第4話


「うむ、改めて自己紹介しよう。我は、アーシェル・ラング・フェルシアーノ。この国の次期魔王となる後継者だ」


 威厳に満ちた雰囲気をまとい、アーシェは高らかに宣言した。



 ――本当は、もっと様になる場面で名乗りたかった。



 内心で涙をどばどば流しながらも、威厳は絶やさない。きりっと目元も引き締めて、精一杯虚勢を張る。

 だが。



 反応が、全く無い。



 まるで無反応な彼らに、アーシェの不安がだんだんと高まっていく。痛々しい静寂が、肌を突き刺す様に刺した。


 ――やはり、名乗らない方が良かっただろうか。


 民の魔王に対する心証は、正直よく分かっていない。

 さげすまれているのか、恐れられているのか。

 書類からでは読み取れないし、じいもエルミスも悪評は耳に入れようとはしてこなかったのだろう。手掛かりはまるで無かった。

 しかし。


〝坊ちゃま。心してお聞き下さい〟


 父の、犯した罪。

 父だけでなく、長い年月を積み重ねてきた魔王のとが。それだけはエルミス達も包み隠さずに教えてきた。

 身分を隠したまま、民を相手に騙し合いをするのだけは避けたかった。誠実でありたいからこそ、名乗ったのだ。

 けれど。


〝ラズウェル様は、お亡くなりになる前に〟


 ――もし、先程までの明るく満ちていた笑顔が、凍ってしまったらどうしよう。


 出会い頭の賑やかな光景を思い返すと、心臓が握り込まれた様に痛む。

 だが、それが自分への評価なら、厳粛に受け止める必要があるだろう。

 決死の覚悟を決め、未だ静寂の針の中で仁王立ちしていると。






「――あーっはっはっはっはっはっ!」






 突如、とてつもない大爆笑が吹き荒れた。あまりの大音量に、アーシェの肩がびくっと跳ねる。


 何故、ここで大笑い。


 てっきり驚愕や嫌悪をぶつけられると思っていたのに、あろうことか主人は腹を抱えて大爆笑していた。ひいひいと、地面を乱打して笑い転げている。

 笑い過ぎて、遂には呼吸困難に陥った病人の如く息切れを始めた彼に、アーシェは流石に心配になった。「おい」と思わず声までかけてしまう。

 だが。


「ぼ、坊主……! 冗談は、……ぷーっ!」

「……は?」


 思い切り噴き出され、何となく嫌な予感が走った。

 言葉になってなくても、予測出来てしまう。これは、アーシェには全くもって嬉しくない話運びだ、と。

 そして、全く嬉しくないことに予想は大当たりだった。



「坊主が、ま、魔王……! 腹鳴らして、たいやき知らなかった坊主が、ま、まお、まお……ぶーーーーーっ!!」

「……ん、なっ!?」



 ぐはは、と苦しげに地面を叩きまくって笑い転げる主人に、アーシェはぶちんと何かが切れた。わなわなと、震えたくもないのに怒りで震える拳を握り締め、見えない机をひっくり返して怒鳴り散らす。


「おい、何がおかしい! 我のどこをどう見て魔王が冗談だと……」

「だ、ってな、坊主。ま、魔王ってのは、威厳、風格、気品を兼ね備えて初めて魔王らしいってなもんさ。先代の魔王もそりゃあ、見ているだけで背筋が伸びる様な威厳があったが、坊主は、……ぷーーーーーっ!」

「ぐ、お、まえ、無礼であろう! た、確かに威厳は百歩譲って無いにしても、仮にも魔王……後継者である我に対して、あまりに」

「にーちゃん、うそは、よくないぜ?」

「嘘ではない! 我は自慢ではないが、嘘も隠し事も下手だと……って、何で子供にまで馬鹿にされねばならんのだ!」


 ぽん、としたり顔で肩を――叩くには背が足りずに膝を叩いてくる子供に、アーシェは天に拳を突き立てた。

 あんまりと言えばあんまりな仕打ちに、気が遠くなりそうになったが、踏み止まる。ここで転倒したら、もう威厳はゼロどころかマイナスだ。

 だが。



「やっぱり、魔王と言いましたら。エルミス様くらいの風格は必要かもしれませんねえ」



 ゴーン。



 釣鐘つりがねが頭上に落下してきた様な衝撃を受ける。

 ベンチに居座る老婦人の一言は、まさしくトドメだった。同時に、じいに突き付けられた忠告が頭の中で木霊する。



 エルミスと並んだら、百人中百人が言いましょうぞ。エルミス様あああ、魔王様あ!

