迷いの中ー3


「何故私は罪に問われていないのですか」

  夕闇を背に革張りの椅子に腰かけ酒を愉しむ榊総さかきすべる。アルフィード学園の理事長という肩書を持ちながら極力表舞台に顔を出さない軍人。生徒が主体だからと自主性を重んじるフリをし、確立されたカリキュラムを高見で眺めるだけ。普段はあまり利用もしない理事長室で優雅な時を過ごしている。

  今の国勢を見て、自分の犯した罪の重さも感じず平静で居られるものだ。

 私は何度も悪夢を見る。命を奪われた無念に付きまとわれるかのように。

「計画は終わっていないからさ」

「まだ続けるおつもりですか!?」

「御影くんほどの人材を手放すのは惜しいが、他は探せば居る。研究データも実機も残っている。それなのに終わる理由がどこにあるんだい?」

「首謀である最高司令官は居なくなりました、続ける意味がありません」

「本当彼にはお手上げさ。アルセアでは良い顔して最高司令官の座に居座り、裏ではカルツソッドを唆し戦争を持ち掛ける。その陰でこっそりと自分の欲望を満たす有翼人計画も進める。あたかも計画は頓挫したように思うよね。今のアルセアは全部彼の想定内だよ。彼はまだどこかで息を潜めているさ。ここから先は僕も知らないけれどね」

「ならどうして…」

「これから先、必ずしも他国が戦争を起こさないと思うかい?」

  手にしているワイングラスを優雅に揺らしながら、中で動く液体を愉快に眺めている。恐ろしい内容を口にしているのに榊総はいつもの榊総だ。


「先日の戦争は人智の可能性を見せつけた。我々人類は更なる強大な力を獲得できる。魔導砲やNWAの存在にある者は恐怖し、ある者は羨んだだろうね。戦争の理由なんてそれだけで十分だ。人は欲か怒りで戦いをするみたいに言うが決してそれだけじゃない。恐れや妬みだって引き金になりうる。争いとは堪えないものだよ」

  彼の言い分は分からないでもない。けれど戦をする為に進んで力を手にするのは正しいとは思わない。

「ならば僕らは備えておかなきゃね。襲い掛かって来るであろう脅威に打ち勝つ力をさ」

  座っていた榊総は立ち上がり私に歩み寄る。

 ただ父親が娘に近づいてくるだけだ。

 それなのに私の身体は強張り、息が苦しくなる。

「有翼人計画は君が引き継ぐんだ」

「私には無理です」

  自分の気持ちを抜きにしたってそれは不可能だった。

 とても私には博士二人に匹敵する頭脳は持ち合わせていない。

 なによりも疲れ切っていた。

 他人も自分も裏切り続け、罰を課されず、罪の償いも許されない。

 私はもう、何も考えられない。

「美奈子」

  この落ち着きのある私の名を呼ぶ低い声。

 相手を支配するような冷たい眼差し。

 それとは裏腹にそっと優しく肩を撫でてくる大きな手。

 私はいつだって父親である榊総に逆らえない。




  休校しているアルフィードは随分と静かだ。

 戦争後、観光客は激減。商業地区の店も営業はしているが人通りはまばらで自粛している店もある。普段なら長期休暇であろうと半数の生徒が学園に留まるが、休校している今、生徒もほぼいない。

 まるで長閑な村だ。これだけ静かなのは創立してから初めてかもしれない。

 人で賑わうアルフィードが嘘みたい。理事長室を後にして学園の敷地を歩くが誰とも遭遇しない。

  歩くごとに自分が生徒だった時の思い出が蘇る。

 最新機器や薬学など医療に関する勉強は興味深く熱心に学んだし、自分と近いレベルで話し合える生徒会のメンバーとの日々は楽しかった。

 科が違ったのに天沢君とは会う度に口喧嘩をした。飾らない自分で居られる数少ない瞬間だった。

 充実した毎日は慌ただしかったが満ち足りた気持ちにさせてくれた。

 思えば私はあの頃が一番笑えていたかもしれない。

 医療の研究者か学園の先生か。そのどちらかになりたいなんて考えていた。

 そんなのは甘い幻想だったけれど。


  アルフィード学園卒業後の私は軍の中でも異質な立ち位置になった。

 どこにも配属されず、博士の号をもらいつつも時々公の場で論文を発表する程度。

 大半は有翼人計画のサポートばかり。いや、サポートなんて綺麗な言葉だ。

 研究情報の整理、漏洩の防止、計画の隠蔽工作、疑われないよう自分の顔を使って表との懸け橋。そんな汚い作業をしていただけだ。

  自分の生存理由が分からなくなるほど麻痺した日常を生きてきた。

 人並に結婚して家庭を持ったり、研究を重ねて新たな医療の可能性を開拓したり、知識を子供に託していけたり。そんな夢を持っていた時期もあった。でもそれらは叶わぬ夢なのだと思い知らされた。

