Chapter2 魔王(になる予定)、初めて友を訪ねる

第7話


 彼らは、一様に空を見上げていた。


 その日の空は、何の変哲もない――本当にどこまでも変わり映えしない青空だった。

 雲が緩々と風に乗って空を渡り、鳥が弧を描いて踊る様に歌う。平和をのんびりと謳歌おうかしながら、一日は滞りなく過ぎていた。

 そんな物珍しくもない青空を、彼らは飽きることなく仰ぎ続けていた。

 屋内にいる者は、誘われる様に外へ出て。下を見ていた者は、上を向き。ただただ、空が紡ぐ言葉に耳を澄ませていた。

 その日見上げた空の色を、彼らは一生忘れないだろう。



 蒼くて、綺麗な空だった。



 いつまでも、いつまでも。

 彼らは遠い目をして、平穏をさえずる空を見上げ続けていた。











「……っははははははははは……っ!」


 城のアーシェの私室にて。

 城下でのお忍びの結果を話し終えるや否や、エルミスは大爆笑しながら突っ伏した。

 大爆笑するだけでは飽き足らず、だんだんとテーブルを豪快に乱打し、息も絶え絶えに腹を抱え、遂には涙まで流し始めた。笑いのネタにされているアーシェとしては、ちっとも面白くない。

 日頃からエルミスにからかわれ慣れているとはいえ、ふて腐れたくなる。ぷいっと外向そっぽを向きながら紅茶をすすった。


「そんなに笑わなくても良いではないか!」

「ばっか! これが笑わずにいられるか。お前、物乞いに、魔王全否定に、挙句の果てに馬乗りとか、どれだけ下にもぐっていったら気が済むんだよ。未だかつてないほど威厳もへったくれもない魔王だな」

「むうっ。どうせ、我はまだ魔王にもなっていない」


 やけくそ混じりに事実を述べれば、エルミスはまたツボを突かれたのか噴き出した。


「そういう問題じゃないだろー。あー、やばい。笑い過ぎて明日筋肉痛になるわ」

「勝手にベッドで死んでおれ。……仕方ないであろう。昼食食べるの忘れたのだから」

「おまけに、極めつけは勇者に友人宣言! ああ、お前ってほんと、常識って言葉からはかけ離れたところにいるよなー。非常識も裸足で逃げるわ」

「うるさい」

「しかも、……ぷーっ!」

「ええい、笑うな! 笑うなったら、笑うな!」


 思い出してしまったのか、再びテーブルに頭から突っ込むエルミスに、アーシェも頬に熱が集まっていくのが嫌でも分かった。湯気でも出そうな勢いに、慌てて手を振って風を送ってみる。

 あの後。勇者に友情宣言をし、少しだけ緊張しながら待ち続けた答えは。



〝えー、嫌だね。男なんかと友情なんて、むさ苦しいもん〟



「あいつ、今度会ったら締める……っ!」


 肩をすくめ、おまけに可哀相なものを見る様な目つきで拒絶してきた佇まいを思い出し、だん、と紅茶のカップをテーブルに叩き付けた。一緒に、ぴきりとカップに亀裂が走ったが、それは慌てて修復魔法をかけて事なきを得る。

