囚われた楽園-2


  自分を決して曲げる気のない迷いのない瞳。

 曇ることのない輝きを秘めているように見える、私の嫌いな瞳。

 あの子の面影が残る地上なんて終わらせてしまえばいい。

 捨てられた兄妹が築いた文明など今度こそ根こそぎ消し去ってやる。

 地上は狂ってしまった、あの子達のせいで。だから世界をあるべき姿に戻すだけよ。


  処理を済ませて戻るとニュクスとポセイドンは距離を取り黙って待機していた。

 姉と弟だというのに二人はあまり仲が良くない。

 ニュクスは輪を乱す言動の多いポセイドンを快く思っていない。

 ポセイドンはせっかくの暴れる機会に介入してきたニュクスを邪魔だと感じ不満なのだろう。

 互いに理解を示さず、足並みがまるで揃っていない。…所詮兄妹なんて、その程度の関係。

「レイアお姉様、あの少女をどうなさるおつもりですか?」

  地上人を嫌悪するニュクスは家族思いな姿勢は誰よりも強い。

 不審に思いつつも姉である私の頼みを聞き入れ、地上へ降りポセイドンの制止と兵器の回収を双方こなしてくれた。

「心配しなくても大丈夫よ」

  不安げな瞳を安心させるように微笑んで見せる。

 楽園に地上人を連れて帰るなど本来あってはならない。お父様が気付けばお怒りに触れる。

 けれど気が付かなければ問題は何もない。あれの記憶は封じ深い眠りにつかせた、あとは来る時に害を掃除してもらい壊れてくれれば全て方が付く。


  眉間に皺を寄せた兄が私達の元へやって来るとニュクスもポセイドンも肩を竦めた。自らの行動に罪悪感があったのだろう。

 ニュクスはともかくポセイドンまで居心地悪そうに顔を顰めている。言動のわりに肝が小さいわね。

「どうしました?怖いお顔をなさって、お兄様らしくもない」

「レイア。勝手な行動は慎みなさい」

「私は地上に降りていませんよ」

「ポセイドンを嗾けたのは貴女でしょう」

  やはり長兄にはお見通しか。

 ずっと部屋に籠って地上を見ているだけだから化石みたいだと思っていたのに。

 感情に蓋をして、見て見ぬふりを続ける彼に珍しく感情が滲み出てしまっている。

 兄は自分を律し封じ続けているが私はもう限界だ。

 望みがあるならば動き出さなければ変わりはしないから。私にだって欲する未来がある。


「誤解ですわ。私はただ"お父様のご意思に反さないならば"と言葉添えをしただけです」

「自身の立場を自覚なさい。貴女は姉であり2番目です。そんな貴女にそう言われればポセイドンは許可を得たと理解します。ニュクスにまで地上を降りさせて…」

「ポセイドンが少々やり過ぎだったのでニュクスに止めるようお願いしただけですよ」

  本当、考えなしに暴れて。地上人を害悪で矮小な存在だと見くびり力任せに攻撃して返り討ちになりかけた。

 弟ながら頭の悪さが目立って情けなくなる。力量を見誤るのは利口ではない、まだまだ幼稚な弟だ。あのまま放っておいたら彼は生命を落としていただろう。


「では何故あの少女を連れて帰るよう指示をしたのですか」

  少女、ね。あれはもう少女の顔をした化け物だ。

 人間にも有翼人にも成れない、異物の成れの果て。

「あのような兵器を保有されていたら厄介です。だから回収しただけですよ」

「ならば生かしておく必要はありません。少女に…地上を襲わせるつもりなのでしょう」

  どんな仕組みか分かりはしなかったが、あれは瞬間的に有翼人である私達と同等の魔力マナを有していた。

 障害になるくらいならこちらが利用したほうが効率が良い。勝手に人類が共倒れるならば手間が省けるではないか。

「失せる生命です。どうしようと問題ありません」

「生命は道具ではありません、慈しみ守るものです。恐ろしい発想は今すぐ捨てなさい」

  肝心な所で動き出せないのに綺麗事ばかり並べる。

 臆病者な兄、彼に対する敬意は遠い昔に薄れていた。


「…ウラノス兄様は地上の味方をなさるのですか」

「違います。レイア、私達の存在意義を忘れてはいないでしょう」

「既にお父様は現存する人類は守るべき対象ではないとお決めになりました。あれらは等しく害悪でしかない」

「制裁以外での地上への介入は許されていません。秩序を乱す身勝手な行動は反逆に値しますよ」

「秩序?既に乱している者が野放しにされている以上、無いようなものでしょう。アポロンは失敗してしまいましたが、私なりに可愛い妹に目を覚ましてもらおうと手を尽くしたのですよ」

