光の先駆者達ー7


  とうとう明日はルイフォーリアム国の戴冠式。

 たった一人の妹は女王となり、国のトップとなる。

  王女と聖騎士見習いとしてではなく、姉妹としてリーベときちんと話をしよう。

 彼女が女王となる前に、心の靄は晴らしておきたい。

 単なる自己満足にしかならないかもしれない。それでも、ここで向き合わなければ私は一生リーベと姉妹に戻れなくなってしまう気がした。

  しかしもう夜も更け、寝静まる時間。彼女も眠りについているかもしれない。

 けれど、もし起きていたら。少しだけ時間をもらおう。


 勇気を振り絞ってリーベの部屋へ向かおうと自室の扉を開けた。

「きゃ!」

  扉を開けるとほぼ同時にか細い可憐な声が聞こえた。

 驚いて扉をそっと全開にするとそこにはリーベが立っていた。

「このような時間にどうしたのですか?」

「お姉様こそ、こんな夜更けにお出かけですか?」

「いえ、私はその…」

  突然の出来事に心構えが揺らぎ、言い淀んでしまう。

 あなたに会いに行こうとした。その一言で済むのに。

「まさかお一人で特訓なさるおつもりですか。いけません!お姉様が手を抜かない性格なのは重々理解しております。ですがご無理をされてはお身体に障ります。明日は大切な日なのですから今日はしっかりとした休息をとってください!」

