第11話


「う、おおおおっ⁉」


 どごおっ! と、大量の波に突進され、アーシェは堪らずどしゃあっと、波に呑まれる様に頭から床に引っ繰り返った。

 むぎゅっと大勢の肉の塊に押し潰される感触に、起き上がることもままならない。顔まで肉に押し潰され、窒息しそうになり、慌てて両手を無理矢理挟む。



 ――何が起こったのだ。



 せっかくの決意がすぐに押し潰され、次々と立ちはだかる壁にもうはや挫けそうになる。

 だが、それでも根性で立ち直って耳を澄ませば、何やら甲高い声が威勢良く宙に上がり始めた。


「ランスー! 遅いぞ! 広間集合だってルースせんせーも言ってた!」

「らんすにいちゃん! きょうはたいやきだよ! あと、あっぷるてぃーだって!」

「んー? なあなあ、ランス。この人誰だ?」


 ようやく一人が、下敷きにしている存在に気付いたのか問いかけてくる。ぼふぼふと、何故か丁度良く腹の辺りを殴るので、アーシェは思わず「ぐふっ」とうめいた。


「……ああ、ただの変態だよ」

「誰が変態かっ!」


 思わず噛み付いて、アーシェは必死になって何とか起き上がった。くらくらする頭を押さえ、自分の腹や周りに座る津波の正体を確認する。

 そこには十に満たない、年齢差のばらばらな子供が実に元気いっぱいに騒いでいた。全員の目が一斉にこちらを向き、興味津々といった様子で見つめてくる。

 おりに入れられた猛獣の様な気分だ。何となく落ち着かなくて、助けを求める様にランスを見上げてしまった。


「ええ、っと」

「自称魔王様は、挨拶も出来ないんだね。ああ、この国の将来を考えると、僕の綺麗な心はたちまちガラスハートとして砕けていきそうだよ」

「誰がガラスハートだ。……うむ、初めまして、だな。我は次期魔王の、アーシェル・ラング・フェルシアーノだ」


 意地悪く茶々を入れてくるランスには罵倒を顔に叩き付け、子供達に自己紹介をする。

 今度も、「魔王なんて嘘だー」と笑って無かったことにされるかな、とみじめな予想をしてしまった。何せ、広場でも子供に足をぽんぽんされた。思い出すたびに虚しくなる。

 だが。



「おお、まおうさまー! まおうさま、いらっしゃい!」

「まおうさま、わっかーい! まおうさま!」



 わあっと、活発な歓迎が室内に満ちた。え、と予想外の反応にアーシェは面食らう。

 きゃっきゃと見上げてくる子供達の目に嘘は無い。本当に『魔王として』歓迎してくれているのが、溌剌はつらつとした雰囲気から伝わってきた。

 思った以上に、かなり熱狂的な空気を感じる。あまりに強い反応に、何となく気が引けた。


「ああ、うむ。魔王、だぞ」

「まおう! まおうだぞ!」

「ねえねえ。まおうさまは、子供なの?」


 戸惑いながらも、子供達はもみくちゃにする様に追究を続けてくる。え、あ、とどもってしまったが、ごほん、と一つ咳払いをして態勢を立て直した。


「いや、あと一年で大人になる、……ぞ」

「じゃあ、子供なんだー!」

「子供まおうさま!」

「うう、……うむ。そう、かもしれ、……ぬ」


 理論的に追い詰められ、アーシェは泣く泣く子供と認めた。確かにまだ成人はしていない。故に、未成年だ。益々ますます虚しくなる。

 だが、子供達はそんな自分の傷心など露ほども気付かず、彼らのペースで迫ってきた。子供はここまで元気なのかと微笑ましくなる。


「ねえねえ。まおうさまは、まほうがつかえるの?」

「……ん? ああ、そうだな。破壊や修復系統なら、歴代随一と言われるくらいには使えるぞ」

「じゃあじゃあ! このおもちゃもなおせる?」

「うむ?」


 ぺたぺたと物珍しげに触れられる中で、一人の子供が長方形の箱を差し出してきた。

 何の箱だろうと受け取って開いてみると、中には楽器を持った天使が二人収められていた。右は空洞で何かを収める箇所の様だが、左には演劇の舞台の様な綺麗な装飾が施されている。

