暗闇の奥底で-1
最初、楽園を偵察してくれた精霊の報告を受け入れきれなかった。
お父様がポセイドンお兄様の生命を喰らったなんて、躊躇いなく子供を糧とするなんて信じたくなかった。
けれど私が地上に降りてから信じられないことばかりが起きている。家族がどんな非道を行っても異常ではない。
現実から目を背ける訳にはいかなかった。
千沙のことも心配だった。本当は今すぐにでも大切な仲間を助けに行きたい気持ちが強かった。しかし、一人の少女の安全と世界の命運を天秤に掛け、私は世界を取ることしか出来なかった。
私の行動一つで戦争に発展する可能性があるとなれば私情だけでの選択は許されない。千沙が
レイアお姉様の思惑がある以上、無下に殺されることはないとしても千沙がまた苦痛を強いられていることには変わりがない。
精霊の報告では千沙は自ら記憶を手放したと言っていたが幻惑魔法の類に違いない。母親を亡くし傷ついた彼女の心に付け込む酷い誘導だ。
淑やかなレイア姉様がそんな惨いことをしたなんて。
敬愛する家族の恐ろしい一面がまだあるのかと思うと胸が張り裂けそうだった。
私に希望を教えてくれた千沙を必ず救い出したい。
その衝動を堪えながら私は祠を探す旅路に戻ることとなった。
古の有翼人が遺した7つの祠を巡る旅もとうとう最後になった。
最後の一つとされる祠は昔と今の世界地図を照らし合わせると"星の大穴"と呼ばれる位置にあると推測されていた。
けれど"星の大穴"はいわば無。海上にぽっかりと空いた大きな穴で底の見えない真っ暗闇。潜った者は深淵に飲まれ生きて帰れないと言われている場所。
調査を試みようと各国で探索隊が派遣されてはいるが一度も成功した事例は上がっておらず、しばらくは探索は断念されているそうだ。
大穴の奥がどうなっているかは地上で誰も知らず、有翼人である私も詳しくは知らない。
祠は共通して多くの人が気づかないようなひっそりとした地にあった。
危険を伴うような場所もあったが、今回の祠が未開の地ということもあり最も危険であろう。
「底無しの闇か。祠を守る民が居なければ永い時を経過して祠が消失している可能性もある」
「けど、どの祠も有翼人の魂が守護していた。そこも有翼人がなんとか守ってるんじゃねえか?」
クラウスの懸念にタルジュがすぐに反応する。
ティオールの里や竜の谷のように代々祠を守る一族が居る地もあれば、バルドザックのピラミッドやパルメキアの火山のように人の手から離れた祠もある。
カルツソッドの祠は一歩遅れれば崩壊するか海の底へ沈んでいただろう。
「パルメキアでのアレスは力が漲っているようだったが、カルツソッドでは疲弊している印象だった。祠を守ると言っても限界があるのだろう。
火の
けれど風の
じっと止まって
利点としては風は何処にでも吹くのであらゆる場所で扱えることではある。
膨大な
おまけにカルツソッドは劣悪な環境であったと聞く。
「その点なら心配はないわね。"星の大穴"という場所は暗闇なのでしょう?最後の
「
託された魔石たちの属性から消去法で残るは闇のみ。
陽の光も届かない海の底となれば闇の
「ただ、生きて帰って来られた者が居ないというのは引っかかりますね…」
レツの疑念を晴らすと今度はクラウディアが別の指摘をしてきた。
全ての事例が事故による墜落死か暗闇を彷徨い続けたのか、はたまた何者かが海底で侵入者達を妨害しているのか。探索に挑んだ者達が戻られなかった明確な原因が分からない以上、推測するしかないが私は海の底に
「私が誘導すれば移動の不安はないでしょう。ただ…"星の大穴"には有翼人が居るわ」
「それは…現存の有翼人ということですね」
「ええ。避けたいけれど…戦闘になる可能性がある」
底の見えない闇、そこは終焉を継いだ者が守護する地に繋がるであろう。
私達の住まう空の楽園から唯一外出を許されている彼が自分の管理下の地にある祠という強大な
私が不安に感じていると皆が一様に頼もしい顔つきをしていた。
今の私は一人ではない、大丈夫だ。改めて覚悟を引き締める。
「私の兄、エレボス兄様が居る。必ず説得してみせるわ」
私達を乗せた飛空艇アレスが星の大穴の真上に到着した。
ゆうに大陸一つ分の面積がある大穴の暗闇は底が見えず、全てを飲み込んでしまいそうだ。
空から見ているだけなのに飛行可能な有翼人である私ですら竦んでしまう。
星の大穴に潜っている間に有翼人からの襲撃があった場合は残った神器の使い手であるフェイ、タルジュ、将吾の三人が対処にあたってくれることになった。
今将吾は別行動でアルセアに居るが、私達を送り出してくれている二人は任せておけと胸を張っていた。
「きちんと連携をとる練習でもしておくんだな」
「うるせえ、余計なお世話だ」
クラウスがタルジュへ釘を指すとぶっきらぼうに答えた。
タルジュという少年は言葉遣いが荒い。その強い物言いにポセイドン兄様のような粗暴さを感じるが、魔石を託された人物なのだから根は悪い者ではないだろう。
けれどフェイと二人で平気だろうか、少し不安だ。
「…私が残りましょうか?」
同じく不安を抱いたのか、共に大穴へ向かうクラウディアは自分の居残りを申し出た。だがフェイはすぐに首を横に振った。
「心配しなくていい。タルジュは分かりやすいから大丈夫だ」
「単細胞野郎に言われたくねえよ」