  私の知る妹はこんなにも一気に喋れる子だったかしら。

 城内が暗く静まり返った時間を一人で歩き回れる度胸を持っていただろうか。

 やはり私の中の妹はずっと幼いまま。どれだけ私は彼女を正面から見られていなかったことか。


「リーベこそ、こんな夜中に一人でうろついて。見つかれば城仕えに叱られますよ」

「えっ、それはその…」

  両手をもじもじとさせている。これは焦った時のリーベの癖だ。

 少し小突けば私の知る面影を残した妹だ。

 成長はしている。でも、まるで変ってしまったわけでもない。

 まだ幼さゆえの不安定さが残る妹に安心してしまった。

 駄目な姉だと自分を恥じつつも思わず笑みが零れてしまう。

「私に何かご用事かしら」

「はい。あの、少しだけお話させてもらえたらと…お忙しいのは分かっております!その、ご迷惑でなければ」

  下がり切った眉に揺れる瞳。今にも泣いてしまうのかと心配してしまいたくなる。

 いつから彼女にこんな遠慮を覚えさせてしまったのだろうか。

 私が散々遠ざけた結果がこれか。自分の弱さゆえに妹に可哀そうな思いをさせてしまった。


「分かりました。どうぞ」

 彼女を招き入れるよう促すとリーベはまん丸の目を瞬きした。

「入ってよいのですか?」

「ええ。もちろん」

「…失礼します」

「お茶を淹れますから、座って待っていてください」

 恐る恐る進むリーベの背に向かって声を掛ける。

「私もお手伝いを…!」

「すぐに済みますから。ゆっくりしていて」

 努めて優しく断れば彼女が渋々引き下がり部屋の奥へと進んで行った。


  自分の部屋越しに見る妹は私の知らない少女に見えた。

 この部屋に居る妹はいつだって小さかったから。

 時が経ったのだから当たり前のことなのに。私はそんな当たり前に未だ馴染めていない。いつまでも子供なのは私のほうなのだろう。



  温かい紅茶を手にリーベの元へ行くと椅子に腰かけている彼女は何故だかそわそわと落ち着きがなかった。

「どうかしたの?」

「いえ、その…お姉様のお部屋に入ったのは随分と久しかったので…その嬉しくて」

  昔はよく「ご本を読んでください」と絵本を抱えてリーベは私の部屋まで遊びに来ていた。

 お母様は昼間の公務がお忙しく、妹の遊び相手は私がした。

 窓から差し込む温かい日差しに包まれて本が読み終わる前に妹はよく眠りに落ちていた。そんな穏やかな時間からもう10年の時が経ってしまっている。


「懐かしいわね。昔はよく二人で遊んだものね」

「はい。私、お姉様に絵本を読んでいただくのがとても好きでした。お姉様のお声が綺麗でずっと聞いていたくて」

「そんなふうに思っていたの?」

  初耳だ。毎回違う種類の本を持って来るものだから、てっきり本が好きなのだとばかり思っていた。

「本を読んでいただければいっぱいお声が聞けると思いまして…あの頃は名案だと思っていたんですよ」

 リーベは恥ずかしそうにそう告げると物憂げに目を伏せた。

「思えば、もっとたくさんお話をすればお声も聞けて、お姉様のことを知られたのに…私は勿体ないことをしました」

  過去を思い返している妹は大人びて見える。きちんと冷静に自分を見つめ直せる。私が思っている以上に彼女は多くに考えを巡らせているのかもしれない。


「お姉様にお聞きしたいことがあります」

  リーベの声が強張り、緊張が増す。私に会いに来た目的は思い出話だけではないことは分かり切っている。

 怒りをぶつけられようとも蔑まれようとも受け入れる覚悟を持った気でいたのに。

 やはり本人を目の前にすると揺らいでしまいそうになる。

  次に私を捉えた瞳は決意を秘めた真っすぐなものだった。

「お姉様はご自分が女王になるべきだと、お考えになったことはありませんか?」

  予想もしていなかった問いに驚き、思考が一瞬止まる。

 幼い頃は愛するルイフォーリアムの為に尽せる、母のような女王になれるなら素敵だ。そう思っていた。けれど"自分がなるべき"などとは一度も考えたことはない。


「ないわ」

「私に遠慮なんてなさらないでください!私なんかよりお姉様のほうがずっと優れていらっしゃいます。お姉様のほうが女王に相応しい素質があります!それなのに儀式ひとつで王位が決まってしまうなんて…あんまりです!」

  正直な答えだったのだけど、リーベは信じていないようで声を荒げた。

 こんな妹を初めて見た。きっとこれがこの子がずっと悩み、抱えていた本音だ。

 私がリーベと向き合うことを恐れなければ、この悩みを抱えずに済んでいただろうに。

  本当に多くの重荷を妹に背負わせてしまった。

 あなたの為になりたいと思いながらも、私自身があなたを苦しめてしまった。

 強さも覚悟も。私には足りないものが多すぎる。

 今の私にできることは誠実であることだけ。もう逃げない。

 

「ずっと気にしてくれていたのね…ありがとう。リーベは本当に優しいのね」

  リーベは頭を大きく横に振った。

 その仕草は昔と変わらなくて綻んでしまう。 

「リーベは女王になるのは嫌かしら?」

 私に遠慮したのか彼女は少し私の様子を窺ったが、ゆっくりと首を横に振った。

「決して嫌ではありません。お母様やご先祖様達のように、私も愛しているルイフォーリアムを守っていけたらと思います」

「ならよかったわ…ずっと私はあなたに謝らなくてはと思っていたの」

「お姉様が私に謝る?」

「ええ。私が継承の儀に失敗してしまったせいで、あなた一人に次期女王への重圧を押し付ける形になってしまった。あなたに選択の自由を与えてやれなかった…ずっと後悔していたの。本当にごめんなさい」

  ようやく言葉に出来た。

 長い時間、胸につかえていた思いが解放されたせいか、一気に身体の力が抜けていく。


「そんな、謝らないでください!お姉様は何も悪くありません!どうかお顔を上げてください」

  私が頭を下げて謝罪したことにリーベはとても動揺している。

 恐らく今の私はリーベの知る姉の中で最も情けない姿に映っているだろう。

  慈愛に満ちた微笑みを浮かべた妹の姿に、この人だからこそ女王を託したいと思った。改めてこの気持ちを思い出せた。

「謝らなくてはならないのは私のほうです。お姉様はご自身の継承の儀以降、ずっと無茶ばかりなさって…王女でありながら剣術まで習得し、さらには厳しい聖騎士を志すなんて…私がお姉様に与えられるべきものを奪ってしまったから…」