  末妹が投じた波紋は辛うじて繋がっていた私達家族をバラバラにした。

 地上がどのような発展をしようとこうなることは容易に予想ができた。

  私達は一度壊れてしまった関係に新しい弟妹を増やして破片を繋ぎ止めていたにすぎない。あまりにも歪で家族と名乗るには滑稽で笑えてしまう。

  だから良い機会だと思った。結局は皆勝手な行動をとる、昔も今も変わらない。

 兄妹なんて煩わしいだけ。今度こそ私の望みを叶えてみせる。


「レイア…貴女らしくもない、冷静さを欠いて何をそんなに焦っているのですか」

「焦ってなどいません。お兄様こそ、傍観ばかりでは何も守れませんよ」

「私は必要があれば動きます。まだその時ではありません」

「…そんな悠長だからタナトス兄様のことを繋ぎ止めておけなかったのです」

  私達兄妹の中で最も魔力マナを有する強き長兄の弱点。

 失ってしまった片割れの弟の名を出せば彼は何も言い返せない。

  兄様はいつまでも追放された弟達を想い続けている。

 中立の立場を主張してはいるが、結局のところ弟達の子孫に情が移っているのだろう。

 地上への攻撃を肯定できないのは弟達の面影の残る地上を守りたいだけだ。

  過去に縛られているようじゃ納得しない。私は断ち切った。

 私達が生きるのは過去ではない、現在いまだ。現在いま、地上に蔓延るは世界を蝕む悪でしかない。


  私達の口論は平行線を辿り、すっかりニュクスとポセイドンは萎縮していた。

 表立った兄妹の対立を目の当たりにしたのは初めての経験だろう。

 この程度で動揺しているようでは二人はまだ子供だ。

「…気持ちが悪い…」

  うわ言のように呟きながらお父様が現れた。

 こちらの様子など理解出来ていないのだろう、ただ何かを求めながら身体を引き摺るように飛んでいる。どうやら言い争う私達を窘めに来たのではなさそうだ。

「お父様!」

  慌ててお父様の身体を支えてようやく気付く、体内の魔力マナが酷く減って衰弱している。休まれていた筈のお父様に一体何があったのかしら…。

「足りない…」

  お父様の視線が何かを探し求めて宙を彷徨っている。

 焦点の定まっていなかった瞳がポセイドンを捉えると、彼へ手を伸ばした。

「還っておいで…さあ」

「お、父様…?」

  私の腕からお父様の身体が離れ、ポセイドンを抱くようにもたれかかった。

 お父様にそっと頬を撫でられたポセイドンの身体が小刻みに震えている。

 何が起きているか理解出来てはいないだろう、それでも確かな恐怖を感じているポセイドンは表情を強張らせていた。

「い、嫌だ…!離して!お父様…!」

  息子の悲鳴など聞こえていないのか、お父様は愛おしく抱くだけだった。

 やがてポセイドンの肉体が解れるように分解され光へとなった。

 蒼い光となったポセイドンはお父様の身体へと流れ込んでいき、完全に消えてなくなってしまった。


「お父様、どうして…」

  ニュクスは目を見開き掠れた声を絞り出した。

 彼女は家族の死を目の当たりにするのは初めてだったか。家族思いな彼女には衝撃が強かったに違いない。

 有翼人の最期は肉体が分解され魔力マナとなって自然に還り跡形もなく消える。

  こんな唐突に魔力マナを欲し、子供から吸収する姿を見るのは初めてだったので私も驚きはしたが、この行為自体は数度目にしたことがある。お父様にとって命を頂く行為に躊躇いは存在しない。