 箱の裏にネジが取り付けられているのを見て、オルゴールだと判断した。恐らく、この台に天使を乗せてメロディを流すのだろう。

 所々壊れているものの、なかなか凝ったデザインだ。見事な芸術に惹かれながら、アーシェは尋ねてみた。


「もちろん直せるが……壊れて結構な月日が経っているようだな。修理屋には行かなかったのか?」

「だって、おじちゃん、なおせないって」

「直せない?」

「うん、……」

「お、おおっ!?」


 しゅんっと悲しそうに項垂うなだれる子供に、アーシェは飛び上がらんばかりに慌てふためいた。傷付けてしまったかと両手をばたばたさせていると、ランスが呆れ返った風に溜息を吐く。


「ちょっと自称魔王様、しっかりしてよ」

「え!? いや、あの」

「正確には取り替える部品が無いんだってさ。それ、その子の形見なんだけどね。結構珍しい品物らしくて、魔力のこもった部品も使われてるみたい」

「魔力……」

「そ。で、壊れた部品の代わりになるものが無いんだって。かと言って、修復魔法を使える人間もこの街にはいないしね」


 ランスの補足に、アーシェも合点がいった。

 魔法の素質がある者が生まれるのは、一般人だと半々の確率。しかも、修復系統の魔法は難易度の高い部類に入るらしい。

 アーシェからすれば、解除などの支援系の方がよほど難度が高いのだが、世間一般では最も難しいとされているのが修復魔法だった。


 ――それなら今ここで直しても、民の仕事を奪うことにはならないか。


 オルゴールを軽く掲げ、構造を把握はあくしようとすると、ぱたぱたと外から足音が聞こえてきた。

 どうやら、こちらに向かっているらしい。自然と全員の視線が扉に集中する。

 そして。



「まあ、アーシェ様! こちらにいらしたのですわね」



 扉を開けて、レティがおっとりと姿を現した。アーシェを見つけて、あらあらと口元に手を当てる。


「おお、レティ。どうしたのだ?」

「広間になかなかいらっしゃらないものですから、探したのですわ。みんな、なかなか戻って来ないので何かあったのかと思いました」


 みんなが騒いでいるのを目にして、ほっとした様にレティが微笑む。

 彼女が笑った途端、さあっと部屋の中も朝日に照らされる様に明るくなっていった。心なしか気分も軽くなって、アーシェは気を揉ませたと反省しながら笑い返す。


「ああ、すまぬ。ランスと深い友情を交わしていたのだ」

「まあ、そうでしたの! もうすっかり親友なのですわね」

「無いこと無いこと言わないでくれるかな。……レティ、実はね」

「れてぃおねえちゃん! このおにいちゃんがね、オルゴールなおしてくれるんだって!」

「――――――――」



 おにいちゃん。



 いつもなら流せた呼び方だ。

 初めて城に下りた時から坊主呼ばわりされているし、特に気にすることでもない。魔王と認められないのも、悲しいことに慣れた。

 しかし。


〝ああ、魔王様じゃねえですか! どうしたんです、こんなところに〟


 じわりと、嫌な胸騒ぎが体の奥底を這いずり回る。どうしても、この呼び方を看過かんかすることが出来なかった。


「……お前達」


 声が、かすれた。

 ランスやレティには不審に思われたかもしれない。実際、ランスはわずらわしそうに目を細めていた。

 だが、ここで質問を止めるわけにはいかない。ざわざわと、耳元でこすれる雑音に恐怖をあおられながら、広場の時と同じ疑問を口にした。


「さっきまで、我のこと。魔王と、呼んでいたよな?」


 反応が、恐い。

 けれど、つっかえながらも最後まで言い切った。静かな湖面に一滴を落とす様に波紋を投げかける。

 しばしの沈黙。子供達は互いに顔を見合わせ。

