囚われた楽園-1


  頬を撫でる温もりを感じて重い瞼を開くと目の前には淡い光の球体が浮いていた。

 何故だか懐かしさを覚える光に手を伸ばしてみると仄かに温かい。

 光は私が目を覚ましたのを見ると手から離れ宙を舞った。

  精霊に導かれるように上体を起こすと身体が人間ではない音を立てる。

 結晶と化した肌、血の通わない部位が前よりも増えた。

 根源である胸元に辛うじて残る人肌の指でそっと触れると冷たく硬い。


 ―― そうだ、私はヒトを殺そうと ―――


  憎しみに身を任せていた。

 理性を失い、制御できない行動。どうしようもない想いの行き場をぶつけてしまった。

  やはり私は戦うべきではなかった。

 感情を制御できない、意志が弱い。

 自分の行いを今更悔やんでも過ちは変えられはしない。

  

  金色の格子越しに見える美しい緑。まるで物語の中に描かれる楽園のよう。

 だけどここは物語の中で見た楽園とは違う。

 物語の楽園は浮世離れしていて美しく、極上の幸せに満ちた雰囲気があった。

 ここは綺麗なのにどこか虚しい。生き物の声がしない静寂が物悲しくさせるのだろうか。 

  豊かな自然に似つかわしくない金属の檻の中に私は居る。

 陽光の差し込む庭園に白く柔らかな雲のようなものに私は横たわっていた。

 捕えておく為の場所としては似つかわしくなく身体を拘束されているわけでもない。

 けれどこの檻には扉がなく出入りが自由ではない。閉じ込められていることに間違いはない。

  それなのに私はここから出なければならないという発想に至らなかった。

 この異常な事態に呆然としている。理性が感情に支配されることを恐れた。

 誰かを犠牲にすることしかできない自分に嫌悪しか抱けない。

 動き出せない私は檻の外に出た精霊を見つめるしかできずに居た。


「まるで籠の中の鳥ね」

  横を向けば檻の外側には絵画のように美しく、慈愛に満ちた微笑みを浮かべた女性が立っていた。

 太陽の光を受け輝くように照らし出された髪、澄んだ色の瞳に背には純白の翼。

 有翼人である女性はまさに女神のように見えた。惨めな自分が居た堪れなくなる。

「…どうして、私を生かしているんですか」

  この人が天空の有翼人ならば地上の人間である私は排除すべき存在な筈だ。

 生かされている状況が腑に落ちなくてそう尋ねるが私は彼女を直視できなかった。

 それなのに慈悲深い視線は私を離さない。

「誤解しないで。私達は出来るならば地上の人類を滅ぼしたくはない。あくまで世界の生命の循環を正しく行うべく私達は動いている。今回の事態は私達にとっても非常に残念なの。私はあなたのことも地上のことも救いたいと思っているわ」

  どうしてだろう。この人はずっと柔らかく微笑んでいるのに、私は怖いと感じている。背筋が寒くなり、胸が締め付けれるような感覚がする。

 知っている、私はこの笑顔を。綺麗な表情で狂気を隠している…工藤さんと似ているんだ。

 彼女の言葉を信じきれない私は訝しんでしまう。


「あなた方は道を誤り最悪の段階を迎えてしまった。いくさは繰り返され、生命の循環は乱れ、大陸までも失われてしまった。制裁の決定は仕方のないことなの」

  制裁。神々によって地上に生きる人々が世界から排除されてしまう。

 本当にそれは仕方のないことなのだろうか。

「人類をこのまま放置していたらいずれ大地が全て滅んでしまう。あなた方は世界を蝕んでいる」

「地上の人々の行いが全て正しいとは言いません。ですが排除するというのは…」

  それは戦争と何が違うのか。誰かの幸せや未来を強引に壊し、奪う。

 神様の言う制裁は一方的な略奪だ。当然、地上は抵抗するに決まっている。必ず戦争に発展する。

  戦争は互いが傷つく。奪われた者も、奪った者も。私はそれを知っている。

 それなのにどうして…


「恐れないで、制裁は救済。私達は皆を苦しみから救おうとしているのよ」

「救う…?」

  争いで救われた人など居るのだろうか。それとも…私が知らない道が存在するの?女神の諭すような囁きに疑念が揺らぐ。 

「争いは悲しみばかりを生む。あなたには痛いほど分かるでしょう」

  戦争は大勢を傷つけ、苦しめ、悲しみを与え続けた。

 この人の言っていることに間違いはないのかもしれない。私は彼女を否定できないでいた。

「戦う度に傷ついて、もういいでしょう。あなたが苦しむ必要はないのです」

  もうヒトを傷つける行いはしたくない。私だってもう苦しみたくはない。

 幸せな記憶よりも辛い記憶が心に深く刻み込まれている。

 悲しみから泣き叫ぶ声。生きる為に必死に抗う姿。恨みの籠った鋭い視線。夢にまで見る私への憎悪の感情達。

 思い返せば幸せな光景よりも怒りや憎しみを向けられる目や声ばかりが蘇る。

 私は、誰かを傷つけてしか生きられていない。


「ねえ、あなたは何の為に戦っているの?」

「それは…!」

  ―――何の為?私はどうして戦っていたの?

 はっきりと反論する為に声を上げたのに言葉が続かない。

  焼き切れた紙みたいに私の頭が白に侵されていた。

 記憶が思い出せない。抱いていたはずの感情がどこから生まれたのか分からない。

「わた、しは…守りたかったの」

「何を?」

  名前が。顔が。声が。誰一人思い出せない。

 守りたかった。強い感情があるのは理解できるのに。

 焦燥ばかりが心を逆撫で胸を締め付ける。

 何よりも大切な想いが私から薄れ、剥がれて、消えていく ―――

「…いや…どうして…」

  お願い、奪わないで。私の生きる理由を。私の感じた尊い想いを。僅かな温かい思い出を。

 忘れてはいけないのに、もう忘れたくないのに。私は、また―――!


「無理をすることはないわ。それだけあなたにとって些末な存在だったのよ」

「違う。私にとって、とても大切な…!」

「本当に大切かしら。思い出せもしないのに」  

  私を支えてくれる幸せな記憶も、どんなに辛く苦しい記憶でも、それが自分を形作る大事な欠片だから。

 もう二度と手放すものかと決意した。必ず抱え続けてみせる、私が私であるために。

「記憶があなたを苦しめるのなら失くせばいい」

  駄目。どんなに苦しくても忘れてはならない。記憶が消えてしまったら私が私でなくなってしまう。

 それなのに私の気持ちとは裏腹に記憶が白で埋め尽くされる、私が私でなくなっていく。

「忘れましょう。そうすれば楽になる」

  できない。そう思うのにもう言葉すら紡げない。

 失って苦しむくらいなら、初めから持たないほうが幸せだ。

 そうだよ、苦しいだけの"私"の存在なんていらない。


  自分の姿をした無垢が空っぽに立っている。

 醜く穢れてしまった私を真っ白な自分が優しく抱きしめる。

 穢れは無いほうがいい。そうだ、穢れなんていらない。

 純白に身を任せるのは酷く心地の良いものだった。

 やがて白に混ざり溶け合い、とうとう"私"が消えた。


  妖しく微笑む女神が苦しみから救ってくれる。難しいことはない、全てを委ねるだけでいい。

 零れ落ちる涙が頬を伝い結晶を濡らした。その涙の理由はもう分からない。


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