貫く信念ー1


  アルセア国の最北部に位置するシルヴァダルト山脈。

 高低差の激しい山々が密集して連なり、絶壁とも呼べる山は登山には向かず立ち入る人は居ない。山には植物も少なく動物も僅かしか生息していない。

 遠くから見るには雄大な山脈で偉大だが、いざ現地に降り立つと聳える山に取り付く場所がない。

 もちろん徒歩で進もうなどとは無謀にもほどがある。しかし、道らしいものは存在していないので車でも進めない。

 そこで活躍するのが僕らにとってお馴染みの飛行鎧“WingAutomaticAssistArmar ”、W3Aだ。


  工藤美奈子博士から依頼された技師への協力要請を直接行うべく、僕らはこの登山を成功させなければならない。

 いささか信じ難いが目的の人物はこの山の奥地に住むという。ならば行くしかない。

  僕は山登りの経験はあまりない。こんな登山の最難関のような場所を登れるだろうか。W3Aを使うとはいえ、山々を縫うように飛ぶので繊細な飛行技術が必要となる。アルフィード学園入学当初の自分が聞いたら絶対に無理だと嘆くことだろう。

  そんな飛行も学園の最優秀生徒である月舘先輩は苦にならない。先行して進む先輩が見つけてくれる最適ルートを僕は付いて行くので精一杯だ。

  月舘先輩とこうして行動を共にするのは初めてだ、とても緊張する。

 僕が普通に学生生活を送っていたら決して会話することなんてなかっただろう。

 凡庸な国防科の1年生と人望も実力も共に持ち合わせた先輩が行動を共にする。…ない、ありえない。恐れ多い。決して歳の差だけではない、埋まらない大きな差がある。


  ツルツルとした岩肌の山岳地帯を二人で黙々と飛んで行く。密集した山々の合間を衝突しないように飛ぶのは難しく神経が擦り減る。

  人里離れた山脈ではW3Aの故障は命取りになる。すぐに修理も出来なければ、徒歩で近くの町へ戻ることは困難だ。接触事故でも起こせば万事休す。

  僕は恐る恐る飛ぶが、月舘先輩は小回りを利かせて難なく進んで行く。W3Aで飛ぶのが上手い人は飛行も歩行も同じ感覚だと言う。

 しかし僕は未だに飛行を操作するという感覚が拭えずにいる、難しいルートなら尚更だ。

 入学時よりは上手く飛べるようになったとは思うけど、自分の理想を追求するならば飛行操作に意識を傾け過ぎずとも思い通りに飛べるのがベストなのだろうと、つい考え込んでしまう。


 

  集中して飛び続けた為、僕ら二人は飛行中殆ど無言だった。足場のある大きな岩を見つけたので着地し、小休憩を挟もうと先輩は提案してくれる。

 飛行中の浮遊感覚は気持ちいいが、やはり地に足が着くというのは安心感がある。

 地を歩行して生きる人の性だろうか。


「古屋」

「はい!」

  声を掛けられだけなのに、意味もなく大きな声が出てしまう。

 おまけにちょっと声が震えてしまった気もする、自分の情けなさが恥ずかしい。

「…いや、その…俺相手にそんな気を張る必要はない」

「先輩ですから!」

  しかもただの先輩ではない、皆の憧れる先輩だ。優秀で強くてカッコいい。そんな先輩のようになれれば自分の飛行士の夢にも近づける気がする。

 尊敬に値する人を相手に気を張らないほうが難しい。

「そうか…」

  何か続きがあったようにも見えたけど、先輩は言葉を飲み込んだ。

 月舘先輩はあまり喋るタイプではない。そんな先輩がわざわざ声を掛けた。

 もしかして僕、先輩の気に障る事をしていただろうか。

 それとも「お前余裕が無さ過ぎて足手まといだな」みたいに思われてる!?

  迷惑だけは掛けないようにしなくては。その後、僕はより気を引き締め懸命に進んだ。




  日が暮れ始め視界が悪くなるので、僕らは一晩を野営で明かすことになった。

 先輩は野営の支度も無駄がなくテキパキと進めてしまう。僕は完全に少し手伝っただけになってしまった。出来る人のお手伝い程難しい、手伝う隙がないからだ。僕だって役に立ちたいんだけどな…。

  少し早い夕飯を済ます頃には空は夕焼けと闇夜のグラデーションのようになっていた。太陽と星の明りが混在し溶け合う。空に馴染むよう映し出される山々。人工物のない美しい風景に目を奪われた。


「空が綺麗ですね」

「ああ…」

  横目で見た先輩の穏やかな笑顔を僕は見逃さなかった。

 笑った!?普段表情をまるで変えない月舘先輩が!?