 そして。



「おにいちゃん、まおうなの?」

「――――――――」



 ざっと、ノイズが頭の中を走る。

 不気味なほど予想通りの答えに、得体の知れないざわめきが胸元をせせら笑う様にうごめいた。

 ぎこちなく視線を上げると、ランスもいぶかしげに子供達を見つめている。

 明らかに噛み合わない会話に、彼も不審に思ったらしい。それがアーシェには救いだった。空耳ではないと立証出来る。


「魔王様かあ。とっても若いんだね!」

「でもさ、まおうって、もっとえらそうにしてるんじゃないの?」

「にいちゃん、本当にまおうなのか?」

「でも、お兄ちゃんは魔法が使えるから、魔王なんだよ、きっと」

「でも、エルミスさまも、まほう使えるよ」


 わいわいと本人の前で好き放題に語るのを見て、ぐっとオルゴールを握る手に力がこもる。

 違和感は、鎮まるどころか膨らむばかりだ。

 初日では得られなかったこの感覚の源は何なのか。知識を総動員させても分からず仕舞いだ。


 ――どういうことだ。


 言いようも知れない不安が込み上げてきたが、手にあるオルゴールが視界に入り、今は疑問を振り払う。

 さっきランスは、このオルゴールは形見だと語っていた。これ以上、この子供が悲しむ顔は見たくない。


「では、……やってみるな」

「おお!」

「ほんとう!?」

「ああ、本当だ」


 頷いて、アーシェは気分を切り替えてオルゴールを掲げてみせる。

 子供達に興味深げに見守られる中、すうっと目を細めて意識をオルゴールに注いだ。細部の構造を魔法で見透かして把握する。壊れた部品の数は多いが、特に難しそうな箇所は見当たらない。


 ――うむ。これなら、大丈夫だ。


 後は壊れた道を辿るだけだと、手順を確認してからもう一度頷いた。

 道筋をしっかりと叩き込み、アーシェは糸を編み込む様に術式を展開していった。術式に潜り込み、己の意識を道に滑らせる。

 途端。


 ふわり、と。自分とオルゴールの周囲に、湖の様に鮮やかな蒼い魔法陣が幾重にも描かれていった。



 魔法陣に呼応し、オルゴールの欠片かけらたちが風の様に、水の様に、まるで音楽を奏でる様に、繊細に光を引いて舞い上がる。そのままオルゴールの元へと光を散らし、踊りながら吸い込まれていく。

 ぱらぱらと微かな金属音が調べとなり、弧を描きながら欠片があるべき箇所にはまっていく。その様は、蒼く発光しているのも相まって、水が優雅に流れ行く様な風景を描き出した。

 ぱらぱらと滑らかに流れていきながら、オルゴールは本来の姿を瞬く間に取り戻していき。



 ぱちり、と。軽い音を立てて、最後のピースが箱に嵌った。



 それを見届け、ふう、と肩から力を抜いてアーシェは出来を確かめる。

 ほころびが無いのを確認してから、ハープを持った天使二人を小さな舞台に立たせた。きりきりとネジを巻き、手を離す。

 すると。


 一拍の間を置いて、澄み切った旋律が優しく流れ始めた。


 舞台を回る天使が綺麗な音色に彩りを添え、実に美しい空間を創り上げる。

 じーっと瞬きもせずにオルゴールを凝視する子供に、アーシェはぽんと頭を撫でた。安心させる様に笑いかける。


「これで、大丈夫だ。形見なのだろう? 大切にな」


 くしゃくしゃと髪を撫でてやれば、子供は零れんばかりに大きく目を見開き。



「……うん! ありがとう、おにいちゃん!」



 満面の笑顔を咲かせてきた。両手で大切そうに抱え、何度も何度も頷く。

 それを見届け、成功して良かったとアーシェは心の中で今度こそ安堵の息を吐いた。もし立ったままだったら、へたり込んでいたかもしれない。座った状態で良かったと別の意味でも安心する。