 そう。


 勇者であるランスには、一秒にも満たない間に全力で友情を拒否された。


 それはもう清々しく、ナンパ野郎としてはブレも無い光の速さであった。

 こちらの言い方も言い方だったかもしれないが、あちらもあちらだとアーシェは小さく噴火する。

 だが。


「……仕方がないではないか」


 今度こそふて腐れ、文句を口内で呟く。

 勇者の言葉を鵜呑うのみにするわけではないが、確かに自分の頭は沸いているかもしれない。

 魔王が自ら率先して勇者と仲良くなるなど、前代未聞だ。街人達の呆気に取られた後の、洪水の様に起こった笑いも道理ではある。

 しかし、それでもアーシェは勇者と友人になりたかった。

 魔王と勇者の長年の因縁の間柄を知って尚、焦がれたのだ。



〝どうか、大切にしてくだされ〟



 焦がれた末、魔王となる自分は。

 彼と――。


「はー。あー、ほんとに腹痛い。くそ、明日どうしてくれるんだ、仕事山積みなのに」

「知らん。我だって山積みだ」

「それは自業自得。城下に遊びに行ってたんだからな」

「……分かっておる」


 普段は、家庭教師の授業を終えたら、そのまま政務に励んでいる。

 今回は、その執務の時間を丸ごと城下のお忍びにてたのだ。書類が山となるだけではなく、雪崩を起こしていた自室にぶち当たった時は、重い溜息が転がり落ちた。

 もっとも、昼間に追加の書類が到着するのは日常茶飯事だ。覚悟はしていた。

 だが、それを補っても余りある収穫だったのも事実。城下でのことを思い起こし、アーシェは頬を緩ませる。


「城下は、存外楽しい場所であった。我はこの十七年、惜しいことをしていたかもしれぬ」


 街の者達と言葉を交わし、触れ合う時間はとても楽しかった。有意義という以上に、一度に大勢の者達と会話をする空間が新鮮だったのだ。

 それに、何より。



「街の者達は、あんな風に笑って暮らしていたのだな」



 自分のしてきたことは、少なくとも間違いだらけではなかったのかもしれない。そう、自信が持てた。

 生まれてこの方、一度も顔を合わせていなかった自国の民は、広場で楽しそうに笑っていた。

 触れ合い、助け合い、共に力を合わせて困難を乗り越えている様に映ったのだ。

 あの商会の件も、一時しのぎであったとしても、全員で問題に当たっている気がした。


 それが、アーシェには嬉しかった。


 上がってきた報告から判断を下して統治していくしかなかったが、その中で彼らは彼らなりに己の力を発揮して、暮らしている。

 今まで見えてこなかった国の現状がようやくこの目で確かめられたことで、胸を撫で下ろすことが出来たのだ。魔王が恐れられているかは分からなかったが、今この時、彼らの笑顔を守れているのなら大した問題ではない気がした。