 冗談も休み休み言いなー、言いなー、言いなー。



 エコー付きで勝ち誇った様に笑うじいの虚像に、ぐしゃりとアーシェの中で何かが潰れた。

 しかし、これが現実だ。嫌というほど真実を知ってしまい、がくりと両手両膝を突いて項垂うなだれる。

 冷静に考えれば、彼らにとっては確かに、自分の言葉など子供の戯言ざれごとにしか聞こえないだろう。

 魔王の遺言は、絶対だ。

 後継者が成人するまで城下に下りないという固定観念があるなら、信じてもらえないのも無理は無い。

 無い、のだが。


「少しくらい、驚いてくれたって……」


 現実があまりにも残酷過ぎる。さめざめと、土砂降り模様の気分でしばらく立ち直れそうにない。

 ――帰ろうかな。

 城下に足を踏み入れた時の浮き足立った気持ちは綺麗さっぱり無くなり、みすぼらしく浮浪者の様な枯れ具合で立ち上がった時。 



「わたくしは、信じますわ」

「――――――――」



 凛とした、一輪の声が背後で咲き誇った。

 無意識に、アーシェの瞳が花の方へと引き寄せられる。


 振り向いた先、そこには一人の年頃の女性が可憐に佇んでいた。


 シンプルな桃色のワンピースを清楚に着こなし、両手を胸の前で合わせている。アップにした栗色の髪はふわふわと柔らかく風に揺れ、翡翠の澄み切った双眸が真っ直ぐにこちらに向けられていた。

 声と同じく、まるで清らかに咲く一輪の花。

 初めて見る使用人以外の女性に、アーシェは一発で目を奪われた。

 ――が。



「――アーシェ様! ですわね! お会い出来て光栄ですわー!」

「お、おお、……ぐっふうううっ!?」



 ぐわしっと、大きな獣の爪でつかみかかる勢いで抱き付かれた。

 アーシェは、初めての女性の抱擁に対し、男性なら誰もが上げるだろう歓声――ではなく、悲鳴を上げた。

 めり、みしっと不吉な音が彼女の腕の中、すなわち己の身から上がるのを不穏に耳にしてしまう。


「アーシェ様! わたくし、魔王様となる貴方にお会いしたくて! この日を今か今かと楽しみにしていましたの! ああ、まさかこんなに早く実現するなんて!」

「ぐ、おう、おま、ちか、ら」

「わたくしは、レティーシャ・ミラルドと申します。レティ、とお呼び下さいませ!」

「おお、れ、てぃ。……から、だ、ちか、ら」

「あああ、それにしましても、こんなに素敵な殿方でしたとは。わたくし、今にも胸が爆発しそうですわ! どきどき激しく高鳴って、ああ、これが恋というものなのですね」

「お、い、……」


 レティと名乗った女性は、感激のあまりか、ぎゅぎゅーっとアーシェを胸いっぱいに抱き締めてくる。

 そのたびに、めし、みり、ぱき、と骨が砕ける危険が増していっているのだが、被害者である自分は既に虫の息。傍で主人が、「坊主うううっ!?」と絶叫していたり、子供が「……しんだかな」と遠巻きに距離を取っていたりする姿が、現実の残酷さを物語っていた。


「ああ、アーシェ様。すみません、わたくしばかり喋ってしまって。……って、きゃあああっ!? わたくしったら、何てはしたない!」

「って、のおおおおおおっ!?」


 どーん! と、己の格好を顧みて、突き抜ける様にレティがアーシェを突き飛ばす。――自分から抱き付いておきながら何て酷な、とその場にいた全員が思ったが、彼女の怪力ぶりを知らぬ者はいない。助けを差し延べる命知らずは存在しなかった。

