ」

「うむ?」

「……」



 かつん、と。アーシェの前に立ち止まった足音が、やけに大きく鳴り響いた。



 飄々ひょうひょうとした笑みを浮かべてはいるが、どこか真剣な様子も見え隠れしている。アーシェの方も無意識に背筋が伸びる。

 じーっと、頭から足元まで丁寧に観察された。何度も上下に行き来し、丹念に凝視され、アーシェとしては疑問符が周囲を埋め尽くす勢いだ。


 ――何なのだ、一体。


 そろそろ視線の圧力に耐え切れなくなり、口を開こうとすると。


「……、よし」


 短く息を吐き出し、ぐしゃぐしゃっとアーシェの頭を撫でてきた。

 態度にも納得はいかないが、前触れもなく髪を乱されるのにはもっと納得がいかない。しつこく、ぐしゃぐしゃと頭を撫でる手を振り払い、詰め寄る勢いで食い下がった。


「何なのだ、いきなり!」

「いやあ、今日もお前の頭は掻き回し甲斐があるなあ、と。お兄様、嬉しくなっちゃって?」

「ふざけるなっ! ……それで、何かここに用なのか」


 腕を組んで牽制けんせいし、ぶっきら棒に尋ねると、エルミスは呆れた様に笑みを漏らした。

 こんな時でも兄の顔をしている彼に、いつまでも子供扱いされている気分になって益々膨れてしまいそうになる。

 だが。


「ああ、お前にな。お楽しみのとこ悪いけど、もうそろそろ城に帰んないと。じいさん騙しきれなくなるぞ」

「ぬ」


 指摘されて、己の未熟さを恥じる。

 エルミスに脱走を協力してもらった挙句、迎えに来てもらう羽目に陥るとは。とことん己の管理が出来ていないと天を仰ぎたくなる。


「もう、そんなに時間が経ったか。すまぬ」

「時間忘れんのも問題だよなー。これは、アラーム付き時計でも首にぶら下げておくべきか。『おこさまー、おこさまは家に帰るお時間ですよー』って入れといてやるよ」

「お前、どこまで我をからかえば気がすむのだ! 我はもう十七だ!」

「そう言ってる内はまだ子供だっての。じいさんも言ってたろー? 一歳違えば、赤子と大人の差があるって」

「ああ言えばこう言う。二枚舌! 口八丁! 猿なんか木から飛び降りてしまえ!」

「……お前ね。それ、悪口か?」

「わ、悪口、だ!」

「あっそ。……あー、これ以上見世物になるのは嫌だから、さっさと帰るぞ」


 ほーれ、と首根っこを掴んで軽々と持ち上げられ、アーシェの顔が怒りと羞恥で真っ赤になった。いくら魔法の力とはいえ、これでは本当に子供だ。

 しかし、抗議をする前に、すとんと床に下ろされた。これでは文句をぶつける機会も無い。彼はいつも絶妙のタイミングで攻撃を逸らすから、不満が溜まりっぱなしだ。その内、体を突き破って爆発するかもしれない。

 ぷすんぷすんと頭から湯気を出して怒りを持て余していると、エルミスは笑いを噛み殺しながらもう一度頭を撫でてきた。

 これで誤魔化されると思うな、と口にしたかったが、彼が笑いながら孤児院の者達に向き直る横顔に何も言えなくなる。


「それじゃ、お邪魔しまーした。アーシェの面倒見てくれて、ありがとな」

「何でそういう挨拶になるのだ! ……今日は楽しかった。色々と礼を言う」


 ぽんぽんと頭を叩きながら促してくるエルミスに、悪態を吐きながら背を向ける。

 名残惜しいと思ってくれたのか、子供達が次々に声をかけてきた。


「うん! たのしかったよ、まおうさま!」

「にいちゃん、またあそんでね!」

「またね!」

「……、おお、もちろん!」


 元気だがさみしそうな声に振り返り、アーシェはめいっぱい手を振り返す。

 その様子を見つめ、エルミスがにやにやと口の端を吊り上げた。


「おーおー、子供達に大人気。さすがお子様」

「エルー! ……じゃあ、エルもお子様だな。子供達に大人気だしな!」

「ばっか。俺は大人として人気なんだよ。格が違う、格が」

「あぐっ! そ、そんなことは、……ぐうっ」


 からかい、からかわれ。

 最後まで情けない姿を見せることに涙をしながらも、アーシェは子供達に手を振って、今度こそ背を向ける。

 次来た時は大人の色香を前面に押し出してやる、と誓いを立てたが、それを兄に言うつもりは毛頭なかった。











 ――喧嘩しながらも、楽しそうにじゃれ合う兄弟を見送り。

 レティとランスは、顔を見合わせた。



「……うふふ。エルミス様ったら」

「これは、珍しいもの見たね。ラッキーかも」



 にまにまと、面白い玩具おもちゃを見つけた子供の様に微笑んだのだった。


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