 魔力マナと気力を取り戻したお父様はニュクスへ慈しみの視線を送る。

「悲しむことはないよ、ポセイドンは還っただけなのだから。我々は常に共に生きている」  

  戸惑い、混乱したニュクスはどうにか理性を保とうとしているが腰を抜かし座り込んでいた。

 別れに順応できず精神を崩壊させるのであれば彼女もお父様へ還ることだろう。

 魔力マナも生命も巡る、お父様にとってはこれは生きる流れでしかない。家族であろうと悲しみも名残もない。


「気分がすぐれない。眠りにつく」

「はい。雑事は私達にお任せください」

  まるで食事を済ませた後かのように去って行くお父様の姿を見送る。

 途端、お父様は振り返り私の顎を掴んだ。

「レイア。お前はすぐに嘘を吐く」

「嘘だなんて、そんな。私はお父様の為になることしかしておりません」

「…そうだな…お前は私を裏切りはしないね」


  私は一度だってお父様を裏切ったことはない。

 ずっとずっとお父様だけを想っているのに。

 それなのにいつまでもお父様の一番は得られない。

  いつまでも鎮まらない。

 どうしたらあなたの隙間を埋められるのでしょうか。

 どうしたら私を見てくださるの。

 どうしたら私だけを特別にしてくれますか。



    *



 ――― ああ、なんて恐ろしい。私には分からない。

 冷めやらぬ憤怒を抱き続ける苦しみが。善悪を判断する基準が。正しい生命の価値が。

 目の当たりにした神々にもヒトと同じようにココロがあるように思えてしまう。

 それともヒトではない私に分かる時など訪れはしないのだろうか。


  まだ私は自分のココロも理解できてはいない。

『攫われた少女の様子を私が確認してきましょうか』

 どうして自ら申し出たのでしょう。

 わざわざ連れ帰ったのであれば少女の命がすぐに消えることはない。

 私が楽園に行く必要はあったのだろうか。

  地上とそこに生きる人々を守りたい。その願いだけが私の中に芽生えたのだと思っていたのに。

 彼らの悲しむ顔が見たくない、そう感じてしまった。そして己に出来る事ならば協力したいと考えていた。

  これもココロが生まれたせいなのだろうか。

 エネルギー体である身なのに傍観するだけでいられなかった。ココロとは行動を衝動的にさせる。


  少女は戦うことを拒絶し、神に身を委ねていた。もう帰りたくはないのだろうか。

 少女を連れ戻すことは、彼女を苦しめることになるのだろうか。

 ならば私は…彼らにどう伝えることが正しいのか。

  …何故私はこんなにも思考を巡らせているのでしょう。

 見たままをありのまま報告すればいいではないか。

 悩む意味などない、それなのに私は躊躇いを感じていた。

  これがココロなのですか。ココロはこうも私を苦しくさせる、まるで病だ。

 楽園に住まう神々はこのような苦しみを永久に抱え続けているのですか。

 それは想像を絶する苦痛でしかない。己が消失するまでこの痛みが続くというならば正気など保てない。

 残酷なほど永き時間が翼を持つ者達を蝕み、ココロが歪になってしまった。

 救いが必要なのは世界ではない、神々にこそ救いが必要なのかもしれない。



  攫われた少女が無事ではあったが兵器として利用されようとしていること、海の神が創造神に飲まれてしまったこと。私は地上へ戻ると私情を挟まずに自分の見聞きしたそれらの事実だけを伝えに回った。

 報告とはいえ自分が話したことにより誰もが傷つき表情が曇っていく様は辛かった。

  中でも静かに拳を震わせ感情を抑え込んでいた少年の顔が忘れられなかった。

 最初に出会った時も少年は自身の力の無さを嘆いているようだった。

 きっと少年は何度もこんな思いをしたのだろう。それでも守るものの為、戦い続けている。

 苦しみながらも歩みを止めない少年の思いが報われてほしい、そう願ってしまっている私が居た。

  私と少年の関係は大したものではない筈だ、それなのにココロが揺さぶられるなんて。

 制御できないココロに私は戸惑うばかりだ。ヒトは厄介なものを抱えて生きている。

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