「ふーん……。ま、お前が何か得られたって言うんなら、俺も共犯者になった甲斐があったけど」

「うむ。助かったぞ、エル。じいも上手く騙されてくれているし」

「はっはっは、俺を誰だと思ってる。天下のエルミス様だぞ?」

「うむ、そうだな! 流石はエル!」

「……お前って、……」


 呆れられた様な目を向けられ、アーシェは首を傾げる。何故そんな反応をされなければならないのかと見つめ返した。

 だが、彼は口にするつもりはないのか、やれやれと肩をすくめる。そのまま、気になっていたらしい命題を指摘してきた。


「で? お前、勇者にはまだ熱烈アタック仕掛けるわけ?」

「ああ、もちろんだ! このまま引き下がれば、勇者に負けたことになる故な」


 ぐっと気合を握り締め、アーシェは断言する。

 一度の拒絶如きでへこたれていては、次期魔王の名がすたる。ならば、当たって砕けまくるだけだ。というより、あの可哀相な目つきを降伏のポーズにするまで負けられない。

 ごごご、と炎を燃やして闘志をき出しにするアーシェに、エルミスは微かに――ほんの微かにだが、苦々しく唇を歪めた。


「……お前の頑固さは筋金入りだな。好きにすれば?」

「もちろん。好きにするぞ!」

「そうだなー。政務を司る立場としては、城下の者と触れ合うのは悪いことばかりじゃないから、反対はしないさ」

「うむ。ありがとう、エル!」

「それに? 女性に馬乗りになられる体験なんて、そうそう出来ることじゃないし?」

「うぐっ!」

「良かったなあ、アーシェ。勇気を踏み出した反抗期のおかげで、一歩大人の階段を上がったぞ?」


 にまにまと意地悪い笑みで茶化され、アーシェはぐうの音も出ない。

 肘を突いてからかう彼の姿は、気のすむまでもてあそぶ魂胆が丸見えだ。

 口達者な彼に敵うはずもなく、アーシェは早々に白旗を振った。


「我は、エルみたく器用ではないからな。大人の階段を上がりまくってやるぞ」

「おお、その意気その意気」

「むー、……」


 ぷいっと顔を背けた後、自嘲気味に笑ってしまった。

 確かに、エルミスならばこんな醜態続きではなかっただろう。その点で、自分はまだまだ未熟だと痛感する。



「……こういうところが、我が七光りと言われる所以なのだろうがな」

「……、……ま。本当に七光り程度だったら、楽だったんだけどなー」



 ぼそりと弱音を吐いたら、あちらもぼそりと何事かを呟いた。

 本当に小さくささやかれたため、アーシェの耳では拾い上げられなかった。何だ、と眉を寄せる。


「エルよ、何か悪口でも言ったか?」

「いんやー? てか、お兄様に向かって何たる口の利き方。お仕置きだな」

「は? って、おい、それは我のクッキーだぞ! 可愛い弟から奪うとは血も涙もない! 恥を知れ!」

「罰則罰則。お優しいお兄様を、あくどい性悪人間の様な扱いをしたペナルティだ」

ねるな。事実だろう。……ならば、このチェリークッキーは我のだ!」

「む、やられた! ……と見せかけて、幻でしたー。残念だったなー、アーシェ」

「く。こ、こやつ、お菓子ごときに魔法なんぞ使いおって」


 自分のことを棚に上げ、掴んだクッキーが掻き消えたことに歯と拳を鳴らす。「年の功だよなー」という飄々ひょうひょうとしたエルミスの言葉に、更に歯ぎしりをしてしまう。

 ぷーっと風船の如く頬を膨らませれば、エルミスは容赦なく噴き出した。だんだんと、カップが飛び上がるくらい机を乱打し、また突っ伏す。――試しに、アーシェがすかさず彼のクッキーに手を伸ばしてみたが、笑いの合間に華麗に叩き落とされた。食い意地もここまでくれば見事としか言いようがない。

 はー、と一通り笑い疲れたのか、エルミスは目尻に浮かんだ涙を拭いながらアーシェの頭を撫でる。

 誤魔化そうとしているなと感じたが、ぽんぽんと撫でられる優しい心地に、払いのける気にはなれなかった。


「俺は、お前のそういう素直で真っ直ぐなところ、好きだぞー」

「またそうやって誤魔化す」

「何を言う。俺は、いつだって真っ正直で真面目じゃないか」


 言い切るエルミスに、アーシェは笑ってしまう。ふいっと拗ねた様に外向を向いて、溜息を吐いた。


「仕方がないから、そういうことにしておこう」

「おー、生意気だなー。やっぱ罰則だなー」

「――と、お二人で仲睦まじいやり取りをするのは構いませんが。仕事を放りだして、何をされているのですじゃ?」

「――、え」


 和やかに団欒だんらんをしていた空間に、唐突に冷気の嵐が放り込まれる。

 芯から凍えて砕け散りそうな響きに、アーシェもエルミスも揃って動きを止めた。ぎぎぎ、と振り向きたくもないのに、半強制力でもって扉の方を向いてしまう。

 そして。



 どーん、という効果音が似合いそうなほどに腕を組んだじいが、扉の前に厳然とそびえ立っていた。



 後ろに、黒き怒りの炎が揺らめいて見えたのは、決して自分達の錯覚ではないだろう。

 その形相は般若――という分かりやすいものではない。にこりと、満面の笑みで扉を塞ぐ様に立ち塞がる様は、般若の方が可愛らしい。いっそ般若が乱入してくれたならと、錯乱してしまった。


「おー、じいさん。元気か?」

「え、あ、えー、じい。久しいな。朝ぶりか」

「ええ、ええ、そうでございますな。昼間から城中をジャンプして腕立てしてバク転宙返りしながら駆け回っていたそうで。家庭教師が大泣きしていましたぞ。坊ちゃまが来ないと」

「は?」


 何だか、とんでもない単語が聞こえた気がした。

 だが、エルミスは当然の如く受け入れ、あろうことか肯定までし始めた。


「まあまあ。それって、いつものことじゃね?」

「いや、待て。……おい、エル。腕立てって」

「だって、お前が言ったんじゃん。運動不足解消したいから、城の中をただ走るだけじゃなく、ホップステップジャンプの勢いで、秒ごとに別の体勢にシフトチェンジしながら駆け回るって」


 何だ、その頭沸いている様な発想。


 知らぬうちに酷い変人に仕立て上げられていたのを知り、がん、とテーブルを叩き付けてしまった。合わせて、カップと受け皿が小さく跳ねたが、今度は亀裂は入らずにテーブルに着地する。

