第10話



 魔王を、殺せ。



 アーシェは魔王で、彼は勇者。

 当たり前だが、決定的に相容れない真実を突き付けられた気がした。

 途方もない無力感に囚われ、先程まで受けていた不気味な圧迫感が更に増す。腹の底から這い上る吐き気に、思わず口を押えてしまった。


「……、っ」


 ――駄目なのだろうか。


 圧迫に屈しそうになり、願いが絶望に彩られていく。


 魔王が、勇者と仲良くする。


 そのアーシェの願いが、所詮は夢物語だと嘲笑われた様だった。街の人達も賛同しかねていた様に、大人しく両者は敵対したままでなければいけないのだろうか。

 だが、それならば。


〝――それは、曾祖父の――〟


 何故、曾祖父は――。




「――なーんて内容だったら。君、僕と友達になること諦めてくれる?」

「――――」




 諦めてくれるか。



 そんな軽薄な口調で撤回され、アーシェは弾かれた様に顔を上げる。

 ぽかんと、ひどく間の抜けた顔をさらしていたのだろう。馬鹿にする様に薄く笑うランスに、アーシェは錆び付いた頭を懸命に回転させる。

 つまり。これは、からかわれたということだろうか。友人になりたくないから。

 だとすれば。


「――っ」


 あまりの結論に、かあっと体が底から熱くなっていった。


「え、ま、まさか。……嘘なのか?」

「当然。毎日毎日鏡に語りかけられていたら、いくら懐の広い僕でも発狂するよ」

「うぐっ! そ、それは……」

「そんなことも分からないなんて、君、本当に魔王になるの? ありえないよ」

「ぐっ! ……ま、魔王に、なるのだ! 我は! 必ず!」


 良い反撃も思いつかず、アーシェは決意表明だけをどもりながら強く言い切った。何故自分は口が達者でないのだろうと、情けなくて泣きたくなる。

 そんなアーシェの駄目さ加減に呆れ果てたのだろう。

 馬鹿らしい、と一言呟いて彼はこちらへの構えを解いてきた。そこでようやく、彼に警戒されていたのだと悟る。


 ――普通は、そうだよな。


 警戒された事実に落胆したが、アーシェだって初対面で身構えた。

 元々、命の奪い合いをする間柄だ。ならば、警戒を解いてくれたことは歩み寄る一歩としてはかなり大きい。


 だから、アーシェは「ランス」と声をかけてみた。


 警戒心がき出しにされていない今なら、普通に他愛のない会話も成り立つかもしれない。出来うる限りの笑顔を作って、手なんかも上げてみた。

 だが――。



「――っ」



 笑みを、引っ込めざるを得なかった。

 見れば、ランスは視線だけで殺せる様な瞳で対峙していた。嫌悪どころか怨嗟えんさまで叩き付けてくる様な殺気に、自然と身構えてしまう。

 代々受け継いできた遺伝の影響故だろうか。他の者に対する時と違い、気を緩めるとアーシェもランスに対していつの間にか応戦する姿勢が前面に出てしまう。

 そのことにランスも気付いたのだろう。軽蔑を隠すことなく眼差しに乗せ、がん、と鏡の枠を強く叩いた。


「ほら、君だってすぐ身構える。君が魔王っていうのは、やっぱり本当なのかもね。僕も勇者だし、それくらいなら分かるよ」

「……誰だって、殺気を振りかれれば身構える」

「そうだね。ああ、どうしてここに連れて来たか言ってなかったかな。ここなら、レティや子供達の邪魔が入る可能性が低いからだよ」

「う、む?」

「もう一度言っておくよ。僕は、君と仲良くするつもりはさらさら無いから」


 改めて冷たく吐き捨てられ、アーシェはむっと反射的に噛み付く。


「何故だ」

「だって、魔王は悪魔だもの」


 さらりと、当たり前の様に言ってのける。

 すぐに反駁はんばくしたかったが、そうはさせまいと彼は畳み掛ける様に決定打を打ちこんできた。



「君のお父上だって、孤児院一つ、まるまる焼き払ったでしょ?」

「――――――――」



〝ラズウェル様は、お亡くなりになる前に。孤児院を一つ焼き払ってしまったのです〟



 石で頭を叩き割られた様な衝撃に襲われる。

 一瞬視界が暗転して足元がぐらついたが、そこは根性で乗り切った。唇を噛み切る様に強く閉じ、糾弾に耐える。

 そう。じいやエルミスからも聞いていた。


 アーシェの父ラズウェルは、魔王になって五年目で変貌を遂げたのだと。


 それまで民のために心を砕き、民を一番に考えて善政を敷いてきた魔王は、最後の最後で道を踏み外した。孤児院を子供達ごと業火で焼き払い、その報いを受けて勇者に討たれたのだ。