 どう足掻いても私は榊総に逆らえないのだから。 


  今日もまた地下で恐ろしい研究を続けなくてはならないのか。

 それも今度は自分が主導で。

 私だけ解放されることのない真っ暗な闇に放り出された気分だ。

 重い足取りで研究施設に足を踏み入れる、はずだったのだが。

「工藤美奈子博士」

  少女の声にぼんやりとしていた意識を起こされた。

 制服姿の少女達が三人。施設の前で私を待ち構えていた。

 揃いの服だが、軍服でも学園の制服でもない。

 けれどまったく見知らぬ相手と言うわけでもない。

「南条…麻子さんだったわね」

  私に声を掛けた物腰の柔らかな少女。それは私の同級生であり生徒会として共に活動した旧友の妹であった。

 彼女はたしか千沙ちゃんと同学年だったはず。縁とは不思議なものだ。

 科を越えても彼らが友達であったように彼女達も友達なのだから。

「覚えて頂けて光栄です」

「私に何の用かしら」

「折り入ってお願いがあります」

  丁寧に対応してくれるが、今の私に敬意を払ってまで頼まれる内容もない。

 話を聞く気力も失いかけていたし、何より彼女達の力になれる自信がない。

 すぐに断ろうと思ったのだが、少女たちの強い眼差しが拒絶の言葉を飲み込まさせた。


  アルフィード学園内に勤務している大半の軍人は復興支援の為出払っている。

 この研究施設も例外ではなく休館扱いになっており、利用している者は僅かだ。

 施設内の応接室に彼女達を通し、席に座るよう促し改めて顔を合わせても少女らの意志の固い顔つきは変わらない。真っすぐで眩しい。今の私は直視するのも精一杯だ。

「お願いって何かしら」

「国民に演説をしてほしいのです」

 突拍子の無い願いにすぐに彼女の真意は理解できなかった。

「演説って…私に何を話せって言うの」

「有翼人計画についてです」

「どこでそれを――!?」

  世間には鳥羽悠一、元国防軍最高司令官によるアルセアを陥れる計画があったというように公表されている。工藤昌弥博士と天沢旭さんはその計画に与する人物として罪人扱い。本来ならば私も裁かれるべきなのだが、榊総により罪を隠されている。

  有翼人計画を知る者は関係者のみで未だに漏洩していない筈だ。一生徒である彼女達が知れるわけがない。


「彼女、東雲理央さんはプログラミングが得意なのですけどハッキングもできまして。先日のプログラム強制シャットダウンの際に混乱に乗じてハッキングして、有翼人計画の研究課程のデータを少々拝見させてもらいました。あとは旺史郎お兄様から裏を取りました」

  しれっと言いのけたものだ。軍の機密情報を無断アクセスおよびハッキング行為は重犯罪。未だアルセアは情報犯罪における取り締まりが万全ではないとはいえ、よくできたものだ。

  特に有翼人計画など知り得る者は10人に満たない。

 御影博士ほどではないにしろ工藤だって国内屈指の技術者。相当な鍵を掛けた筈なのに。学生であるその子が開けたなど少し疑いたくなった。

 けれど南条君にまで事情を聞いたのであれば最早誤魔化しは不可能だろう。

 計画の初段階であるW3Aから機体を作ってくれた当事者なのだから。

 麻子ちゃんの物怖じせずゆったりとした態度、本当南条君にそっくり。

 

 名を出された少女、東雲理央ちゃんはずっと私を冷めた目で見てくる。

「…言っときますけど、私はあなたを軽蔑しています。私達の大切な友達を苦しめた行為は決して許さない。だけど、あなた以上の適任はいない」

「計画の当事者の口から語られるのが最も信用性が高い。そしてあなたは軍内でも上位の有権者でもある。残念ですが私達子供の言葉では多くの国民は耳を傾けてくれません」

「私にだってそんな力はないわ」

  そう、そんな力があるならばとっくに異を唱えた。

 父に逆らった。慕った人達を守ってみせた。自分に正直に生きた。

「工藤博士…美奈子さんの見た事実や感じた後悔をそのまま口にしてください。あなたの思いは必ず届きます」

「そんな今更」

「今更だろうと、過去の過ちを取り返せなかろうと。ここで向き合えなければあなたはまた後悔を重ねてしまいます」

  子供で初対面のあなたに私の何が分かる。そう叫びたかったのに。

 情けなさからか口は満足な言葉を紡ぎ出してくれない。

  懺悔できない息苦しさ、裏切り続ける度に擦り減る精神、重ねていく嘘で埋もれていく本心。

 矮小な自分は意思を捨ててしか生きられなかった。けれど本当は、空を自由に飛び回る鳥のように、ナニモノにも囚われずに声を上げたい。


「私達は国を守り戦ってくれた人の命を無暗に失わせたくないのです。大切な仲間を守りたい。なにより大好きな友達を救いたいのです。あなたの力が、勇気が必要です。お願いします、私達に協力してください」

  三人の少女達は揃って頭を下げた。

 迷いは感じられない、戦い抜く覚悟があるというのか。

「そんなことしたらあなた達の立場も危うくなるのよ?」

  国の決定に異を唱える。それは立派な反逆行為だ。

 一生犯罪者として生きる過酷さをその若さで背負うと言うのか。

「彼女達は命を懸けて守ってくれた。ならばこちらも命を懸けるべきでしょう」

  私が何度も目を瞑り、背け、逃げてきた道。

 真っすぐ歩きたいのに、私の辿る道はいつも曲がりくねって逸れてばかり。

 自分の行いで多くの犠牲を出してきた。今更戻れるものか。

  年甲斐もなく手が震えてくる。なんと弱い人間だ。

 私の半分しか生きていない少女たちのほうがずっと気高い。

「一人ではありません。私達と共に戦ってはくださいませんか?」

  震える私の手をそっと包んだ温もりは何もかも許されてしまうような、不思議な心地だった。

 ずっと恐怖や後悔に囚われて動き出せなかった。

 だけど、もう一度だけ。自分の翼で飛び立てるだろうか。


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