「先輩は空が好きなんですか?」

「自然の景色を見るのが好きなんだ。空も山も海も…決して人の手からは作り出せない。雄大な自然を見ていると心が洗われる気がする」

  そう話してくれた月舘先輩の表情は穏やかだ。

 口に出さないだけで先輩にだって好き嫌いやその時々に抱く感情がある。

 当たり前の事なのに、物静かな人の思いはつい見逃してしまいがちだ。 


「そうなんですね。僕はずっと漁村で育ったので海は身近に感じていましたが…でもじっくり海を見ていると世界はどこまで続いているんだろうってワクワクしました。自然の景色って心動かされますよね」

 僕の言葉にどうしてか先輩は安心したような仕草をした。

「あの、僕何か変なこと言いました…?」

「いや。ようやく喋ってくれたと思ってな」

  道中の飛行に必死だったこともあったけど、僕らは長い時間を共にしたというのに会話らしい会話はしていない。僕が先輩に対して自発的に話しかけたのは初めてだったかもしれない。

 せっかくの機会だ、もっと先輩について知りたい。


「僕はW3Aの飛行士になりたくてアルフィードに進学したんです。先輩には夢ってありますか?」

「…ある。まあ、夢と呼べるほど大層なものでもないがな」

「どんな夢ですか!?」

  月舘先輩ほどの剣術の腕があるならば世界一の剣士とかだろうか。それとも軍の花形飛行士とかだろうか。先輩なら若いうちに将校にだってなれるはずだ。

 けれど、あまり地位に固執しているような人でもないか。とにかく先輩くらい有能な人ならば選択できる道は多い。ところが先輩の夢は慎ましいものだった。

「旅に出たいんだ」

「旅、ですか?」

「ああ。伝え聞くだけじゃなく、見たことのない景色を実際にこの目で見て、自分の足で各地を回りたいんだ」

  大舞台でも堂々としていて口数が少なく表情も固いのでクールな印象を勝手に持っていたけれど。実際の先輩は想像よりも知的好奇心は旺盛だが大人しく控えめな性格に思えた。


「先輩のように恵まれた才能を持つ方々は選べる将来も様々なのに。旅だけでいいんですか?」

「俺は周囲が言う程恵まれてもいない。実家は裕福ではないし、体質で健康や筋力を維持するのも人一倍手間が掛かる。それでも俺は身の丈に合わない強さを求めた…ただ必死だっただけだよ」

  先輩がハーフエルフだということを知ったのはつい最近だ。

 今まで僕はエルフやハーフエルフに対する知識はあまりなかった。でも世の中がハーフエルフと名乗って生活を送れるような環境ではないことは理解している。

 エルフと人間が所帯を共にして暮らしている地域がどこの国にも存在しないからだ。

  同じ大陸に生息していようとも過ごす場所は隔たれているし、エルフの人口は僅か。一般ではエルフの存在すら知らない人も居るくらいだ。

 そんな環境でハーフエルフという稀有な存在は当然特異な目で見られる。

 月舘先輩にも様々な苦労があったに違いない。


  デジタルフロンティアでの連戦無敗記録保持者。

 1年生の秋にSランク入りをしてから今年度体育祭でのクラウディアさんとの試合まで一度たりとも負けていない。噂では授業で行う模擬戦の類であろうと無敗だそうだ。立派な実力を持っていることに違いはない。

 けれど、強さの裏には必ず努力の跡や秘密がある。それなのに僕は”恵まれた才能”などと軽率な発言をしてしまった。


「先輩が強いのは努力の成果です。だからもっと自身を誇っていいと思います」

「俺より強い人は多く居る。でも俺が強くなれているのなら目標にする相手を間違えたせいだな」

  焚火を見ながら困ったように笑った先輩だったが、どこか嬉しそうにも見えた。

 そうは言うが先輩より強い相手なんて多くない。僕が思いつく人なんて…

「…天沢さんですか?」

「俺の剣術の師は晃司さんだ。でも直向きに強くあろうとする姿勢はあいつに教えられたよ」

  他者の為に怒れて、ヒトの気持ちに寄り添うことの出来る優しさを持つ天沢さんに入学当初から憧れていた自分には分かる。自分は二の次なんだ。

 それが時に危うくなることもあるけれど、真っすぐな彼女の姿は心に響く。

 思えば彼女が居たからこそ、僕は今ここに居られる気がする。


「けど、月舘先輩が強いことに変わりはありません。頑張り続けることは誰にでも出来ることではありませんから、胸を張っていいと思います!」

「…古屋は千沙と似ているな」

「え…ええ!?そ、そうですか…?」

「ああ、仲が良いのは気が合うからだろうな」




  肌寒さで目を覚ますと月舘先輩はもう起きていた。

 空は薄く白み始めていたがまだ暗く陽は見えない、起床するには早い時間だ。

 先輩はどこか遠くを眺めているようだった。

  何を見ているのだろうかと同じ方向を覗いた時、山並みの隙間から陽の光が差し込んできた。

 日差しは山々を照らし出し、寒さで生じた霜が光を受けキラキラと眩しい。

 まるで山自身が輝きだしたかと思うくらい、光に包まれたような感覚になる。

 崖下の森林は山陰に隠れて真っ暗で濃霧が立ち込めている。

 暗闇の世界に白銀の煌めきと陽光の眩い輝きが生まれる瞬間。

 一時だけ見られる奇跡みたいな風景に言葉を忘れて見惚れてしまう。


「おはよう」

  朝日を背にして挨拶をしてくれた先輩は絵画みたいだった。

 この幻想的な景色に住まう人のように先輩が溶け込んで見えたのだ。

 景色の綺麗さに劣らず、儚げな彼によく似合う。自分は同じ世界に生きているか疑いたくなる。

 世界にはこんなにも美しい光景があるのか。僕はこの景色をきっと死ぬまで忘れない。


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