娯楽と欲望の国ー10
日は更に傾き、天井窓から橙の光が零れ始めた。
もうマダムとの約束の時間まで数時間。本当にこれが最後の賭けだ。
僕らのゲーム前の勝負が終わる頃に対戦相手の男が現れると賭け金の準備が始まった。互いの賭け金をディーラーが確認し回収していく。
現時点で僕らは完全に無一文となってしまった。男は本当に2億を賭けていた。こちらの賭け金の2倍を出してまで全額を賭けた勝負がしたいなんて、価値観の違いが恐ろしく感じる。
「せっかくのゲームだ、楽しもうぜ」
僕が名残惜しくお金の行方を追っていると男は笑顔を向けてきた。
根っからの遊び人なのだろう。大金には動じず、勝負への不安もなさそうだ。
はたまた2億を失おうと彼にとっては大した金額ではないのだろうか。
ただ純粋に楽しい勝負を待ちわびている様子だ。
僕と男が対面座席に座り、挟んだ間にある絨毯のように広がる大画面に神経衰弱の文字が映し出される。
この勝負専用エリアはゲームを機械化することにより、同じ台で様々なゲームを遊べるようにしている。
僕らの試合の前にはこの画面でチェスが行われていた。人の大きさ程に駒が映し出され、臨場感のある駒の動きが目を引いた。画面を見下ろす形で遊ぶのは新鮮だ。
待ち時間にもこの舞台で勝負している組を見たが、神経衰弱を遊んでいる組はいなかった。神経衰弱は地味なゲームだ、人気がないのも頷ける。
しかし、その明確な理由を表示された画面を見てすぐに理解する。
「なっ…枚数が多過ぎませんか!?」
僕の知っているトランプとは明らかに違う、膨大な枚数のカードが場に表示されている。ざっと見て100枚はあるだろう。
「ここの神経衰弱はトランプ2組分、104枚にジョーカー2枚を足した106枚だぜ。なんだ、初めてか?」
出そうになった大きなため息を必死に飲み込む。
こんなゲームだとは聞いていない。いや、単純なゲームだとルール確認を怠った僕の落ち度か。
まさに神経を擦り減らされる量の暗記ゲームだ。そりゃ誰も遊びたがらない!
「あはははは、何だよ、知らないで選んだのか。今ならゲームの種類を変えてやってもいいぜ?」
僕の様子を見て男性は大きな声を上げて笑っていた。
せっかくの提案を受けたいところだが、別のゲームで勝てる見込みなどない。
こんな特殊な場で普段通りの実力が出せるか不安ではある。けれど、本一冊に比べればカード100枚なら可愛い量だろう。大丈夫だ、覚えられる。
「いえ、このままで結構です」
「へえ、男前だな。じゃ確認の意味も込めてルール説明だ。この神経衰弱はカード獲得の条件が通常のものより厳しい。同じ数字なだけでは駄目だ、同じ数字かつ同じマークで初めてペアとして成立し、自分の取り分になる。自分の手番で捲れるカードは2枚のみ、ペアが成立すれば手番は相手へ移らない。ペアを当て続ければ場にカードがなくなるまで自分の手番にすることも可能だ。ペアが不成立の場合のみ相手へ手番が移る。トランプゲームにおけるジョーカーの役は様々だが、この神経衰弱ではジョーカーを捲ったら場のカードが裏面のまま全てシャッフルされ配置が入れ替わる。ジョーカーを最後に残せるのがお互いにとって理想だろうな」
ルールはシンプルだが、シンプルだからこそ差がつけば逆転が難しい。
長期戦での記憶の維持と整理、それに平静が保てるだろうか。
場のカードがシャッフルされてしまうジョーカーを序盤で引けば悲惨なことになる。特にジョーカーは気を付けて記憶したいところだ。
「ルールはこんなところだ。疑問があれば答えるけど、大丈夫かな?」
「…分かりました、大丈夫です」
「よし、ゲーム成立だな。始めようか」
彼がディーラーに合図を送るとディーラーは機械を操作しゲームを開始させる。