 初代魔王が様変わりした様に、歴代の魔王達は王座に就いてから年月の長さの差はあれど、必ず同じ末路を辿る。

 そして勇者は、魔王が暴虐の片鱗を見せた瞬間に命を賭して剣を振るう。

 初代よりつづられる、魔王と勇者の不変なる関係だ。


「……父が、実際に孤児院を焼き払ったところを見た者はいない」

「でも、証拠が出揃い過ぎている。疑う余地もなく、魔王が行った惨劇だよ」


 反論はしてみたが、ランスの指摘はもっともだ。弁解の余地も無いほど、証拠は揃い踏みしていたという。

 当時はその謝罪と救済に走り回り、寝る暇も無かったとじいが零していたくらいだ。

 父だけではない。

 祖母も、曾祖父も、その前の魔王達も、魔をいただく二つ名の下に屈した。

 ランスが言うことは正しい。反論も叶わない。

 しかし、それでも。



 歴史は、本当に自分達の道を揺るぎなく示しているのだろうか。



 自分達の代は、今度こそ。

 そう思うアーシェは愚かなのか。ずっと問いかけてきた疑問だ。

 ぐっと拳を握り締め、押し潰される様な暗い圧迫感に負けじとアーシェは顔を上げた。


「……だから、魔王の息子である我のことも嫌いだと?」

「そ。分かったかい? 分かったなら、早く孤児院から」

「ならば、お前も我と同じだな」


 彼の話を遮り、アーシェは毅然きぜんと言い放つ。

 途端、不愉快そうに彼の顔が苦くゆがんだが、ひるみはしない。持てる全ての気合を握り締め、堂々と対する。



「お前も、我を勇者の天敵としてしか見ていない」

「――――――――」



 先程の彼の言葉を、そっくりそのままお返しする。

 はっきりと彼の顔が憤りに染まっていったが、構わない。冷静に続けた。


「我がどんな暮らしをしていて、どんな風に考えているかなど、お前にとってはどうでも良いのだろう?」

「……なっ」

「例え、我が民を助けたいと望んでいても、勇者と手を取り合って共に歩みたいと望んでいても、魔王の肩書き一つでお前は我の全てを否定するのだ。――それは、我自身など眼中にはない。そういうことだろう?」

「……っ」


 意趣返しをされたのが面白くなかったのだろう。もしかしたら、図星を突かれたのかもしれない。

 頬に朱が走るのを目にして、初めてランスの素に出会った気がした。


「我々歴代魔王がしてきたことをかんがみれば、お前の様に考えるのも当たり前のことだ。非難を浴びる覚悟も、魔王の名を背負うと決めた時点で出来ている。一生をかけて向き合っていくつもりだ」


 その決意に、偽りはない。


 エルミスやじいから父の最期を聞くたび、歴代の魔王達の罪を学ぶたび、目を背けてはならないと強く念じてきた。

 直接関係なくとも、アーシェは魔王になる。道を作ってきた先祖から託され、その先の未来を紡いでいくのだ。


 過去は、いしずえ。未来は、過去なくしては綴られない。


 故に、アーシェは全ての罪を背負って生きていくのだ。

 だが。



「しかし、いくら例外が無いからと言って、一度会ったきりの我に対して、『お前も同じだ』と決め付けるのは無礼だとは思わんか。冤罪を吹っ掛ける所業だ」

「……」

「他の者達に言われたのならともかく、先程『同じと決めつけるな』と暗に訴えてきた奴には言われたくない」



 彼は、確かに言ったのだ。「魔王の天敵としてしか見ていない」と。

 それはすなわち、「別の面を見ろ」と求めてきたのと同義。

 なのに、彼は同じ口で言った。「魔王はみな同じ」と。腹立たしいを通り越し、呆れてしまう。


「我が魔王として民をないがしろにしたその時は、問答無用で我を断罪すれば良い。だが、そうでない限り、理由もなく言葉で人を傷付けてはならぬ」

「……」

「それに、孤児である自分を卑下するお前の発言も、我は気に食わん」


 彼の先程の言葉に、ふつふつと怒りが湧いてくる。小さくも積み重なり過ぎたからこそ、余計に腹立たしかった。


 彼は、自らが孤児であることを遠回しに自嘲した。

 勇者が孤児だったことが意外かと、探る様に聞いてきた。


 これまでの人生で色々あったのだろう。温室育ちのアーシェでは想像もたかが知れているだろうが、それでも聞き捨てならなかった。

 依然として、ランスが見据える眼差しは強い激昂に駆られている。

 だが、ここで引けば己の意見が軽々しいものになってしまう。押し負けるわけにはいかない。



「……、ここは良い孤児院だな」



 息を吐いて、部屋を見渡す。

 この部屋に来る前の玄関や庭、出迎えてくれた院長の顔、ここの出身だと誇らしげに話していたレティを思い出す。

 質素ながらも、芝生は丁寧に手入れされていて瑞々しかった。池の中で泳いでいた魚は元気が良く、毎日世話を受けていると見て取れた。ランスに引っ付いていた子供達は彼を慕っているのがよく分かったし、院長の大らかな空気は孤児院の顔そのものだった。