 どごおん、と屋台に頭から突っ込んだアーシェに、またも「きゃあああ!? アーシェ様!?」と飛び上がり、レティは今度はあろうことか馬乗りになった。


「アーシェ様、すみません! し、しっかりしてください!」


 がくがくと強く胸倉を掴んで揺さぶりまくる彼女に、「いや、死にそうだ」とアーシェは心の中で思った。

 だが、周りを含めて声に出す者はいない。神に祈る以外に道は無かった。


「ああ、わたくし、何てことを……! し、死なないで下さいませ!」

「お、おお、死なぬ、とも。我は、魔王になる、男。こんなことで、死に、は」

「あああ、アーシェ様! 何て素敵な台詞……って、……まあ」


 ぱっと手を離して、レティはアーシェの顔を興味深そうに覗き込んだ。

 手を離した際に、ごちんとアーシェの頭が痛快な打撃音を上げて落ちたが、彼女は感付かない。

 ちかちかと、強烈な光がちらつく目をなだめながら、アーシェは何とか身を起こした。

 女性に力の限り抱き付かれ、突き飛ばされ、挙句の果てに馬乗りになられる。

 これが暗殺者だったら、とうの昔に命を落としていただろう。情けなさ過ぎる現実に記憶喪失になりたかったが、半端な矜持きょうじが許さない。

 ならば、せめて説教をと次第に晴れていく視界に集中すると。



「――――――――」



 息を、呑んだ。



 吐息が触れ合いそうなほどに迫った大きな翡翠の瞳が、澄み渡るほどに美しかった。

 長い睫毛まつげが微かに双眸に影を落とす様が、また美を彩る。こんなにも澄み切った輝きがあるのかと、アーシェは状況も忘れて魅入ってしまった。

 しばし、至近距離で見つめ合う。過程や体勢さえ忘れてしまえば、運命の出会いと言えなくもない。周囲からも一切のざわめきが消え、二人の世界が形作られる。

 どれだけの間、視線が絡み合っていたのか。

 数秒とも、数時間とも取れる均衡を、アーシェは視線を逸らせないまま破った。


「……あー、レティ、だったか」

「……はい」


 どことなく熱い吐息が、頬をかすめる。その熱さにアーシェの心臓が少し騒ぎ出したが、ぐっとあごを引いて疑問を口にした。


「我の顔に、何かついているか?」

「はい。目と、眉と、鼻と、唇がついていますわ」


 そうだな。

 燃える様なシチュエーションに反して、回答はロマンという煌びやかな世界からはかけ離れていた。思わず空気が人々と一緒に枯れる。


「……ならば、どこにでもありふれた顔だろう。いい加減、離れ」

「瞳」


 押しのけようとするアーシェの手を遮り、レティは簡潔に切り出す。のぼせた様に頬をほのかな朱に染め、軽くこちらの両肩に手を乗せてきた。

 ――今度は何だ。

 目まぐるしく変化する事態に、そろそろ処理能力が限界を超えそうになったところで、彼女は構わずに続けてきた。


「とても綺麗な、琥珀色ですのね」


 うっとりと、夢見る様に微笑みを零される。

 え、とアーシェが呆けるが、彼女には届いていなかった。にこにこと嬉しそうに感想を紡いでいく。


「エルミス様も琥珀色ですが、あの方は太陽を連想させます。でも、貴方の瞳は月の様な空気を思わせますわ」


 そうか。

 正直それしか言えない。確かに、エルミスの瞳が太陽だという部分には賛同するが、これは褒められているのだろうか。どう反応すれば良いか判断しかねた。


「月は、とても優しい空気を持っている気がするのです。みんなが安らかに眠れるよう、夜の街並みを柔らかく包み込んでくれる。そんな気がしませんか?」

「……そ、そうか?」

「はい! ですからわたくし、昔から月が大好きなのです。それこそ、毎晩月を見上げてしまうくらいに」


 滔々とうとうと月について熱く語り出され、本気でアーシェは返答に困った。

 視線を外すべきか迷ったが、何故か逸らすことも叶わない。

 故に、大人しく耳を傾けていると。


「アーシェ様の瞳も、月の様に優しい色をしていますわ」

「……、そ、そうか?」

「はい、本当に綺麗です」


 だから、と。レティは一旦言葉を切って。



「わたくし、アーシェ様の瞳、大好きです」

「――――――――」



 真っ直ぐに自分を見据えながら、熱烈に告白される。

 少しでもどちらか倒れれば、唇同士が触れ合う至近距離で、激しく、熱く、告げられた。

 まるで愛の告白を受けた様な衝撃に、アーシェの頭がぽかんと真っ白になった。

 その一拍後。


「――っ!」


 がっと、肌という肌を真っ赤に染め上げた。ばくばくと、心臓が別の生き物の様に暴れ回る。


「……な、なっ! お、ま」

「あら? アーシェ様、お顔が何やら赤く……、はっ! まさか、お風邪を召されて……!」