『カードの暗記時間は10分間です。3、2、1、スタート』
マイク越しにディーラーがカウントすると画面の盤面に並べられていた合計106枚のカードが一斉に表へと捲られる。
電子化されたトランプは馴染みのある掌サイズではなく、遠目からも見えやすいよう大きくなっている。それが106枚同時に動く様は圧巻で竦みそうになった。
早速暗記に取りかかろうとすると遊技台の周囲に観客が集まり出す。
「出た。ジェンマのご新規狩りだぞ」
「あーあー可哀そうに、せっかくVIPに入ったばかりだろうに」
どうやら向かいに座る男性がジェンマと呼ばれた人だろう。
"ご新規狩り"ということは彼はVIPルームに入り立ての人に狙いをつけてカモにしているのか。
通りで僕らに声を掛けた訳だ。勝負に対する自信も経験からのものだろう。
集まって来たお客達は口を揃えて対戦者である僕への同情の言葉を並べるが、とても心は籠っていない。それよりも狩られる場面を嬉々として見に来たといった感じだ。
悪いけど、僕は狩られるわけにはいかない。
ここまで積み上げてきたお金は僕一人のものではない、絶対に無駄に出来ない。
最初はお客なんて誰も居なかったのに次第に見物人は増えてくる。
それだけジェンマさんはVIPルーム内で有名人なのだろう。
人に見られるというのは落ち着かないけれど、今更泣き言も言えない。暗記に集中だ。
トランプのマークは4種類。ハート・ダイヤ・スペード・クラブ。
ジャック、クイーン、キングを除けば単調な数字のカードが80枚。
記憶の引っかかりとなる印象深いものは多くない。周囲の絵柄や列行と関連付けて覚えるほかない。
一度集中できるとカジノと言う騒がしい場所に居ることを忘れて暗記に取り組めた。10分間はあっという間に過ぎていき、トランプは再びひっくり返り、一面全て同じ柄のカードになる。
『暗記時間終了です。次に手番を決定します』
「ちょい待ち。先手後手選ばせてやるよ」
ディーラーがコイントスを行おうとしていたところでジェンマさんは制止をかけた。やはり勝負に随分と自信があるみたいだ。
勝負を持ち掛けてくるくらいだから負ける気なんてないのかもしれないけど。
「なら…先手で」
「ほう、強気だね。記憶力には自信がおありのようだ。いいぜ、そちらさんが先手で」
神経衰弱は記憶力を試される遊びだ。
今回の場合は暗記時間があるとはいえ100枚を超える膨大な数を暗記し続けるのは難しい。
記憶に自信がなく、相手の捲ったカードをヒントにしたいと考えるならば後手を選ぶのがセオリーだろう。
けど、記憶力なら僕にだって自信はある。
ならば手番の回る回数が多いほうが有利だ。自分を追い込んでも勝てる確率を上げたい。
『手番が決定されました。それでは、ゲームスタート!』
「さあ、勝てるかな」
ジェンマさんは深く椅子に腰かけ余裕そうに僕を見た。
相手のペースに惑わされちゃ駄目だ。僕は僕のペースを維持する。
カードが並ぶ場には106マスあり、列にAからKの記号が、行には1から10の数字が割り振られている。捲りたい位置にあるカードの記号と数字をコールすると捲られる仕組みだ。
「コール。A1、C11」
息を飲み込み、恐る恐る最初のコールをする。
すると指定した位置にある電子カードは捲られ、共にダイヤの5が出てくる。
「まずは手堅く端からか。混乱しなくて済むもんな」
それからも僕がカードをコールする度にジェンマさんは一言感想を添えてきた。
正直、気が散る。駄目だ、気にしたら相手の思う壺だ。
最初の手番でカードを大量に獲得できれば相手へプレッシャーをかけられる。
「へえ、なかなかやるな」
なんとか一度もミスせずに12組目のカードを当てた。
今のところ僕の記憶にズレは生じていない。大丈夫だ、いける!