 それに。


「建物の状態も見事なものだ。ここまで温かい雰囲気で包み込んでくれる家は、なかなか無いのではないか?」


 建物の状態は、素朴でありながら表情が豊かだった。

 壁も床も全員で掃除をしているらしく、とても綺麗に磨き抜かれていた。仕上がりにばらつきがあったが、その交わり方が全体の仲の良さをよく表している。

 それは、とてもささやかなのかもしれないが、彼らの温かな幸せを象徴している気がした。


「他人の我が見ても温かいと感じるのだ。ランスなら、尚のことではないのか」

「……」

「ならば、何を卑下する必要がある。誰に何と言われようと、誇れば良い。我は、ここを一目で気に入ったぞ」


 胸を張って断言し、腰に手を当てて仁王立ちした。何故自分が誇っているのだろうと疑問が過ぎったが、気にしないことにする。

 子供達にも、自分では到底想像も出来ない苦労はあるだろう。王族には王族の、市民には市民の苦しみが絶えず渦巻いている。



 ――我の発言は、所詮ぬくぬく過ごしてきた者の詭弁きべんなのかもしれない。



 だが、アーシェは民の一人一人を尊敬している。王族である自分達の生活を支えてくれているのは、間違いなく働いて血税を納めてくれている彼らだ。

 民あっての国家。民あっての魔王なのだ。それを自分は知っている。

 だからこそ、彼にもそれを誇って欲しかった。


 どーんと構えて己の主張を言い終え、彼の反応を待つ。


 ランスはその間、化け物にでも遭遇したかの様な目つきで無遠慮に凝視してきた。穴が開きそうな視線の強さに、アーシェは全力で腹に力を入れ、仁王立ちを続ける。

 やがて、見飽きたのだろうか。

 ランスは額を押さえ、疲れた様に細く息を吐き出した。「何だこいつ」と溜息から声が聞こえてくる様だ。


「……君、って」

「うむ。何だ?」

「……本当に世間知らずのお坊ちゃまだよね。いかにもボンボンって感じ」

「……」


 毒舌にキレがない。


 疲労を背負ってよろけるランスに、アーシェは首を傾げるしかなかった。お坊ちゃまは事実その通りだし、今更過ぎる。彼なら、もっときつい言葉が飛んできてもおかしくないのにと更に首を傾げた。

 だが、そんな自分の反応すらしゃくさわったらしい。もう良いよ、と虫を追い払う様に鏡にひじを突いて手を振る。ぐらりと、頭までふらつかせる始末だ。

 どこまで美の演技をするのだとアーシェは呆れかけ――眉根を寄せた。


「……?」


 何だか、肘を突く彼の顔色が悪い。

 先程も感じてはいたが、また青白くなっている気がして、アーシェは一歩踏み込んだ。


「ランス」

「何だか、一週間分の体力を消耗した気分だよ。早く広間に――」

「――ランス」


 もう一度呼びかけ、アーシェはぐいっと彼の腕を引っ張った。

 咄嗟とっさに振り解こうと彼の体に力が入ったが、離すものかと全力で腕を掴み込む。


「何。男に掴まれても、全くもって震えしかこないんだけど」

「たわけ。顔色が悪いぞ。少しじっとしているが良い」


 苛立ちを隠しもしない彼の胸倉を思い切り掴み、前髪を払って額を露わにさせる。ぐえっと、それこそ彼のうたう『美』からは程遠い潰れた様なうめきに笑ってしまった。化けの皮がはがれてきた様で、少し嬉しい。


「ちょっとっ」

「いいから」


 払おうとするランスの手を器用にさばき、アーシェは右手を彼の額にかざす。意識を集中して、小さくまじないを唱えた。

 呪文に応じて、右の手の平が淡く発光する。ほのかな熱を放ち、白く彼の額をなぞっていく。

 すうっと、燐光の様に熱が散った後、アーシェは軽く息を吐き出した。

 確認すれば、心持ちランスの顔色も良くなっている。成功したと、安堵と共に頷いた。


「さっきから顔色が良くなかったのでな。気休めかもしれぬが、回復魔法をかけた」

「……」

「風邪に効くわけではないのだが、鎮痛剤や解熱代わりにはなるし、だるさも少しだが引く。……破壊や修復の魔法以外は不得手故、本気で気休め程度にしかならないが、無いよりはマシだろう」


 うむうむと、「不得手」の部分は誤魔化す様に小声にし、アーシェはくるりと背を向けた。

 正直、ここの部屋は自分にとっては瘴気に満ちている感覚だ。勇者の鏡を見るのも気持ちの良いものではないし、さっさと退散したかった。


 ランス、と急かして振り向けば、彼はこちらなど見向きもしていなかった。


 額に触れ、何かを確かめる様な仕草を取った後、彼は苦虫を百匹噛み潰しただけでは足りないくらい複雑そうに顔を歪める。

 それだけでは飽き足らなかったのか、彼は額に触れた手を見下ろし、更に苦々しく唇をへの字に曲げた。



「……やっぱり、悪魔だよ」

「――」



 自分を蔑む言葉が、彼の口から漏れ出る。



 やはりすぐには距離は縮まらない様だ。

 先は長いと、アーシェは残念に思ってからすぐに奮起する。自分までへこたれては、本当に道が断たれてしまう。挫けるわけにはいかない。

 そうして、気合と共に勢い良く扉を開けると。



 どごおっ! と、大量の波に突進された。


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