  リーベがそのように思っていたなど、ちっとも気がつかなかった。ずっと私に引け目を感じていたなんて。

 妹の為にと努力していたのに、結局のところ私は自分しか見えていなかった。


「私は奪われたなんて思っていませんよ」

「ですが!」

「剣を取ったのも、聖騎士を志したのも私の意思です。全ては私の為です」

「お姉様の為?」

「そうです。自分の継承の儀が失敗してから考えたのです。私に出来る事は何だろうか。私のしたい事は何なのだろうか、と…その結果が今です」

「お姉様のしたい事とは…?」

  姉を疑わない綺麗な瞳は純粋に私の答えを待っている。

 妹は他人の思想に否定をしない。誰の考えも理解しようと努める。

 私は彼女のそんな優しさが愛おしくて心配になる。

 だからこそ決めた道だ。後悔は少しもない。私は自分の決断を誇らしいとすら思っている。


「リーベ、あなたと共に国を愛し守ることです。あなたが女王という平和の象徴を保てるよう、私が女王の剣となり盾となれるようにしようと決めたのです。…ですから、あなたは何も気に病む必要はないのです」

  すると大きな瞳からポロポロと大粒の涙が零れ出した。

 泣いた自分を戒めるようリーベは懸命に涙を拭うが、止まる気配はない。

「今は泣いてもいいのよ」

 そっと背を擦ってやるが、リーベは泣くのを必死に堪えようと私の言葉に首を振った。

「…お姉様が、そんなふうに…思ってくださっているなんて…思わなくて…」

「迷惑、だったかしら」

「そんなことありません!…とても、嬉しいです…!」

  気高くあろうとする妹は立派な王女だ。

 本当なら抱き締めて甘やかしてしまいたい。

 感情に任せたい気持ちを堪え、彼女の意思を尊重する。

 私達は姉妹であるが王族同士でもある。感情だけでは生きていられない。


 リーベ王女の目を真っすぐに見る。 

「私は、心優しく他者に寄り添えるあなただからこそ女王になってもらいたい。…リーベ、あなたが女王です」

  王女は両手で涙を拭い、泣くのを堪えるとしっかりとした未来を見据える目つきに変わった。もう大丈夫。私が愛する、純粋で強い王女なのだから。

「私は女王となります!お姉様に恥じない、皆にも認めてもらえる女王に!」

「はい。私はどこまでもお供いたします」




  今日はルイフォーリアム国に新たな女王が誕生する日。

 新女王のお披露目となる城内の1階中央広間には既に多くの国民が新女王を祝福しようと参列してくれている。

 広間奥の2階部テラスからリーベ王女は姿を現し、国民の前で戴冠式を執り行う。

  オルガン演奏が始まると話し声が止み、荘厳な空気に包まれ始める。

 やがて演奏に合わせて合唱団の子供達の澄んだ歌声が高らかに響き渡る。 

 式は始まった。幼い王女が女王に変わるまで残り僅か。


  舞台裏で待機する強張った顔つきの王女は冷静さを保とうと必死だ。

 変に意識せずともありのままで彼女は充分気品あるのに。

 けれど、今日が妹にとって大切な一歩であることも事実だ。

  たった16の少女が一国を国民全てを愛し守り抜くと誓う日。

 王位継承権が彼女にあるとはいえ、お母様がご存命であられたならば女王としての即位はもっと先の筈だった。

  私が不甲斐ないばかりに妹に全てを背負わせる形になってしまった。

 本当はもっと自由にさせてやりたかった。今もそんな後悔は残る。

 それでもリーベは自ら女王になると決意してくれた。 

 ならば私は全てを捧げて支えると誓った。


「ねえ、リーベ。あなたは継承の儀を成功させたから女王になるのではないの」

  女王としての正装に身を包んだ王女はまだ不安そうだ。

 大きな瞳は潤んで揺れ、今にも涙が零れ落ちそう。