「ち、違う! お前、軽々しくす、すす好き、だとか! そんなことを言うものではない!」

「あら」


 口元に手を当てて、レティがきょとんと目を丸くする。

 まるで分かっていない様子に、焦れて更に説教をかました。


「我が相手でなかったら、ナンパと間違われて襲われてしまうぞ! 都会は恐ろしいとエルも言っていたしな!」

「まあ。わたくし、生まれてこの方、ナンパなど経験がありませんわ。では、アーシェ様が初めてのナンパのお相手ですのね! わたくし、感激で涙も出ませんわ……!」

「何でそうなる!? お前、頭がちょっとおかし……って、……お前」


 話が全く噛み合っていない様で、本当に噛み合っていないまま、アーシェは、はたと小さな疑問に気付く。

 にこにこと微笑む彼女に、ぽり、と頬を掻き、少しだけ躊躇う様に口を開いた。



「お前は、……我をと呼ぶのだな」

「――」



 自分の本名はアーシェルだ。

 だから、不思議ではないのだが、初対面で「アーシェ」と愛称で呼ばれたのは初めてだった。

 純粋な疑問だったから口にしただけだ。

 しかし、相手はそうは思わなかったらしい。みるみると、元気だった花が萎む様に沈んでいく。


「あ、わたくし、……。もしかして、ご気分を悪くされましたか?」


 つい先程までの強引さは何だったのか。

 急にしょぼんと肩を落とされ、アーシェは飛び上がりそうになった。その上、瞳が潤んでいるのを目撃し、更に空の彼方まで飛んで行きたくなる。


「お、おい!」

「ご、ごめんなさい。わたくし、馴れ馴れしく、その……」


 女性はこんなに涙脆いのか。

 おろおろと両手を振り回したが、それで解決するわけもない。初めて出会う不思議生物に、アーシェの脳は沸騰寸前だ。

 いきなり抱き付いてきて大胆だったかと思えば、こんな風に途端に萎れてしまう。


 最初に勢い良く突進してきたのだ。最後まで突っ走れば良いのに。


 そう思ったのだが、女性には難しいのだろうか。

 それに、自分は怒ってなどいない。

 むしろ、嬉しかった。



 その名で呼んでくれる人は。父を亡くしてからは、もう、一人しかいない。



「……別に、構わぬ」

「……、え」



 弾かれる様に顔を上げるレティに、目まぐるしい奴だと苦笑した。

 だが、その方がずっと良い。



「アーシェという愛称は、存外気に入っている。呼んでくれるならば、嬉しい」

「――――」



 素直に白状すれば、彼女はぱちぱちと可愛らしく瞬きをした後。


 ふわっと、花の様な笑みを咲かせた。


 嬉しくて堪らないというその可愛らしい笑顔に、アーシェの目はまたも釘付けになる。

 はしゃいだかと思えば、萎んで。萎んだと思えば、また笑う。

 しかも、自分が見たこともない柔らかな微笑。こんな笑顔が世の中にはあるのか。


 本当に調子が狂う。自分の世界は、まだまだ狭い。


 思い知らされて、アーシェは人知れず天を仰いだ。のびのびと蒼の波間を泳ぐ白い雲に、苦笑いをぶつける。

 適当に城下に行く理由をでっちあげた時、「花を見つける」と言ったが、最初に出会った『花』はとても珍しいものだった。運が良いのか悪いのか、今の自分にはまだ判断が付かない。

 だが、とにもかくにも、いつまでも女性に馬乗りにされている格好は不服だ。


「失礼するぞ。捕まっているが良い」


 腕っぷしに反して、自分より遥かに軽い彼女の体を持ち上げ、アーシェは風の力を借りて軽快に立ち上がった。「きゃっ」という可愛らしい悲鳴を流し、そのまま立たせる。

 ふわりと、風に乗って、彼女から微かに花の匂いが香った。使用人達から香るのとは違うその匂いに、むずがゆさを覚える。


 ――エルなら、もっと上手く女性と付き合えるのだろうな。


 またも己の不甲斐なさを実感した矢先、「あら」とレティが声を上げる。

 彼女の視線の先に、遠くから誰かがやって来るのが見えた。心なしか集団になっているのは気のせいだろうか。


「……今度は何だ」

「あ、はい。ランス……って、そうですわ。アーシェ様は、お会いするのは初めてですわね」


 ぽん、と両手を軽く合わせ、レティは跳ねる様に笑う。よく笑う娘だと、アーシェは半ば感心しながら続きを待った。






「彼は、ランスリット。アーシェ様と対を成す、65番目の勇者です」

「――――――――」





 勇者。

 その単語を聞いた瞬間、アーシェは雷に撃たれた様に動けなくなった。


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