「じゃあ似た者同士だな」
「誰と誰が似てるんだよ!?ああ!?」
「やっぱりタルジュは分かりやすいな」
タルジュは機嫌を損ねて苛立っているというのにフェイは不快にも思わず楽しそうに笑っている。
似たような性格の人物との経験があるからか、はたまたタルジュの思考を理解できるからか。
タルジュがどんなに噛み付こうとフェイは気にも留めずヘラヘラとしている。
「それにタルジュは初めからこの後特訓しようって誘ってくれてた。だから大丈夫!」
「馬鹿、言わなくていいんだよ!」
タルジュは怒ってはいるがフェイに危害を加えようとはしなかった。
どうやら恥ずかしい気持ちを紛らわしているように見えた。
べつに悪いことではないのだから初めから素直になればいいのに。
私の杞憂のようだ、意外とタルジュとフェイの相性は良いのかもしれない。
素直になれない人も居る。という悠真の言った人はまさに彼みたいな人を指すのか。
二人の軽快なやり取りの様子に皆笑っていた。
私は二人が喧嘩でもしないだろうかと不安に思ったが、これも一種の感情表現の仕方なのだろう。
クラウディアやレツも笑っているという事はタルジュの思いを理解でき、受け入れられている。
言葉や行動による真意を理解するのは難しい、こればかりは経験なのだろうな。
魔法で浮遊する風の舟を作り上げそこに皆を乗せる。
灯りとなる光源をクラウスが魔法で生成し、皆の中心に浮かべた。
地上に残る二人に別れを告げ、意を決して暗闇の中を進んで行く。
穴は広がることも狭まることもなく柱のように続いている、巨大な筒の中を移動しているような感覚だ。
側面を流れ落ちる海水の音だけが反響して響き渡る。
この大穴に海水が溜まらないならば、落ちていく水はどこへ向かうのだろう。
水の行く先に私達の探す祠があるのかしら。
一定の速度を保ちながら下へと降り続けるが底は見えず、自分達の入ってきた入口が光の点のようにしか認識できない深さになった。穴の終着地点はまだ見えない。たしかにこれは人間では生きて戻れないだろう。
終わりの見えない路に不安が募り出した。
陽の光は届かず闇は濃くなり、流れ落ちる水が見えず音すらも聞こえない。
舟の周囲をも照らしていた灯りは舟に乗る私達をぼんやりと照らすのがせいぜいになる。
今自分達がどのあたりに居るのか分からなくなり、時間経過の感覚も狂いそうだ。
視界を奪う暗闇と肌を伝う寒気だけが進んでいる証拠か。
これだけ暗いと光や火の生成魔法は威力が弱まる、この先は闇が制する世界だ。
私は焔を司る者としてお父様に生み出された。有翼人は全属性の魔法を一通り扱えるとはいえ、火と風を得意とする身としては闇の
今ここで闇・土・水を得意とする術者に妨害されれば私は苦戦を強いられるだろう。
「一発放ってみるか」
「ええ、お願い」
大きな問題は起きずに下降を続けていたが、視界が悪くなったのを察したレツの提案を受け一時舟を止める。
彼は
暗闇の中を進む想定をしていたので照明用にと予め私が弾に込めておいた光の魔法だ。
特殊な弾に魔法を込め、その弾を魔銃で撃ち放てば弾に込められた魔法が発現する。弾に魔法を込める必要がある為、魔法の使い手との協力は不可欠だが魔銃は人間でも魔法が扱える優れた道具だ。
最たる利点は使用時に魔法の威力が周囲の環境に左右されないところだ。
魔法の威力は弾に魔法を込めた術師の
だからこのような暗闇で光の
素晴らしいとも思えるが、考えようによっては人間でも有翼人級の強力な魔法が使えることになる。
それは恐ろしくもあった。強い力は扱い方ひとつで安心にも脅威にも成りうる。
魔銃も御影博士の開発品だという。魔銃以外にも様々な文明を齎した彼は人類に多大な影響を与えた人物で間違いないだろう。もしかしたらお父様は御影博士のような人間を最も危惧しているのかもしれない。
照らし出されていく場所を目を凝らして見るが危険もなければ底もない。
光はやがて闇に飲み込まれていく、まだまだ穴の途中のようだ。終着地点は見当もつかない。
「本当に星の果てまでも続いていそうだな」
星の果て、か。思えば自分達の暮らす星の端を知らない。
空の先はどこまで続いているのか。地の底はどうなっているのか。
私は世界を何も知らない。全ての創造神であるお父様なら知っているのかしら。
クラウスが思わず零した感想に自分の無知さを改めて感じる。やはり私は神様なんかではないわ。
地上に生きる彼らを格下の生き物と認識していた少し前までの自分が恥ずかしい。
世界を守る使命があると言いながらその世界をろくに知りもしない。
人種が違えど皆に共感できることも多くある。
それなのに自分達を絶対的に優れた存在であると思い込んでいたなんて、烏滸がましい。
「もしそうだとしたら興味があります。星の果てに何があるのか」
クラウディアが穏やかに微笑みながら下を見た。
すると気を張り詰めていたクラウスもレツも肩の力が抜けたようだった。
緊迫していた空気が和らいだ。皆同じように好奇心が芽生えたのだろう。
先の見えない不安に未知という楽しみが差し込んだ。
「そうね。私も見てみたいわ、星の果てを」
胸の鼓動が少し高鳴ったのを感じる。未開の地へ向けた期待も乗せて私は再び風の舟を進めた。
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