 と。


「……すっげえ!」

「すっごいな、まおうさま!」


 わっと子供達が一斉に詰め寄ってきた。おお、と突然のことにアーシェの体が跳ねる。


「な、何だ? どうしたのだ」

「魔法だよ、魔法! 俺、初めて見た!」

「これが魔法かあ! かっけー!」

「兄ちゃん、本当に魔王なんだな!」

「おおお、すごーい! もう一回見たい!」


 きらきらと尊敬の眼差しを送られ、今度はアーシェが目を見開く番だった。屈託のない称賛を受け、逆に戸惑ってしまう。

 自分としては、当たり前のことを当たり前にこなしただけだ。感謝はもちろん嬉しかったが、こんな風にきらきらした目で見上げられるのは生まれて初めてだ。どう対処して良いか分からなくなる。

 喜んで良いのか。それとも、謙遜するべきなのか。

 初めての体験に、アーシェが何も言えずに途方に暮れていると。


「ありがとうございます、アーシェ様」


 にっこりと、レティがお礼を告げてくる。

 おお、とぎこちないながらも何とか返すと、レティは本当に――本当に心の底から嬉しそうに、感激の笑みを浮かべた。



「アーシェ様は、人々を笑顔にさせる天才ですわね」

「――――――――」



 人々を笑顔に。



 レティの放った一言は、予想外どころか夢に描くことも思いつかない爆弾だった。

 不意打ちで投下され、アーシェは深く混乱する。

 アーシェはつい最近まで民の前に顔さえ見せなかった、不義理な後継者だ。いずれは連綿と災いをもたらしてきた魔王の名を継ぐ。


 そんな自分でも、人を笑顔にすることは出来るのか。


「……笑顔」


 見上げてくる子供達を、アーシェはもう一度見渡す。

 彼らは確かに笑っている。嬉しそうに、楽しそうに。魔法やオルゴールの名を口にしながら、屈託なく笑ってくる。


〝正直、今魔王っていう人がいなくてホッとしていますね〟


 あんな風に、民を悲しませるだけではなく。

 こんな風に、自分でも笑わせることが出来るのか。


 ――もし、本当にそんなことが可能なのだとしたら。


 アーシェが望む通り、不可能を覆し、全ての者達を笑顔に導くことは出来るだろうか。



『魔王は勇者に倒され、果てる』



 伝承の、決まり文句を引っくり返せるだろうか。


〝坊ちゃまの――〟


 あの日。

 じいに青天の霹靂の話を聞かされた、あの日から。もう一度本と言う本を読み漁った。

 国の建設の過程、初代魔王の変貌、64人目までの魔王と勇者の歩み。



 そこで見つけたのは、小さな違和感だった。



 発見してからは益々じっとしていられなくなって、遂にはエルミスまで巻き込んで城を飛び出した。

 もし、その疑問の正体を突き止められたのなら、自分の力で最後までみんなを笑顔にすることが出来るだろうか。

 命尽きるその日まで彼らを不幸にせず、幸せなまま一生を終えられるだろうか。


 例え、一人では無理だとしても――。


「さあ、アーシェ様。広間にいらして下さい。美味しいたいやきとアップルパイとアップルティーをご馳走しますわ」

「ああ、うむ。……ありがとう」

「……あまり美しくない組み合わせだよね。たいやき来るって分かっていたはずなのに。アップルパイは、院長が?」

「はい! 美味しいリンゴが収穫出来て嬉しかったから、だそうです」

「……うん。いつものことだよね」


 げっそりと肩を落としながら、ランスは額を押さえてよろめいた。

 くらりとふらつくその姿は、先程の具合の悪そうな時とは違って本当に美を追求している姿である。アーシェは呆れてしまった。


「……おお、美の化身よ。せめて、アップルたいやきであったなら」

「……こやつ、何を言っておるのだ?」

「ふふ、いつものことですわ。美の化身が、ランス流の美への追随ですの」


 訳の分からないことを祈り始めたランスに、レティはふふふと誇らしげに笑うばかり。何となく二人の日常を垣間見て、そういうものだと遠い目で納得する。

 一人では無理でも、彼らとなら。

 そう、思ったのだが。



 本当に、願いを実現できるのだろうか。



 どこまでも己の美を変な方向に突き進める彼を見やり、アーシェは激しく不安を抱く。

 だが、そんな不安も、「さあさあ」と弾んだ声と足取りでレティが腕を取ってきて――骨が砕けそうになるくらい力強く握り締められたせいで、瞬く間に意識ごとき消されたのであった。


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