「コール。B3、E7」
カードが捲られるとB3は思っていた通りクラブのジャックが出た。
ところがE7のカードは同じジャックだがマークにスペードが描かれていた。
「え!?」
「残念、ハズレだ」
僕の暗記が間違っていたのだろうか。マーク違いくらいの誤差なら僕が憶え間違いをした可能性が高い。
動揺しちゃいけない、自分の記憶を疑ってしまえば頼りになるものは何もない。
手番がジェンマさんへ移ると順調に獲得カードを増やしていく。
僕が端から順に進めていったのとは対照的に彼は無作為に憶えている場所を指定していき、場のマス目には穴ぼこのように空白が生まれていく。
そしてあっという間に僕と同じ獲得数である12組のカードを揃えた。
やはり自信があるのかカード指定にも迷いがない。
ところが僕が失敗した同じ13回目で彼もまた選択を誤った。
「あー違ったか―」
右手で両目を覆い、大きめなリアクションで悔しがっている。その様子を見た周囲の客が野次を飛ばす。
何だか真剣が故のミスではなく、わざとらしく見えてしまうのは僕の心が荒んでいるからだろうか。
「ほら、勇太君の番だ」
失敗したのにまるで焦っていない。勝負前から変わらない余裕さが気に障る。
言われなくたって分かってるさ。
「コール。D2、I9」
一度のミスに多少不安を感じたが、今度も記憶通りのカードが揃ってくれた。
胸を撫で下ろし、意識を集中させる。まだ負けていない、落ち着け。
差をつけたいと逸る気持ちを抑えつつ慎重に進めていき、場にあるカードが半数以下になった頃、僕はまた間違えてしまう。
それも自信があった位置が思っていた絵柄とまるっきり違い、頭を思い切り殴られたような感覚を受ける。
しかも間違えたカードは最も引きたくないジョーカーだった。
『ジョーカーのカードです。場に残っているカードの配置がシャッフルされます』
間違えてしまった動揺を宥める暇もなく場のカードがシャッフルされていく。
シャッフルとはいえ、残っているカードを全て回収し、一から配置をし直す完全ランダムではない。裏面のままカード一枚一枚が位置を移動していくシステムだ。
50枚近いトランプのカードが次々と移動し始める。
序盤で引くよりはラッキーだったとはいえ、それでもまだ通常のトランプの枚数と大差ない量だ。目で追う観察力と記憶力を同時に試されるなんて。
カードの移動速度はゆっくりではなかったが、きちんと移動先を目で追い、暗記した記憶を整理させていけば推理で位置は特定可能だ。
狼狽えるな、銃撃よりも速度は遅い。冷静さを保てば、まだ戦える。
『シャッフル終了です。手番が移ります』
「あーあー引いちゃったねー。ジョーカー」
ジェンマさんもさすがにシャッフル中は記憶するのに必死だったのか話しかけてはこなかったが、まだ能天気さを見せていた。
こちらは思考の殆どを記憶に割いていて、話を楽しもうなんて余裕はない。
「ちゃんとジョーカー同士を引けていたらペアが獲得できて、手番も移らず、シャッフルも1回で済んだのにね」
「そんなこと言わなかったじゃないですか!?」
いきなりそんな重要な情報を言われたって困る。
僕はてっきりジョーカーは捲られた時点で役目を終えれば消失するのかと思っていた。
だけど僕が選んだジョーカーは消えることなく、先ほどのシャッフルに混ざっていた。となればゲーム終了までずっと場に残り続け、プレイヤーの邪魔を続ける役かと解釈した。
下手すればシャッフルの回数はもっとあるのかと嫌な想像までしたというのに。
きちんと場から消す対処法があると最初から分かっていれば、対処は変わっていた。
「えー普通に考えれば分かるでしょー。ちゃんとペアで取れていれば獲得枚数に加算されるよ」
いや、ルールをしっかり確認しなかった僕が悪い。
文句を言ってやりたい声を押し込む。
相手にも未熟な自分にも腹が立つが、今はそれを責めている場合でもない。
僕が苛立っている姿が楽しいのか笑顔のままジェンマさんは自分のターンを進めていき、順調に獲得枚数を増やしていく。ここで差をつけられてしまえば挽回は厳しくなる。
獲得枚数差は開き、僕が32枚なのに対し、ジェンマさんは46枚。場に残っている枚数は28枚だ。
あと4組先取され、先に54枚に到達されてしまえば、場のカードを捲り切る前に勝敗が決してしまう。ゲームは終盤に差し掛かった。
彼の捲っていくカードの絵柄と自分の記憶に差異はない。
全部記憶通りなのに、どうして僕がミスをした時だけ違っていたのだろうか。
今までの流れと自分の記憶を照らし合わせながら必死に思い返している時だった。ジェンマさんは急に意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「コール。C6、K3」
指定され捲られたC6はハートの8とK3はジョーカーであった。
「あちゃー」
彼は両手を上げて、またもオーバーなリアクションを見せた。
まさか、意図的にジョーカーを選んだ!?
『ジョーカーのカードです。場に残っているカードの配置がシャッフルされます』
またカード達は場を飛び交うように移動を始める。
残り枚数が減ったとはいえ互いにミスの回数が少ない分、捲る事によって得られるヒントがないに等しい。1回目のシャッフル後の記憶が正しかった保証はない。
だけどそこからシャッフルした配置を導き出すしかない。
『シャッフル終了です。手番が移ります』
瞬きを忘れて電子のカードを凝視し続けているせいか目が痛くなってきた。
自信が薄れ、不安に飲まれそうになっている自分が分かり、苛立ちが募る。
「勇太、大丈夫?」
僕の傍らで静かに見守っていたヘスティアさんが初めて声を掛けてきた。
「平気だよ」
僕が平気と言っているのにヘスティアさんは不安そうな表情を変えない。
思考に集中していたせいか少し言い方がキツかったかもしれない。
申し訳なく思うも、今は余裕が持てなかった。
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