 エルミスは、随分ずいぶんと反応に困る、言い訳に迷う、脳みそをどこかに置き去りにした様なフォローをしてくれたものだ。本当に実行していたら、城内からの視線は痛々しいものに変わるだろうに、どうしてくれるのか。


 どうせ、面白がっているだけだろうが。幼い頃から散々にからかわれてきた勘がそう告げている。


 はあ、っと重々しい溜息は諦めの証だ。そのまま、アーシェはクッキーに手を伸ばし――引っ込めた。

 直後、ぴし、っとじい特製の魔法の鞭が皿目掛けて飛んでくる。息など吐かせぬ気は無いらしい。

 先程よりも更にこの辺りを重苦しく押し潰しながら、じいはとてもとても人好きのする笑顔で、にっこり問いかけてきた。


「それで。仕事を放りだして、ここで何をしていたので?」

「えー、と。うむ、話を」

「ほうほう。どんな話ですじゃ?」

「えーと。……お、お、そうそう。エルに、勇者のことを聞いておったのだ」

「げ」


 まさか、城下のお忍び報告をしていましたとは口が裂けても言えない。

 だから、ぽんと手を打って、エルミスに話を振った。勇者は魔王と深く関わりを持つ人物だ。敵の内情を知っておくのも悪くないというていを取れるだろうと、妙案を確信した。

 しかし、普段なら適当に話を合わせてくれそうなエルミスは、椅子から腰を浮かしかけた格好で中途半端に固まっていた。「あ、馬鹿」と叱責の空気まで混じっている。

 何か地雷を踏んだだろうか。

 アーシェが泡を食って、じいとエルミスを交互に見やると。



「……勇者になど、興味を持たなくてよろしい」



 一瞬にして、室内の温度が急降下した。心なしか、ぱきぱきと足元に冷たい異音も走っている。

 空気ごと凍らせて足元から這い上がってくる冷気に、アーシェは足を持ち上げることも出来なかった。ただ呆然と、じい、と呼びかける。

 だが、それで冷気が和らぐわけがない。むしろ、この部屋ごと氷河に変貌させる勢いで、声は冷ややかに降り注ぐ。


「まだ魔王にもなっておらぬのに、勇者の話など百万年早いですじゃ。我らの因縁の相手を、軽々しく話のタネにするのは如何なものかと」

「いや、しかし。じい」

「言い訳は無用!」


 稲妻の様な一喝いっかつに、アーシェの肩が後ろに跳ね上がった。

 下手をすれば殺気と思ってしまいそうなほどの怒気に、困惑するしかない。理解は出来ないが、爆弾発言だったということだけは把握した。

 助けを求める様にエルミスに視線を移すが、当の彼も淡々とした眼差しでじいを眺めやるのみ。加勢は見込めそうになかった。


「なあ、じい? 我は、別に軽い気持ちで話をしたわけでは」

「思い出しただけで腹立たしい。ラズウェル様を殺した恨み、忘れるはずもない!」

「じ……」

「勇者は仇なのですぞ! 笑いながら話すなど、どういう神経をしておられるのですじゃ! エルミスも、この城で勇者の話は禁句と、あれほど言いつけてあったじゃろう!」

「はーいはい。すみませんでーした」

「エルミス! 何じゃその態度は!」

「エルは悪くない! 我が勝手に」

「とにかく! 貴方様は次期魔王となられるお方。自分の責務だけをこなしておればよろしい。……良いですか、くれぐれも勇者になど興味を持たれませぬよう。どうしても後ろから無残に刺されて死にたいのでしたら、もはや止めませんが」


 ひどく平坦な声で突き放された。


 心底勇者を毛嫌いしていると全身で物語られ、アーシェとしても頷く以外に無かった。エルミスが横で、「おつかれー」と同情の色を乗せて苦笑しているのが唯一の救いだ。



 じわりと、違和感を覚える。



 魔王は、古来より勇者に倒される運命にある。

 故に、魔王側からすれば絶対的な天敵であり、恐怖と嫌悪を抱くのは当然だ。父を亡くした時、アーシェも諦観はあったが、勇者には良い感情を抱かなかった。

 だが。



〝――何のために〟



 何故だろうか。

 胸の奥で、ちりりと。忘れかけていた火花が、自己主張する様に散った。


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