「あなたが誰よりも国と民を愛し、誰よりも女王に相応しいから女王になるのです。あなただから私も安心して女王を任せられるの。どうか誇りを持ってください」

「…お姉様…」

「今は泣かない。さあ、皆が女王を待っているわ」

 こくんと頷くと、リーベは迷いのない確かな足取りでテラスへと歩いて行った。

  嬉しい筈なのに、何だか寂しい気すらしてくる。

 妹はちゃんと大人へ成長している。

 姉の心配なんて必要ないくらいに、いつまでも臆病な少女ではない。



  妹の晴れ姿を見ようと裏手から移動し、広間が見渡せる2階側面の廊下へと出た。廊下では佳祐達が戴冠式を見守ってくれていた。

  民の前に立つ王女は背筋を伸ばし、気高く前を見据えていた。

 本当に、私が気が付かない間に彼女はとても立派に成長していた。

  民が見守る中、リーベ王女は神官から王冠を授かる。

 そして民を穏やかな眼差しで見渡すと女王として初めての言葉を口にする。

「美しい青空の下、愛する国民の皆さんに囲まれたこの良き日に、私リーベはルイフォーリアム国、第13代女王に即位いたしました。私はルイフォーリアムを愛し、皆さんの生きるルイフォーリアムの平和を保っていけるよう努めて参ります。私は、まだ未熟で至らぬことがあるでしょう。ですが、愛するルイフォーリアムを、一生を賭けて守り抜いてみせると誓います!そして、安らかな未来を皆さんと共に歩んでいきたいです。どうぞよろしくお願い致します」

  女王が深く頭を下げると大勢の温かい拍手に迎えられる。

 彼女らしい、優しく謙虚な言い回しだったが、揺るぎない決意が込められていた。

 ここに、新たな女王が時を刻み始めた。


「すっかり女王の顔ね」

  ついさっきまで今にも泣き出してしまいそうだったのに。

 いつも私の後ろを歩いていた妹が。

 相手の要望が叶うならばと自分の感情を飲み込んでいた少女が。

 大勢の民を前に堂々と自分の決意を表明した。

 そして国や民と共に女王として生きていくと覚悟を見せた。

 目頭が熱くなるのを堪えながら私は女王の姿を記憶に焼き付ける。


  拍手が止むと女王は大きく息を吸い、ゆっくりと歌い出す。

 ルイフォーリアムの女王は歌を歌える者、"祝福をもたらせる者"だけが王位を継承できる。

 民は女王の歌を"祝福"と讃えるが、歌とは魔法だ。私には魔法が扱えなかった。

 継承の儀は魔法の適正を見極める儀式。私は失敗して当然だった。


  祈るように歌うリーベ女王の歌声に国民は誰もが聞き惚れている。

 そんな民の頭上にはキラキラと光る光源の球体が次々に浮遊し始めた。

「女神の祝福だ!」

  ルイフォーリアムの民はため息をもらすように歓喜した。

 私の横に居る彼らは光の正体、精霊を知っているからか動揺はしていなかったが、膨大な数の精霊に驚いてはいた。

 本来精霊は魔力マナの濃い、自然豊かな地に多く居ると聞く。

 それがこんな人工建造物の、それも人が密集している場所に集うのは珍しいと言えるだろう。


「女王が扱う魔法を国民は"女神の祝福"と信じ崇めてくれています。実のところ、魔法使いであれば誰でも扱える精霊可視化の魔法なのですが。今リーベが歌っている歌はルイフォーリアム建国時から大切に伝えられている歓びの歌。この歌が始まると精霊達も集まって来てくれて今のような状況になります。ディオーネ神が民の前で歌ったのが始まりとされている神聖な歌です」

  私が説明をするとまるで肯定するかのように精霊が私の周りを一周した。

 精霊は魔力マナのエネルギー体と聞いたけど、生きているように思える。 

  もし精霊にも意思があったとしたら、私達はとても多くの生命と共に生きている。彼らとも尊重し合って生きていければ素敵だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る